第二十四話 奇術師
――テネブラエ・闘技場――
魔法陣に光が灯る。
猛獣が深い眠りから目覚めるように、
機械的な起動音を轟かせ高速で回転し始めた。
直後、魔法陣は青白い雷電を撒き散らす。
土の会場に雷を叩きつけ、濃い砂の煙幕を張った。
恐らくそれも一つの演出なのだろう。
ライトに照らされた砂埃はまるで影絵のように
魔方陣に転移した出場者のシルエットを写す。
轟く大歓声。湧き上がる地下闘技場。
シルエットは砂煙の中からゆっくりと姿を見せた。
『さぁ次の拳闘士は――≪狂犬≫アキレスッ!』
名を呼ばれた拳闘士は、なおも静かに歩み続けた。
観客席から届く「今日こそくたばれ」という言葉も
特定席から届く成金の悪趣味で不愉快な視線にも、
今の彼の心を揺さぶるような力は無かった。
ルーティンの動作を素早く済ませると
少し遠くで佇む対戦相手の拳闘士を睨み付ける。
そして、手にした両刃の刀剣に万力の力を込めた。
『手にするは古臭いグラディウス!
長くも無く短くも無い中途半端な得物!
まさに二十五年も地下で燻った彼に相応しい!』
(言ってろ……)
「よぉアキレス。相変わらずの嫌われようだな。
ま、テメェは観客を喜ばせるとかやらねぇもんなぁ!」
近くまで歩み寄って来たアキレスに
対戦相手の拳闘士は嘲笑の表情と共に声を掛ける。
審判くらいには聞こえるであろう声量。
しかしアキレスは拳闘士の言葉にも反応しなかった。
そんな彼に対戦相手は顔を近づけた。
「おい、仕来りくらいはやれよ。
お前の実力なら地下でも楽しくやっていけるって……」
今度は当人たちにしか聞こえない声で
拳闘士はアキレスからの反応を求める。
が、依然変わりなく彼の口は動かない。
ついに対戦相手の方が先に折れ、
アキレスから顔を離し深い溜め息を吐いた。
そして、今までで一番の声を腹から出した。
「……わーったよ! おう、クソみてぇな観客共ォ!
このいけ好かねぇ野郎ぶち殺しちまっていいか!?」
低俗な大衆を煽る拳闘士に実況席が便乗した。
罵声で装飾されたバラバラ大歓声は
やがて「殺せ」という単一のコールへと収束する。
荒波のように、突風のように轟く怒号が
たった二人の拳闘士を残した闘技場に流れ込む。
「さ、やろうか? エンタメの分かんねぇ真面目君!
せめて盛大に死んで、皆の笑い物になってやんなぁ!」
「――地下では死なない。」
ゴングと共に、両者の魔力が交わり爆ぜた。
――同闘技場・地下牢――
凄まじい振動が天井を揺らす。
開戦の銅鑼が響いたのだと牢の奴隷たちも認識した。
しかし彼らの視線が上に向くことは無い。
奴隷拳闘士たちの視線は小動物と少女に向けられていた。
監視の目を逃れた隠しポケットから物品を取り出し、
少女はハムスターのような小動物に顔を近づける。
「良いどんぐり? 地下には他にも牢屋があるみたい。
だからまずは、シスターさんたちのいる牢屋を探して!
このメモを渡しとくから、返事を受け取って来てね!」
「キュ!」
「よし良い仔! じゃあ行ってこい!」
希望に満ちた少女の指示で小動物は檻から出る。
個体を識別するために巻かれた赤いハンカチの中に
伝言を書かれ、半分に折られたトランプを携えて。
小動物が無事に通路の先に消えたのを確認すると、
少女は手にしたマジックペンを回し身を翻す。
そして同じ牢獄の囚人仲間たちに親指を立てた。
「皆さん、あとは任せてください! どんぐりに!」
快活な彼女とは対象的に
奴隷たちは近くの者たちと目を向け合い困惑する。
敵うはずが無いと諦観と共に侮蔑する者。
或いは今日こそ運命の変わる日だと目を輝かせる者。
反応は様々。だが協力しようとする者はまだ居なかった。
そんな周囲の反応を眼で捉えながら、
一人の女性封魔局員が少女のもとに駆け寄った。
「……本当に大丈夫なんですか、キアラ?」
「ご心配なく、アリスさん! どんぐりは凄いんです!
モッキーたちも『なんか賢い』って言ってました!」
「絶対もっと理知的なこと言ってるでしょ……
ていうか『どんぐり』って緊張感の無い名前ですね。」
「名前付けたのはモッキーだよ?」
「これ以外考えられないほど素晴らしい命名です。」
「それ、後で本人にも言ってあげなよ?」
キアラは思わず零れた笑みを抑えながら
素早く掌を返したアリスに語る。
そして、そのあまりに早い主張の転換から
彼女がどれほど朝霧を尊敬しているのかも察知した。
するとふと、キアラの脳裏に以前抱いた疑問が蘇る。
「……そういえば、モッキーはなんで笑わないんですか?」
キアラからしてみれば何気ない質問だった。
それは彼女の平坦な声の抑揚からも分かる。
だがそれが逆にアリスの不意を突く。
彼女にとっても悩みの種だった事柄を指摘され、
アリスはその緑色の瞳を大きく見開いた。
「っ……」
アリスはしばらく思考を巡らせた。
彼女からしてみればキアラは数回顔を見た程度の知人。
そんな相手に本人も話していない過去を
教えて良いものかと彼女の中の理性が待ったを掛ける。
だがその理性よりも、感情が強く訴え掛けていた。
朝霧にもう一度昔のような笑顔を魅せて欲しい。
その思いがアリスの口を独りでに動かし始めた。
「……あの人は酷い裏切りに合いました。
裏切ったのは、朝霧さんが恋をした男性です。」
個人名は伏せながら、機密情報は伏せながら、
それでも詳細は把握出来るようにアリスは語った。
ただの失恋と呼ぶには悪趣味なほどに間が悪く、
人によっては心が完全に死にかねない一連の不幸。
その一切をキアラと共有する。
「っ……! なるほど……それは確かに、辛いですね。」
キアラはまるで自分の事のように眉をひそめた。
そんな彼女の態度と漏れ出た厄の種類から、
話したのは間違いでは無かったとアリスは安堵する。
「モッキーには笑顔でいて欲しい。」
「そ。それなら私からも一つ聞いても?」
「? 何です?」
話したことは間違いでは無かった。
そう確信出来るだけの厄の変遷をアリスは視た。
だがそれだけに、胸につっかえる疑念が気になった。
「キアラは何で、祝福を使いたがらないんですか?」
「……」
「いやそもそも貴女の祝福、本当は何ですか?」
負の感情を見透かす厄視の瞳が、
種も仕掛けも、嘘も欺きも好む奇術師に向けられた。
だが腹を探られている時こそ冷静となるのが奇術師の性。
キアラはほぼ無意識にポーカーフェイスを作る。
「嘘は朝霧さんが一番嫌うので、話してくれます?」
更に顔を近づけアリスは威圧した。
ほんの半年とはいえ死線を潜り抜けた封魔局員。
思わず拳闘士たちも硬直してしまうほどの緊迫感が
決して広いとは言えない牢獄の中を支配した――
「キュ! ……キュウ?」
――緊張を小動物の鳴き声が打ち破る。
どんぐりの帰還によって詮索は中断された。
「早くないです? まさか失敗したんじゃ?」
「いや、トランプの向きが変わってる!
まさかもう見つけて返事を貰って来たの!?」
「キュ!」
どうだ凄いだろ、と言わんばかりに
どんぐりは堂々と胸を張り小さな声を飛ばす。
愛くるしくも頼もしい彼の頭を撫で、
キアラはすぐに渡されたトランプを取った。
その時――
「――そこ。何か企んでないでしょうね?」
聞き覚えのある女性の声が檻の向こうから届く。
すぐにトランプを手の中に隠すキアラ。
彼女が顔を上げると彼女たちの牢獄の外には、
赤いドレスに身を包む鋭いヒールの女がいた。
「フ、フィーア様……!」
「奴隷が気安く呼んでんじゃねーよ。てか――」
赤いドレスの女は口調と目付きを尖らせる。
そしてゆっくりと奇術師を指差した。
「――そこのお前、今何してた?」




