第三十九話 ステイルメイト
――城内三階――
黒幕は瓦礫をどかし暗闇から抜け出した。
其処は先程まで朝霧と戦闘していた食堂の跡地。
爆破の直撃は風の魔術で防ぎ切ったが、
足場である床が保たずに崩壊してしまった。
その結果黒幕はしばらく瓦礫の下に埋もれていた。
だが復活した黒幕は周囲を見回すとすぐに廊下に向う。
やがて城内各地から感じる無数の殺気から
敵の主力部隊が入城した事を理解した。
(俺も加勢するか? ……いや、それより確認だ。)
次に会ったら必ず殺せ。
長らく行動を共にした戦友の言葉に従うのなら
朝霧桃香の死亡確認は必須事項だ。
黒幕は彼女の肉体が残っていた場合の
落下地点を予測しその方角へと歩き始める。
目的地は、城内二階の中庭だ。
だがその道中で彼はある事が気になり始めていた。
戦闘開始の直前に女帝が言った言葉。
即ち――『朝霧桃香は魔性の女』という発言だ。
(そういえばきっかけは何だったか?)
黒幕は歩きながらも思考をそちらに巡らせる。
朝霧との出会いは間違いなく『あの日』だ。
曇天が近いビルの屋上で復讐の言葉を述べる彼女に
機会を与えるため黒幕は眠れる鬼の血を覚醒させた。
あれは好意からの行動では無い。
無念の中で死ぬ命を、亡霊が見捨てられなかっただけだ。
言うなれば同情。「チャンスをやるから勝手にしろ」。
それが『あの日』の黒幕が思っていたことだ。
(……ならば一目惚れでは無いな。)
一つの結論を下し、黒幕は思考を少し未来に進める。
次に朝霧と出会ったのは数日後の封魔局本部。
元の世界で復讐を成すと思っていた女が、
魔法世界に来ていた事に当時の黒幕は心底驚いた。
朝霧桃香という名を知ったのもこの時であり、
そして――とある一つの後悔をしたのもこの時だ。
(『だからせめて』と……思ったんだっけ?)
その後黒幕は、朝霧をしばらく見張る事にした。
事情を知る悪魔とアンドロイドに監視を任せ、
たった一つの後悔を取り返そうと手を打ち続けた。
マランザードやソピアーでは黒幕として、
アンブロシウスやユグドレイヤでは探偵として、
どの陣営からでもいつでも「対応」出来るようにと。
(ずっと見ていた……多くの角度から、ずっと……)
敵として向けられた鋭い視線も、
そして尊敬する味方として向けられた
笑顔や泣き顔も、全て逃さず見続けていた。
(……あぁそっか。だから惚れたのか。)
時間を共にする内に多くの表情を知った。
そしてそれらを知る度に愛おしくなっていた。
漠然と芽生えた好意が時を重ねる度に肥大化した。
(つまりは……『一緒にいたら何となく』だな?)
それは酷く普遍的な理由だった。
朝霧桃香という女性の魅力に気付き好意を抱いた。
スケールを小さくすれば日常にもありふれたきっかけだ。
(そう思うと、女帝の言い分も間違いでは無いのか?
俺もアイツの魔性に当てられただけだったのか?)
黒幕は議題を最初に戻す。
朝霧桃香は魔性の女だったのか?
そして自分はそれに惑わされただけなのか?
だがすぐに彼はその議題に答えを示す。
(……別にどうでも良いか、そんな事。
俺がアイツに惚れたのは事実だし、何より――)
――次に会ったら、必ず殺せ。
(……もう関係無いしな。)
骸骨のマスクの下で黒幕は苦笑した。
その時、彼の『未来視』が反応する。
『ッ!?』
見えた映像は自身の背後で
鬼の形相に大剣を携え迫る朝霧桃香の姿だった。
黒幕は咄嗟に背後に杖を向け警戒する。
――が、その方向に彼女の気配は無かった。
(今のビジョンは……?)
「――何処を見てるんですか?」
声がしたのは更に背後。
黒幕はすぐに反応し最大限の警戒心を向けた。
がしかし、それと同時に声の主が策に出る。
「イナちゃん、お願い。」
彼女が無線に向けて声を発すると
突如として黒幕のいた廊下を少女の魔法が駆ける。
展開されたのは美しいだけの無意味な鏡の祝福。
暗い城の廊下をまるで万華鏡の筒内のように彩った。
(!? 何だこれ、何がしたい……?)
十五秒経過。
従来の万華鏡よりも圧倒的に多い無数の鏡が
黒幕を囲むように廊下の中に敷き詰められている。
(攻撃じゃ無いのか? ……とにかく未来視を!)
二十秒経過。
黒幕は能力を使おうと目に意識を集中させる。
だがその時、彼は鏡面に映った自身の姿に気付く。
(あ、れ? これってまさか……?)
二十六秒。未来視の可視上限到達。
『しまっ……!』
「『抜』ァッ!」
与えられたビジョンに一切の狂いは無く、
黒幕の背後に大剣を携えた朝霧が転移した。
しかもその角度とタイミングは
従来の空間転移では実現出来ない物であった。
「黒ッ幕ゥァッ!!」
赤き稲妻が竜の髑髏に直撃した。
重たい赫岩の一撃が骸骨頭の目を潰し、
彼の身体を廊下の奥へと吹き飛ばす。
『ぐぉッ!? ――ッ!』
黒幕は少し遅れながらも受け身を取った。
数回ほど全身を襲う痛みに耐えながら、
続く数回の衝撃を地面へと逃がす。
やがて壁と激突し停止した彼は、
ヒビの入った仮面の隙間から
自らの目で惚れた女の姿を見据えた。
『鏡による……転移先の複雑化か……!』
「その通りです。流石ですね。」
それは朝霧が講じた未来視対策。
過去に黒幕が百朧の攻撃を喰らった時のように、
見えていても追いつけなければ回避は出来ない。
そう思って初戦では速度差による奇襲をしたが、
単純な速さだけでは黒幕の高い処理能力を
出し抜き攻撃を当てる事は出来なかった。
どれだけ速くとも単純な攻撃ではダメなのだ。
より複雑に、より直感に反した動きで、
彼の体に染みこんだ反射行動の隙を突く必要がある。
「これはそのための『万華鏡』と『十字架』です。」
廊下に張り巡らされた鏡は、朝霧専用の道だ。
空間転移の発動条件は『転移先を視界に入れる事』。
朝霧はその視界の確保に鏡の反射を利用した。
黒幕を囲む無数の鏡は
遠くからの朝霧の接近を実現させ、
更に通常ではありえない位置への転移も補助する。
それによって朝霧は黒幕への奇襲に成功したのだ。
『凄いな……未来視を使用中の俺に
ここまでのダメージを与えたのはお前が初めてだ……』
「いいえ。私一人の力じゃありません。
万華鏡の祝福を持つイナちゃんと、もう一人のお陰。」
もう一人、という言葉に黒幕は首を傾げる。
朝霧はそんな彼の態度に少しだけ反応を示すと
僅かに俯きながら転移装置である十字架に触れた。
「ナディアちゃんの聖遺物。私の背負う十字架。
そして小さな命を弄ぼうとした貴方への『罰』です!」
宣告と共に朝霧は十字架を握り絞めた。
直後再び淡緑の閃光が廊下の中で爆発する。
今度の彼女は黒幕の頭上から大剣を突き立てていた。
「第二ラウンドだ……! 黒幕ッ!」
『――ッ!』
大剣の突きは黒幕の肩を掠めた。
彼はすぐに体を回転させ距離を離すが、
何処まで逃げても鏡は続いていた。
(逃がしはしない! 此処で仕留める!
そのために最初にあの髑髏の目を潰した!)
黒幕の祝福が隠蔽解除ならば、
恐らく未来視は聖遺物なのだろう。
となればやはりあの髑髏頭が怪しい。
そこで朝霧は初手での決着という
成功するか不明瞭な策をあえて捨て、
髑髏マスクの目を潰す事に全神経を注いだ。
(未来視を失えば、もう私に追いつけない!)
朝霧は三度転移の十字架を発動した。
念には念を入れ万華鏡を間に挟み、
黒幕の予測困難な位置への転移を狙う。
彼女の目にはこの一撃で終わらせるという
覚悟があった、がしかし――
『深焉魔術……「司祭の海底神殿」。』
――黒幕は自身の真横に水の塊を召喚した。
それはすぐに薄く平たく形を変える。
透き通る水面の美しさはまるで鏡のようだった。
「なッ!?」
朝霧は自身の転移先に驚愕する。
なぜなら彼女は黒幕に対して背を向け、
大きく隙を晒す位置に飛んでいたからだ。
(そんな……っ! まさか……!)
『深焉魔術――』
(たった数手で……私の作戦を利用した!?)
『――「黄衣の王印」!』
風の魔術が朝霧に向けて放たれた。
肉など容易く引き裂く不可視の刃が
神速を以て朝霧の顔に迫る。
「嫌だ……! 負けたく無いッ!」
『!?』
朝霧は銀色に輝く左腕を突き出した。
――直後、彼女に迫る風が義手によって弾かれる。
それは意地が生んだ偶然の産物。
伸ばした腕の動きが奇跡的に魔術の軌道と重なった。
やがて朝霧の手は黒幕の襟を掴む。
『クッ……! 離せっ……!』
黒幕は抵抗しながらも
転移の軌道変更に利用した水へ指示を飛ばす。
ぐにゃりと再び形状を変える水塊。
だが朝霧もそれに気付き、先に聖遺物を使用した。
「『抜』ッ!」
とにかくその場から離れようと、
朝霧は黒幕を捕まえたまま転移した。
淡緑の閃光は万華の鏡面をジグザグに進み、
やがてガラスを突き破り外へと抜け出す。
「――ッ!」
『――ッ!』
迫る地上に気付き、淡緑の閃光がまた煌めく。
光は銀世界の雄大な山にそびえる城の上へと移動し、
やがて吸い込むような重力と共に落下した。
そうして二人は王城の屋根に激突すると、
レンガの瓦を粉砕しながら転げ落ちる。
互いに一旦離れ、受け身も取れずに回転した。
その結果二人が辿り着いた場所は、
城で最も高い位置にある『主塔』の天辺であった。
「っ……」
『っ……』
因縁の二人は地を這い立ち上がる。
互いにボロボロであり必勝の策も無い。
(さっきの鏡の利用……多分未来視が生きてる……
聖遺物は……あの頭蓋骨じゃ無かったんだ……!)
(マズい……ダメージを受け過ぎた……
これ以上長引かせるのは……得策じゃないな……)
互いに相手の、そして自分の手札を整理する。
そして二人は互いに強く望んだ。
((次の一撃で、終わらせよう……))
朝霧は大剣を転移させ黒幕は杖を取り出す。
主塔の最上階で二人は十分な距離を置きながらも、
ゆっくりと殺意と魔力を込めて腕を上げた。
「真体解放――」
『「生ける――』
「――『赫焉』ッ!」
『――炎の泉」ッ!』
赤と青の炎が塔の内から銀世界の空に存在を示す。
ぶつかり合うのは禍々しい魔力の塊であり、
これまでの想い出であり、そして純粋な殺意であった。
衝撃は塔の床に亀裂を走らせ、
拮抗により弾けたエネルギー波が柱を砕く。
まるで竜が咆吼するかの如き衝撃音を響かせ、
二人の炎は約十秒の間ぶつかりあった。
だが物事には必ず終わりが来る。
その例に漏れず二人の炎も途中で途切れた。
(攻め切れなかったか……! ならば次だ!)
黒幕はすぐに次の魔術の発動準備に入る。
しかしその直後、彼の未来視が危険を告げた。
「狂鬼完全侵食――!」
『ッ!?』
まだ空間に残る焔の中を生身で抜け
朝霧が黒幕に向けて最後の急接近を試みた。
未来視で察知出来ていた黒幕は杖を向けるが、
事前に発動していなかった分の遅れがある。
朝霧の大剣が届くほうが数秒速いだろう。
「死んでください、黒幕……!」
(これは……無理だ……!)
朝霧の刃が黒幕の肩に触れ血を吐出させた。
――その時、ヒビの走った彼の仮面が割れる。
(あ……)
瞬間、朝霧の思考が攻撃の途中で停止した。
そしてその隙を黒幕に突かれる。
『ッ――「司祭の海底神殿」ッ!』
圧倒的な水流が朝霧を押し流した。
その途中で髪留めが落下し、
彼女は長い髪を振り乱しながら、
塔の外へと吹き飛ばされていった。
『俺の……勝ち……だ!』
――――
巨大な水塊の中に囚われながら、
朝霧は城の外、雪山の中へと落下していく。
勝てなかった悔しさに涙を溢しながら。
(――クソッ! クソッ! クソッ!
何で……? 分かっていたはずなのに……!)
あの時、朝霧は割れた仮面の下の素顔を見た。
無論、それは何の意外性もない彼の顔だ。
今まで何度も見てきた探偵の顔だった。
(分かっていたのに……覚悟出来てたはずなのに……!
いざあの仮面の下からあの顔が出てきた瞬間……!
私……私……っ! 何も考えられなかったっ……!)
当たり前の事柄が目の前にあっただけなのに、
朝霧は黒幕の、否、想い人の顔に心が惑わされた。
(バカだなぁ……私……! まだそうなの?
あんな出来事があったのに……私はまだ……ッ!)
惑わされた理由は考察するまでも無い。
そもそも朝霧がまだ「そう」であったからこそ、
彼の行動パターンを読みこの戦闘は始まったのだ。
彼なら死の風攻略の肝心な所で妨害するだろう。
その予想は黒幕という人物を
正しく理解していなければ浮かんで来ない。
予想とは即ち対象への信頼であり、
理解とは即ち対象をより深く愛する事だ。
咄嗟の判断でそれらが出来たのは、ひとえに――
(まだ好きだったんだっ……! 彼の事が、まだ……!)
唇を噛みしめながら朝霧は涙を流した。
勝てなかった事への悔しさと、
中途半端に恋情を捨てきれなかった
愚かな自分への不甲斐なさに。
「……けど、負けるのは嫌。」
――――
「危なかった。ギリギリだったな……」
黒幕は体を揺らしながら主塔を去ろうとした。
しかしその時、またも未来視が警笛を鳴らす。
「っ――!? ……は?」
未来視の映像に対応出来ない場合は、もう一つある。
それは「そうなった原因が分からない場合」だ。
例えば――いきなり自分が倒れる未来が見えた時など。
「ふぅッ!? 何……だこれは!?」
黒幕は突然胸を押さえ苦しみ出した。
やがて彼はその原因が最後に
朝霧が残した「落とし物」にあると気付いた。
「『呪いの髪飾り』か……!?」
それは雪山での怪異から貰った戦利品。
その正体は起動後周囲に呪いをばらまく
凶悪な呪物であった。
黒幕はどうにか残る魔力で髪飾りを壊す。
がしかし、彼の意識は間もなく落ちる。
一方で朝霧を包んだ水塊も
もうじき地上へと衝突するだろう。
「っ……朝霧……!」
「森泉……さん……」
意識が途切れる寸前で二人は互いの名を呼んだ。
――決着。
朝霧と黒幕の因縁の対決は、
両者意識消失の痛み分けで終了した。




