第三十話 ワイルドハント
――売店前――
船内での騒動を聞き、現場は封鎖されていた。
警備員が床に空いた大穴に結界を張る。
「ふぅ、ひとまずこれで崩壊が広まる事は無いか」
一仕事終え、額の汗を拭う。
「俺らも戦闘になったら戦うのか?
そんな覚悟なんてねぇぞ?」
そんな彼の元に一人の男が歩み寄る。
「申し訳ございませんがここは通交止めで……」
「『退け』……。」
「……はい。」
男は結界を抜け、大穴から下を覗く。
視線の先には屋内プール。
その上で見知った男が浮かんでいる。
「……そうか。負けたか。」
男はそのまま穴の中へと降りる。
水面に足が到達した瞬間、
男の体は停止しプールの上に浮く。
彼らの他に人はいない。
ただただ血と彼の呪符のみが漂っていた。
(相打ちにすら成らなかったか……
防水している呪符もしっかりダメにしてから
移動しているか……熟練の敵だったのだろう。)
「あ、兄貴……ですか?」
(――! 目が……)
「あぁ、俺だ。メルメイル。」
「すみません。俺はもう……ダメみたいです。」
メルメイルは口元を震わせながら笑顔を作る。
「兄貴……ッ! 俺、悔しくて……
このままじゃ……バカにされたまま……
どうか……俺の……」
「メルメイル。
暗殺者の仕事に私情の敵討ちは無い。
あるのはクライアントからの『依頼』のみだ。」
「なはは……でしたね。
なら……俺からの『依頼』です。」
メルメイルが血まみれの手を伸ばす。
「暗殺者、≪真言≫のネイルッ!
あんたに依頼するッ! この仕事を成功させッ!
必ず……ッ! 『特異点』に成ってくれッ!!」
ネイルは手を掴み、只一言、了解と呟いた。
満足そうに笑い声を漏らし、男は絶命した。
ネイルは振り返り、その場を離れる。
その目は殺意に満ちていた。
――船内・スタッフ専用通路――
「待ちなさい! 影の術者!!」
関係者以外立ち入り禁止の扉を押しのけ、
朝霧は影の術者ことマサヤを追跡する。
「なんだよ! なんなんだよ、お前!?
ハァハァ、俺の人生の邪魔すんなよ!!」
激しく息を荒げ、男は振り返った。
「征け! ファントム!! あの女を殺せ!!」
影の狩人が三体。朝霧の前へと立ち塞がった。
一体でも厄介なソレが三体同時。
今までなら朝霧の敗北も十分あり得た。
今までならば――
「邪魔だぁッ!!」
もう既に、ソレらは朝霧の敵では無かった。
一刀の下に影は断ち斬られ、消滅する。
(体が凄く軽い! 今最高に動ける!)
「なんで!? なんでなんだよ!?
最初は俺の方が強かったじゃないか!!」
「人間は成長するのよ!
それに、強かったのは影であって
アンタじゃないでしょ!」
朝霧の強力な跳び蹴りが炸裂する。
マサヤは肉壁として出した影もろとも宙を舞い
そのまま扉の向こうまで突き飛ばされた。
朝霧の追撃は止まらない。
大剣を構え、尻込みしたマサヤに迫る。
「ヒッ! ひぁああ――!!」
両手足をばたつかせ、男は近くの扉へ
一心不乱に駆け込んだ。
(なんでこんな!? なんでこんな!?
俺の栄光はこれからなんだろ!?
俺は選ばれたんだろう? 特別なんだろ!?
あんたはそう言ってくれたよなぁ!?)
ガチャガチャとドアノブをひねり、
勢いよく外へと飛び出した。
「なぁ見てるんだろう?! 監督官!!
助けてくれよ!! 死んじまう!!」
(――監督官!? 他に仲間がッ!?)
――船内・通路――
「こちらです。お嬢様!」
人を避け移動をするマナたち。
アランはジャックと通話しながら彼女を守る。
『そちらの状況は理解した。
ハウンドは心配だが今はマナさんを優先しよう。
これ以上船に迷惑を掛けないよう
救命ボートでの脱出を図る。
お前らはそのまま甲板へ向かえ。』
「甲板? 死角が多く危険では?」
『逆に一般人は全くいない。
今船内は混乱手前の緊迫状態だ。』
戦闘が起きた事、暗殺者が紛れている事は
船長の判断で知らされていないが、
乗客たちは突然の自室待機命令に
不安の色を隠せないでいた。
『朝霧が追跡中、アリスが治療中の今、
危険なのは避難する一般人に紛れての暗殺だ。
ちょっとの騒動で混乱が起きやすく、
その隙を突かれる可能性が高い。』
「それを回避するための甲板移動ですか。」
『そうだ。
船長に頼んで船員用通路を開放して貰った。
船内警備員が既にいるはずだから
彼らとまずは合流しろ。俺も今から向かう。』
アランは了解、と通話を終える
三人は急ぎ甲板への道を目指した。
――甲板――
すっかり夜は老け込み、
冷たい風が強く打ち付ける。
暗い世界を船の明かりが寂しく照らしていた。
「うぅ……寒い。」
「申し訳ありませんが、辛抱してください。」
すっかり自己中心的な態度を止めたマナは
静かに頷き、遅れる事無くアランに従う。
三人が甲板を進むと、一人の男が現れる。
「マナさんですね? 船内警備員です。」
「――!
封魔局員のアランです。協力感謝します。」
男は軽く会釈すると三人を奥へと導いた。
甲板内の一部閉鎖された空間の鍵を開け、
中へ進むように促す。
「この先で仲間と合流します。
急ぎましょう。」
「ふぅー。やっと一息つける。」
私兵の男がため息を吐く。
その男の無警戒さをアランは警告した。
「まだ全く安全ではありませんよ。」
「いや、これは失敬。気を付けますよ!」
やや浮かれている男にアランは呆れていた。
その時――
「がぁあ!?」
進行方向の暗闇から悲鳴が鳴る。
ゴトッ、ゴトッと何かが倒れる音と共に
赤い血が甲板に流れ出た。
「――!? マナさんを守って!!」
船内警備員と私兵にマナを預け、
アランは前へと乗り出した。
刀を生み出し、技を構える。
暗がりを、流血を、寒風を警戒する。
こめかみの汗が顎から落ちる頃、
状況が動いた。
「きゃああ!!」
後ろだ。アランの後方でマナが叫ぶ。
見れば船内警備員が
謎の怪物に喉を引き裂かれていた。
怪物の姿は人型。
しかしその顔のみ犬を思わせる造形をしていた。
怪物がアランに目を向ける。
「燃焼呪符。――『猟犬の塚』。
貴様らの匂いで間違い無かったようだな。」
「ハッ! また俺は犬の相手かよ。」
暗殺者に向けアランは剣を向けた。
私兵がマナを連れその場を離れる。
暗殺者は依然、アランの方のみ注視していた。
「お前……封魔局か?
俺の弟分を殺したのはお前か?」
(――! ハウンドさんの相手の事か?
おっさん、ちゃんと勝ったんだな!)
「まぁどちらでもいい。」
暗殺者ネイルは、一言呟く。
「『死ね』。」
――瞬間。
アランは噴血し、足から崩れていった。