第五話 雪の中
――連邦領土外縁部・ダグマス山脈――
相手の虚を突くには相応の対価がいる。
既に不利な状況となっているのなら尚更だ。
戦争でも、スポーツでも、ボードゲームでも、
意表を突くためには、時に異常行動が必要となる。
「全員、休憩は済んだな?」
封魔局は先手を取るための……
否、取られた有利を取り返すための策を講じた。
映像が流出してから僅か数時間の内に
秘密兵器で速攻を仕掛けたのもその一つ。
敵は封魔局がこんなに速く来られるとは思っていない。
先手を取られた彼らの突ける、数少ない虚だ。
そしては虚を突ける異常行動はもう一つ。
道なき道を進む事、即ち――雪山の踏破だ。
「このルートを敵が張っている可能性は低い。
我々は秘密裏に都市カセントラへと侵入する。」
まだ緑の見える山道の途中で、
振り向く事無くアーサーは同行者に語り掛けた。
雪山踏破に挑むのは彼を含めて五名。
他のメンバーは六番隊の朝霧とアリス、
二番隊のケイル、そして捕虜のツヴァイだった。
「あの……アーサーさん? 本当に大丈夫なんですか?」
「何がだ、ルスキニア隊員?」
「ツヴァイさんです。拘束が少なすぎませんか?」
アリスは気付かれないようにツヴァイを見る。
隊列から見て彼女の位置は前から四番目。
一つ前のケイルと最後尾の朝霧が監視しているが、
彼女を拘束しているのは片腕の手錠のみだった。
「あれじゃあいつでも逃げられますよ?」
「まぁ……それはそうだな。
そもそも同行させる事自体、本来は避けたかった。」
彼らの役割は端的に言えば偵察。
捕虜交換に指定された都市が安全であるのか。
何かとんでもない罠が仕掛けられていないか。
それらを敵に悟られずに調査する事が目的だ。
厄視の眼を持つアリスや精霊使いのケイルが
メンバーとして選出されたのはそれが理由である。
だがそれなら要人であるツヴァイは本来要らない。
「ならどうして彼女を連れて来たんです?」
「それはお前……」
アーサーは立ち止まり空を見上げる。
丁度彼が止まった場所から線を引くように、
その先の景色は冷たい白色に染まっていた。
「ガイド無しで進める場所じゃないだろ、雪山は……」
捕虜のツヴァイが同行する理由はそれだ。
そして彼女と予測不能の自体に
確実に対処するために隊長格二人も同行する。
つまり最小にして最高の編成がこの五人であった。
「雪道に入る前に最終確認だ。
まず推定歩行時間は最低でも六時間以上。」
積雪状況が不明なので正確な時間は出せない。
悪路や強風などで更に延びる可能性もある。
登頂が目的では無い分、これでも短い方だ。
「……今からでもやめないか、騎士聖?」
「非合理的な選択だからこそ意味がある。
だが危険なのも確か。装備の最終確認を行うぞ。」
アーサーの指示で各々は装備のチェックを開始する。
ゴーグル等の防寒具は勿論、登山杖やピッケル。
戦闘時の武器や魔術を編まれた命綱も用意されていた。
登山初心者でも必須と分かるアイテムばかり。
しかしその中の一つにアリスは疑念を抱いていた。
「あの……これ要ります?」
彼女が取り出したのは袋に包まれた、酒瓶だった。
無論、踏破記念の祝杯用などでは断じて無い。
「『活火酒』。耐寒効果のある薬酒だ。」
「雪山での飲酒とか怖すぎなんですけど?」
「そうだな。当然容量を守る必要はあるさ。
酸素の薄い高山じゃ酔いが回るのも地上より早い。
一時間かそこらで一口飲めば十分だろう。」
そう言うとアーサーは蓋をコップ代わりに薬酒を飲む。
一言「熱っ」と呟くと朝霧らにも飲むように促した。
そんな彼女らの様子を物欲しげなツヴァイが見回す。
「ねぇ朝霧。それ私の分は無いの?」
「あぁごめん。じゃあ私のと共有しよっか。」
「ん。」
ツヴァイは無警戒に蓋のお猪口を共有した。
その間に朝霧は酒瓶から六、七口分の薬酒を
空の滴瓶へと移しツヴァイへと渡す。
互いに気を許す姿にアーサーは困惑していた。
(何でコイツら仲良くなってるの?)
「どうしました、アーサー隊長?」
「いや、何でも無い。……行くとするか。」
シルクハットを被り直し、
ようやくアーサーはその歩を進める。
積もる銀世界に彼の足跡が深く刻まれた。
――雪山・とある林道――
恐怖の中に怪異はいた。恐怖と共に怪異はいた。
荒れ狂う天候にはそれを引き起こす雷神がいて、
渦巻く海流には人々を呑み込もうとする巨魚がいた。
伝承とは即ち警鐘。同じ被害を出さぬために、
怪異の名を借り人々は子孫の命を護ろうとした。
「はぁぁぁぁ、ふぅぅぅぅ、ひぃぃぃぃ……」
であれば雪山にも怪異がいるのは当然だ。
寒波とは即ち命を刈り取る死神の鎌。
気力と体力を奪い去る自然現象は、
それが発生する地域に似たような伝承を生んだ。
「……ん? あぁぁりゃ?」
人影は林道で立ち止まると、
遙か後方へ振り向きその先の気配を探った。
そして、その口角を鋭く吊り上げる。
「あぁ……歓迎せんとナァ?」
――雪山侵入から三時間――
雪道の危険はいくつかある。
高山病や凍傷などの危険もそうだが、
何より危険なのは『雪の中』である。
深く積もった道の上では全てが均一。
段差や足を負傷しかねない突起物があっても
いざ踏んでみるまでは認識が出来ないのだ。
少しの悪路程度なら問題は無い。
しかし最も怖いのは亀裂や大穴があった場合だ。
一度滑落してしまうと救助出来るかは運次第だ。
故に前を進む者の責任は重大だ。
本来ならば慣れたガイドに任せたい。
だが今回は魔法使いならではの隊列を組んだ。
「っ! 厄を発見! 何か埋まっています!」
アリスの指示で隊列は止まり、
先頭のアーサーが飴の巨腕を飛ばし雪下を探る。
その間にケイルが周囲を精霊で警戒する。
「……錆びた刀剣だな。迂回の必要は無い。」
アーサーは刀剣を捨て移動を再開する。
――雪山侵入から六時間――
隊列は当初の想定通りに機能していた。
装備に不具合は無く、予定に狂いは無い。
万事上手くいっている。はずなのだが――
(――先が見えない……!)
既に想定されていた時間が過ぎた。
薬酒を飲んだ回数から考えても、そこに間違いは無い。
しかし進めど進めど、一向に景色が変わらない。
次第に強さを増す横殴りの雪が足跡も消し去り、
まるで道のりが無限に続いていると錯覚させた。
「ツヴァイ! 方向は間違っていないよな!?」
「そのはずっ……! 少なくとも進んではいる!」
雪道で予定が狂うことなど当たり前。
時間通りに辿り着かない事に違和感は無かった。
だが積み重なった疲労は苛立ちを生み、
隊列全体に妙な息苦しさが立ちこめて来る。
「?」
「どうした、ルスキニア隊員?」
「いえ、何でもありません。」
アーサーは吐息を漏らし移動を再開する。
――雪山侵入から■時間――
おかしい。何かが変だと本能が訴える。
事前に確認した地図ではそろそろ都市に着くはずだ。
そうで無くとも既に雪山を抜けているはずだ。
しかし、やはり景色が変わらない。
アリスやケイルの顔に不安の色が出始め、
隊列を指揮するアーサーにも焦りが見え始める。
命綱で繋がった五人の会話は既に無くなっていた。
(コンパスは機能している。迷ってはいない。
……こんなモンなのか? 雪山ってのは?)
準備に準備を重ねてきたつもりだったが、
それでもまだ足りなかったのだろうか。
アーサーはそんな事を考えながら歩み続ける。
がその時、彼の腰を命綱が引き留めた。
「? どうした、ルスキニア隊員?」
立ち止まったのはアリス。
何時間か前の時と同じように
雪の中を見つめ停止していた。
「疲れたか。一度何処かで休憩を――」
「――いえ、アーサーさん。
それよりも……そこを探ってください……」
「?」
アリスは何かを恐れるように雪の中を指差す。
彼女の懸念を理解は出来なかったが、
言われるがまま雪中に飴の巨腕を突っ込んだ。
すると腕は何か掴み引き上げる。
隊列の前に運ばれたソレは錆びた刀剣であった。
「――ッ!? ケイル、精霊を走らせろッ!」
怒号のような指示に従い術者が精霊を飛ばす。
一直線に吹雪の中へと消えていく精霊の背は
すぐに見えなくなり、空間に静寂が戻る。
だがしばらくして術者ケイルが口を開いた。
「……隊長っ、こいつは……」
「精霊は今何処だ?」
「……後ろです。」
言い放つと同時に隊列の前に精霊は現れる。
しかし出現したのは進行方向とは真逆の位置。
まるで世界を一周してきたかのように、
彼らの背後から身を乗り出し困惑していた。
「アーサーさん、これって……!?」
「あぁ……俺たちは閉じ込められたッ!」
雪道で最も警戒すべきは『雪の中』だ。
其処には何がいるのか分からない。
似た環境の地域に似た伝承が残るように、
魔法世界にも――雪の中に怪異はいた。




