第六十一話 HERO
――約一週間前・デガルタンス――
これは邪神が地上へと現れ、
封印せんと迫る人間たちに呪文を放った直後。
朝霧ら一部の動ける者たちが戦っていた、
その『裏』での出来事であった。
「っ……! 油断した……これが呪文か……!」
ズキズキと痛む頭を抑え、
地上に墜落したツヴァイは身体を震わせ起き上がる。
ホムンクルスと悪魔の力が合わさった彼女には
呪文の影響は通常の人間よりも遙かに小さい。
が、やはり強い不快感を拭う事までは出来なかった。
「とにかくっ……今は妹たちを……!」
流れる汗をそのままに
ツヴァイは使命感に駆られて動き出した。
既に邪神の体内からフィーアは奪還済み。
ふらつきながらツヴァイは妹の元に駆け寄る。
(半身が削れて意識も無いけど……流石不死鳥。
こんな状態でもまだ息があるし、回復も始まってる。)
妹たちと合流さえ出来れば、
もうツヴァイがデガルタンスに残る意味は無い。
暴れる邪神と色欲のサギトを放っておくのは
魔法連邦にとっても大変危険ではあるが、
結果デモンシスターズが全滅するのは避けるべきだ。
(丁度封魔局も大半がダウンしている……今なら……)
ツヴァイは次女として打算的に計画した。
その時、彼女の周囲を数人の封魔局員が囲む。
しかし彼らの目に生気は全く宿っていない。
やがて人形のような彼らの後ろから女の声が響き渡る。
「あーいたいた。ツヴァイお姉様!」
「フンフ! そっか、これは君の『扇動』で……」
「そ! ついでに支部も爆破してきたよ!
これでこの都市に封魔局の援軍は来られない!」
「裏工作を全部任せてしまったね……
ありがとう。けどもう十分だ……撤退しよう……」
溜まりに溜まった疲労感と
無事妹たちに会えた安堵からツヴァイは
まるでそのまま寝落ちするかのような声量で呟く。
しかし彼女の発言を聞いたフンフは
ニヤリと不敵な笑みを浮かべてツヴァイを見下ろした。
「ん~? ん~? 撤退? 聞き間違いかな~?」
「……? フンフ?」
「お姉様は封魔局の捕虜になるんでしょ?
ならちゃんと言ったことは守らなきゃ――」
――直後、キョトンとしたツヴァイの両腕を
洗脳された封魔局員たちが押さえ込んだ。
衰弱していた彼女に打つ手は無く、
そのまま屈強な男たちによって地に伏せられる。
「ハァ!? 痛っ……ッ、何のつもり!?」
「女帝を殺すならやっぱり封魔局とぶつけたいよね~?
狩ってくれれば最高だけど、削り合うだけでも十分。」
「? フンフ……?」
「でも封魔局側にも戦力を持ってこさせないとなぁ……
あ、捕虜交換なんて良いじゃん! 怪しさ丸出しで!」
「何を……言って?」
「場所は……一週間後襲撃予定のカセントラ!
運良くルークと隊長格が衝突してくれないかな?」
「いやそもそも……貴方、誰?」
会話の出来ない相手に恐怖心を抱きながら
ツヴァイは酷く震えた声で問いかける。
すると直前まで未来を見据えて計画していたフンフが
ピタリとその口を止め、口角を吊り上げてみせた。
「あ、口に出てた? なら記憶を消さなきゃだね?」
「――ッ!」
当時のツヴァイには何一つ分からなかった。
だが分からないなりに彼女は行動に出る。
自分を犠牲にしてでも妹を逃そうとしたのだ。
「フィーア! 起きて、フィーアッ!」
「ぅ……ぁ……?」
(良かった意識は戻ってる! 後はここから――)
「――あぁダメダメ。不死鳥は便利なんだから。」
その台詞を言い終えるよりも速く、
フンフはツヴァイの頭部に片手で掴み掛かる。
視界を遮るように広げられた指の合間から、
彼女の吸い込まれるような瞳をツヴァイは見た。
(嫌だ……誰か、誰か……!)
「職能――『頭目の影武者』。」
(助けて……! 助けて……――)
――繋がる名前は、出て来ない。
当時の現場にはもう頼れる味方がいなかった。
故に其処でツヴァイの記憶は終了する。
彼女の中で泡沫の如くぼんやりと残ったのは
訳も分からず「やめて」と泣き叫ぶフィーアと、
その体を何度も刺突する狂った女の視点だった。
「あーあ。可哀想なフィーアお姉様。
でも大丈夫だよ。私だけは味方だから――」
――現在・城内広場――
(そうだ……思い出した……)
最後に聞こえた声に悪寒が走り、
ツヴァイは深い闇の中から意識を取り戻す。
そしてデガルタンスの時と同じように、
痛む頭を抑えて身体をゆっくり持ち上げた。
ぼやける視界で見上げてみれば、
広場では自分たちを守るよう戦う隻腕の男と
フンフの姿をした不気味な存在とが
一進一退の激しい攻防を繰り広げていた。
「祝福ゥ! 『武陵源』ッ!」
「もう見飽きたよ! 『יום כיפור』ッ!」
魔力が高速で集約し、やがて衝撃波となって弾け飛ぶ。
その威力は凄まじく美しく整っていた広場の地形も
瞬く間に波打つように変動し遂には崩壊を始める。
(まだ足場はイケるな……もう数分は耐えられそうだ!)
隻腕の男、道和は靴裏から伝わる感覚で
あとどれくらい足場が保つかを計算に加える。
彼には最初から敵を打倒する気など微塵も無く、
ただ時間さえ稼げれば良いと踏んでいた。
しかしその計算高さが裏目に出る。
再び堕天使が上空から地上に向けて
回避困難な大技を放った、丁度その時、
地の底から亀裂が走り大地を赤く粉砕した。
「「――ッ!?」」
それは戦場にいた誰にとっても予想外の出来事。
故に道和は見積もりを大きく狂わされ体勢を崩した。
そしてそのまま堕天使の攻撃と板挟みになり、
赤く光る亀裂の中へと滑落してしまう。
(やっべ、ミスった! この現象はまさか……!?)
「封印が解放された……!」
フンフ改めアザゼルは城を見上げて驚愕する。
そして「翁が上手くやったのだ」と一瞬喜ぶが、
彼女はすぐに今起きている事象の違和感に気付く。
(あ、れ? いや変だ、おかしい……!
漏れ出る瘴気の量が流石に異常過ぎる……!)
二百年前にまで遡る
邪竜復活未遂事件の主犯であるからこそ、
アザゼルは今回の現象が「違う」と気付けた。
邪竜の気配は確かに復活しようと
地下の奥深くで激しく胎動しているが
これは最早封印解除などでは無く――
(――術式そのものが……破壊された感じだ!)
漏れ出る魔力を抑える物は何も無い。
真上に乗っている城という物理的な障害物以外、
何人も復活を妨げようとはしていないのだ。
正しく『鍵』を使用したのならこんな事は有り得ない。
つまり鍵を確保済みの厳寒老の仕業では無い。
候補として考えられるのは全てを知る者、即ち――
「――女帝の仕業! フッ、狂ったか亡者め……!
利用されるくらいなら諸共全てを滅ぼすと?」
思考の最中にも異変は次々と発生する。
二百年前と同じように地下から赫岩が突き抜け
穿たれた穴からは大量の魔獣たちが身を乗り出す。
また異変は城のある山だけでは無く、
首都とその近辺にある雪原でも発生していた。
まるで世界の終わりのような光景が
広場からは良く見えていた。
「……いや違うな。あの強かな女帝の事だ。
きっと邪竜に何か『仕込み』をしているな?」
襲いかかってくる魔獣を一撃で消し去りながら
アザゼルは女帝の仕込みが何かを考察する。
しかしここで悩んでも答えなど出ないと悟ると、
彼女はすぐに安全地帯への離脱を検討した。
「とにかく一度仕切り直しだね、コレは……
だからぁ、逃げようとしないでよツヴァイお姉様?」
「――ッ!」
ツヴァイの身体が反射で大きく飛び跳ねた。
彼女はアザゼルの戦闘中密かに、
匍匐前進でフィーアの元へ向かおうとしていた。
しかし看破されたと分かると彼女は
すぐさまフィーアを抱き寄せ敵に刃を向ける。
「寄るなっ……! 私たちに近づくな!」
「酷いなぁお姉様ぁ! 私たちは仲良し姉妹でしょ?」
「止めろ……その顔でそれ以上騙るな……!」
ツヴァイはアザゼルの事を知らない。
けれども、彼女の事はもう完全に敵と見なし
せめてフィーアだけでも守ろうと身構える。
――とその時、ツヴァイの腕の中で
フィーアもまたゆっくりと意識を取り戻した。
「え……? 私は……何を……?」
「フィーア! 良かった、動ける!?」
安堵の声を漏らしツヴァイは喜んだ。
しかし妹はそれと逆の反応を示す。
「ひっ! 離せよ、裏切り者ッ……!」
まるで拒絶反応を起こしたような奇声をあげ、
フィーアはツヴァイを強く突き飛ばした。
尻餅を突き倒れる彼女をアザゼルは嘲笑する。
「イヒ! あーあ、嫌われちゃってるね~?」
「っ! 聞いてフィーア! 悪いのはフンフなの!
多分彼女の正体は何か別の物! 全部あの子が――」
「――は? 何ソレ? 笑えない冗談……」
必死なツヴァイに対し、
フィーアは両肘を抱えて軽蔑した目を向ける。
彼女はとっくにツヴァイへの信用を失っていた。
「そんな……フィーアッ!」
「第一、私を刺したのはツヴァイ姉じゃん……!」
「っ……!」
真実はどうあれ、事実は変わらない。
いくらその当時操られていたとはいえ、
フィーアの記憶にトラウマとして焼き付いたのは
他ならぬツヴァイの顔であったのだから。
「私を刺して、封魔局といて、革命にも加わった……
もうアンタの声なんか一言たりとも聞きたくない!」
「待って、フィーア!」
伸ばした手を遮るようにアザゼルが魔力を放つ。
吹き飛ばされたフンフは地面を転がり、
やがて突き出た巨大な赫岩の壁に激突した。
「がはっ……! っ……フンフ……!」
「ふふーん。信じて貰えなくて残念だったねー?」
フィーアには聞こえ無い声量で語りながら、
堕天使はゆっくりとツヴァイへ近づいていった。
ダメージの蓄積した彼女では最早動く事も叶わず、
簒奪者の妖しい瞳をただ睨むばかりだった。
「デガルタンスの時のことを思い出すね!
あの時もこうやって弱ったお姉様を洗脳したっけ?」
「クッ……貴様……!」
「折角だしもう一回洗脳掛けてあげよっか?
今回はリチャードたちを襲わせるのも面白そう!」
その台詞を言い終えるよりも速く、
アザゼルはツヴァイの頭部に片手で掴み掛かる。
視界を遮るように広げられた指の合間から、
邪気に満ちた堕天使の瞳をツヴァイは見た。
(嫌だ……誰か、誰か……!)
「職能――『頭目の影武者』。」
(助けて……! 助けて……――)
当時は其処に繋がる名前が出て来なかった。
頼れる相手が、甘えられる相手が居なかった。
だが、今は違う――
(助けて――朝霧ッ!)
想いに名前が繋がった。
その時、赤い閃光が上空から飛来する。
「「――!?」」
墜落物がアザゼルの腕を斬り飛ばす。
周囲の岩よりも一際赫く輝く大剣を手に
その人物はツヴァイの元へと参上したのだ。
腕を斬られた堕天使は、顔を歪めその名を呼ぶ。
「朝霧……桃香ッ!」
彼女は髪留めを失った長髪を振り乱し、
体格に不釣り合いな大剣を地面に突き刺す。
そしてまず目の前にいる敵にでは無く、
背後にいる大切な仲間に向けて声を掛けた。
「もう大丈夫だよツヴァイ。私に任せて。」
銀の義手をスルリとかざし、最強戦力が再起する。




