第二話 フォースド・ムーブ
――封魔局・医療刑務所――
睡眠時間とは脳を整理する時間だ。
容量を圧迫する余分な情報を切り捨て、
必要な情報のみを明日に繋げるメンテナンス期間。
それが生命に必要な睡眠の意義だ。
「……」
寝忘れる、という言葉があるように、
このメンテナンス期間では不快な記憶も消える。
精神を安定させるのに邪魔な感情は抑制し、
夢を見るという形で整理、処理されていくのだ。
「……っ!?」
しかし、情報の取捨選択に当人の決定権は無い。
仮に現実で受けた恐怖体験が強すぎると、
どれほど忘れたくても悪夢となって精神を襲う。
「ぁあ!? っ……ぁあ!!」
「――! 先生! 患者がまたうなされています!」
ベッドの上で鎖に繋がれた女が藻掻く。
顔を歪め、大粒の汗と共に恐怖心を垂れ流す。
彼女の異常を察知し医師も駆け込んで来た。
(またかっ……もう一週間ずっとだぞ!?)
術と薬剤で暴れる女を落ち着かせる。
荒い呼吸は次第に落ち着きを取り戻し
医師は彼女の汗を拭き取り一息吐いた。
「……中々、起きないな。」
衣服を正し、医師は部屋を後にする。
すると他人の気配が消えたのを察知したのか、
女は目を薄らと開け、声を発した。
「行かないで……フィーア……!」
――封魔局本部・会議室――
――録画ファイル『無名』。
記録時間一分未満。位置情報等のデータは破損。
また、ウイルス等の仕掛けは確認されていない。
突如封魔局本部に送りつけられたこの映像には
かつて彼らと袂を分かった封魔局員、
ジャック・ハーレーの姿が映し出されていた。
しかし映像から聞こえる声は別の人物。
機械と魔術で幾重にも改竄した声が、
ジャックの映像に後付けで録音されていた。
『約束の北限よりこんばんは。
我々は特異点≪女帝≫旗下――魔法連邦。
今回は捕虜交換のためにこの映像を送った。』
語られた名称に隊長たちは殺気立つ。
連邦は暴食の魔王に次ぐ勢力を誇る特異点勢力。
今までは資料の中にしかいなかった相手が
遂にここまで明確な接触を図って来た。
(捕虜交換……ということは……!)
『連邦にいる封魔局六番隊員ジャック・ハーレーと、
連合に捕らえられているツヴァイを交換しよう。』
(やっぱり、狙いはツヴァイか!)
『場所は連邦都市「カセントラ」。日時は二日以内。
詳しい時間はそちらで決めろ。来たら対応する。』
ではまた、とだけ告げると映像は消えた。
あまりに一方的で簡素過ぎる要求。
内容の少なさには杜撰さすら感じられた。
「……以上が先程届いたメッセージです。」
ジャックが映るシーンまで画面を戻しながら、
エヴァンスは女帝からの要求を解説し始める。
「先日、デガルタンスにて捕虜となった悪魔ツヴァイ。
彼女を取り戻すべく動いた、と見れば自然な流れです。」
しかし、とエヴァンスは言葉を繋げた。
彼が感じていた違和感は他の隊長たちも感じていた。
まず何よりも、諸々の指定の不可解さだ。
「人数制限も無い迂闊さに加え時間帯指定の放棄。
正直意味が分かりません……譲歩でしょうか?」
「大軍率いて好きな時間に来い、って事だもんな。
それだけ場所の条件を通したかったとか?」
指定された都市カセントラは連邦の領域。敵地だ。
普通こういった取引は中立地域で行うものだが、
その定番を覆してまで指定してきたという事は……
「……罠、かな?」
指先でシルクハットを回しながら、
溜め息と共にアーサーが吐き捨てた。
だが彼の発言を否定する者は一人もいない。
誰もが漠然と罠の気配を感じ取っていた。
「それと、不可解な点はもう一つ……」
エヴァンスは少々申し訳なさそうに
朝霧の方へと一瞬だけ視線を向けた。
そしてすぐに戻し最大の違和感を告げる。
「ジャック・ハーレー元隊員。
ツヴァイとの交換条件としては不釣り合いです。」
朝霧は不服そうに目を見開く。
が、すぐに理性が勝り視線を逸らす。
確かにジャックは既に封魔局を離反した人間。
裏切り者の部外者といえばその通りだ。
封魔局に戻る可能性も低く、利益は薄い。
対してツヴァイは連邦の抱える悪魔の一人。
十分な戦力となることは勿論、
大量の情報を有していると推測出来る。
損得だけで言えば二人の交換に利益は無い。
「……そういえば、そのツヴァイは今何処に?」
「ゴエティアの医療刑務所の奥だ。
邪神の呪文でやられたのか、ずっと昏睡している。」
「一応僕の解析で分かる範囲の情報は得ましたが、
彼女にはまだまだ聞きたい事が山ほどある。
朝霧隊長には申し訳ありませんが、今回は――」
要求に応じない、と言い切ろうとしたその時、
彼らのいる会議室の扉が勢いよく開く。
現れたのは伝達係の本部職員。
酷く血相を変え、局長たちに言い放つ。
「――動画が流出しています……!」
「「なっ……!?」」
――――
流出は連合側が管轄する四つの都市で発生した。
いずれもそこまで大きい都市では無かったが、
現地の放送局のシステムがハッキングされ
民間に向けて取引の情報が瞬く間に知れ渡ってしまう。
ここで厄介となったのはジャックの立ち位置だ。
彼は封魔局を裏切り魔王軍へと付いていたが、
その情報は民間人にまでは届いていない。
端から見れば重傷の封魔局員にしか見えず、
仮に裏切り者であるという立場を公表すれば、
その存在はまた別のスキャンダルとなるだろう。
朝霧を広告塔として活用している現状も相まって
ジャックの存在は封魔局にとっての爆弾となっていた。
(不甲斐ないなぁ……結局私が足を引っ張ってる……)
惨たらしい傷の局員が今も苦しんでいる。
そうにしか見えない民間の思考は片側に寄る。
これが身代金目的の取引なら議論も複雑になるが、
捕虜交換とあっては倫理観の方が優先された。
(半端な説明じゃ余計な疑念も生まれる……
どうやら私たちに選択肢なんて無かったみたい……)
靴音を鳴らしながら朝霧は廊下を進む。
しかしその歩調は決して暗いものでは無かった。
先手を取られた事に対する残念な気持ちこそあれど、
今の彼女にはそれ以上の期待があったのだ。
「過去を清算する、良い機会かもね?」
言い聞かせるように、小さく呟いた。
そして目的の部屋へと辿り着くと、
厳重なセキュリティの扉を解錠する。
其処は封魔局が管轄する医療収容所。
治療の必要な受刑者を管理する病棟だ。
報告を受けた朝霧は静かに部屋へと入る。
「おはよ、気分はどう?」
「最悪だ……状況を教えてくれ。」
窓の無い部屋のベッドの上で、
手錠で拘束されたツヴァイが返答する。
ずっと悪い夢を見ていたようで顔色が悪い。
そんな彼女を観察しながら朝霧は壁に縋る。
「むしろ聞きたいのはこっち。」
「?」
「最終作戦の後、貴女は一人でいる所を発見された。
邪神から取り返したはずの妹は何処に行ったの?」
朝霧の問いにツヴァイは驚愕した。
そしてすぐに当時の記憶を辿るが、
どうしても思い出す事が出来なかった。
「……わからない。何も覚えていない。」
(反応からして、嘘じゃなさそうね……)
朝霧は「分かった」と呟くと
ツヴァイの近くへと接近し始める。
そして――
「ならこれは答えられるんじゃない?」
――彼女の手を取り、甲を擦る。
生ぬるく人と遜色の無い美しい手だ。
突然の行動にツヴァイは動揺するが、
寝起きで力が上手く入らない。
そんな彼女と目を合わせ、朝霧は問いかける。
「貴女たちってもしかして――ホムンクルス?」




