第十七話 厄
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……汚い。醜い。穢らわしい。
彼女の目には、視えていた。
不幸、憎しみ、災難、そして殺意にいたるまで。
あらゆる『負の要因』が、
取り巻く靄となって視えていた。
……汚い。醜い。穢らわしい。
祝福――『厄視の眼』。
彼女は当初、この力で自身の隣人たちを救った。
降りかかる厄を予見した。
起こり得る災いを指摘した。
怪我の危険を撤去した。
事故の発生を防止した。
危険な思想を告発した。
どんな些細な厄も、視えたそばから指摘した。
隣人たちは彼女を称えた。両親は彼女を誇った。
しかし彼女は――
……汚い。醜い。穢らわしい。
この祝福に心底疲れ果てていた。
彼女の瞳には常に靄が視えていた。
不快な色が漂っていた。
彼女はその色を心から嫌った。
そんなある日、一人の『旅人』が現れた。
彼女の隣人では無かったその『旅人』は、
正に厄まみれだった。
彼女の眼には取り巻く靄で、
顔すら見えないほどだった。
だが、当時の彼女には
それを指摘し告発する元気は無かった。
……もう、どうにでもなれ。
うんざりしていた。ムシャクシャしていた。
壊れてしまえとすら思った。
彼女は『旅人』から眼を逸らした。
――数日後
『旅人』は何もすること無く、街を去っていった。
……え? なんで?
理解出来なかった。
厄溜りと化していた『旅人』だったはずだった。
何故何もしなかったのか、検討がつかなかった。
彼女は『旅人』の悪事を探した。
隣人たちに話を聞き、街中を走り回った。
――しかし街は日常を送っていた。
あまりに彼女が必死なものだから、
隣人たちは何か起きたのだと騒動になった。
「排除せねば! 厄を見つけ、排除せねば!」
結局、悪事など何処にも無かった。
騒動が収まると隣人たちは笑っていた。
「なーんだ、アリスちゃんの勘違いか!」
笑っていた。笑って許そうという雰囲気だった。
確かに隣人たちの顔は笑っていた。
――しかし、彼女には視えていた。
――船上・甲板――
朝霧が影に向けて飛び蹴りを食らわす。
空を裂き吹き飛ぶ影だったが、
すぐさま姿勢を整え着地した。
「アリス! 任務優先! マナさんを船内へ!」
「――! 了解!」
アリスがマナの手を引く。
こんな場面では流石の彼女も素直に従った。
彼女たちと生き残った取り巻き三名が
船内へと避難する。
それを確認し、再び影へと視線を戻すと
――影はその場から既に消えていた。
「――!? 何処に!?」
動揺する朝霧の影から煙が染み出る。
そして、煙が腕となり襲いかかった。
「――しまっ!? ぐぅっ!!」
首を捕まれる。手すりに体を押しつけられた
朝霧は掴む腕を両手で振りほどこうと試みる。
しかし、彼女の豪腕を持ってしても
敵わない頑丈さで影はつかみ続けていた。
(ま……ずい……意識が……!)
思考に曇りが生まれる。
呼吸が出来ず意識が遠のく。
影は再び人型を形成し、
嘲笑うようにその顔を朝霧に近づけた。
(この……ままじゃ……!)
――ミストリナ隊長が馬鹿にされたのは、
あなたのせいですよね?
(――!! そうだ……負けちゃ……ダメだ!)
心に覇気が戻る。腕に力が宿る。
ジリジリと、少しずつ押し戻す。
(私が隊長たちに劣っているとか、
希望じゃないとかは、別にいい……
そこは重要じゃない! )
朝霧のパワーに押され、
たまらず影はもう片方の腕も突き出す。
(――ただ!
私は誰も悲しむ必要の無い世界に変えたい!
そのためには、こんな所で負けていられない!)
「ア、アァア――ッ!!」
全身に気合いを入れる。魔力を放出する。
揺らいだ影の腕を押しのけ大剣を握る。
「食らえ――!!」
重い一閃が影を引き裂いた。
見る見る影は小さくなりやがて消えていった。
「ゴホッ! ケホッ!」
喉を押さえながらも、
すぐに呼吸を整え立ち上がる。
「追わなきゃ、アリスたちを……!」
――――
マナの手を引くアリスの瞳に靄が映る。
見慣れた靄に嫌悪する。
「――ッ! コッチへ!」
進行方向を切り替える。
アリスたちの前には、
朝霧が足止めしているはずの狩人がいた。
(なんで!?
あぁもう、朝霧さんは何やってるんですか!?)
影が追跡する。
曲がり角にさしかかると、
直線上のマナを目がけて弓を作り引き絞る。
「――! このっ!」
アリスはマナを突き飛ばす。矢は回避出来た。
がマナは思いっきり倒れてしまう。
「イッタい! 何するの!?」
「大丈夫ですかお嬢様!?
おいアンタ! 護衛だろ!?」
(……うるさいなぁ、助けたんでしょう?)
文句を言い始める彼女たちを見てか、
今度は刀を作り、影はゆっくり近づく。
「――!! ちょっとあんた!
封魔局なら何とかしなさいよ!」
(置いて行こうかな? こんなヤツ……)
アリスの意思が動く事を拒んでいた。
腰が抜けているマナは立ち上がれずにいた。
影はさらに接近し距離を詰めた。
嘲笑うように刀をわざと壁に当て音を響かせる。
「ひっ! ひゃあぁあ――――!!」
「ちょ!? あんたたち!?」
取り巻きの男の二人が恐怖に怯え、
マナを置き去りにしてしまった。
残った一人もどうしようも出来ず
困惑した様子だった。
影が刀を振り上げる。その時――
「――させるか!」
朝霧が大剣を振りかざし到着する。
影は片腕を切り落とされ倒れ込む。
「アリス! その場で待機!
そばを離れないで!」
「――は、はい!」
ユラリと立ち上がる狩人は腕の欠損など
意に介してなどいない様子だ。
影の腕が音を立てて再生する。
(再生!? 復活しきる前に!!)
朝霧は大剣を突き立てる。
しかし影はその攻撃をスラリと躱し、
片腕で応戦した。
(――! やっぱりコイツ、強い!)
「何してるの!? 早く仕留めなさいよ!」
マナが喚く。
その声に反応してか影は再生した腕に
ナイフを生み出し、彼女目がけて投げつけた。
「――ッ! マナさん!」
朝霧が飛び出す。
ナイフを見てから動いたが、
それでも間に合う脚力が彼女にはあった。
かざした手の平をナイフが貫く。
「グッ! アァアー!!」
朝霧はそのまま大剣を投げつけた。
豪腕によって高速回転した大剣が、
狭い通路を飛行する。影は咄嗟に刀で受けた。
が――
ギギギギギギギ!! ギチィイン!!
そのまま押し負け切断された。
「……やった。」
消える影を見て、ひとまず朝霧は安堵した。
――船内――
「アニキ! なんかもう始まってるらしいですぜ!
どうやらガセネタじゃ無かったらしい!」
「フン、当然だ。
俺は『最高の仕事』しか選ばん。
覚えておけ?」
「へい! アニキの『言葉』は
いつもカッコいいです!」
男二人が歩みを進める。
――――
「あら? 騒がしいわね?
誰か、『不幸』にでもなったかしら?」
女一人がワインに口を付ける。
――――
「封魔の隊長はいるのか?
俺の『死合相手』はいるんだろうな?」
男一人が腕を鳴らす。
悪意たちが、それぞれの思惑で本格始動する。
――最上層・展望デッキ――
「緋に染まる、鋼のクジラと、秋の空……」
黒い狐面の男が黄昏れる。
船内に立ちこめ始めた殺気に気付きながら、
彼は自身の問題に意識を向ける。
「クジラ『と』、うーん?
字余りするべきか否か……ハハハ!
これは気になって仕事どころでは無いな!」
……一名を除き、悪意は動く。