第八話 銀髪の兄妹
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最初に目を覚ましたのは朝霧だった。
まず視界に映ったのは木造の屋根。
素材の丸みを残した焦茶色の天井が
寒暖差でぼやけた視界の先に存在していた。
(ここは?)
毛布の暖かさに悦を覚えながら、
朝霧は呆けた様子で周囲を見回す。
其処は見覚えの無い家屋の中。
薪を燃やす暖炉の熱でとても暖かい空間であった。
そして隣のベッドにはツヴァイが眠っていた。
(ツヴァイ!? ……良かった、息はある。)
目元を押さえ記憶を辿る。
最後に見たのは雪崩に巻き込まれる瞬間。
その前後の記憶は曖昧で何がどうなったか
あまり正確には覚えていない。
しかしツヴァイ共々気を失っていたのなら、
見慣れぬこの屋内に連れ込んだのは
全く別の人物であると推測出来た。
(現地人に拾われた? とにかく皆と合流を――)
朝霧はベッドから抜けだそうと横を向く。
するとそこには、彼女を観察する女がいた。
「――ぷあっ!?」
「やーっと気付いた~! 鈍感なのね?」
口元を押さえ女はクスクスと笑う。
そして舞うように立ち上がり
美しい銀色の長髪をなびかせ誰かを呼んだ。
「お兄ちゃーん? お客さんが起きたよー?」
「あ……貴女は?」
「私はイナ! イナ・フィロアよ!」
そう言うと彼女は自分の胸を誇らしげに叩く。
整った顔立ちや抜群のプロポーションも相まってか、
イナは相当な自己肯定感を有していると窺えた。
「ねぇ今度はお姉さんたちの事を教えて!
二人は外から来たんでしょ? お仕事?
それとも何か特殊な任務を受けたスパイとか!?」
「あ、いや……」
近からず遠からず。そんな指摘に動揺が隠せない。
しかし朝霧の返答も聞かずに、
イナは自分の聞きたい事ばかりを問い続けた。
「ね? ね? 此処にはいつまでいる予定なの?
今夜はいるわよね? なら色々聞かせて欲しいな!」
「す、すみません。私たちは先を急いでいて……」
「えー! 少しくらいいいじゃない!」
「助けていただいた事は感謝しています。
でも早くカセントラに行かなきゃいけなくて!」
朝霧がそう言い切ると、
不平を漏らしていたイナの目付きが変わる。
まるで星空のように目を輝かせたのだ。
その理由が分からず困惑していると、
扉が開き低い男性の声が会話に入って来た。
「――なら問題は無い。此処が都市カセントラだ。」
現れたのは薄幸そうな銀髪の青年。
雪の被ったコートを畳み、
朝霧たちの元まで静かに歩み寄った。
「もぉーお兄ちゃん!
部屋に雪落とさないでっていつも言ってるでしょ?」
イナの指摘に青年は顔を逸らす。
バツが悪そうに黙る彼に代わりイナが続けた。
「この人がお姉さんたちを拾ってきた人!
私のお兄ちゃん、リチャード・フィロア!」
朝霧は鈍った身体を揺らし感謝の意を示す。
だがそれよりも今は別の事が気になっていた。
今いるこの場所が都市カセントラという事実だ。
「気になるなら外を見てみろ。都市が一望出来るぜ?」
言われるがまま朝霧は窓を覗く。
その先に広がっていたのは中々に広い町並み。
第一印象は寒そうな雪の街であった。
どうやらこの家屋は少し外れにあるらしく、
目を凝らせば詳細な様子も窺える。
コートの人々が車道、歩道の区別なく歩き周り、
廃れた建物の横では寒さを凌ぐ少年たちもいた。
(あまり裕福そうじゃない?)
「……イナ。少し外に行っててくれないか?」
朝霧の表情から何かを感じ取り、
リチャードは妹を部屋の外へ出そうとする。
イナは最初こそ抵抗していたが、
脇腹辺りをくすぐられ遂に追い出されてしまった。
そんな兄妹の様子を眺め朝霧は少し笑う。
「仲が良いんですね。」
「……たった一人の家族だからな。」
微笑混じりに僅かな声量で呟くと
リチャードは視線を朝霧へと戻した。
その目は今までの優しい兄の物では無かった。
「連合の人間……だな? 何をしにコッチ側に来た?」
――ダグマス山脈・とある林道――
「そうか。朝霧の反応は既にカセントラ内か……」
無線を片手にアーサーは安堵の音を鳴らす。
切り株に腰掛ける彼の側では、
ケイルとアリスが各々の魔法で周囲を警戒していた。
朝霧とツヴァイに怪異の興味が向いた事で、
彼ら三人を覆っていた結界はいつの間にか消滅していた。
マクシミリアンからの通信でその事に気付いた彼らは、
残存した魔力を使いすぐさま吹雪を突破する。
「で? 俺たちと通信が途絶えたのはどのくらいだ?」
『? 十秒程度でしたが?』
(……怪異め。時間の流れすらも捻じ曲げていたか。
あのまま耐久していたら確実に凍死していたな。)
冷や汗と共にアーサーは遠くの方へと目を向ける。
其処には既に都市カセントラが見えていた。
このレベルの怪異が近くにいるという点も恐ろしいが、
アーサーは何よりも街の様子に違和感を覚えていた。
(酒の街と聞いていたが? 随分と様子が違うな?)
事前に聞いていた話では都市カセントラは
歴史も文化もある比較的裕福な街であったはずだ。
しかし、まだ外観しか見ていないが、話と違う。
そして何よりも――
(カセントラは豪雪の街では無かったはずだが?)
――その時、アリスが異常を察知し声を荒げる。
またそれと同時にケイルの精霊も牙を剥いた。
「林の中に……動く存在が複数……!」
「方角は!?」
「左右両方……既に囲まれています……!」
アーサーは星剣を抜く。
刹那、彼らの周囲に謎の一団が飛び出した。
――カセントラ・リチャードの家――
朝霧は突然の質問に明らかな困惑で答える。
命を救って貰ったとはいえ此処は既に敵地。
リチャードがどの立場の人間か不明な以上、
朝霧はどう答えるべきか掴み損ねていた。
しかしその沈黙をリチャードは肯定と受け取った。
たった一言「まぁ良い」とだけ呟くと、
引き寄せた椅子に座り、鋭かった目付きを軟化させた。
「安心しろ。俺は政府の連中とはソリが合わない。
通報はしないから回復したらさっさと帰るんだな。」
「……そ。ご厚意に感謝します。」
朝霧は霜の晴れた脳で改めて部屋を見回す。
最初こそ暖かく裕福な家かと思ったが、
よく見れば床や壁の木材には歪みが生まれていた。
恐らく外から見れば不格好に傾いているのだろう。
この家も決して裕福と呼べる物では無さそうだった。
(貧しい街。連邦の土地は何処もそうなの?)
何故この街が取引場所に指定されたのか、
それを探らねばと朝霧の使命感が訴え掛ける。
「ねぇリチャード……さん?」
「リチャードで良い。何だ?」
「この街の特徴を……いや、魔法連邦の歴史を教えて。」
問い掛ける異邦人にリチャードは静かに目線を合わせた。
彼女の目がまだ熱を帯びていることを直感すると、
薄幸そうな見た目の青年は隈の深い目を細めて語った。
「そうだな……なら少し、昔話をしてやろう。」
――同時刻――
長く暗い廊下を一組の高い靴音が進む。
黒いヒールを鳴らしながら、女は静かに歩み続けた。
進路上の柱の陰には頭を垂れて控える赤色の紳士。
しかしその顔は人のソレでは無く、
真っ赤なたてがみを携えた馬の顔が付いていた。
「何用ですか、オロバス?」
女は紳士に気付くと足を止める。
しかし目線を彼に向ける事は無かった。
それでも紳士は構わず報告を続け、
女は意味ありげに微笑する。
「そうですか。こんなに速く客人がいらして下さるとは。」
「如何致しますか、我が主よ?」
「歓迎します。官僚たちを首都に呼び戻しなさい。」
御意に、と呟くと紳士は闇の中に消える。
そして女は再びコツコツと廊下を進み続けた。
道中、置かれていたチーズを手に取り僅かに噛じる。
「さぁ。パーティの準備をしなくては。」
やや浮ついた声で氷のような魔女は呟いた。




