第二十話 生きろ
祝福――『未来視の魔眼』。
最強の魔女が持つに相応しいこの力は、
今よりも先の数多の可能性をその脳裏に映し出す。
観測する未来は遠ければ遠いほど不安定となり、
ほとんとの場合は何もしなくても勝手に変化していく。
例え数十年先に自分が死ぬ未来が見えたとしても、
その可能性を回避する事は非常に容易いのだ。
しかしある時を境に魔女の未来は閉ざされた。
それは天帝ゲーティアが仕掛けた陰謀。
ある時期より先の未来の観測を阻害する事で、
戦争を成立させる対ソフィア用の大魔術であった。
即ち魔女は、近い未来しか観測出来なくなっていた。
――時期的に犯人はアビスフィアの天帝だな?
――仕方が無い。今は現場での判断に身を委ねよう。
――まぁ何とかなるでしょ。私は原初の魔女なんだし!
呪いは天帝の想定よりも絶大な効果を発揮した。
――あれ、あれ……? 戦争が止まらないや……
――違った。こっちの選択肢は間違いだったんだ!
――ハハ……あれおかしいな? 何で間違えたんだろ?
最善を選んだはずだった。
最良を取ったつもりだった。
――本当にこれでいいの? 本当に上手く行くの?
――違う。違う! こんなはずじゃなかった!
――あぁダメだ……もう何が正解なのか分かんないよ!
自分では良い選択をしたつもりなのに、
どんどん、どんどんと世界は悪い方へ進んでいく。
やがて枝分かれしていたはずの結末は収束していき、
いつしか彼女の運命は一本道となっていた。
やがて魔女は久しく忘れていた感情を思い出す。
あの燃える夜に恐れた感覚――即ち『死への恐怖』。
仲間には悟られまいと飄々な態度で隠してきたが、
そのメッキの下ではずっと恐怖が渦巻いていた。
「サマエルッ!」
弟子の死体を前にしてその恐怖は再び顕在化した。
亡霊達の護衛を任せていたはずの悪魔を呼び戻し、
ソフィアは何よりもまずショウの肉体に潜入させる。
そしてメッキの剥がれた焦り顔で彼女は喚いた。
「どう!? まだ蘇生はできそう!?」
『んーっ……!? 困難ッ!
心停止から二分でしょうか? 脳の保存は成功です。
しかし心臓が完全に破損しており復旧出来ませぬ!』
(心臓の欠損!? 流石にそのレベルは……!)
魔女は誰かを助けようなどと思った事が無かった。
或いは彼女にとっての『助ける』とは、
未来視による助言や武力介入による助力で成される物で、
死にゆく他人の命を救う場面など想定していなかった。
他者を見ず、自分の死を本気で怖がったからこそ、
ソフィアはずっと『最強』であり続けた。
慢心を捨てて自分のガードのみを固めてきた。
心を閉ざし、眷属のみを信じ、孤立の栄光にただ浸る。
そんな『魔女』に弟子を救えるはずも無し。
「ならもう、魔女は辞めよう。」
「召喚者?」
「ねぇサマエル、ちょっと手伝ってよ。
今から私の心臓を――この子に移植するから。」
「な!?」
二千年間も魔女を生かし続けた『不朽の心臓』。
その移植は即ちショウの生還と引き換えに
魔女ソフィアの死を意味していた。
「なりませぬ……! なりませぬぞ我が召喚者!?
貴女ほどの魔法使いの死は世界にとっての損失です!」
「相変わらず優しいね……君は。」
「っ……何より貴女はずっと死を恐れていたでしょう?
だから私を喚び『不朽の心臓』まで開発した!」
「そうだよ。でもねサマエル……」
死への恐怖は確かにあった。
自らが死ぬ未来がこの上なく恐ろしかった。
しかし、そうであったはずなのに、
より強い『別の恐怖』が臆病な彼女の背を押した。
「やっぱり今はこの子の死が何よりも怖いの。」
「……!」
「だって私の大切な息子なんだもん。
私よりも先に死んじゃうなんて、嫌だよ……」
震えながらも何処か優しさを持つ彼女の横顔に、
サマエルはもう何も言い返すことが出来なかった。
彼は僅かに落とした目線をぐっと持ち上げると
ただ無言で心臓移植の準備を開始した。
「ありがと。堕天使サマエル。」
相棒に二千年分の感謝を告げて、
やがて魔女も命の交換作業に取り掛かる。
「足りない血や肉も私ので補って! 両眼もあげる!」
「御意に。」
「これからはショウが君の契約者だ……
私にしてくれたように、彼の事も助けてよね?」
「承知。」
壊れたマシンの足りないパーツを補うように、
人体から人体へと肉や血が受け渡される。
やがて未来を見通せる両の眼と、
腕一本分に匹敵する血肉の交換が完了した頃、
あとは心臓移植のみを残したソフィアが口を開いた。
「ねぇサマエル聞いて。今、すっごく不思議な気分。
何でだろうね? あんなに怖かったはずなのに……」
最強の魔女のままではきっと救えなかった。
最愛の弟子を、息子を救う事は出来なかった。
「この子のためだと思うと――全く怖く無いんだ。」
彼女は一人の『母親』となっていた。
母親となれたからこそ、
ソフィアは己を差し出し息子を救えた。
――――
数刻の後に、ショウは息を吹き返した。
失ったはずの視覚に違和感を覚えつつ、
脈打つ心臓に謎の温もりを感じつつ、
彼はこの世に再び生き残る事が出来た。
「母……さん……?」
その言葉は自然と漏れ出た物だった。
しかし該当者はもうこの世に居ない。
返事をしてくれるはずの人は
ショウの手を強く握って死んでいた。
彼がその事に気付いた直後、
戦場跡地の要塞内施設が音を立てて崩れ始める。
その床は大きくヒビ割れ、更に下層への口を開けた。
だがショウの病み上がりの体は動かず、
またそこを狙って耳障りな敵の声が響き渡る。
「ヒャハハハ! 超ラッキーじゃねぇかァ!!」
(帝国幹部リッキー!? マズい、殺される……!)
現れたのは生き残りの敵幹部。
満身創痍の隙を狙い瓦礫を泳いで彼は迫る。
やがてその凶手がショウの首へと迫った、
その時――
「祝福っ! 発動っ!!」
――仲間の声が施設内に響き渡る。
瓦礫を切り裂き施設内へと飛び込んで来たのは、
剣士コルウスと彼に担がれた封魔局員カレラだった。
カレラはその瞳で敵幹部の全身を直視した。
「はぁっ!? 何だこれ!?」
直後、リッキーの体はピタリと硬直した。
まるで全身が蜘蛛の巣に引っ掛かったかのように。
「アンタはもう死んどきなさい。」
そう言うとカレラは施設の天井に爆弾を投げる。
投擲された手榴弾は高い放物線を描き接触すると、
巨大な爆発と共に無数の瓦礫を産み落とした。
やがて瓦礫は空中に固定されたリッキーを襲う。
動かぬ体では『潜水』することも叶わず、
アビスフィアの幹部は成す術も無く潰されていった。
(あぁ、肉が痛む……! 骨が軋む……!)
その衝撃は凄まじく、
カレラの全身をヒリヒリと刺激していく。
彼女はコルウスに救助されるショウを見守りながら、
その痛みによって自分たちの生を実感していた。
「良かった……私たちはまだ生きている!」
崩落する施設から、
三人の亡霊は五体満足で脱出した。
――ラプト要塞・管制室――
「ドレノは脱出用の車両を確保しに行ったわ。
生存者は彼と……ここにいる三人だけよ、リーダー。」
「……そうか。皆、すまなかった。」
「謝らないで。それより食料や機材を確保するわよ。
ここから連合領まで結構距離があるんだから!」
亡霊達の目的は達成された。
多くの犠牲を払ったが、天帝の暗殺には成功した。
あとはもう怪我なく帰還するのみ。
きっと魔法連合は彼らの事を英雄として迎えるだろう。
(あ、れ? 何だろう……何か、違和感が……)
そんな中でショウは一人考え込んでいた。
終わったはずの戦いに違和感を覚えて、
その過程をもう一度洗い出していく。
――義勇軍募集のチラシです。
――多分だけど地脈異常じゃないかな?
――私は参加の署名をしてくるから。
(あれ、なんで……?)
――最前線に引き抜かれちゃった。
――普通はそんなの起きるはず無いんだけどね……
――つまりは天然物の巨大地雷か。
(なんで連合は爆心地の真上に陣取ったんだ?)
直後、カラスで外を警戒していたコルウスが叫ぶ。
どうやら索敵範囲内の空に何かが現れたようだ。
ショウは急いでモニターを起動させ、
その何かを母から受け継いだ両目で確認した。
「……飛行船?」
壊れかけたモニターに映し出されたのは、
ラプト要塞に迫る一隻の黒い飛行船だった。
明らかに軍用の出で立ちをしたその船に、
モニターを覗き込んだカレラが反応を見せる。
「この型は確か、連合の工場で作ってる奴ね。」
「なら味方だ。戦闘を感知したんだろう。
いくぞリーダー。あれに救助して貰おう。」
「いや待って! ちょっと変かも?」
「変?」
「機体番号も無いし、連合のマークも無い。
武装もちょっと過剰っていうか……これって――」
「――ッ!!」
何かに気付き、ショウは管制室のボタンを強く叩く。
それは緊急時に障壁を閉ざすためのボタンであり、
要塞から離脱するための時間を稼ぐための機構だった。
「ドレノをすぐ呼べ! 今すぐ離脱するぞ!」
「リーダー? どういう事……!?」
「このタイミングで現れた所属不明の武装船?
んなモン、あっち側にも敵がいるって事だろうが!」
「「!?」」
その直後、モニターに映る飛行船からは
無数の黒い点が投下されていった。
それはとても人とは似つかわしく無い異形の者。
見るだけで不快になる化け物の集団であった。
明らかに誰かを救助するための兵では無い。
またそんな異形たちを投下させる飛行船上に
モニターが一人の人間の姿を捉えた。
豪華な黒服に身を包むその男は、
自分たちが捕食者側だと言わんばかりの
酷く鋭い眼光を持っていた。
(俺たちは嵌められた……! 敵はまだ居る!)
――――
ショウたちは車庫のドレッドノートと合流した。
四人が乗るには充分な広さの輸送車を確保し、
最低限の水と食料を積んで脱出を図る。
「即席だが隠蔽魔術も掛けた!
目視されない限りは多分見つからねぇぜ!」
「了解だドレノ。運転は任せる。
コルウス! 例の飛行船は今どの辺りだ!?」
「ちっ、ここの真上だ!」
「今出ても的になる可能性が高いな……
分かった。俺が時間を稼ぐからその隙に!」
「ダメよ! 皆で生き残るの!」
脱出成功の可能性を高めるための案は
仲間たちに真っ向から拒絶された。
仕方無くショウも車両に乗り込み天に祈る。
どうか見つかりませんようにと、
疲労の溜まった両手を合わせて吐息を漏らす。
「じゃあ行くぞ……リーダー!」
頬に汗を伝わせながら
ドレッドノートはアクセルを踏んだ。
既に砕けて穴の空いていた車庫から飛び出し、
要塞の外を目指して車両は密かに爆走する。
((頼む……頼む……頼む……!))
もう誰もまともに戦える状態では無い。
今襲われたらきっと全滅してしまう。
祈るしか出来ない。祈る事しか出来ない。
「ッ――!? 飛行船が動いた!」
「やはりダメだったか……!」
いよいよ死を覚悟して、
運転手以外の三名はそれぞれの武器を取る。
だが彼らの絶望に反して飛行船は背を向けた。
「!? 反対方向に向かった?」
「何で……向こうにはもう誰も……」
理解出来ず彼らは停止した。
するとそんなショウの身体に装着されていた、
念波通信機が突然誰かの声を拾う。
(うげっ、見つかっちまったよ。)
――ラプト要塞跡地・瓦礫の上――
その人物は丸焦げだった。
雷に全身を打たれて重傷を負い、
その後の激戦に巻き込まれて死にかけた。
まだ瓦礫の上を歩いているのはただの奇跡。
まだ武器を握り締めていたのはただの根性だ。
「こっちに来やがった。化け物共が……」
(――その声は、ノイマンか!?)
「うぉ!? あぁ念波通信か、びっくりした。
そっちには何人いるんだリーダー?」
ショウはすぐにメンバーと状況を伝える。
その声色は酷く焦りを含んだ物だった。
しかしそんなリーダーとは裏腹に
当のノイマン本人は清々しい気分でいた。
「了解。なら俺が囮になれば良いのね……」
(待て! 今すぐ助けにいく! だから――)
「止してくれやリーダー!
やっと漢を魅せられるんだ……この俺が!」
そう言うとノイマンは
迫る異形の軍勢に棒術を叩き込んだ。
それはチンピラの鉄パイプ術。
とても武術と呼べるほど上等な物では無い。
しかし感情によって増幅した魔力が
その未熟を補い強烈な一打へと変える。
技名を叫ぶ余裕すら無い彼の乱舞に合わせ、
赤い魔力の軌跡が弧を描く。
「あぁクソ。やっぱ死ぬのはクソ怖ェ……!
こんな地獄だと知ってたら俺は来なかった。」
(っ……すまないノイマン……)
「ああ? 何でお前が謝んだよ?
所詮は死に際の戯れ言だ。気にすんな。
第一、最後の決定を下したのはこの俺だろ。」
腹を貫く異形の手を掴み、
その脳天に渾身の一撃を叩き込んだ。
「お前がッ……皆の手を引いたのなら……
俺は皆をこの地獄に突き落としちまった……!
へへ、同罪だ……責任はきっちり分けようぜぇ。」
躱しきれず耳が吹き飛んだ。
死角からの鋭利な棘が彼の肩を貫いた。
自分の死ぬ瞬間が鮮明に想像出来た。
恐怖で今にも膝を突きそうだった。
そして距離が開いたからか、死に際だからか、
念波で伝わる仲間の声もどんどん遠退く。
しかしそれでもノイマンは再び立ち上がる。
「友達助けて死ぬ……上等じゃねぇーか。」
「――貴様。さっきから何を呟いている?」
「敵の親玉登場か……へへ。」
いつの間にか眼前に現れた捕食者の目をした男に、
ノイマンは臆すること無く笑みを漏らす。
そんな彼を気味悪がり男は腕をドリル状に変形させた。
「答えろ、誰と話していた?」
「あぁ? 何を言ってやがんだテメェは?
俺様のデケぇ独り言に決まってんだろ、バァカ!」
「そうか。では死ね。」
「あぁそうだ! だからこれも、デケぇ独り言っ……!」
飛び込んで来た敵に合わせて
ノイマンも最期の魔力で間合いを詰める。
念波通信の通話可能範囲はとても狭い。
離脱する車両から飛ばされたの仲間の呼び掛けも、
もうノイマンにはほとんど届いていなかった。
きっと逆もまた同じ状態なんだろう。
そんな事を想いつつも、彼は最期に呟いた。
「生きろよ、お前ら――」
――同時刻。一台の輸送車が
密かに飛行船の索敵範囲内から離脱した。




