第三十七話 Vicious
――領主の書斎――
爆破の起きる少し前、
領主クロノは明かりも灯さず自身の書斎にいた。
戸棚に敷き詰めたファイルを持ち出し、
パラパラとめくりながら何かを探る。
するとそんな彼の元に一人の執事がやってくる。
「旦那様。暗い部屋でのお読み物は視力を落とします。」
「迷信だよソレ。……何かあったか?」
「先程キアラ様の所属する劇団に問い合わせました。
どうやら、彼女にアシスタントはいないそうです。」
「ふぅん。」
「驚かれないのですね。彼らが誘拐犯では?」
「違うでしょ。奇術師は大切な隠れ蓑なんだから。
多分キアラ誘拐のニュースで一番焦ったのは彼らだよ。」
「……犯人にお心当たりが?」
長年の付き合いだからか、
腹心たる執事は淡々とクロノに問うた。
しかし彼は曖昧な返事しか返さない。
彼の中でもまだ候補が絞れていないようだ。
「沢山悪い事してきたしねー。誰に恨まれたか。」
「……『天獄』、という事は?」
「あー……ははっ! まぁそれが一番困るかもね。」
パラパラと上品に資料をめくりながら、
領主クロノは空返事気味に応答していた。
やがて目星い情報が無かったのか、
彼は落胆しつつファイルを棚へと戻す。
するとその時、彼は棚の上の違和感に気付いた。
「……おや。」
――刹那、爆発音が領主邸内に轟く。
尋常では無い振動と衝撃が瞬く間に伝搬し、
警報と使用人たちの怒号が次々と鳴り響いた。
「フッ、こんなに我が家が騒がしいのはいつ振りかな?」
そう呟くと彼は、
立てられていた写真立てを再び伏せた。
――邸内一階・エレベーター前――
もうもうと立ちこめる爆煙は凄まじく、
黒く煙たいカーテンが朝霧の視界を覆い隠した。
しかしもう彼女に仲間を心配する気持ちは無い。
何故なら高々これっぽちの攻撃で
彼が死ぬとは微塵も思っていなかったからだ。
「手助けは、要りますか?」
「――必要ないかな。」
彼女の信頼に応えるように、
爆煙を掻き分けて大量の水流が蜷局を巻く。
まるで多頭の水龍神を思わせる水の流れは、
広い領主邸内の廊下でうねり、登り、集まり、
そして立ちこめる黒煙に直撃して霧散させた。
晴れた爆心地に立っていたのは二人の男。
ショウと、彼の生存に驚く逃走途中の爆弾魔だ。
やがてその爆弾魔は行動を逃走から応戦に切り替えると、
杖を剣のように持ち直し健全な両脚で駆け込む。
「シャァァッ!!」
(武器は杖。起爆の術が編み込まれた暗器か。)
男が振りかぶると同時に再び爆発は起きた。
その衝撃は衰え知らずで、再び邸内が大きく揺れる。
しかしどうやら男は戦闘経験が浅いらしく、
素人同然の動きはショウに全く当たる気配が無い。
(ただ俺も今は武器が無い。……ボールペンでいっか。)
胸元からペンを取り出すと、
ショウは未来視で読んだ軌道に芯を合わせる。
直後大振りで彼に差し向けられた男の腕から、
不快な刺突音と赤い血潮が飛び出した。
「ぐぉ!? 何者だ、お前……!?」
「その質問は、後で俺からまたするよ。」
敵の杖を強く握って固定すると、
ショウは怯える男に顔を近付け凄んだ。
「っ……クソッ……!」
男はようやく彼我の実力差を理解し、
再び行動選択を応戦から逃走へと切り替える。
そして杖の持ち手に仕込んだ銃のみを取り外すと、
すぐに玄関方面にいる朝霧の元へと爆走した。
「どけぇ! 女ァッ!」
「あーあ。そっちは正に鬼門だぞ?」
男が朝霧に銃を向けた時には既に、
彼女はいつの間にか彼の懐に潜り込んでいた。
そして爆弾魔がその事に気付いて驚く暇も無く、
渾身の鉄拳が彼の身体を吹き飛ばし
長い廊下奥の壁面にまで殴り飛ばした。
やがて騒ぎを聞きつけた人々が集まり始める。
困惑する彼らの視線を一身に受けて、
朝霧は衣装のまま後頭部に手を当てた。
「い、いやー! 何か勝手に吹き飛びましたね!」
「流石に無理があるって。」
そんな会話をしている間に、
クロノの指示か状況をしたのか、
現着した警備員たちが爆弾魔を取り囲んだ。
「ぁぁ……くそ! やめろ……! やめろぉ!!」
(奴は恐らく誘拐の実行犯じゃ無い。
多分本来の役割は領主の対応を確認する連絡係か?)
「寄るな! やめろ近づくなぁぁああ!!」
(うるさっ……とかく奴は誘拐犯への手掛かりだ。
また本命からは外れるが、今はキアラに集中しよう。)
「気持ち悪い! あぁ登ってくるな害虫共め!」
「……ん?」
すぐに立ち去ろうとするショウだったが、
爆弾魔の発する脈絡の無い言葉に違和感を覚えた。
またそれは朝霧も同様だったようで、
彼女も拘束される男の姿を凝視していた。
どうやら男は朝霧や警備員にでは無く、
自分の腕を恐れているようだ。
否、より正確には彼の腕を這いずり回っている、
見えない『何か』に恐怖し払い除けていた。
「ショウ君……あれってまさか?」
「幻覚症状……!」
ショウの顔色と声色が変化した。
暴れる男への不快感と、
そして棚から落ちたぼた餅への歓喜。
それらが合わさり彼は不気味に歪んだ笑みを見せていた。
すると丁度その時、
響めく人混みを掻き分けて
一人の執事が朝霧たちに接近してくる。
彼は二人の肩を軽く叩くと小声で素早く要件を述べる。
「クロノ様より、言伝がございます。」
――数時間後・ホテル――
朝霧たちはデガルタンス内の適当なホテルに泊まる。
襲撃に気付きやすく、そして離脱がしやすい。
そんなホテルの一室を借りてセーフハウスとした。
「桃香。今日はもう寝ておけ。」
「……でも。」
「我々の利害は一致した。調査はクロノに任せる。
もうそういう話で決まっただろう?」
爆弾魔を拘束した領主クロノは、
そのまま朝霧たちへ協力要請を出した。
そこで彼はかなり赤裸々に自身の事情を語る。
曰く、ショウの追っていた麻薬密売組織は、
以前からクロノたちも追っていた標的らしい。
今回の事件はそんな領主からの追跡を嫌った組織が、
牽制のために仕掛けた事件だと彼は断定した。
「実際に薬物中毒者が敵にいた訳だからな。
俺も同意見だ。」
「実行犯は……全員が薬物中毒者?」
「多分な。理性を飛ばした操り人形たちだ。
捨て駒だろうから、正直今回で大本まで潰せるかは――」
「――中毒者の群れの中に今キアラは居るんですよね?」
「!」
朝霧が何に不安を、いや恐怖を覚えているのか、
ショウはすぐに思い至り口を閉じる。
しかし彼らが今出きる事は皆無なのもまた事実。
故に黒幕は椅子に腰掛け机に向かった。
「もう寝ろ。体力を温存するんだ。」
「……リーダーは?」
「銃の手入れをしてから寝る。」
「……分かり、ました。」
不服ながらも朝霧は理性で感情を抑えて納得した。
だがふかふかのベッドに腰を落としたその時、
彼女は机に向かうショウの掌に違和感を見つけた。
「火傷?」
「え?」
「ほら、左の掌に……ってそれ、かなりの重傷じゃ!?」
「あ……本当だ。」
ショウは自分の手を見て心底驚いていた。
恐らく爆弾魔の杖を掴んだ時に負傷したのだろう。
炸裂直後で熱されていたと考えれば当然の結果だ。
だがしかし、そう思うと不可解な点が一つ生まれた。
何故今の今まで――ショウが気付かなかったのか、と。
「ショウ君。まさか……?」
「五日目はこれで終わりだ。早く寝ろ。」
「! ……了解。」
軽めの治療のみを済ませると、
ショウはすぐに銃の手入れ作業に戻った。
その間朝霧はベッドに潜って頭まで布団を被せる。
カチャカチャと銃の解体音が響く冷たい室内で、
彼女は想い人へと静かに涙を流していた。
――同時刻・とある廃墟――
「連絡係がやられた。」
暗い廃墟の中には数人などでは収まらない人の影。
部屋とも呼べぬ空間に多くの機器と机を並べながら、
彼らは領主邸内で起きた情報をノータイムで獲得する。
するとそんな廃墟の前に一台の車両が現れる。
車両は壁のない屋内に直接乗り込むと、
即座にバックドアから拘束した女を引き摺り出した。
「くぁっ……っぁあ!」
布で出来た即席の猿轡を外されると、
衣服も乱れたキアラは胸を揺らして咳き込んだ。
口からは大量の涎が滴り、汚れた頬を伝っていく。
「ゲホッ! コホッ……! っ、私を……どうする気?」
キアラの言葉に答える者は誰も居なかった。
だがその代わりに数人の男たちが彼女を抑え込む。
「痛っ! や、やめて……!」
恐怖で声が震える。絶望で血の気が引く。
しかし、やはりそんな彼女の声に誰も答えない。
そしてこのまま『汚される』のではと怯える彼女に、
誘拐犯たちは更に上の恐怖を見せつけた。
「袖を捲れ。打っとくぞ。」
「――!?」
男たちが取り出したのは、注射器だった。
そしてキアラを押し倒すメンバーが
彼女の袖を無理矢理捲って肌を露出させる。
これから自分が何をされるのか、
明確に理解してしまった彼女は激しく抵抗した。
「や……だ! やめて! やめてよ! ねぇってば!?」
「黙らせろ。」
「むぐっ!? くっ……んー……! んっー!!」
顔を押さえつけられ、腕も押さえ込まれて、
キアラは悶え苦しみながら涙を流す。
(いや、だ――)
そんな彼女の柔肌に注射針は触れた。
声にならない悲鳴が廃墟の中に響き渡る。
――――
そんな彼女の様子を、
廃墟の天井を支える鉄骨の上から何者かが見ていた。
剥き出しの小さな橋を渡る影は全部で四つ。
トコトコと人では通れない道を駆けずり回っていた。
「キュ?」
明日は休載します
次の更新は明後日1/5(金)です




