第五十五話 土の巨人
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道行く旅人が三人の煉瓦職人に質問をした。
今ここで何をしているのか、と。
一人目の男は気怠げに答えた。
見て分からぬか、煉瓦を積んでいる、と。
二人目の作業員は手を止めて答えた。
この煉瓦を積んで、壁を造っている、と。
三人目の職人は額の汗を拭うと笑って答えた。
神を讃える大聖堂を建てているのだ、と。
イソップ寓話『三人のレンガ職人』より。
――エリア0・都市部跡地――
シルバは大地に拳を付ける。
無骨な籠手を剥けた地表に押し当てて、
緑のエネルギーを植え付けるように流し込んだ。
直後、荒廃した大地には草花が芽吹き、
転がる瓦礫が半壊したビルを飲み込んだ。
五番隊隊長ブライム・シルバの専用装備、
樹霊注入装甲『トレント・ソウルズ』。
森の妖精を宿すことの出来るこの武装を、
普段のシルバは軍隊の作成に活用している。
彼自身の祝福『土流操作』で生み出すゴーレム。
その外殻に核として妖精を埋め込む事で、
自律行動が可能な不死身の兵士を量産する。
それがシルバの最も得意な戦術だった。
しかし今の彼はそれをしない。
ダバルナルマンの動く大迷宮を相手に、
死なないだけの兵士を量産した所で効果は薄いと、
僅か数刻の攻防だけで理解していたのだ。
故にシルバが今作っているのは軍隊に非ず。
深緑の煌めきを放つ大地に命じたのは、
一つに纏まり、起動せよ、という指示だけだった。
「フォォォォ――――!」
地上で屈むシルバを狙い、
ダバルナルマンは無数の煉瓦壁と共に飛び掛かる。
煉瓦の先は鋭く尖り、正に凶器と化していた。
だが、あわや穿たれんとするその時、
術者の触れる大地は激しく揺れて隆起する。
星天へと立ち昇る土流は迫る煉瓦を砕き、
そのままダバルナルマンに直撃した。
だがそれはあくまで「余波」に過ぎない。
シルバが作り上げた新たな生命爆誕の余波に。
「――『巨兵・土塊神将』ッ!」
魔界の都市に大地の巨人が生まれる。
邪魔な廃墟を草木と共に飲み込んで、
夜の暗がりに緑の眼光を煌かせた。
そして巨兵の頭上にシルバは立つ。
のた打ち回る龍の如き迷宮と
その壁面にへばり付いた怪物を見据え、
森羅は大地の巨人と自身の体を接続した。
「ここから先は、純粋な殴り合いだ!」
「ッ……フォォォォオオ――――!」
煉瓦の龍と土塊の巨人がぶつかり合う。
まるで八岐大蛇が全ての首を差し向けるように、
ダバルナルマンの操る無数の煉瓦壁が巨人を貫いた。
しかし巨人の体はほとんど拾い物の土。
神経の代わりとして各部位に配置された森の妖精や
本体であるシルバに攻撃を当てなければ効果は無い。
加えて煉瓦壁は巨人の拳よりも柔らかかった。
その鉄拳が放たれる度に煉瓦の道は粉々に砕け散る。
「フォォッ!!」
怒りの声を上げ怪物は迷宮内へと逃れた。
かと思えば、すぐさま巨人の背後に現れる。
魔神外装『アラハバキ』の転移能力だ。
そして未だ前方にいるはずの敵を探す巨人の背を、
怪物は今までで一番巨大な杭二本で貫いた。
「背後……! っ、右腕の神経が完全に切れたか。」
崩れる巨人の右腕を惜しみつつ、
シルバはすぐさま残った左腕を振り回した。
しかしその巨腕が煉瓦を砕く時には既に、
ダバルナルマンは巨人の周囲で高速移動を始めていた。
「速い! 転移と、煉瓦操作と、純粋な機動力、か。」
突き出す煉瓦の柱を飛び越え、
空中に異形の残像を残し、
迷宮の主は都市部跡地の空を駆ける。
その速度を鈍重な巨人は目で追えず、
ただ怪物の影に怯えながら防御するしか無かった。
無論その間も異形は大地の巨人を襲撃し続ける。
腕や腰、そして肩や頭に当たる部分を、
まるで肉を削ぎ落とすかのように抉り取った。
「なるほど、先に巨人から処理するつもりだな?」
「フォォォォォォォオオ――――!!」
ダバルナルマンは興奮気味に咆哮すると
トドメと言わんばかり更に大量の杭を突き刺した。
さながら磔刑に処される罪人のように、
大地の巨人は煉瓦の棘に串刺しにされる。
やがて土塊神将は半身を失うように崩壊した。
「フォォォォ……!」
迷宮の守護者は煉瓦壁を動かすと
シルバの頭上にその身を晒した。
完全に異形化しているにも関わらず、
その表情には勝ち誇ったような笑みが見える。
やがてダバルナルマンはシルバの首を刎ね飛ばそうと
鋭利な煉瓦壁を差し向けた、がその時――
「フォッ!?」
――煉瓦の牙がピタリと止まる。
まるで筋肉が完全に固まってしまったかのように、
それ以上先に進む事が出来ず停止した。
「先に、私の方が届いたらしいな。」
安堵の声を漏らし、シルバは立ち上がった。
そして彼が腕を振り抜いた次の瞬間、
怪物の立つ迷宮の壁が主人に対して牙を剥いた。
「フォッ……!? フォグ……グゥォォオオオ!!」
煉瓦は渦巻き怪物を縛り上げる。
それまで従順に動いていたはずの物質が
突如として反逆してきた事実を受け入れられず、
ダバルナルマンは明らかな動揺の声を上げた。
しかし流石は魔王軍の第三席。
怪物は拘束された状態から転移で切り抜けた。
とにかく地上のシルバから逃れるように、
上空の煉瓦壁を呼び出し足場とする。
――が、その足場もまたダバルナルマンを拒絶した。
着地のタイミングに合わせて反動をつけ、
非常に強烈な一撃を怪物に与え上空へと打ち上げた。
やがて何の頼りも無い空中へと弾き飛ばされた
ダバルナルマンの視界には再起する巨人の姿が映る。
「フシュゥ!? フォォッ!!」
空を滑落する転移能力者は隊長格に質問をした。
今ここで何をしていたのか、と。
文法も何も無いただの絶叫に困惑の感情を乗せ、
剥き出しの敵意と共にシルバへと飛ばす。
すると彼は気怠げに、手を止め、鼻で笑って返答した。
「私はずっと迷宮を素材に巨人を作成していた。」
最初に土のみで形成された巨人は実は、
戦闘中もずっと地下で迷宮との融合を試みていた。
蔦を伸ばし、土流を流し、接合を果たして、
煉瓦という変容した土の塊に自身の土を混ぜ合わせた。
その結果、迷宮にもシルバの手が伸びる。
彼の土流操作は一度触れさえすれば支配下に置ける。
本体から巨兵、そして迷宮全体へと、
まるで一つの生物であるかのように神経が通った。
「再起せよ――『巨兵・土塊神将』!」
純粋な殴り合い発言などただのブラフ。
全てはコレを作り上げるための時間稼ぎ。
逆転の手が見えていたからこそ、シルバは冷静だった。
例えどれほど敵が予想を超える動きを見せても
大きく取り乱す事は無く冷静でいられた。
その証拠に彼は一つの大きな確信を得ていた。
「そういう特性なのか、元が慎重な性格なのか……
貴様、足場のある場所にしか転移したがらないな?
加えて見えない迷宮内で連発するから惑わされるが、
転移が届く距離自体は大した事無いのだろ?」
煉瓦と土の混じった巨兵は
ゼンマイ仕掛けのように腰を回し腕を引き絞った。
そして――
「ならば『空中』が貴様の死地だ。」
――逃げ場の無い甲虫に、その鉄拳を喰らわせる。
巨人の拳は魔神外装にヒビを走らせ、
大気を揺らすほどの突風と共に敵を吹き飛ばした。
ダバルナルマンは装甲の亀裂から血を吐き出しながら、
複数の廃墟と残骸を貫通し空を飛ぶ。
だが凄まじい衝撃の勢いはそんな物では止まらず、
やがて彼の体はエリア0外部の山に直撃した。
「グゥわぁっ……ぅファ……!」
外骨格の砕けた甲虫は体を振動させ、やがて止まる。
魔王執政補佐官第三席ダバルナルマン――機能停止。
戦場を荒らした狂犬は古参隊長によって沈められた。
「完勝、だな。」
――――
シルバは自身の体に傷が無い事を確認すると、
避難していた地上戦力に顔を向ける。
飛び交う煉瓦と大地の巨人との戦闘は苛烈だったが、
どうやら彼らは巻き込まれずに済んだようだ。
その事実にシルバも安堵の表情を浮かべた。
だが彼がフィオナやドレイクと合流しようと
更に遠くを意識したその時、ある男の声が耳に届く。
「――全刻印、連鎖起爆。」
呟やくような、囁くような低音の後、
土塊神将の全身に無数の刻印が浮かび上がった。
そしてシルバが異変に気付いた次の瞬間、
それら全ては一斉に七色の光を放ち爆発していった。
「ぐぉ!? っ……これは……!」
堪らずシルバは巨兵を捨てる。
巨人の頭部から廃墟のビルへと飛び移り、
更に地上を目指して空へと飛んだ。
だがそんな彼の背後に敵は現れる。
古参隊長であるシルバの後ろを取ったのは
魔神外装に身を包んだ魔王の最高幹部であった。
「貴様っ……ゴーギャンか……!?」
「散れ。」
第一席ゴーギャンは空中で蹴りを放つ。
シルバはすぐさま籠手で防御するが、
勢いまでは止めきれず地上に叩きつけられた。
「大丈夫か、シルバ!?」
シルバの落下地点にはすぐさまフィオナが駆け寄る。
彼女は先輩隊長に怪我が無い事を確認すると、
彼を庇うようにゴーギャンの前で武器を構えた。
「第一席ゴーギャン……! 亡霊達はどうした!?」
「撃退した。……倒せたかどうかは知らんがな。」
ボソボソとそう呟くと
ゴーギャンは腕を数回曲げて体を解した。
そして、まだまだ尽きぬ莫大な魔力を放出する。
「黒幕が居ないのなら、消耗する事も無い。」
「っ……! もう諦めろ。魔王軍は壊滅した!
天帝を超えるなどと夢を見たのが間違いだったな!」
「笑止。都市も雑兵も、消耗品に過ぎない。」
第一席は大地に掌を押し当てた。
直後彼の足元には巨大な青白い刻印が浮かび上がる。
フィオナはその刻印の効果を看破し、戦慄した。
「ッ――!」
「戦力などヴァル一人で既に過剰。ならば……」
刹那、白い光の柱が天へと伸びた。
柱は衝撃と共にその直径を拡大していき、
内部の瓦礫を塵一つ残さず消滅させた。
「執政補佐官も俺とオリエントが居れば十分だ。」
――同時刻・エリア0沿岸部――
白い光柱が夜闇を駆逐する最中、
その発光を背にオリエントは敵と対峙する。
戦争序盤で確実に殺したはずの敵と。
「なぁ? 確か俺は胸を抉ってやったよな?」
世間話をするような声色で第二席は問うた。
しかしその本心には少なくない恐怖心があり、
対峙する男はその恐怖心を見抜いて微笑む。
「はい。抉られましたね。」
「呼吸も止まってたよな?」
「ええ。確かに止まっていました。」
「普通なら……死んでるよな?」
恐る恐るオリエントは問う。
すると相手は指先で伊達眼鏡を直し、
再び笑った。
「はい。普通なら……ね?」
背筋に悪寒が走るのは
邪神が残した周囲の氷塊のせいでも、
はたまた今宵が冷え込む夜のせいでも無い事を
オリエント自身がはっきり自覚していた。
故に彼は思わず湧き上がった笑い声を
あえて抑えずに全て吐き出す。
恐怖心を追い払うように感情を高めた。
「ふふっ、一体どういう仕掛けだ?」
「教える必要がありますか?」
「いや無いな。正直な所、興味も無い。」
ひとしきり笑うとオリエントは脱力した。
そしてダランと垂れた両腕を再び上げると、
達人の如きキレを見せて臨戦態勢に突入する。
「もう一度殺せば良いだけだ。来いよ。」
戦場名『エリア0沿岸部』。
魔王執政補佐官第二席。≪災禍の根源≫オリエント。
彼が対峙するのは封魔局四番隊隊長。
その名を――
「エヴァンス・プレスティア……ッ!」




