第四十七話 現人神
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人の姿で現世に舞い降りた神性――現人神。
魔法世界のある都市にそう持て囃される少女がいた。
名はフレデリカ・ランドボーグ。
彼女は生まれながらにして精霊たちと交信ができ、
都市に降りかかるはずだった災禍を
まだ言葉も覚束無い幼子のうちから祓っていく。
それは魔法世界においても異例な事で、
戦争へと高まる時運も相まってか
少女は住民たちから守り神的な扱いを受ける。
「はぇ~凄い才能を持って生まれた子だな~」
「フレデリカちゃんを借りるぞ。隣町の事件だ。」
「ダメよ! 怪我でもしたらどうするの!?」
言わば彼女は民衆に崇拝された世界線のメセナ。
完全に道具だったアンブロシウスの守護者とは対称的に
フレデリカは同世代の誰よりも丁重に扱われた。
(嬉しいな。皆が私を必要としてくれる。)
彼女自身、悪い気は全くしなかった。
自分の力が必要とされている事実はとても気分が良く、
そして特別扱いされるのも心地が良い。
努力をすれば真っ直ぐな感謝と賞賛が返ってくる。
これほど恵まれた環境も中々無いだろう。
だから――
「フレデリカ? こんな時間にどこにいくつもりだ?」
「ああいった場所に貴女は行っちゃいけません!」
「貴女の身に何かあったらどうするの!?」
――他の子と遊べなくても、彼女は我慢した。
「そうだ。フレデリカ専用の御所を作ろう!」
「こんなの……ほぼ軟禁状態なんじゃ?」
「何を言う!? 『現人神』なんだから当然だろ!」
我慢した。
「格闘技能など不要! 今すぐおやめください!」
「武器なんて危ないでしょう? 大剣など以ての外!」
「フレデリカ様! 貴女は『現人神』なのですよッ!?」
我慢し、た。
「最近、御所に野良犬が住み着いたらしい。」
「誰かがエサをやってたみたいだ! けしからん!」
「現人神が噛まれて病気でも貰ったら大変ですぞ!?」
我慢……し――
「問題無い。犬は今朝方処分した。」
――報告。都市■■■■、壊滅。
突如出現した大量の精霊たちによって街は一夜で崩壊。
下手人の名はフレデリカ・ランドボーグ。
犠牲者は当時都市に居合わせた人間、およそ百万人。
戦後最悪の大量殺人事件である。
「何、でよ……フレデリカ……!?」
突発的衝動による凶行に彼女自身慄いていた。
しかし彼女の頭上に縋るべき神は無し。
「神さまのように……良くしてあげたのに……!」
彼女にとって神とは自分自身。
故に神に縋るという行為に実感が持てなかった。
神という上位存在を誰よりも頼り無く思っていた。
「今さら『普通』になれると思うなよ……!」
親類すら手にかけた彼女に頼れる者は何も無い。
唯一宿り木として機能してくれたのは、
フレデリカの実力すら「普通」にしてくれる、
魔王と彼が作る暴力の世界だけだった。
――エリア0・都市部――
「魔王様の下なら私も数居る僕の一人でいられる……」
業火が視界全てを覆い尽くし、
ハエの一匹すら逃れられない炎の壁を解き放った。
複合精霊の魔力は辺り一面に充満し、
世界を塗り尽くすように都市の一部を焔で染める。
「此処は私が唯一『普通』でいられる場所。
それを奪おうと言うのなら、容赦致しません!」
大剣に纏う残り火を振り払い、
フレデリカ改め第九席カシューは
まるで決め台詞かのように吐き捨てた。
しかしカシューの鋭い第六感は
まだ戦いが終わっていない事を強く警告する。
「なんだ。忠誠心とは違うのか。」
僅かに感じた違和感と魔力の流れを認識し、
精霊使いはギョッと驚き顔を上げた。
――瞬間、カシューの頭上から
死神の鎌を携えたフィオナが襲い掛かる。
やがて両者の武器が交差しバチンと鋭い火花を散らした。
するとその直後、カシューの周囲にいた精霊たちが
突然糸の切れた人形のように力無く倒れていった。
「な……!?」
「五式『死神ノ鎌』。さぁ――ギアを上げるぞ!」
荒ぶる魔力出力に身を任せ、
フィオナは正に閃光のように都市の合間で加速する。
同時に張り巡らされた真紅に輝く無数の糸が、
獲物を追い詰める蜘蛛の巣のようにカシューを囲んだ。
(っ……速い……! いやそれよりも……)
カシューは咄嗟に新たな精霊を召喚し盾にする。
そして身を隠すその影から声を発した。
「――『忠誠心とは違う』だと? どういう意味だ!?」
相当癇に障ったのか、
彼女の語気には怒りの感情が混ざっていた。
だが苛立つカシューとは対称的に
周囲を跳び回るフィオナは淡々と告げる。
「言葉の通りだ。お前のそれは忠誠心じゃない。
お前はただ――魔王を雨宿りに使っているだけだ。」
「は?」
「奴が壊れた時お前は共に墜ちるか? 再建に励むか?
違うな。お前はきっと新たな雨除けを探し回る!」
「っ……!」
「まぁお前は先輩たちの仇――逃がしはしない!」
背後の壁を足場にしたかと思えば、
フィオナはコンクリートを蹴飛ばし更に加速する。
そしてカシューを護っていた精霊の首を
一体一体素早く、そして丁寧に刎ね飛ばしていった。
「ちっ……! 舐めるなァ!」
負けじカシューも術を行使する。
速度を上げても足りないと分かった彼女は
火の精霊たちを更に集めて火力を上げた。
そしてかざした手の先に青く発光する炎を灯すと
彼女の腕を振り回す動作に合わせて
精霊の宿った炎は建物を追加で灼き始めた。
(恐らく、この攻撃も直撃はしていない……
けれど炎で接近ルートを絞れれば反撃は可能!)
来るその瞬間に備え追加の精霊を侍らせる。
彼女自身の魔力が消費されるのはこの召喚時のみ。
それ以外は全て精霊たちの魔力が利用される。
故に持久戦となれば
鎌に魔力を吸われるフィオナよりも
カシューの方が圧倒的に有利となる。
(貴女は攻めるしかない! そうでしょ!?)
カシューは大剣をギュッと握り絞め
唯一作った接近可能ルートに意識を向けた。
だが次の瞬間、彼女の予想は裏切られる――
「魂源魔術、天使の章――全統合。」
「え?」
フィオナの声がしたのは彼女の背後だった。
思わず振り返ったその視線の先には
青い炎をスクリーンにして揺らぐ黒い影。
そして美しく光る聖なる魔力の煌めきがあった
それは天魔のグリモワールたる神域降神術の秘奥。
極太の魔力レーザーを解き放つ悪魔の力と対を成す、
術者本人の身を守る守護結界の究極形である。
「――『レメゲトン・アンゲルス』!」
青い焔の壁をブチ破り、
逆光の如き青緑の円環を背にした女が
カシューへ向けて一直線に飛び込んで来た。
天使の力を一つ残らず従えて
尋常ではない魔力を解き放つその姿は正に神。
カシューはその輝きを前に思わず迎撃を忘れる。
「か、み……?」
「――『死神ノ鎌』!」
「っ! くっぅう!?」
ギリギリで勝機に戻ったカシューは大剣を構える。
しかし遅すぎた防御は敵の攻撃を弾き切れず、
周囲の精霊や蒼炎すらも消し飛ばす衝撃と共に
強く、激しく、遙か後方へと吹き飛ばされた。
「がッハッ!? っ……私は戦闘中になにを!?」
一瞬とはいえ腑抜けていた己を律し、
第九席カシューは速やかに態勢を立て直す。
だが間髪容れずにフィオナの激しい追撃が始まった。
「まだ倒れないか。丈夫な身体だな。」
(っぅ……何、この胸にある違和感は……?)
「それだけの技量があれば、
――いくらでも選択肢はあっただろうに。」
「ヅッ――!」
フィオナの発言がカシューの逆鱗を刺激する。
憤怒の形相で激しく歪んだ顔は
カシューを駆り立てる憤激の強さを良く表していた。
そして――
「選択肢など、私には無かったッ!」
――鋭い怒声で半ば暴走形態のカシューが吼える。
怒髪天を衝く彼女に呼応するように、
無数の精霊獣たちもまた地の底より湧いて出た。
「私はこの祝福を持って生まれた、生まれてしまった!
最初から敷かれたレール。選択肢なんて無かった……!」
大剣を捨て、現人神は精霊を束ねる。
「炎! 闇! 破滅! 災禍! 旋風! 調和! 涙!
使役精霊全種複合――叫べ『ディマイアストラン』!」
黒き巨人を呼び起こしカシューは最後の一撃を放つ。
それは才能と環境に歪められた彼女の怒り。
空へ逃れたフィオナを狙い、暗黒の熱光線が大気を穢す。
――が、相対するフィオナは平静だった。
「くだらんな。」
彼女はフッと力を抜き、そのまま落下を開始する。
前方から迫る光線など全く意に介さず、
堂々と真正面からカシューへと向かって行った。
そして――
「悪魔の章、全統合――『レメゲトン・ディアボロス』!」
――天使の光輪を展開したまま悪魔の力を集約させる。
やがてそれらは一筋の野太い光線となり、
複合精霊の攻撃と天と地の狭間で激しく衝突した。
(ぐっ!? 私の複合精霊と……互角……!?)
「才能なんて物は所詮、ボードゲームで言う初期手札だ。」
初期手札はゲームの優劣を大きく決める。
しかし挽回が不可能かと言えば、そうでも無い。
プレイヤーの知恵や立ち回りによって
ゲームの行く末はいくらでもその有り方を変える。
「配られた才能の優劣だけで人生は決まらない。
才能があろうと無かろうと、選択肢は無数にある。」
「っ……!」
魔力は心臓と繋がり、精神と共鳴する。
気持ちで負けた時、魔力に陰りは見え始める。
「――私は、神にダイスは振らせない。」
瞬間、天魔の攻撃が精霊の光線を切り裂いた。
やがて光は黒き巨人の体を貫き、
邪悪な悪魔の炎によってその身を焼き焦がす。
そして巨人の死と共に解き放たれた爆風が、
カシューの戦意を飛ばし、その膝を突かせた。
(負け……た……)
「現人神だったか? 少女を神と崇めるとは滑稽だな。」
「……貴女は……神を信じていないのですね……」
首筋に添えられた鎌の刃すらも気に留めず、
かつてフレデリカと呼ばれた女性は感想を投げる。
するとフィオナは一切迷う事無くすぐに答えを返した。
「信じているぞ。自分という名の神をな。」
「……!」
「私の人生は私の物だ。誰にも邪魔はさせない。
己の善意と悪意を従えて――私が私の神になる。」
漂う悪魔の残滓が、回る天使の光輪が、
カシューの見上げるフィオナの姿を神々しく照らした。
其れは普通という枠すら壊す――自由の姿。
殺意の籠もった鎌を向けられているはずなのに、
カシューはその姿に思わず目を奪われてしまっていた。
(そう……か。この胸の高鳴りは……!)
「私も急いでいる。最期に何か言い遺す事はあるか?」
「……では、願わくば――」
カシューはそっと両手を地に突き、
縋るべき上位存在にゆっくりとその頭を垂れた。
この日彼女は、彼女にとっての神と出逢う。
「――貴女の僕にして下さい。」
――現在――
「なんっ、だとぉ!?」
酷く狼狽した男の声が響いた。
それと同時に無数の獣の咀嚼音が轟いた。
噛まれたのは第五席のジン。
そして彼を襲ったのはカシューの操る精霊獣だった。
「カシュー……! 貴様ァ……!」
魔王執政補佐官第九席カシュー、陥落。
七番隊隊長フィオナに心酔し自ら魔王軍を裏切った。
「今です! フィオナ様ぁ!」
語尾にハートマークでも付いていそうな声色で
カシューは背後に倒れていたフィオナの名を呼ぶ。
直後脱力していた彼女は腕に強壮剤を打ち込むと、
そのまま流れるようにジンへと魔力を放出した。
「ごぉ!? おのれぇええ!」
吹き飛ばされたジンはビルへと激突し、
そのまま建物の倒壊に飲み込まれてしまった。
それと同時に更に精霊は出現し、
地上にいる魔王軍兵士へと次々に襲い掛かる。
「あの……フィオナさん。これは一体……?」
「なんか味方になった。」
フィオナ本人ですらやや困惑しつつも、
精霊獣たちの活躍によって負傷者は守られた。
加えて魔王軍との戦力差も更に埋まる。
(まぁ、ひとまず一難は去ったという所か。)
心の中で一呼吸置きつつ、
フィオナは視線を地上から上空に向ける。
朝霧たちがいるであろう――摩天楼の方へ。
――魔天の楼閣・最上層――
戦塵が夜風に流されフワリと漂う。
大地に残った血の匂いを巻き上げて、
夜風はどこまでも冷たく吹き荒れていた。
「――終わりだな。
削れた命は四つ……まぁ頑張った方じゃねぇか?」
流れた血を見据え、怪物は呟いた。
彼の者の眼前には右腕の欠損した妖狐が一匹。
力無く空に停滞する黒き太陽の下で、
怪物同士の殺し合いは決着する。
「じゃあな。楽しかったぜタダク。」
魔王は淡々と別れの言葉を告げ、
変容した豪腕を振り下ろした。




