第三十話 悪意の芸術作品
眼前にいるのは損傷の激しい歪な不死鳥。
壊れかけの人形のように傷だらけの四肢が動く。
普通の生命ならば生きていることも不思議な肉体は
途切れそうな気力と湧き上がる殺意で支えられていた。
「あ……あぁ……!」
少し喋っただけで喉が潰れてしまったのか、
フィーアはしゃがれた声で不快な音を発する。
その不気味な姿が逆に前衛を張るリーヌスを怯ませた。
(っ……即席の魔方陣はあと二枚……!)
指で紙切れを擦り何度も数え直す。
だがやはり枚数が増えることは無かった。
そんな彼の背中にアリスが語り掛ける。
「リーヌス。奴は不死の悪魔フェネクス。
地下牢に幽閉しておいたはずなんだけど……」
「脱出してきたと……なら先輩たちの脱走も……」
「とっくにバレてるでしょうね。
拳闘士たちにはっ……申し訳無いことをした。」
神妙な面持ちでアリスは後方の通路を見る。
足音などはまだ聞こえ無いが時間の問題だろう。
そして何より、アランたちとの合流が難しくなる。
「てか不死鳥って! あはは、倒せないじゃないですか!」
「うん。皆で戦っても時間稼がれちゃうだけだね。」
「……あー、はいはい。なるほどです。」
何かを悟りリーヌスは苦笑した。
――その時、彼の真上にフィーアが飛び込む。
今にも千切れそうな腕を振り鋭い爪を立てていた。
「方術士だろ……お前! 近づきゃザコだ!」
鋭利な斬撃がリーヌスの眼前に迫る。
がしかし、その爪が彼の顔を抉ることは無かった。
突如現れた白亜の騎士がフィーアの横腹を殴り
岩の壁まで吹き飛ばしたからだ。
「方術士? 僕は召喚士だよ。
……いやまぁ、近づかれたらマズいのはそうだけど。」
「それでリーヌス?」
「はいはい。『此処は任せてお先にどうぞ』!」
「ごめん。ありがと!」
了承したリーヌスから無線機を受け取ると
アリスはすぐに後方へと身を翻した。
暗い通路を照らす衝突の青白い光。
アリスはその魔力の拮抗から逃れるように離脱する。
がしかし、キアラはその場に立ち止まっていた。
焦って呼ぶが彼女は動こうとしない。
それどころかトランプとモルペーをアリスに託した。
「彼が孤立した時、私がいれば安全に離脱出来ます。」
「……分かった。危なくなったらすぐに逃げてね!」
時間を惜しみアリスは戦場から離脱した。
向かうべきはアランたちのいる牢獄。
脱獄がバレた以上、最早一刻の猶予も無い。
――アランたちの牢獄――
岩の壁が微かに揺れた。
パラパラ、パラパラと粉が降り注ぐ。
(戦闘音? ……近いな。)
目を覚ましてからずっと、
アランは檻の外を警戒していた。
いつでも武器を創造出来るように腕を構え、
どんな奇襲にも対応出来るように身構える。
きっとその姿が不安にさせたのだろう。
立ち尽くす彼の横にシスターが寄り添った。
「アラン様。少し休まれては?」
「……エヴァさん。いえ、俺は大じょ――」
――言いかけて、身体を触られた。
小さく柔らかい修道女の手がアランの背中を撫でる。
優しく、それでいて心地良い力を込めて。
彼の身体に触れながらエヴァは優しく微笑んだ。
「気を張り詰めてばかりではお体に障りますよ。」
「っ。」
恐らくそういった按摩術の一つなのだろう。
エヴァが手を離す頃にはアランの身体は解れていた。
そして心身は十分に回復して貰ったというのに、
肌が未練たらしく彼女の手を求めていると自覚する。
「ん゛ん! 失礼。もう十分です。ありがとう。」
「ふふ、どういたしまして。」
松明の明かりに照らされて
エヴァの屈託の無い笑顔がより魅力的に映えた。
気を保とうとアランは目線を逸らす。
だがエヴァは更にアランに顔を近づけた。
「ところでアラン様、一つ宜しいでしょうか?」
「何か?」
「封魔局は……あの者たちも救いますか?」
小声で彼女が指差したのは同室の囚人達。
エヴァの説法にすっかり心を打たれたようで、
皆囚人とは思えないほど穏やかな顔をしていた。
朝霧曰く、元の世界には『教誨師』なる職があるらしい。
罪を犯した凶悪犯を教化させ厚生させる者の事だ。
拳闘士たちは全員が凶悪犯という訳では無いが、
やはりこのような閉鎖空間において
神の教えというのは人々の心の支えとなり得るのだろう。
「救うというのはつまり……解放するという意味ですか?」
修道女と封魔局員とで齟齬が無いように確認した。
するとやはり少し違ったようでエヴァを首を横に振る。
「それだけでは心の傷が癒えていません。」
辛そうに小さく呟くと
エヴァは奴隷たちの中から数人を指差した。
「まずあそこの少年。顔が可愛いですよね?」
「は? んー、まぁ童顔ではありますね。」
「彼の口には歯がありません。全て抜かれています。」
「――っ! あぁ……そういう……」
その調子でエヴァは次々と囚人たちの『状態』を話す。
直接的な表現は避けた伝わる者には伝わる説明。
アランには伝わった。伝わる度に心が痛む。
それは人の悪意を詰め込んだ負の芸術作品。
いや、悪意と呼ぶにはあまりに無邪気な業。
もっと根源的な欲求のための消費物であった。
「……彼らは救われますか?」
「それはもちろんっ……いくつかの……援助は……」
魔法世界にも犯罪被害者への支援システムは当然ある。
過去の善なる魔法使いたちが培ってきた技術の結晶だ。
しかし今のアランにはそれで百パーセント回復すると
自信を持って言い切ることが出来なかった。
それほどまでに目の前に広がる光景が
禍々しくおぞましい物に見えてしまっていた。
「私は教会に入って人生を救われました。
そんな私だからこそ、彼らを何としても救いたい。」
「……」
「誓っては……くれないのですね。」
「誠実であるために……確約は出来ません。」
けど、とアランは言葉を繋げた。
今の彼には何かを変える力は無いと自認している。
自認しているからこそ、彼は人に頼れる。
「ウチの隊長は、こんな状況を破砕すのが得意です。」
「朝霧さん……確かに彼女は格好良かった。」
修道女は俯き、嬉しそうに口元を緩めた。
松明のせいか少し頬が赤らめているようにも見える。
そんな彼女の横顔をしばらく眺めていると
視線に気付きエヴァは恥ずかしそうに顔を背けた。
「そ、そういえば!
拳闘士さんたちから面白い話を聞けましたよ!」
「面白い話、ですか?」
「えぇ、三百連勝という地下闘技場からの解放条件。
何でもこれを達成した人間が過去にいたとか!」
「!?」
「しかも全部で三人も!」
衝撃的な情報にアランは目を見張る。
更に話を聞こうと動いたその時、
彼らの牢獄内で女の声が響いた。
「はい。自由なお話の時間はそれまで――」
「「――!?」」
二人が身構えると同時に檻の向こうで石が動く。
明らかに魔術で生成されているレンガの城壁だ。
その動きを見た拳闘士の一人がアランに声を放つ。
「壁を閉ざさせるな! 密室を崩せッ!」
「――!」
指示に従いアランは腕から鉄柱を生成した。
檻の間から外へ伸ばしレンガの壁を妨げる。
すると、舌打ち混じりに天井から女が出現した。
――闘技場――
オーナールームの黒ガラスを突き破り、
天使のような翼を携えた女が飛翔する。
両手には太くて鋭い刃を握り、
ほぼ勝敗が確定した塩死合に乱入した。
「次から次へと……どういうつもりだ!?」
天から舞い降りる青白い女にアキレスは怒鳴る。
それに対して、彼の隣に立つエレノアは
女が放つ莫大にして凶悪な魔力に戦慄していた。
(なにこの……魔力……!?)
「司会よ。この死合は即刻中止にしろ。」
『な!? そ、そんな!? ツヴァイ様!』
慌てて抗議する司会。
だがしかし刃を握る女は眼光一つで黙らせる。
そしてその鋭い目をゆっくりと、エレノアに向けた。
「やぁよく来たね、若い封魔局員。」
――オーナールーム――
「ツヴァイお姉様って真面目だよねー?」
テーブルの上で足を揺らしながら、
白い容姿の少女はケタケタと笑い声を上げる。
そんな彼女にアインスは優しい笑みを見せた。
「貴女は行かないの? フンフ。」
「興味なーい!」
「そう。じゃあ、あの娘たちに任せましょうか。」
ニヤリと口角を上げると、
悪魔の長女はモニターに妹たちを映し出した。
戦場名――『監獄棟廊下』
出現したのは赤いドレスの四女フィーア。
その身に宿す悪魔は不死の悪魔『フェネクス』。
半ば朽ちた体で白亜の騎士と奇術師を翻弄する。
戦場名――『拳闘士用牢獄』
出現したのは緑の髪の三女ドライ。
その身に宿す悪魔は軍略の悪魔『マルファス』。
詳細不明の能力で鋼鉄の侍と修道女に牙を剥く。
戦場名――『闘技場』
出現したのは青白い刃の次女ツヴァイ。
その身に宿す悪魔は凶刃の悪魔『アンドラス』。
歪な四足獣と共に磁石娘と拳闘士を追い詰める。
「我が悪魔『フラウロス』の名において命じます。
継ぎ接ぎだらけの愚妹たちよ。命を捧げなさい。」




