第五十話 朝霧
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森泉さんを最初に見た時、私は凄く安心した。
黒幕としての骸骨頭の姿じゃなくて、
探偵「森泉彰」としての彼を見た時の話。
だってあの時の私は魔法世界に来たばかりだったから、
同じ日本人に出会えた事がとても嬉しかった。
異国で同郷の人と出会えた感覚。すっごく安心する。
勿論フィオナやドレイクさんも良くしてくれたけど、
やっぱり最初に心を開けたのは彼だったと思う。
今にして思えばその第一印象が良かったから
私は彼に対して好意を抱いちゃったんだろうな。
絶対許しちゃいけない大嘘吐きなのに、
結局、最期まで、好きって気持ちが消えなかった。
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アンブロシウス襲撃事件――捜査報告
魔王執政補佐官第四席「硝成」の祝福詳細を下記に記す
【祝福名】華胥之夢
【能力詳細】対象の感覚器を狂わせ催眠効果を与える。
ただしその内容までは術者本人でも基本的に操作できず
本件のように特定の相手のために調整をしない限りは
対象者本人の『理想』が幻覚として出力される。
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この報告書を見た時、私は思わず首を傾げた。
だってあの時、空中戦艦の上でこの術に掛かった時、
私が見たのは私が■■■■光景だったから、
辻褄が合わなくてとても不思議だった。
けれど幾つもの死線を超えていく中で、
何となく、何となくだけど分かってきた事があった。
ふと深夜にベッドの上で考えてしまうくらいには、
私の中で漠然とした認めたくない確信があった。
私はきっと――■■たいんだ。
どうしてそんな事になったのか自覚は全く無いけれど、
そうである前提で思い返せば色々と納得が出来る。
こんな殺し殺されの世界で躊躇無く走り抜けられたのも、
私を助けて誰かが傷付く度に自罰の念が湧き上がるのも、
全て「そうなんだ」と思えばスッと腑に落ちた。
話は戻るけど、
私は今でも森泉さんの事が恋愛対象として好き。
彼に対しては最初からずっと「安心感」を抱いてた。
でも多分、その安心感の正体は普通じゃない。
『この人なら私が■んでも問題無い』
もう自分で自分の事が分からない。何一つ、何もかも。
あぁでも、大丈夫。今更自殺なんて考えないよ?
だってそんなのさ――
『私に赦される訳が無いもんね』
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「鬼神の血を覚醒させます! 妖刀を貸してください!」
朝霧の口から言葉は放たれた。
全体的な語気は強いが所々で弱々しく、
無理して気張っているのだと誰もが理解出来た。
しかし他に手が無いのもまた事実。
度重なる強化によって隔絶した魔王との力量差を
今この瞬間埋める手段があるとするなら
もうこの覚醒に頼るしかない。
「……分かった。お前に託す。」
ウラは覚悟を決めた。
そしてそっと妖刀を朝霧の手に乗せる。
義手越しでも伝わるずっしりとした重み。
戦闘中であるにも関わらず朝霧は思わず息を飲む。
「おい! 何をする気かは知らないが早くしろ!」
「! 森泉さん……!」
朝霧の防衛を優先し、
黒幕は妨害しようと迫る魔王に単騎で挑んでいた。
無数の閃光と爆煙が朝霧の背後で連鎖起爆する。
衝撃の余波は彼女の背中を押し、
まるで「急げ」と忙しなく責っ付くようで、
朝霧は慌てて生身の右手で柄に触れた。
そのとき――
「ヅッ!?」
――バチンという赤い稲妻が弾けて消えた。
指先にヒリヒリと刻まれた痛みと感触は
妖刀が朝霧を拒絶しているのだと直感させる。
(何……で?)
手から滑り落ちた妖刀がカランと音を立てた。
その落下音を最後にしばしの沈黙が空間を埋める。
朝霧が妖刀に触れられなかったという事実に
誰もが驚愕して声を出せずにいた。
「え? ハァ!? どういう事だ!?」
水中から水上へと顔を出す時のように
ウラが詰まった空気を吐き出し困惑の声を上げた。
そして怒声に近い彼の声にビクッと体を弾ませた朝霧は、
何かの間違いだと言い聞かせてもう一度手を伸ばした。
しかしやはり妖刀は朝霧を拒絶する。
赤い稲妻は先程と同じように迸り手から抜ける。
その後何度試してみても、結果は変わらない。
「朝霧! そっちはどうなってる!?
魔王を抑え込むのも……長くは保たないぞ!?」
「ちっ……! イブキ! 黒幕の加勢をしろ!」
ウラは部下に呼び掛け黒幕の援護に向かわせる。
彼女の加勢に反応しジャックもまた魔王に挑んだ。
三人ならばもう少しだけ時間は稼げるだろう。
(だが、余裕が出来た訳じゃない……!)
「どうして!? どうして……!?」
(朝霧が覚醒出来ないのなら……勝機は……!)
すると地べたを這いずりタダクが近寄る。
彼女は弱々しく閉じそうな瞳で朝霧を見据えると
噴き出す血と一緒に言葉を吐き出した。
「桃香様……もう一度、刀に触れてみて下さい……」
「な、タダク!? 何を言って……!?」
「分かりました……もう一度やってみます。」
必死に止めようとするウラを無視し
朝霧は三度妖刀に手を伸ばす。
だがやはり稲妻が走り妖刀は弾けた。
「やっぱりダメだ……! 妖刀に拒絶されている!」
「いえ……今のではっきりと分かりました……」
妖狐は虚ろな瞳を朝霧に向けた。
「拒絶しているのは、妖刀では無く桃香様の方です。」
「「なっ……!?」」
「より正確に言えば、鬼神の血が拒絶している。
恐らく……何らかの制限が掛けられているようです……」
その言葉に朝霧は無言となった。
無言になりながら、妙な納得感を感じていた。
朝霧の中に眠る鬼族の秘宝『鬼神の血』。
其れはあの日、黒幕の手によって強制解放された力。
それまでの二十数年間は、ずっと封印されてきた力だ。
(お父さんが……何かしたんだ……!)
朝霧の中には確信があった。
鬼神の血に制限が掛かっているという妖狐の考察を
体感という名の証拠が後押しする。
つまり今この状況で鬼神の血を覚醒させるには、
血の方に掛けられた制限を解く必要があった。
(でも、今そんな時間は……!)
すると次の瞬間、一発の銃声が空に響く。
思わず朝霧が振り返ると其処には、
腹を弾丸で撃ち抜かれた黒幕の姿があった。
「がぁ!? な、に……!?」
「そんなっ……森泉さんっ!?」
朝霧の悲痛な叫びが反響した。
それと同時にジャックが大きな反応を見せる。
「ちっ、エマか……!」
彼が見据えたその先にはいつの間にか
肉眼でも視認出来る距離にまで近付く狙撃手がいた。
魔王の娘――エマ・ガーナベックである。
「おぉ珍しいな! お前がお外に出るなんて!」
「やめてパパ。あと黒幕は私の獲物だから!」
(っ……! 魔王に意識を割き過ぎた……!)
黒幕は腹を抑えて膝から崩れ落ちる。
主戦力の彼を失えばもういよいよ猶予は無い。
そんな焦りが朝霧の背中を強く押した。
「!? おい桃香……! 何を……!?」
驚愕するウラの眼前で朝霧は再び妖刀に手をかけた。
無論稲妻の拒絶反応は今尚健在であったが、
彼女はそれを気合いで耐えて掴み続ける。
「待てやめろ……! 今の体力でそんな無茶は……!」
(死ぬのは嫌だ。ただ死ぬのは絶対に嫌だ……!)
稲妻は朝霧の全身を蝕み、
誰も容易に触れない状況を作り上げた。
(私は認められたい……誰かの役に立ちたい……!)
次第に稲妻は黒みを帯び始める。
朝霧の魔力と反応を起こし、
赤黒い爆発へと痛々しく変化していった。
それでも朝霧は手を離さない。
彼女の脳裏には、彼女の願望だけがあった。
(私は――誰かの役に立ってから死にたい……!)
それは朝霧のずっと前から奥底に根付いていた、
無意識に選択の指針となっていた行動原理。
歪な彼女の精神、その不安定さの正体だった。
「だから、邪魔しないで……朝霧拏業……!」
死人櫻花の洞で垣間見た父の顔を思い浮かべて、
朝霧は妖刀を握るその力を更に強めた。
――刹那、妖刀から彼女の脳へ魔力が逆流する。
「っ!? ぁあッ!? あぁァァァァッ……!?」
流れ込んで来たのは妖刀の蓄えた記録の一部。
鬼神の血が奪われたあの日の、妖刀を振り回す父の姿。
そして同時に魔王軍に属するある人物の顔も浮かぶ。
その人物はボロ布のような衣服に身を包む剣客。
人斬り騒動以前、妖刀を有していた無頼漢。
世界樹内部で鬼の一族を圧倒した魔王の刺客。
「オル……フェウス……?」
ほぼ白目を剥いた状態で、
朝霧は脳裏に浮かんだ言葉を口に出す。
そして顔を傾け魔王の更に後方へと目線を向けた。
第四席ディーター。魔王の娘エマ。
そして暴食のサギト、ヴァル・ガーナベック。
それらを飛び越えた更に向こうで、
オルフェウスは静かに朝霧を見つめて停止していた。
「ハァ……! ハァ……!」
いつの間にか、妖刀との拒絶反応は消えていた。
右手に掴んだ暁星はその刀身を赤く輝かせ、
朝霧の手に驚くほど馴染んでいた。
だがそれなのに、朝霧は肩を揺らし顔を歪める。
「何で……!? どうして……!?」
視線を送られたオルフェウスは
誰に命令されるでも無く歩き始める。
その行動にディーターとエマはギョッとし、
ヴァル・ガーナベックは鼻で笑った。
「お前も結局人の親か、オルフェウス?」
訳知り顔の魔王は呟き、
それを聞いた黒幕も何かを察して驚愕した。
だがそんな彼らの反応も必要とせず、
朝霧はその隙の無い立ち振舞いから全てを察する。
ズキズキと脳に突き刺さる記憶の全てが、
眼前の剣客と追い求めていた人物の輪郭を合致させた。
「お父……さん……?」
――刹那、朝霧の中にあった何かがプツンと破損した。
それは彼女を二十年近く抑え込んでいた血の制限。
妖刀との無理矢理なアクセスによってこじ開けられた、
父と母のその後、そして『朝霧家』の秘密であった。
ここまでのご愛読ありがとうございます
以上で七章中編は終了となります
後編に向けてプロットの見直しを行いますので次の更新は9/19(火)となります
また次回の更新から投稿時間を実験的に変更していきます
次話の更新時間は12:00頃を予定しています
ご了承下さい




