幕間の二 暗き地下にて蝶は舞う
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――魔法世界に人種の差別は無い。
この世界にいる時点で人はみな魔法使い。
であればその扱いは同業者或いは商売敵となる。
西洋とは違う魔術体系を確立した東洋人や
呪術の本場であるアフリカの魔術師などは
むしろ組織を強固にしたい権力者にとって
並の者よりも重宝される存在となっていた。
魔女狩りから逃れた者同士、
魔法世界で新たな歴史を紡ぐ仲間同士、
万人が手と手を取り合い協力し合う。
それが魔法世界の人々のあり方だ。
――偽善結構。反吐が出そう。
確かに、魔法世界に『人種』の差別は無い。
しかし人間は平均である事に安堵する生き物。
まぁ自分より下がいるのなら、という思考で
自身の停滞や、不利益ですらも容認出来る生物だ。
そして、こんなにも使える性質があるのに、
時の為政者たちが利用しないはずが無い。
まして人心の掌握が最優先事項となる
世界創世初期の混沌とした時代であれば尚更だ。
標的になったのは――亜人たちだった。
義のために立ち上がった偉大な三人の魔法使いは
可能な限り全ての神秘を魔法世界に移住させていた。
その中には当然、多くの亜人たちの姿もあった。
しかし偉大な魔法使いたちは世界創生の偉業を成すと
すぐに歴史の表舞台からその姿を消してしまう。
唯一残ったゲーティア・テウルギアも、
魔法連合初代最高議長として人間のための法を作ると、
早々に二代目に権力と議長の椅子を明け渡し消失した。
新たな世界で異形の者たちは宙ぶらりんとなったのだ。
法の庇護も縄張りという地の利も無くなった彼らを、
人々は都合の良い物として利用し尽くした。
魔法薬の素材。低コストの労働力。傭兵。
劣悪な環境を与えようとも世論は動かない。
それも当然。元より違う生物なのだから。
本来不満を持ち反抗するであろう階級が
軒並み亜人種で代替された事により政府は安定。
当時の魔法連合はこの状態が続くことを望んだ。
「ダメダメ、亜人はこの都市には立ち入り禁止だよ。」
「近づくな! やべぇ毒とか持ってるんだろ!?」
「うわっ……なにあの下半身……キモ。」
やがて、三百年近い歴史の積み重ねで、
差別の標的は『異形の者』へと変化していった。
鬼のような人間に近い亜人への嫌悪感は減り、
逆に竜人のような半魔獣の亜人は風当たりが強まった。
「人をたべちゃう怖ーいあじんっ!」
「「いたら追い出せ、つまみ出せ〜!」」
思想はやがて常識へと変わる。
新たに産まれる命にはそれを受け入れる事しか出来ない。
こうして世界は腐敗する。悪い方向へと緩やかに進む。
「あー!! あじんだー!」
「僕知ってる! こいつハーピィの子供だ!」
「よーし! 追い出せ、追い出せー!」
祝福に目覚めたばかりの子供は
腹の底から湧き上がる万能感から攻撃的になりやすい。
無邪気に、過激に、そしてどこまでも悪辣に。
「や、やめてください……わた、私は……!」
「皆見てて! 僕の祝福でやっつけるぞー!」
「あ、あぁっ――」
――女は、人間としてその光景を見ていた。
動かなくなった亜人を囲む子供の輪に混ざり、
当然のこととして、この狂気の娯楽に興じていた。
直接手を下した事こそ無かったが、
言い逃れようもないほどに、彼女も加害者側だった。
早くに祝福が目覚めた友人を羨み、
自分にも素晴らしい力が宿る事を信じて待ち望む。
しかし彼女に発現したのは最悪な異能だった。
(え……なんで?)
祝福とは分類すら不可能なほどに多様な異能。
派手さや利便性を持つ能力が発現する事もあれば、
本人が望まない能力も当然現れることがある。
彼女に現れたのは後者だった。
魔法世界においても『その祝福』は異例中の異例。
彼女の能力は――下半身が異形化する祝福だった。
解除し元の人間の姿に戻ることは不可能。
加えて元探偵や封魔局最強の隊長と同じく、
彼女の魔力は特殊過ぎて魔術の行使が出来なかった。
「おまっ、あじんだったのかよ!?」
「だましてた! 僕たちをだまして食べる気だったんだ!」
「「追い出せ! 追い出せ! 追い出せ!」」
(待って皆……! 私は友達……!)
生まれついての姿ならば、まだ良かった。
しかし後天的な異形化は数多の最悪を呼び込んだ。
人格の形成に重要な十代での能力発現は、
差別的な周囲の環境も重なり彼女の心を壊した。
「うわっ……なにあの下半身……キモ。」
「近づくな! やべぇ毒とか持ってるんだろ!?」
「ダメダメ、亜人はこの都市には立ち入り禁止だよ。」
(違う、私は人間で……!)
被害者側に回って、初めて痛みを知った。
この世界がいかに邪悪であるかを痛感した。
人ならざる脚で座り込み、虚ろな瞳で空を見上げる。
丁度降り出した大粒の雨が、汚れた女の顔を濡らす。
「ひどい……世界……」
思わず笑みが込み上げる。
引き攣った笑い声が雨音と交わり共鳴した。
その時、彼女に一人の修道士が声を掛ける。
「亜人……にいましたかね? こんな種族?」
やがて女は修道し――救われた。
辛うじて繋がった命は聖堂の仲間にも可愛がられた。
擦り減った精神を信仰によって安定させただけでなく、
拘束具と隠蔽魔術により人の姿も取り戻してくれた。
(救われた……私は救われた。)
幸運にも彼女には救済の手が差し伸べられた。
しかし修道女として彼女は見聞もした。
この世界にはまだ多くの救われぬ者がいると。
そして彼らを救うに足る邪神がいたことを。
(じゃあ今度は、――みんなの番だね。)
――現在・邪神の祭壇――
ぴちゃり、ぴちゃりと水が滴る。
水の音が響き続けるその暗黒の空間では、
不気味な青い炎だけが光源であった。
炎に照らされて辛うじて見えるのは、
禍々しい祭壇と控えるように並ぶ石像群。
そして広い空間を縦断する素材の分からない橋と
その上で倒れた複数の人の影であった。
「っ……今のは、邪神の眷属……!?」
邪悪な呪文によってアランたちの体は硬直する。
揺らぐ意識で顔を上げてみると、
皮を剝いだような色をした無数の触手が取り囲んでいた。
更に周囲を観察すれば、
同様に体の自由を奪われたアリスたちも見える。
彼女たちを守ろうと腕を動かしたその時、
アランは唯一歩き回る女性の存在に気が付いた。
「……シスター?」
呼び掛けに反応し女はニコリと笑顔を向ける。
そして彼に見えるように修道服を捲し上げると、
生脚に取り付けられた拘束具を指先で弾く。
「呪縛解禁――」
――直後、人間の足と認識していた物が変化を始めた。
隠蔽魔術が解除され、その異形の姿を晒す。
六本の脚と昆虫の胸部から腹部らしき長い胴。
正に人間と蟲が融合したような不気味な姿であった。
「私が救う、私が均す。」
悪辣な世界に蝶は踊る。青い祭壇で蝶は笑う。
だがこれは復讐に非ず。彼女の心に怨嗟は無い。
彼女は既に救われた、ならば次はみんなの番だ。
一切の嘘偽り無く、彼女の望みはただ一つ。
「この悪辣な世界に――救済を!」
暗き地下にて蝶は舞う。




