第四十六話 後ろ髪
光矢の連射が虚空を裂く。
巨大な柱をいくつも粉砕しながら、
発光と粉塵で視界を埋め尽くしていった。
(『ジオ・フェイルノート』。これが私の本気だ……!)
初発から終了まで、掛かった時間は約一分。
しかしスベトラーナにとっては
一分どころでは無い体感時間が流れていた。
一本一本の矢が鮮明に目で追えて、
土煙の中に消えるまで見送り続ける。
その沈黙の時間で彼女の脳は、
彼女自身に根ざす後悔の念を想起させていた。
(私は強い。同族の中で一番! なのに……)
空っぽの時間は気分を落とすのにうってつけ。
既に術を発動し終えたスベトラーナにとって、
矢を撃ち尽くすまでの何もしない時間は
ただ雑念に蝕まれるだけの無為な一時であった。
だがその期間もようやく終わり、
西回廊の中には途端に元の静寂が舞い戻る。
森人姫は数秒目を閉じ、そして再び開けた。
「ふぅ……決着したか。」
戦闘終了の脱力感と共に、
それまで忘れていた右目の痛みが復活した。
ズキンと熱く悶える傷が彼女の表情を険しく歪める。
「あぁクソ……! 無駄に負傷してしまった……
とにかく今はイナ・フィロアの捕縛を……ん?
いや、私は前線に行くべきか? あれどっちだ?」
脳をやられていた訳では無いはずなのに
スベトラーナは思考を上手く纏められない。
「そもそも今の前線って何処だ? 正門? 城内?
敵の数が多いのは……確か正門の方だったよな。
……あぁいや、でも其処にはヴォルフがいるのか?」
予想外の疲労と平時とは違う現状に脳が揺らぐ。
やがて全身を襲う脱力感は更に増し、
頭はまるで石になったかのように重く感じてきた。
「クソ……しっかりしろ≪森人姫≫……!
大事な局面だぞ? またお前は選択を誤る気か!?」
傷を覆うように顔に手を押し当て、
エルフの長は無能な己に言い聞かせる。
しかし責める度に思考はどんどん錆び付いた。
脳の歯車が回転を止め、押しても引いても動かない。
「わた……しは……」
――その時、凍てつく時を動かすように、
スベトラーナの背後のステンドグラスが割れた。
吹き飛ぶ破片の向きは回廊の内側。
何者かが外から中へと侵入してきたという事だ。
「ッ!?」
スベトラーナは顔を押さえたまま咄嗟に振り向く。
細長い指の合間から視線を通し、
自分の背後に現れた存在の正体を確認した。
脱いだボロボロのジャケットを盾に
ガラス片から身を護りながら登場したのは、
艶やかな金髪に妖しく輝く緑の眼を持つ、
口に軍用ナイフを咥えた若い女隊員であった。
「アリス・ルスキニアッ……!」
呼びかけに答えず、女は着地と同時に
ジャケットを手放しガラスまみれの床を蹴る。
パキンと着地点の周りに破片を飛ばしながら
彼女は咥えたナイフを手に戻した。
(っ……回廊の外で攻撃から逃れたのか……!)
焦ったスベトラーナは
大きく後退しながらも三指を立てて術を使う。
するとアリスの背後を追いかけるように、
回廊の左右から無数の光矢が撃ち込まれた。
しかし背中に迫る殺意の崩壊に目もくれず、
アリスはたった一人の敵に向かい直進した。
やがてその距離は零へと至り、
ナイフの間合いにスベトラーナの身体が入る。
「――くっ! させるかァ!」
ナイフを握りしめたアリスの手に向けて
スベトラーナは生み出した光矢を突き立てる。
光の矢尻はアリスの手を貫通し刃を止めた。
「ッァ!? ぅ……っ!」
アリスの瞳が一瞬輝く。
同時に森人姫の心臓を痛みが襲った。
(っ、例の呪詛返しか……! だが問題は無い!
ナイフさえ抑えてしまえば、私が致命傷を負う事は――)
勝利を確信しスベトラーナはアリスを睨む。
しかしアリスは既に次の攻撃へと移っていた。
空いた左手を何かを携えた自身の腰へと伸ばす。
(!? それは……!?)
アリスが取り出したのは、
ナイフのように尖ったまま固まった赤い布。
数分前にスベトラーナの右目を潰してみせた
――オロバスの外套であった。
(こいつ!? 外に出た時、拾ってきたのか!?)
「やられてください。森人姫!」
赤い一閃が赤い鮮血を呼び起こす。
スベトラーナの身体を真正面から斬撃が襲った。
逆手に握られた赫刃の一撃が森人姫に傷を付ける。
(……あぁ、負け、た。)
彼女の瞳から、ゆっくりと光が消えた。
――――
亜人の歴史は差別の歴史。
それは優美なエルフ族であっても例外では無い。
むしろ亜人種差別にかこつけて、
容姿端麗なエルフたちは誘拐の標的にされていた。
文化の違いを罪と罵られては連行され、
神聖な住処を開拓と称しては蹂躙され、
伝統の技巧を反意と捉えられ破壊された。
その度に当代の長たちは選択を迫られた。
そして選択が間違いだったと判明する度に
全ての責任を負って自ら命を絶っていった。
やがて長の座はスベトラーナに渡る。
だが当初の彼女は地位を得た事を心から喜んだ。
純粋に権力を手にして嬉しかったのもあるが、
何より自分なら上手くやれるという自信があった。
そして彼女の自信を後押していたのが、
彼女の個としての強さと戦争勃発という時期だった。
「人間たちが戦争を始めたぞ! 我々はどっちに付く?」
「関わる必要など無いさ、中立だ中立!」
「スベトラーナ様。貴女のお考えをお聞かせください。」
森人たちの戦姫は決断した。
自信満々に、一切の迷いもなく、高らかに。
アビスフィア帝国陣営としての戦争へ参加する事を。
「既に亜人種の多くは天帝の側に付いた!
地位向上の好機だ! 遅れをとっては戦後に響くぞ!」
スベトラーナは希望に満ちた笑顔で宣言した。
だが結果は歴史が証明済み。帝国は敗北した。
「嘘つき! 必ず勝つと言ったはずだ……!」
「これからどうする!? 差別は一層強まるぞ!」
「スベトラーナ様……私は暇を取らせて頂きます……」
戦後すぐに同族の一部が離反した。
だが敗残の将に彼らを止める事は出来ず、
去りゆく者の背中を玉座から眺めるしかなかった。
此処に後悔が一つ。
「スベトラーナ様。お気持ちは理解しますが、
まだ貴女に長の座から降りていただく訳にはいきません。
先の戦争で……後継の候補者は皆戦死しましたから……」
抱えた頭を持ち上げてスベトラーナは前を向く。
無能なリーダーなら、せめてマシな中継ぎを果たそう。
そう決心して彼女は戦後の統率に心血を注ぐ。
「さて、今後の我々の方針を決めないと……」
「連合に恩赦を乞おう。族滅よりずっと良い。」
「スベトラーナ様。貴女のお考えをお聞かせください。」
森人たちの愚かな姫は決定した。
必死に考え、何時間も悩み、吐くような思いをして。
ラストベルトにある女帝の庇護下に加わる事を。
「敗走した勢力の多くは魔王軍か連邦軍に加わった……
戦時中、最後まで中立を貫いた女帝の庇護を得よう。」
スベトラーナは焦燥しきった声と顔で選択した。
結果、種としての存続は果たせたが、心は死んだ。
「この国は間違っている。酷い独裁国だ!」
「陛下への誹謗は止めろ。この前二人死んだばかりだ。」
「今や我らが搾取する側か……もう何でも良い……」
連邦に加わった直後、同族の一部が謀反を企てた。
疲れ果てた長は仲間を護るために仲間を処断する。
そしてそれが女帝への忠誠心として認められた。
此処に後悔がもう一つ。
――――
スベトラーナは仰向けに倒れていた。
ぼやけた視界の先には引き延ばされた回廊の天井。
しかしそれと認識できるほど彼女の心に余裕は無い。
(あぁ、慢心していた……)
あの時、自分の技で敵は消したと思い込んだ。
単純な回避で切り抜けられたのにそう確信したのは、
ひとえに彼女が自分の力を過信していたからだ。
(それに、確認すればよかった……)
倒した後に死体を確認するルーティンがあれば、
生存していた敵に虚を突かれる事も無かった。
それをしなかったのは彼女の浅慮による物だろう。
(そして……また私は……!)
――選択を誤った。
回廊を戦場にした事も単騎で挑んだ事もだ。
何か変わる訳でも無いのに後悔が脳を埋め尽くす。
「ッ!?」
気配に気付きアリスは振り返った。
丁度ジャケットを拾おうとしていた手を止めて、
不気味な厄を放つスベトラーナの身体に注視する。
(そっか。エルフ族にはコレがあったっけ……!)
物悲しげに目を細め、
アリスは集約するエネルギーに身構える。
森の歩哨たるエルフの切り札――ダークエルフだ。
スベトラーナに渦巻く後悔の念が
彼女の身体を黒く蝕むように染め上げていった。
しかし――
「くっ……あぁッ……! い、嫌だ……!」
――変容する彼女の顔は酷く苦しそうだった。
それもそのはず、ダークエルフへの変化は一方通行。
一度闇に墜ちてしまえばもう二度と元には戻れない。
「堕ちたく……無い! 誰か……――!」
「はぁ――」
耐えようと必死に足掻くスベトラーナの前で
アリスはナイフを咥えてジャケットを羽織った。
そして外出前の身支度でもするかのように、
襟と首で挟まった後ろ髪を両手で外へと押し出した。
「――了解です。」
口からナイフを手元に落とし、
アリスはスベトラーナに最後の接近を図る。
対する森人姫も敵の強襲に本能が反応し、
半分闇へと堕ちた身体が勝手に迎撃を始めた。
黒く染まり威力の上がった矢が、
迫るアリスの肩や脚の肉を掠め取った。
しかし彼女は回復魔術を発動する素振りも無く、
ただひたすらにスベトラーナの元へと急ぐ。
(『転浄』はもういらない。今欲しいのは、強い矛!)
眼前に迫る矢をナイフで弾き跳躍した。
丁度寿命を迎えたようで刃は粉々に砕けたが、
アリスは構わず赤い第二の刃を手に取った。
やがて二人の間の距離が消え去り、
手を伸ばせば届く位置にまで到達する。
しかし二度同じ手が通用するほど甘くは無い。
今度のスベトラーナは完璧な防御姿勢を取っていた。
「――あー残念。今回の順番はさっきと逆です。」
空中で笑顔を見せながら、アリスは自分の腕を刺す。
彼女の行動に残った理性で動揺していると、
そんなスベトラーナの身体へアリスは組み付いた。
「ダメージは十分……! 『死を想え』ッ!」
アリスの小さな身体を中心に、
禍々しいエネルギーが大量放出された。
解放された黒色がドームを作り、
蝕む邪気ごと哀れな森人姫の意識を断つ。




