第十八話 アリスという少女
――船内・三○二号室――
マナを部屋に戻すと、
ハウンドとアランが入室してきた。
「ご苦労だった、二人とも。マナさんはどうだ?」
「えぇ、それが……」
朝霧がマナへと視線を移す。
彼女は自分の家の私兵らが逃げ出し、
残り一人になってしまった事に
大層腹を立てているようだった。
残った一人に怒りをぶつけ、
クッションを投げつけている。
「荒れているな……
とりあえず、二人は隣の部屋に来てくれ。
今後の方針を決める。
アラン! お前はお嬢様を警護しろ。」
「了解! ……ん? おい朝霧!」
アランが朝霧に駆け寄り、手を取る。
「どうした、この怪我!? すぐ治療を!」
その質問にアリスが答える。
「あのお嬢様の護衛で負傷したんです。」
「――――。」
アリスにその意図があったかは不明だが、
その言葉でマナは睨みつける。
彼女の視線に気付いた朝霧は慌てて取り繕った。
「ま、まぁ! これが任務ですし?
自分の意思で選んだ事ですし?
アドレナリンがバンバン出てたからか、
全然痛くなかったっていうか?
むしろ、元気出たっていうか?」
「……とにかく隣の部屋で治療するぞ。
二人ともついて来い。」
「りょ、了解!」
朝霧が部屋を後にしようとした時――
「……ありがと……」
声が聞こえた気がした。
朝霧が振り返ると目線を逸らすマナがいた。
朝霧にとってその言葉は何よりの励みだった。
たまらなく嬉しくなり、自然と笑みが浮かぶ。
「こちらこそ、ホントに元気出てきました。」
「……」
マナから返事は無かった。
しかし、朝霧の心は晴れていた。
その様子を冷めた目付きでアリスが見つめる。
――――
隣の部屋に移ると、
ハウンドはアリスに呼びかけた。
「確かお前は治癒魔術は得意だったよな?
道具は揃えてあるから朝霧の治療を頼むぞ。」
「……はい。了解しました……」
(おいおい……出会った当初は
朝霧とアランが不仲になって、
アリスが仲良くなると思っていたんだが
……完全に逆だったな……)
治癒に必要な薬品類を選ぶアリスを見つめ、
ハウンドは気を病む。
そんな彼に通信が入る。ジャックだ。
「尋問結果が出たか……
おう、悪い二人とも。一旦抜ける。」
ハウンドが部屋を後にする。
アリスは朝霧の手を見て、治療を開始した。
「……………………」
「……………………」
空気が重い。
こういった状況に耐えられない朝霧であったが、
アリスにかける言葉を完全に見失っていた。
治癒を行うアリスの顔がどうにも直視出来ず、
特に理由もなく部屋を見渡す。
「何でですか?」
「へいっ?!」
突然の口を開いたアリスに、
本人でも信じられない声が出た。
その声にアリスは少し笑う。
「ふっ……何ですか、その声?
……この怪我、今あるポーションじゃ
少し痕が残ります。」
「あー、魔法でもダメなんだ?」
「治癒は得意でも専門じゃないんで……
私の祝福は『厄視の眼』。
あらゆる『負の要因』が視える祝福です。
人を害する可能性のあるものには
靄が掛かったように視えています。
朝霧の手を指差す。
「今のこの怪我にも、
ほっといたらダメだ、っていう靄が
掛かって視えます。」
アリスの語りの意図が掴め無いでいた
朝霧だったが沈黙が続くよりマシだと思い、
彼女の話に便乗する。
「なるほど! それで暗殺者を見つけられる訳ね!
暗殺者なら殺意マシマシで靄が掛かると!」
「判別は濃さや位置でします。
なんせ靄は……みんな掛かっていますから。」
「……え?」
アリスの顔から諦観のような感情を読み取る。
少し震える声でアリスは続ける。
「靄はみんなに掛かっています。知ってますか?
人間って『負の塊』なんですよ?」
「……アリス?」
「私以前、地元でちょっと騒ぎを
起こしちゃったんです。
みんなを心配させるような騒動を……
その時から、私の父の顔は
靄で見えなくなりました。」
朝霧は結局沈黙してしまう。
そんな彼女に気付いていないのか、
アリスはまだしゃべり続ける。
「でも、負の感情で顔が判らなくなった父は、
結局……私に手を上げることはしませんでした。
詰まるところ『負の感情』なんて大なり小なり
誰でも持っているものだったんです。」
「人間……嫌いなの?」
恐る恐る聞いてみる。
結果はある程度予想が出来ているのに……
「はい、嫌いです。今の時代、
しっかり顔が見える人の方が希ですから……」
「私も、その靄……ある?」
「……はい。」
ショックは無い。
朝霧自身、負の感情が無いか、
と問われても即答など出来ない。
戦闘中ならその靄とやらも
凄まじいであろうことが予想出来た。
「朝霧さんはまだ少ないですよ?
顔も見えますし……酷いのはマナです。
実は私、あの子の顔まだ見えていません。」
「……そっか……」
「そこで最初の質問に戻るんですが……何でです?
何であなたはあの女のために
ここまでの怪我を負うことが出来たんですか?」
ようやく、この会話の意図が理解出来た。
しかし、どうしてと聞かれても
朝霧には大した理由など無かった。
「うーん? 任務だから?」
「任務だったら何でも出きるんですか?
死ぬことも?」
「……ううん、無理だね。死ねないや。」
「なら! どうして!?」
今までに無いほど真剣に、
そしてまっすぐアリスは朝霧の顔を見る。
朝霧も、その真剣さに応えようと言葉を選ぶ。
「私ね、やりたい事があるの。
行方不明の父を……『探す』ことと……
この社会を変えること。」
「社会を……?」
朝霧もアリスの眼を見る。
厄視の眼、禍々しい名前の割に、
その瞳はとても綺麗な色をしていた。
「『悲しむ人』を無くしたいの。
負の要因なんて視えない私だけど、
それを取り除く事だって出来るんじゃないかな?
……私はそれをしたいの。」
その言葉にアリスは動揺し始めた。
「それは――」
「――それに!
人間嫌な所ばかりじゃないと思うの!
ある嫌味な『探偵』の話だけど、
そいつは、ホンッットに嫌なヤツだった。
口も態度も悪いし、事あるごとに
小言を言ってくる最低野郎。
……けどあの人はみんなから慕われていた。」
ミラトスでの風景が浮かぶ。
笑顔の住民に囲まれる探偵の姿。
話ながら、朝霧はその姿に憧れ、
無意識に目標にしていた事を自覚した。
「『嫌な所ばかりじゃない』。
それはきっと、マナさんも同じじゃないかな?
彼女多分ミストリナ隊長に謝りたがってたよ。」
「――え?」
「アリスに指摘されて怒ったのは、
本気で気にしていたからじゃないかな?
私には、彼女も『悲しむ人』に見えた。
――なら助けなきゃ、でしょ?」
アリスはうつむいた。
アリスと朝霧の瞳には、
同じ光景でも別のモノが視えていた。
(厄を……取り除く? なにそれ?
まるで無知だった頃の、『私』じゃない……)
アリスは、彼女のこれまでの行いを思い出し、
自然と肩を震わせ泣いていた。
(嫌な所しか見えていなかった……
いつしか、私自身が『嫌なヤツ』になっていた。
――私も、今からでも!
この人みたいになれるかな?)
声を震わし、朝霧の『顔』を見る。
綺麗な女性だと思えた。心から。
出会った当初の、上っ面の尊敬では無い。
今からでもやり直したい、その思いを声にする。
「朝霧さん! 今までの暴言、ごめんなさい!!」
「大丈夫、もう気にしてない……
それに、その言葉を言うべき人が
他にいるんじゃ無い?」
「――! はい!」
護送任務―
都市ゴエティアまで残り九時間。
朝霧は、頼もしい戦友を得た。