第七話 金の墓場
――十四年前・日本――
「国防長官……徒歩なんて本気ですか?」
「心配するな。ここは日本だよ。」
この日、とある国家のとある重役が来日した。
彼は大変な親日家で、特に着飾らぬ日常が好きだった。
住宅街の真ん中にポツンと佇む小さな公園。
雑多な音の中で一際大きく騒ぐ踏切の音。
そして日が暮れるまで友と遊ぶ子供たちの姿。
そんな飾らぬ日常を彼は愛していた。
日頃の鬱憤を忘れて、心を洗濯出来るから。
「――!? 長官下がって……!」
部下の黒服が庇うように手を伸ばす。
しかし長官は近付いてきたソレを見つめ、
彼に困ったような笑顔を向けた。
「何だ、ただの子供じゃないか。」
其処にいたのは帽子を被った少年だった。
見た目は中学生くらい。手には野球グローブ。
少年は外国人に驚きを見せつつも、声を発する。
「す、すみません! ボール取ってください!」
「これか。そーら行くぞ坊主!」
「っと! ありがとう、外国のおじさん!」
グローブの中に球を収めると
少年は礼儀正しくお辞儀をして去った。
国防長官は優しい笑顔でそれを見送ると、
直後に気張り過ぎな部下を注意する。
「何度も言うが此処は日本だぞ。」
「は、はぁ……」
「あとベースボール好きに悪い奴はいない!」
太陽のように無邪気な笑みを魅せながら
国防長官は長閑な日常の中を進んで行った。
――だがそんな長官とは対称的に
彼からボールを受け取った少年はすぐさま、
日常から外れるように一台の乗用車へと乗り込んだ。
車内には一人の男性運転手と二人の女性。
一人は身なりの綺麗な美人の外国人で、
もう一人は頭から被ったボロ布の端を掴んで
震え続ける小学生くらいの女児であった。
明らかに日常では無い。
だがそんな異様な空気感の車内に
少年は何の躊躇いもなく身体をねじ込んだ。
「ただいま戻りました。」
「ブツは?」
「こちらに。勿論俺の指紋は付けていません。」
そう言うと少年はグローブごと
国防長官の拾った球を女性に渡す。
すると彼女はすぐにその表面から指紋を採取し、
膝上に乗せた機材の中でデータ化させた。
「これで大陸の戦況は変わる。でかしたぞショウ。」
「そりゃどうも。」
「さて。ではこっちも次の行動に移ろうか。」
女性が淡々とそう告げた次の瞬間、
後部座席の少女はビクッと大きな反応を見せた。
そして今まで以上に呼吸を荒げて身体を震わせ始める。
少年は横からその様子をジッと見つめていた。
やがて中々震えが収まらない事にため息を漏らすと、
怯える少女の肩に優しく手を乗せる。
「大丈夫、ユカリちゃん? 代ろっか?」
「っ……!?」
呼吸は荒いままに少女は彼へと目を向けた。
その瞳はまるで一縷の希望に縋るかのようだったが、
場を仕切る淑女の、怒りを含んだ声がそれを許さない。
「おい。ふざけるなショウ。貴様は優等生だぞ?」
「成功率高まりますよ?」
「貴様レベルのを一人育てるのに
我々が一体どれほどのコストを掛けたと思っている?」
女はそう告げた直後、今度は少女に目線を向けた。
まるで「お前も分かっているよな?」と念を押すように
眼力のみで怯える少女を威圧し続けた。
やがて少女の瞳は淀み、物言わぬ人形へと成り果てる。
「では行って来い。劣等生――」
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本日昼過ぎ、都内路上にて自爆テロが発生。
防犯カメラには横断歩道で不自然にうずくまる、
実行犯と思しき少女の姿が写っていたそうです。
またこの爆破により防衛相会談出席のために
来日していた■■■国防長官が死亡。
さらにその数時間後、本国にて
同長官の管理下にあったシステムの一部がダウン。
多くの機密情報がネット上に流出したとの事です。
これら一連のテロ行為には
国際犯罪組織『金の墓場』が犯行声明を出しており、
国連からは日本政府に対して――……
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「任務完遂だ。日本から離れるぞ。」
「……了解。」
「お前でも故郷を離れるのは寂しいか?」
「まさか。人種が同じってだけで日本は故郷じゃない。」
窓ガラスに映る夜の街を眺めながら、
少年は実年齢よりも草臥れた声を吐き捨てた。
彼らの正体は国際犯罪組織『金の墓場』。
戦争、紛争を喰い物にする死の商人だ。
利益のためならテロ行為すらやってのける。
あの日の赤子が売られたのは、そんな組織だった。
赤子は物心付く前から、
彼と同じく世界中から集められた同期たちと共に
組織のために死ねる兵士として育てられた。
しかし苛烈な訓練に耐えられる者は少なく、
ほとんどの子供たちは『劣等生』の烙印を押される。
生き残れた優等生は十にも満たないほんの数人。
だが彼はその中でも特に優秀とされる兵士になった。
高評価の理由は大きく分けて二つ。
一つは『人種』という不変のアドバンテージだ。
日本人相手に気を許す外国人は少なく無い。
それが親しみによる物か侮りによる物かは別として、
ついつい警戒心を解いてしまうという性質が重要なのだ。
シャイな日本人の子供というだけで、
誰の警戒心にも引っ掛からない。
暗殺者としてこれ以上のアドバンテージは
そうそう得られる物では無いのだろう、が――
(それだけで生き残れるのなら苦労は無い。
ショウが優等生になれたのは、その『精神性』だ。)
それこそが二つ目の理由。
(ショウにも人並みの感情や欲求はある。
が、コイツには自分という存在への興味が無い。)
明日自分が死のうとも、彼は狼狽えない。
人の感情を理解しつつ兵器として冷酷になれる。
まさしく彼は組織の求める最高の逸材だった。
「ん? 俺の顔になにか?」
「仕事を長く続けるコツは自分の領分を越えない事だ。」
「……分かりましたよ。」
――金の墓場・本拠地――
どうでも良かった。
彼には最初から全てがどうでも良かった。
自意識の芽生えた頃にはもう既に人権など存在せず、
また誘拐では無く売られて此処にいるともなれば
いよいよ自己肯定感など育つはずも無い。
生きる理由など何も無い。
生きる理由が無いのだから死への恐怖も無い。
死への恐怖が無いのだから、彼の引き金はとても軽い。
叩き込まれた兵士としての優秀さを、
危ういほどシンプルな思考回路が制限無く行使する。
有用な兵士として組織は彼を気に入っていた。
(でも俺には欠片の忠誠心も無い。
そして上層部もそのことを重々承知している。)
「おめでとうショウ。幹部に昇進だそうだ。」
(……と思っていたんだけどなぁ?)
幹部の男に連れられて、
ショウは本拠地の廊下を真っ直ぐ進んで行く。
薄暗い道のりの先にあるのはボスの部屋。
彼ですら一度も入ったことの無い禁区域であった。
顔も見た事が無いボスにようやく会えるのかと、
ショウは少しだけ期待に胸を躍らせる。
しかし扉の向こうに広がっていた空間は、
彼の予想とは大きく反した物だった。
「は?」
「よく来たねショウ。私はスカーレット。
勿論偽名だが、此処のボスをやっている者だ。」
「はぁ……いや! それよりこの部屋……」
「あぁ、私の趣味だよ。」
その部屋は血よりも赤く染まっていた。
ショウの足元からボスの座る玉座のような椅子まで
気品のあるレッドカーペットが伸びていたが、
その両脇を守るのは不気味な黒い悪魔の像だった。
(宗教とは無縁な組織だと思ってたが……
いやそもそも……何教だよコレ?)
まるで邪教の祭壇。
オカルトの知識はあまり無かったが、
直感的にショウの脳ミソはそう判断を下した。
「フフ、流石だね。」
「?」
「この光景を見て君は、
恐怖では無く自分なりに解釈をしようとした。
やはり依代には君が相応しそうだ。」
スカーレットは薄っすらと口元を緩めると、
室内に響くようにパチンと指を鳴らしてみせた。
刹那、ショウの周囲には怪しげな紋様が浮かび上がり、
両腕ごと彼の上半身をがっちりと拘束する。
(何っだこれ!? 光学兵器!? 機材は何処に!?)
「ハハハ。違う違う! これは魔術という奴さ。」
(魔、術……?)
「『金の墓場』の目的は悪魔召喚のための準備!
そして私の至上命題はこの世界の征服だ!」
(何を言って?)
当時の彼にはまだスカーレットの語る言葉の意味を
全て理解する事は出来なかった。
しかしそれでも自分が何らかの目的に利用され、
これから良くない事に巻き込まれるのだと直感する。
(……まぁでも、別にいいか。)
「ふっ。君ならそういう反応になると思ったよ。」
スカーレットは良く肥えた家畜の態度に鼻を鳴らすと、
胸ポケットからある銀色のタグを取り出した。
それはかつて荒野で拾われた赤子の首に掛かっていた、
彼の存在を証明するネームタグであった。
「これは君に返そう。ありがとうショウ。
君の事は、多分きっと絶対忘れはしないだろう。」
「……」
「ふふっ! では皆の者! 悪魔召喚の時だ!」
スカーレットは喜々として両腕を天へと掲げた。
それと同時に周囲の幹部たちも祈りを捧げる。
やがて部屋の中には重低音の呪文が響き渡り、
怪しげな赤紫色の煙と共に異様な気配で包み込む。
「あぁ来たれ! 汝は魔王サタンと並びし畏怖!
楽園にてアダムを侵した赤蛇の毒!」
(もう……どうでも良い……)
「異界より舞い降りこの者の体へと宿り給え!
来いッ! 悪魔サマエル――ッ!!」
スカーレットの雄叫びと共に、
雷鳴の如き轟音が部屋の中で炸裂した。
室内は激しい衝撃と白い煙とで埋め尽くされ、
数秒ほど幹部たちですら状況が分からぬ状態となった。
が、スカーレットは
立ち込める白煙の中に人影を視認すると、
その肌を刺すような凄まじい魔力に成功を確信する。
「やったぞ……! これで世界は私の物だ!」
高らかに犯罪組織のボスは笑った。
彼に釣られるように幹部たちも歓喜していた。
が、スカーレットはすぐに異変に気付く。
人影の足元に依代にしたはずのガキがいたからだ。
「え?」
「困るんだよね〜。私の悪魔にちょっかい出されちゃ。
こっちは今アビスフィア帝国への対応で忙しいのに。」
「は?」
その直後、スカーレットの両腕が飛んだ。
煙の中から振るわれた斧の一振りによって、
鮮やかな血飛沫と共に苦しげな悲鳴が溢れ出した。
「此処にいる人は、まぁ皆殺しでいっか。」
更なる戦斧の一振りによって
スカーレットの首が斬り飛ばされた。
その一撃によって『彼女』を包む白煙も捌け、
人々は其処にいた怪物の存在を視認する。
黒いローブと似つかわしくない剛の斧。
そして垣間見える鮮やかな緑の長髪。
返り血を浴びた口角を釣り上げ笑う様は、
――正に『魔女』。
やがてボスの頭部がぐしゃりと地面に落ちる頃、
ようやく幹部たちは状況を理解して激昂した。
そして一斉に魔女へと現代兵器を持ち出し襲い掛かる。
(何だ……これは……?)
其処から先の映像を、
少年は今でも鮮明に思い出す事が出来た。
鼻を覆う臭気も撒き散らされる肉片も気にならず、
彼はただ眼前の女に目を奪われていた。
(何だ……この気持ち……? 俺は今、確かに――)
生まれて初めての経験だった。
こんな事は過去に一度も体験した事が無かった。
彼はただ何も出来ず何も考えられず見惚れるばかり。
あまりにも淡々と人を殺す彼女の横顔が、
指先が、太刀筋が、殺意が――
(――綺麗過ぎてゾッとした。)
「おや? まだ生き残りがいるね?」
(ッ……! 逃げ、なきゃ!!)
この日彼は、
生まれて初めて『恐怖』という物を体験した。
或る一人の、偉大な魔女に出会った事で。
「――ま、あの子も殺処分でいいかなっ!」




