第十話 脱繁栄地帯
水は命。ならば水の支配こそ命の支配。
それを正しく理解していたからこそ、
古来より文明社会には『治水』という概念があった。
広義の意味としては水の制御と利用。
洪水や氾濫を防ぎつつ、農工業に利活用する。
その事業が十分に行えた国が繁栄を得た。
それはかつて存在していた『王国』にも当て嵌まる。
御伽噺の中にも出てきたように、
王国は『生命の泉』によって豊かに繁栄した。
泉は地下を天然の水路とし王国全土を巡り、
源泉のある首都と水源を持つ周辺都市に富を生む。
故に魔女は、何よりもまず水源の破壊を優先した。
自分が直接統治する首都の源泉を除き、
周辺都市の大切な大切な生命線を断ち切った。
神秘の水源を破壊された土地は不毛の大地と化し、
魔女の大魔法によって冷たき冬の世界へと変わる。
「つまるところ……連邦領内のほとんどの都市は
単独で存続する力を失った『脱繁栄地帯』なんだ。」
ため息と共に寂れたベンチに腰を据え、
リチャードは朝霧に連邦領内の現状を伝える。
その間、政府側のツヴァイは気を利かせ、
朝霧から見える位置の空き地でイナと遊んでいた。
(見逃す、って意味ね?)
リチャードの態度は明らかに反体制派のソレ。
彼の話を聞いてしまうと立場上弾圧せざるを得ない。
しかし雪山で救って貰った義理も感じている。
故にツヴァイは適当な理由を付けて彼から離れたのだ。
「おい、聞いてるのか?」
「ゴメン。続けて?」
「……その後、魔女は女帝となり国家を樹立した。」
脱繁栄地帯、即ち単独では立ち行かない都市たち。
狡猾な女帝はあえてその状態を作り上げたのだ。
彼らは生きるために『誰か』を頼らざるを得ない。
地理的、歴史的要因によりそれは女帝一人に絞られた。
「つまり……中央集権国家の完成ね?」
「そうだ。まぁ権力の所在で『悪』と呼ぶ気は無い。
時勢によっては中央に権力が必要な時もあるだろ。」
自作煙草の空箱を弄り、青年は寂れた都市を睨む。
「だがッ……真に恐ろしいのは、
僅か数手でその支配体制を確立した女帝の手腕だ!
ただの国盗りを……指導者として認めさせた狡猾さだ!」
まくし立てるようにリチャードは声を荒げる。
しかし視界の中に笑顔の妹が移り込むと
咳払い一つを溢し、漏れた感情を抑え込む。
「……やがて女帝は絵に書いたような独裁政治を行う。」
「この街の様子を見れば何となく想像出来る……
けど、それなら市民の反感も凄そうな物だけど?」
「そこが、やはり女帝が狡猾である事の証明だ。
彼女は募る反感の抑え方も熟知していた。
政府は定期的に金を配る……ある品を媒介にして。」
「――! それが『売血システム』ね?」
そうだ、とリチャードは強く頷いた。
売血。即ち政府が国民から血を購入する制度。
どんな人間でも生きている限り血は差し出せる。
まして政府が品質に拘っていないのなら尚更だ。
明日にすら希望が持てない哀れな国民たちは
その原因が何処にあるのかすらも忘れ、血を売った。
どれほど不健康でも構わない。政府は金をくれる。
それは固いパンを配給するよりも人々を喜ばせた。
「金を得た連中はその足で食料を買いに行く。
それが何処から来ているのか考えるのも放棄してな。」
(払った金の大半は回収されているのね……)
最悪の支配体制であると認識しているのに、
その完成度の高さに朝霧は思わず舌を巻く。
同時に、一つの疑問も浮かんで来た。
「女帝は血を買ってどうする気なの?」
「公表はされていないが……まぁ危険な魔術に使うはずだ。
血は情報の塊であり素材。生贄や黒魔術に使える。」
(素材……そっか、悪魔召喚にも手を出してたんだ。)
朝霧はツヴァイや彼女の姉妹たちを連想する。
悪魔を兵器として運用しているのなら、
素材となる血を効率良く集める手段も欲するだろう。
質よりも量を優先している点から見ても間違いない。
「ま、どんな利用目的であれ此処は魔法の世界。
血を取られた者は心臓を握られているのと同義だ。」
「っ! それじゃあ反抗する気が無くなるのも当然ね。」
「全くもってその通りだ。即ち――
狡猾な魔女が統べる独裁国。それが連邦領域の現状だ。」
空箱を胸ポケットに仕舞い込み、リチャードは締めた。
想像以上の独裁体制に朝霧は自然と溜め息を漏らす。
見上げた空は物悲しい灰の色をしていた。
「連邦とは何だったの、って感じね……」
「それは戦後頼ってきた連中を誤認させる方便だ。
名乗り始めたのも約四年前。特異点認定後の話だ。」
(あぁそっか、そういえば特異点の一人だった……)
今までの特異点と比べ、あまりにも毛色が違い過ぎる。
無意識にそう感じていた朝霧の脳は、
女帝も特異点であるという事実を再認識し揺らいだ。
(格が違う……! 他も決して弱くは無かったけど、
それでもそう思わずにはいられない怖さがあるっ……!)
まだ本人の姿を直接見た訳でもないのに、
敵の強大さを直感し身震いが止められない。
――とその時、近くで何やら機械音が鳴り出す。
それは耳を澄まさなければ気付かない程度の音。
規則的なリズムから何らかの通信機器だと思われるが、
自分の持ち物では無いと朝霧はすぐに理解する。
「リチャード? 何か鳴ってない?」
朝霧は青年の顔を覗き込み問いかける。
しかしリチャードは彼女の瞳を見つめると
短い沈黙を破るように言葉を繋げた。
「アンタ、さっきこう言っていたな?
反抗する気が無くなるのも当然、だと。」
「? えぇ、それが何か?」
「ならもし、仮定の話だが……居たらどう思う?
こんな状況で政府に反抗する勢力があったら?」
まるで朝霧を見極め、選定するように、
リチャードは恐る恐る質問を投げかける。
しかしその事に気付かなかった朝霧は
言葉の通り仮定の話だと思い込んでいた。
「まぁ、凄く勇気のいる行動だと思う。
二百年以上続くこの支配体制で生まれ育って、
この環境は違う、と判断出来る人は凄いよ。」
率直な感想を朝霧は述べた。
すると高揚するようにリチャードはほくそ笑む。
そして袖を捲り腕に刻印された魔術を見せる。
エメラルド色に輝く光が音と共に点滅していた。
「魔法連合。アンタたちと合わせたい奴らがいる!」
「リチャード? これは一体……?」
「仲間からの呼び出しだ。今から俺たちの拠点に――」
「――お兄ちゃんッ!」
興奮気味の兄を妹の怒声が引き留めた。
そしてイナは今までとは明らか違う態度で
刻印を露出させた兄を咎める。
「もう止めてって言ったよね!?
まだあの怖い人たちと付き合っているの!?」
「イナ……! これは必要な事なんだ!」
リチャードはすぐに刻印を隠し反論を始めた。
イマイチ状況が掴めない朝霧は困惑し、
助けを求めるようにツヴァイの方を向いた。
しかし彼女は彼女で目元を覆い隠し、
まるで見てはいけない物を見たかのように
唇をくしゃりと曲げ、かなり焦っていた。
「あの……リチャード? これは一体?」
銀髪の青年は来た時と同様に周囲を見渡す。
誰も聞いていない事を改めて確認したのだ。
そして政府側の人間に聞かれてはマズい
爆弾のような台詞を朝霧らに投下した。
「俺は反政府組織『レジスタンス』のメンバーだ!」
(ん゛んッ!?)
朝霧はへの字に口を曲げツヴァイを見る。
その言葉が来る事をとっくに察知していたらしく、
彼女もまた手で顔を隠し必死に顔を背けていた。
「この刻印は仲間の証。これがある奴は反政府側だ!」
(待って、それはヤバいかも!?)
見逃すとは言えツヴァイも立場上、限度はある。
朝霧は青ざめ、膝に手を置き、背筋を伸ばし、
ベンチから政府側と反政府側を交互に見回した。
「郊外に拠点がある。二人とも、一緒に来てくれ!」
(ぎゃあああああああ!)
無音の絶叫が朝霧の胸中で轟いた。
疎らに雪の降る都市カセントラには
もう間もなく、無数の嵐がやって来る。
――――
ダグマス山脈第十一観測所より緊急報告。
同エリア第十二観測所からの連絡が途絶。
現在、使い魔を派遣し調査を実施中。
状況が分かりs、しだだ、ヅッだい
だッ、ヅッ……ズズッ、プッ――
『――掌握、完了しました。行路を確保します。』
「ご苦労。……悪いがこのまま領域内に侵入するぞ。」
『了解です。会長。』
やはり嘘偽り無く、
間もなくカセントラには嵐が来る。




