第五十一話 獣食った報い
――テネブラエ外部・封鎖線――
情報という震源が人の流れという波を生む。
色欲のサギト覚醒の情報が警笛を鳴らし、
人々はテネブラエから逃れるように動いていた。
「落ち着いて! この道に沿って進んでください!」
支部局員と周辺都市からの増援も加わり、
デガルタンスに集った封魔局員の数は五百を越えた。
これから更に応援も加わるという安心からか、
指揮をするハウンドたちは冷静に対応を続けられた。
そんな彼の元にエレノアとリーヌスの二人が辿り着く。
彼女らの肩には疲弊したアランとアリスもいる。
彼らに気付くとハウンドは大声で手を振った。
「お前ら無事だったか! 地下は今どうなっている!?」
質問に答えたのはエレノアだった。
「邪神と色欲は一番隊を筆頭に現在追跡中……!
他の逮捕者は護送中で、シアナはそっちにいます!」
「なるほど、ならもう敵は色欲だけか?」
「はい。闘技場の眷属は全て撃破し、
傀儡となっていた人たちは全員解放され……て……」
言葉の途中でエレノアは口を閉ざす。
ふと気になった事柄に思考が奪われたからだ。
突然黙りこくった彼女にハウンドは疑問を抱く。
「どうした? 何かあったか?」
「ハウンドさん……悪魔が出ていく所は見ましたか?」
彼女の頭の中に浮かんでいたのは
そもそもの敵であったデモンシスターズ。
より詳しく言えば次女のツヴァイであった。
「いや? 捕らえたという報告は受けていないが?」
悪寒がエレノアの背中を駆け巡る。
……とその時、爆発音が轟いた。
だが方向はテネブラエとは真逆。
その方角にあったのは――
「――伝令ッ! 封魔局デガルタンス支部が……
何者かの襲撃によって爆破されましたッ!!」
「なっ……なんだと!?」
――テネブラエ・出入り口――
闘技場へ繋がる螺旋階段の更に上。
隠蔽用のためだけにある建物の窓から
爆煙が立ちこめる支部を眺める影が一つ。
計画が上手くいったとほくそ笑みながら、
背後で控える封魔局員の姿をした者たちに
細長く小さな指先で命令を飛ばした。
手下が全て部屋から移動すると、
暗躍者もまた、カーテンの揺らめきに合わせ
もうすぐ明ける夜空の中へと消えていった。
――テネブラエ・廊下――
外の様子も届かぬ土の中。
朝霧らの出現にエヴァは動揺していた。
邪神ユークはまだ成長途中の第二形態。
朝霧を相手にするには少々心許なかった。
「みゅあ?」
エヴァの腕の中でユークが喉を鳴らす。
食後の満腹感からか動きが少々鈍い。
やはり今は逃走しようと色欲は決断した。
「朝霧様。またお会い出来たのは嬉しいですが、
今の私は……ちょっと子育てに忙しいんです!」
そう言うとエヴァは後方へ飛ぶ。
途中にいたアイリスの体を持ち上げ
彼女を人質に逃走を図る。
――が、その動きを察知し、
朝霧はキアラに場所替えを要求した。
直後、周囲の瓦礫と人々の位置が入れ替わる。
エヴァに負けた四人を疲弊したユノと共に
安全なキアラの背後へと避難させると同時に、
彼女はエヴァの手元に朝霧を転移させた。
「なっ……!?」
「ナイスだよ! キアラ!」
相手は色欲のサギトと邪神。
躊躇はいらないとばかりに朝霧は大剣を振るう。
だがその重たい一太刀をユークは受け止めた。
刃と触れる邪神の体には鋭利な鉄の煌めきがあった。
(体から鋼鉄!? いやこれは……短剣!?)
背中に生えていた無数の腕は剣に変わり、
まるでハリネズミのような容姿へ変貌していた。
そしてその剣を突き立て朝霧を追い払う。
「っ……何これ!?」
「喰っていたのは俺のグラディウスか……!
気をつけろ! そいつは喰らった物を
己の身体の一部として再現し、成長していく!」
アキレスの言葉で朝霧は敵の能力を知る。
が、それと同時にエヴァは壁を蹴飛ばし
素早く戦場からの離脱を図った。
サギトの身体能力も乗ったその速度は凄まじく、
一瞬の隙で視界の向こうへと消えていった。
逃がしてはならない、と朝霧は足を踏み出す。
だがそんな彼女をアキレスは止めた。
「なっ!? 急いでるんですけど!?」
「まぁ待て。奴らの体には俺の祝福が刻んである。
邪神の方は覚醒と共に消し飛ばされたようだが、
まだサギトの肉体とパスが繋がっている!」
「――! グレン、無線を貸して!」
「察しが良くて助かる。これで追跡しろ!」
アキレスから全ての追跡者へ、
情報は瞬く間に伝達されていった。
常に色欲の逃げるルートは見透かされる。
少々凝った経路を選択しても、
その先には必ず追っ手の影が現れた。
「みゅあみゃ?」
「大丈夫……! まだ何とでも……!」
刃を畳み丸々としたユークを抱きながら、
エヴァは封鎖的な地下からの脱出を図る。
後の計画は無い。行く当ても無い。
それでもユークの成長を願い逃走を続けた。
やがて彼女は闘技場の観客席にまで辿り着く。
戦場と化していたはずのその場所には
既に暴徒や封魔局員、そして眷属たちの死体しか無い。
少し休みたいという淡い期待を胸に、
エヴァは周囲の視線を切れる物陰で一息ついた。
その時、少し離れた位置の違和感に気付く。
何もないはずの空気の中に薄い透明な膜を見た。
「ッ――!?」
脳が反応するよりも早く、銃声が鳴り響く。
警戒していた透明の膜を反発し、
一発の銃弾がユークに向けて撃ち込まれたのだ。
ギリギリで反応し体を捻るエヴァ。
しかし回避は間に合わず彼女の肩を弾が掠めた。
その直後、隠れていた一番隊員たちが現れる。
「ナイスショット! レティシアに続け!」
襲来に反応しユークは刃を突き立てた。
が、それによってバランスが変化した邪神を
穴の空いたエヴァの肩は支えられず落としてしまう。
すると狙ってか否か、
離れた二人を更に引き裂くように、
劉雷の念動力が空間を歪め衝撃波を生んだ。
「こちら劉雷。サギトとの交戦を開始する!」
――――
無線から聞こえる劉雷の声に朝霧は反応する。
アキレスたちはキアラに任せ、
彼女は一人闘技場内の廊下を爆走していた。
(劉雷さんなら上手くいけば勝てるかも?
いや、仮にそうだとしても私も行った方が良い……)
位置情報を確認しながら朝霧は通路を駆け抜ける。
――とその時、彼女の前に何者かが立ちはだかった。
「!? アナタは……!」
――観客席――
連戦の六番隊員たちと違い、
一番隊員にはまだまだ余力を残した者も多い。
そして彼らは日頃から対特異点への最高戦力として
並々ならぬ努力と訓練を積み重ねていた。
彼らであれば疲労の貯まりつつあるエヴァを包囲し、
彼女と邪神との再接触を防ぐことなど容易であった。
「邪神と色欲が離れた今しかない! 攻め立てろ!」
「色欲に厄介な権能は無い! 臆せず行け!」
「一対一での殴り合いは避けろよ? 囲んで叩くぞ!」
氷の剣が、光線を放つ無数の水晶が、純粋な腕力が、
エヴァの肉体を消し飛ばそうと周囲の環境ごと抉る。
ただ身体能力が高いだけの彼女では、
自分一人をどうにか守り切ることしか出来なかった。
「っ……!」
チラリと視線を劉雷の方へと向ける。
いや、正しくは彼と複数の一番隊員に囲まれた
可愛い可愛い我が仔の方へと向けた。
ユークは刃を突き立て人間たちを威嚇する。
しかしその場にいるのは封魔局の上澄み。
誰も邪神の餌となることは無く、
逆に劉雷の念動力が未熟な体に攻撃を加える。
(イジメてるみたいで気が引ける……なんて、
このふざけた魔力を前にしてたら死んでも言えない!)
腕に力を込め、劉雷はユークの体を抑え付けた。
魔力越しにその肉体に触れる事で、
劉雷は彼我の生物としての強弱を本能で理解する。
(対面して改めて思う……コイツは此処で殺さねば……!)
その首を捻じ切る。胸の内でそう宣言すると、
更に強力な念動力を邪神にむけて放った。
並々ならぬ集中力と全ての神経を使ったパワー。
ミシッ、ミシッと邪神の体は不快な音を立て始める。
劉雷を始め、誰もが「殺せる」と確信した。
が――
「見つけたァ……! 封魔局ッ!!」
――謎の声が劉雷の集中を断ち切った。
酷い憎悪に取り憑かれたような女性の声が、
入場口の暗闇から侵入し人々の前に姿を晒す。
それは、悪魔の四女フィーアであった。
「キャッハハハハハハァッ!! こんなに沢山!」
フィーアは並み居る封魔局員を爪で斬りながら、
一番強い魔力を放つ劉雷の元にまで詰め寄った。
そして鋭い踵落としを彼のいた地面に叩き込む。
(っ……! マズい……邪魔が入った!!)
術は完全に妨害され、
邪神を拘束していた力は消え失せた。
その場の誰もが戦慄する様子を、
フィーアは自分に向けられた畏怖であると誤認する。
「ふん! ようやく私の怖さが分かったのかしら!?」
「みぃ……みゃぁー……」
「は? 何コイツ? 誰の使い魔だよ、キモすぎるだろ。」
ユークは体を引きずりフィーアに這い寄ると、
彼女の身体をしばらく見上げて、口を動かした。
「おいじ、じょー……」
「は?」
「たべ……りゅ!」
フィーアの視界を、巨大化した口が覆った。
大口一つで悪魔の四女に噛みつくと、
バタバタと足を抵抗させる彼女を頭から呑み込む。
あまりの悍ましい光景に一瞬怯むが、
すぐに劉雷たちは止めさせようと攻撃を放った。
がしかし、邪神は刃で自身の身体を護りきる。
そして遂にフィーアを飲み込み吸収した。
「っ――!!」
床に転がる剣を手に取ると、
劉雷は自身のエネルギーを込め邪神を突き刺す。
剣は邪神の刃を砕きその肉体を貫く。
だが劉雷の顔には暗雲が立ち込めていた。
「おい……今喰われた赤い女……誰だ?」
剣を握りしめたまま、
視線すら変えること無く部下に問いかける。
「? 恐らく……大聖堂を襲撃した悪魔かと?」
「そいつ……能力はなんだったけ?」
「えーと確か……っ!? え、ま、まさか!?」
劉雷はそっと剣から手を離す。
すると邪神の肉は剣を砕き体外へと弾き飛ばした。
そして粘土をこねるように肉体の形を修復する。
「全部隊に報告……邪神が不死身になった……!」




