第十三話 桜の下には
――――
鍛練を積んだ。
手の平に出来たマメが潰れるたびに
自分が成長しているような気がして嬉しかった。
鍛錬を積んだ。
鬼の族長家に生まれた男児として
相応しい好漢になるための努力は惜しまなかった。
当然その過程には辛いことが沢山あった。
苦しいことだって沢山あった。
それでも――
「一本! まーたイブキの勝ちだ。弱ェなウラ!」
「うるせぇぞタガマル! 痛っ……」
「大丈夫ですか若? 終わりにしましょうか。」
「いや、もう一本……! もう一本だ、イブキ姉!」
――あの頃がやっぱり一番楽しかった。
余計なしがらみとか一族の暗い未来とか考えず、
気心の知れた友人たちと剣を振るう日々が幸せだった。
(こんな日が……ずっと続けば良いのにな……)
イブキに木刀を弾き飛ばされながら
当時の俺はそんなことを考えていた気がする。
「一本! 七百敗達成おめでとう!」
「うるせぇぇぇ……」
「木刀飛んでいっちゃいましたね、取ってきます。」
「いいよイブキ姉……自分で取ってくる。」
当時の俺は若く、青く、純粋だった。
七百回負けても折れないほど真っ直ぐでいられた。
それは日々成長している実感があったからだ。
最も身近にいた強者であるイブキを相手に、
牛歩であっても近づいている確信があったからだ。
「見てろよ、イブキ姉……! 次こそは――」
希望を胸に幼い俺は仕切りの向こうへ飛び込んだ。
そしてその場所で、俺は本物を見てしまった。
(あ。あの人は……)
其処にいたのは一匹の鬼。
広大な屋敷の庭にポツンと置かれた巻藁の前で
白く輝く刀に手を添え沈黙していた。
――が次の瞬間、世界は暗転する。
陽光は刃の煌めきを前に駆逐され、
逢魔時を思わせる赤黒い紋様に侵食された。
そして白刀は黒い軌跡を虚空に刻みながら、
周囲の空間ごと落雷の如き轟音と共に藁を斬る。
「『絶壊』!」
崩壊の音が幼き俺の何かを壊した。
とても同じ種族とは思えない数多の衝撃が
耳の穴から神経を通って脳を揺らす。
やがて鬼は俺と落ちていた木刀の存在に気付き
怠そうな溜め息を零しながら俺の前に立つ。
青白い髪を後ろで束ねた二本角の鬼の女。
いつの間にか元に戻っていた青空の逆光で
細かい表情はよく見なかったが、
影の中に浮かぶ彼女の眼だけははっきり見えた。
「……邪魔。早く行って。」
それはまるで――
この世の全てを敵視しているような瞳だった。
――黒曜大社――
岩壁の上から大量の水が流れ落ちる。
滝と呼ぶには些か風流のない荒波の束が
導線も関係無く我先にと滝壺に飛び込んでいた。
そんな景色が望める本殿の廊下を
タダクを先頭に朝霧たちは真っ直ぐ進んでいた。
濡れた桜のような花びらがはらりと足元へ落ちる度に
アリスやフィオナは視線を落としていたが
朝霧だけは妖狐の背をギロリと鋭く睨み続ける。
「其処が宝物殿、其処が清めの池、そして其処が――」
「――話を逸らさないでください。」
案内を遮られ妖狐は溜め息を零す。
そして足は止めずに流し目で朝霧を見つめると
風情が無いなぁ、と煽るように呟いた。
「風情なんて今は要りません。
それより母のことについて教えてください。」
「赤の他人が、実娘の貴女にですか?」
「ええ。本当に知りたいのは父の方ですけど……
それに私は……両親について何も知らない。」
物心がついた時、父親は既に蒸発していた。
だから顔も知らなければ声も知らない。
そしてその時にはもう母親は体調を崩していた。
身体の弱々しさを必死に隠しながら
母親は一人で朝霧桃香を高校まで育てた。
(あんな状態のお母さんを置いていった男。
絶対に許せない……どんな鬼でも、必ず……!)
朝霧の瞳には
何かを滅茶苦茶にしてやろうとする
殺意が浮かび上がっていた。
(朝霧さん……)
「私は何年も手掛かりを掴もうとしてダメだった。
でも今やっと、目の前にそれが現れたんです。」
「……」
「お願いしますタダクさん。
私に両親の過去を教えてください……!」
朝霧は焦りにも似た感情を妖狐に向けた。
対するタダクも冗談を言う場面では無いと悟り
少しつまらなさそうに唇を尖らせ、
廊下の先に広がる空間へと三人の意識を誘導した。
「口頭でお話するよりも、
映像記録で実際に体験する方が適切でしょう。」
「映像?」
「はい。今向かっているのはそれに相応しい祭壇。
黒曜大社が名所の一つ――『死人櫻花』で御座います。」
――――
桜の樹の下には死体が埋まっている。
元の世界ではそんな都市伝説が生まれるほどに
桜という樹は古来より特別視される植物であった。
そして魔法世界にのみ存在する『死人櫻花』もまた
黒曜大社の御神木として特別視されている。
世界を探してもこの地域にしか咲かない魔法の桜には
土地の過去を情報として吸収、保存する効果があった。
「……やっと来たか。」
雅な廊下を抜けた先には
御神木を祀るためだけに確保された空間が広がっている。
中央には巨大な桜。
そしてソレを水源としているかのように
周囲を池と岩壁、そして整えられた滝が彩っていた。
そんな御神木に背中を預けて、
以前の黒服姿とは違う和装のウラが
タダクたちの到着を静かに待っていた。
「おやウラ様。遅いと思えばこんな所に。」
「どうせ此処に来ると思って先回りしていた。
お前ならあの人の事を口走るだろうからな。」
そう言いながらウラは朝霧の方へと目を向ける。
特に何か声を掛ける事こそしなかったが、
彼は只ならぬ威圧感を放つ彼女の瞳に
気圧されながらもその心情を概ね読み取った。
「では桃香様。吾は儀式の準備に取り掛かります。
完了したら其処の洞に入って瞑想してください。」
「私一人ですか?」
「はい。洞の中は一人分の隙間しかありませんし、
仲間は動ける状態で待機していた方が安心でしょう?」
同意でも求めるかのように
タダクはフィオナたちへと目線を向けた。
そして彼女らの了承を確認すると
裏方へと小走りに消えていく。
同時に朝霧も抱えた義手をアリスに預けた。
「朝霧さん……大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや……その……何でも無いです。」
アリスはひんやりと冷たい偽りの腕を
ぎゅっと抱きかかえて下を向く。
そんな彼女の事などもう眼中に無いのか
朝霧は死人櫻花に向けて歩き出した。
やがてウラの真横まで進みんで立ち止まる。
「貴方からも両親について聞かせてもらいますから。」
「構わない。だが多くを語れるほど詳しくないぞ?」
「元々そういう約束だったじゃないですか?」
「最初から死人櫻花に連れてくるつもりだったからな。
それに俺は――」
腕を組んだまま、
ウラは通過する朝霧の背中に声を飛ばす。
「――父親の方とは会った事無いし。」
「……え?」
洞へと向かう朝霧の足が止まった。
そして「そんな訳無い」と困惑の笑みを見せる。
「名前を教えてくれたのは貴方ですよ?
朝霧拏業って名前を……一族の恥だって……」
「あぁ、そう聞かされていたからな。面識は無い。」
「それでもっ……!
どういう鬼だったのかくらいは知っているんじゃ?」
「ん……? はぁ?」
ウラはかなり困惑した様子で眉を曲げる。
そして何か一人で納得したような声を上げると
朝霧の眼を見ながら情報を与えた。
「拏業は人間だぞ? 鬼なのはミナさんの方だ。」
「えっ――ええぇ!?」
朝霧は今まで見せた事の無い顔で驚愕した。
彼女だけでなくアリスたちもまた驚いていたが、
その余韻を断ち切るように、
タダクが「準備完了」の合図を送る。
「まぁ、詳細はその眼で見てくると良い。」
「っ……!」
促されるままに朝霧は桜樹の洞へと侵入する。
困惑と動揺と、そしてほんの僅かな期待を胸に
清水の溜まった空間の中央に鎮座した。
「では始めるぞ。」
刹那朝霧の周囲には青白い光が湧き上がる。
暗い空洞の中を染め上げるように
光が閉じた朝霧の視界を一色で覆い尽す。
(そうだ朝霧。お前はしっかり見ておけよ?
今から見せる其れは――)
幻想的な儀式の開始を
鬼の若頭は冷めた瞳で見守った。
(――鬼族最大の秘宝を奪った一人の賊の記録だ。)
桜の樹の下には死体が埋まっている。
これから朝霧は、その墓を暴いていく。
――同境内・サンゴ礁――
サンゴで溢れた海岸に飛沫が上がる。
そもそもこの空間にそんな概念があるのか不明だが
とかく地上と水中との境界線で
流れ着いたソレを押し上げるように飛沫は上がった。
「……ちっ。」
背中を押す冷たい波に苛立ちを覚えつつ
ソレは肩に乗っかった邪魔者の死体を投げ捨てる。
血肉が潰れる音と共にサンゴの表面を汚したのは
小汚い中年男性の千切れた上半身だった。
「待っていろよ……! 封魔局……!」
疲労と憎悪に塗れた瞳で、
その青年は黒曜大社を見上げて吠えた。




