第三十話 悪人の黄昏
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俺の睡眠は浅い方だった。
他人と比べて、特に浅い方だった。
それは本来の体質的な問題などでは無く、
意図してそういう形になるように
幼少期から訓練されてきたが故の結果だった。
――『他人に寝顔を見られてはいけない』。
睡眠時とは即ち隙を生む時間。
人体を動かす上で必要ではあるが、
だからといってむざむざ晒す訳にもいかない。
特に、常日頃から命を狙われている者なら
睡眠の深度はそのまま生存率に直結する。
だから俺の睡眠は、浅い。
誰かの近くで寝るのならその者よりも遅くまで起き、
その者が起きるよりもずっと早くに目を覚ます。
やはり俺の睡眠は――他人と比べて特に浅い。
兵器として仕込まれたこの厳しい習慣は、
無意識的に実行出来てしまうほど
既に俺の深い場所にまで根付いていた。
はずだった――
「あ! おはよショウ君!」
――生まれて初めて、
俺は誰かの傍で熟睡していた。
――四日目・早朝――
まだ日も完全には登り切っていない時刻。
薄明の空は美しく、大森林の生命に活力を与える。
きっと街はまだ寝静まっているのだろうが、
洞窟の入り口から差し込むその日を浴びながら、
朝霧たちは『共犯活動』四日目を開始する。
「さーってと! 今日はどうします?」
「夜までにディフトラム島を脱出する。
実は今夜、ある人と会う約束をしているんだ。」
「……女?」
「安心しろ、三十後半の男だ。
ただ遅れた場合は二度と会ってくれないだろう。」
「なら急がなきゃですね。目的地は……?」
「まずは南部の街だ。」
お互いバックパックをひょいと背負い、
二人はぐっすり眠れた隠れ家を後にする。
――同時刻・森の廃墟――
朝霧たちが活動を再開した丁度その頃、
昨日彼女たちが戦闘を行った森の廃墟には
封魔局員の大規模な調査が入っていた。
といっても探しているのは朝霧らの痕跡であり、
建物そのものにはさほど興味は無い。
「フィオナ隊長。土地の記憶、解析完了しました。」
「……どうだった?」
「はい。あまり有意義な会話情報は無く、
恐らく毛布数枚と調味料のみを確保して
どこかで野宿をした物と思われます……」
「ふむ。夜間の捜査状況はどの程度だ?」
「森林の大半が魔獣の棲む禁足地という事もあり、
地上からの大規模捜査は実現出来ませんでした。
またドローン約百台での追跡も行いましたが……」
「結果は振るわず、か。」
「申し訳ありません。」
「お前が謝るな。もう後続と交代して良いぞ。」
働き詰めの部下を下がらせると、
フィオナは虚空に白い息を吐き捨てた。
親友を初日で取り戻せなかった事や
部隊全体にやや疲弊の色が見えている事。
それら全てのやるせない気持ちを溜め息にして
身体の中から完全に取り除くように吐き出した。
するとそんな彼女のもとに一通の連絡が入る。
相手は同じ島にいるエヴァンスであった。
『フィオナ。夜明けです。』
「了解。捜索を再開しましょう。」
彼女の指示に従い、
周辺にいた全体員が一斉に動き出す。
迷彩柄の重装備に赫岩武装を担いでは、
それぞれが事前に決めていたルートで森に入った。
そして横を抜ける彼らを見送りながら
フィオナも森林地帯へ向けゆっくりと歩き出す。
途中ふと後方の廃墟が気になり振り返ったが、
彼女はそれ以上の興味を抱かず前へ進む。
――四日目昼・南部市街地――
封魔局員の視線が森へと集中する中で、
彼らよりも僅かに早く移動していた朝霧たちは
地下通路などを使い、どうにか南部の街に辿り着く。
決して気楽な道中では無かったが、
それでも移動中に封魔局との接触は回避できた。
(未来視と桃香の身体能力があったからこそ、だな……)
「お疲れ様です。洞窟の水がまだ残ってますよ?」
「貰おう。…………ふぅ。」
「一度休みませんか? 眼を使いすぎですよ?」
「いや、時間が惜しい。」
すぐに移動しよう、と
頬に汗を滴らせながらショウは譲らない。
ならば全力でサポートするまでだと
朝霧は密かに決心して計画の全てを彼に任せた。
「それで? 南部の街では何をするんです?」
「来ただけで十分。この街に用はない。」
「なるほど……ん?」
「今からすぐに北部の港に戻るぞ。」
「えぇ!?」
頭脳担当は彼の仕事。
そう割り切っていた朝霧であったが、
流石に今の彼の発言には度肝を抜かれた。
ここまでやっとの思いでやって来たと言うのに、
また帰らなければならないと言うのは酷だ。
しかも封魔局員が乗り込んで来た北部港ともなれば、
思わず「ちょっと待て」と止めたくもなる。
が、当然ショウに考えが無い訳でも無い。
彼は朝霧の不平不満をある程度聞き届けると、
自分の考えを端的に説明し始めた。
「俺たちの南下は封魔局も把握済みだ。
恐らく森林の捜索を終えたら、次はこの街を探す。」
「! 意識が南側に向いている、という事ですか?」
「その通りだ。勿論北にもある程度監視はあるだろう。
が、南側に比べれば圧倒的に手薄になっている。」
封魔局員たちもまさか黒幕の最終目的地が
旅のスタート地点にあるとは思うまい。
加えて海上管制基地艦も北側に配置されているため、
意識的には一番堅牢そうに見える場所となっていた。
そう言われれば何だか行けそうな気がする、と
朝霧は一瞬だけ盲目的に流されかけた。
だがしかし彼女はすぐに頭を回し、
この作戦の致命的な問題点を指摘する。
「いや! もう一度徒歩移動なんてしてたら、
流石に港に着く前に追いつかれちゃいませんか?」
封魔局には物量がある。
動員出来る隊員の数にも余裕がある。
それらに物を言わせた圧倒的な捜索スピードがある。
夜間の森ならいざ知らず、昼の島などすぐに精査可能。
つまり同じ時間を掛けて移動をしていれば、
その後追いをしているだけで追いつかれてしまうのだ。
この点の解消が出来ない限り、
ショウが立てた作戦は机上の空論に終わる。
だが当然、彼は事前に手を打っていた。
「安心しろ、帰りは車だ。」
「え?」
「お、時間通り。丁度来たようだな。」
ショウは二人に近付く車を見つけて手を上げた。
先方もその動作に気付いたようで、
速度も緩やかに彼らの前に車を寄せる。
現れたのは昨日襲ったタクシーとその運転手だった。
「っ……よ、要求通り誰にも喋っていないぞ!」
「だろうなぁ? もし喋っていたら――」
「ひぃ! つ、妻と子供だけは見逃してくれぇぇえ!」
「フッフッフッ! それはお前次第だ。」
服の中から拳銃を突き付けて、
ショウは怯えるおじさんに邪悪な笑みを見せた。
そしてすぐに表情を戻して朝霧に振り返る。
「さ、帰ろうぜ?」
(いやっ!? 何か凄く嫌なんですけどぉ!?)
――――
朝霧とショウはタクシーにて北部を目指す。
検問の多い森林地帯周辺は避けて、
大きく迂回するように西部海岸沿いを通過した。
その車内は逃走中とは思えないほどとても穏やか。
窓から見える海は美しく波打ち、
空調の温かさとフワフワのシートが眠気を誘い、
今朝までの疲労を完全回復させるようだ。
これ以上無いほど、穏やかな旅路。
唯一反するのは巻き込まれた哀れな運転手のみ。
「うぅ……なんでこんな、なんでこんな……!」
(本っ当にごめんなさい!!)
涙を流しつつも安全運転を心掛けるおじさんに、
朝霧も申し訳無さでいっぱいとなっていた。
だがそんな重い空気の彼女たちに反して、
ショウは普段以上にノリノリで悪人を演じる。
「いいか? 本社へのSOSも無しだぞ?
社内暗号は知っている。それを言った瞬間お前は死ぬ。」
(こんなタイプの悪人だったっけ?)
「――って隣の人がさっき言ってました。」
「ひぃぃい! 鬼みたいな女だぁ!!」
「何でぇ!?」
突然罪をなすり付けられ、
朝霧は思わず困惑の声を上げる。
そしてショウの腹に報復の一撃を入れた。
「流石にキレますよ?」
「ずっ……ずみま゛せん、でした……! ごふっ!」
「ひぃぃい! 仲間殺しも厭わないタイプだぁ!!」
「誤解ですからっ!」
そんなこんなで時間も過ぎ、時間帯は既に夕方。
封魔局員たちは森林の調査を切り上げ、
目撃情報のあった南部市街地へ移動していた。
その情報を北部に残る隊員の無線から傍受すると、
ショウは港の前でタクシーを止めさせる。
「本当にご迷惑をおかけしました……!」
「え? ぁ、……はぁ?」
降りると同時に深々と頭を下げる朝霧に、
運転手のおじさんも困惑していた。
「ほらショウ君も! あ、料金はいくらです?」
「こ、こちらに。」
「ぐっ……は、払います! えっとカードで……」
「どうせ口座は凍結中だろ? 良いよ俺が払うから。」
「なら一緒に『ごめんなさい』もしてください。」
「……悪い。助かったよ。」
顔を逸らしながら現金を差し出すショウの頭を、
朝霧は後ろから掴んで無理やり下げさせた。
相応の料金を受け取り、車体も自分も家族も無事。
結果的に変わった太客を乗せる事となった運転手は
現金を握ったままキョトンと呆けてしまっていた。
そんな彼を置き去りに、二人は港に走り出す。
「ま、まいどあり〜?」
おじさんの口からは、
自然と仕事で使う言葉が漏れ出ていた。
――四日目・北部港――
「で、ここからの脱出手段は?」
監視カメラや封魔局員に見つからぬように、
夕焼けに染まった港を二人は素早く駆け抜ける。
その間、彼らは足を止めること無く会話を続けた。
「小型の潜水艇を沈めてある。海中経路での脱出だ。」
「……ずっと思ってたんですが、ショウ君まさか?」
「何?」
「――自分で封魔局に通報しましたか?」
「その心は?」
「素顔での行動や諸々の準備の良さです。
なんで潜水艇なんて代物が置いてあるんですか?」
「正解だ。一般人に扮したゼノに通報させた。」
潜水艇を沈めたポイントに到着すると、
ショウは水中に向けて術式を起動させながら、
その待ち時間で自白するように全てを語る。
曰く、自己通報の目的は威力偵察。
封魔局が『今の黒幕』の危険度をどう認識しているか、
余裕のあるうちに把握しておきたかったらしい。
「デート日にしないでください!」
「この規模と熱量はちょっと想定外だったんだ。
まぁそれに……俺たち二人が揃ってて負けは無いだろ。」
「! まぁ、そうかもですけど……」
唇をツンと尖らせながら、
頬を染める朝霧は後ろに手を回しつつ、
また言いくるめられたと眉をひそめる。
その間にも潜水艇は浮上し始め、
もうほとんど乗り込める状態となっていた。
ショウは濡れたハッチを開けると、
その中に朝霧を誘導する。
「……そういえば、闇社会の人たちは?」
「いや、あれは俺じゃない。
奴らの襲撃が俺の中では一番の誤算だった。」
(? なら何で封魔局よりも先に――)
――その時、朝霧たちの眼の前に何かが現れた。
黒い表面に夕焼けを反射しているその球体は、
何の遊びも無い無骨な軍用手榴弾であった。
「ッ!?」
ショウは咄嗟に朝霧を潜水艇へと押し込めると
ハッチを閉じて爆風から素早く逃した。
しかしその分、彼の背中にはダメージが及び、
ショウは桟橋の上を丸太のように転がった。
やがて僅かに黒く汚れた顔を上げ、
桟橋の奥からやってくる敵を見据える。
ユラリユラリと傷だらけの体を押して現れたのは、
無精髭とボサボサの髪を持つサラリーマン風の暗殺者。
「シャルル……!」
「よぉ……奇遇だな。黒幕さんよ。」
時刻は四日目の黄昏時。
黄金色に染まった桟橋の上で、
悪人同士の最後の決闘が始まった。




