第十五話 獣の言葉
――――
最初に欲しかったのは……友人の笑顔だった。
今にも泣き出しそうな友の顔が見たく無くて、
自分に出来ることを手当たり次第試してみた。
結果は大成功。友人は笑顔を見せてくれた。
「えへへ……ありがと。」
とても嬉しくて、嬉しくて、
思わずこっちまで笑顔になった。
初めての大成功。今思い出してもニヤけてくる。
次に欲しくなったのは……多分自己肯定感だ。
笑ってくれるのが嬉しくて、褒められる事が嬉しくて、
何度も何度も試して、何度も何度も披露した。
結果は、まぁ成功。欲しいものは得られたかな?
「凄い! また見せてね!」
代金なんていらない。褒めて欲しいだけだから。
心を潤すためのスキンケア。とってもクセになる。
凡庸な自分に与えられた、たった一つの祝福だ。
代金なんていらない。その代わりもっと褒めて欲しい。
もっと、もっと、もっと、もっと。
褒められるために、私は幾つもの技を考え披露した。
だけど――
「うん、まぁ……その祝福ならそれも出来るよね。」
――だけどもう、私の欲しい言葉は来なかった。
「何度も見せてくれてありがとね?」
「でも、もういいかな?」
「どうせ前見せてくれた技と同じでしょ?」
代金なんて……いらない。その代わり……。
手を変え品を変え、私は諦めずに何度も挑戦した。
凡庸な頭で必死に考えて、新たな技を模索した。
底なしの泥沼の中で藻掻くように、足掻くように。
「いや、だからもういいって……」
思いついたアイデアに納得出来なくて、
浮かんだそばから破棄しての作業を繰り返す。
減点方式の自己評価。誰も通過してくれない。
「いいから……もうさ!」
やがて評価されることが怖くなった。
でも止まったら大切な何かが失われると感じて、
ギリギリ妥協出来る作品をやつれた顔で提出する。
「もういいっつってんだろ!!」
気付けば、私の前から人は消えていた。
寂しい舞台の上に取り残された無才の奇術師。
観客は……揺れる蛍光灯に集る羽虫のみ。
足元には数秒だけ見て帰ってしまった人が、
お情けで置いていった小銭がほんの少し。
――代金なんて、いらないのに……
崩れ落ちたことを覚えている。
声を上げて泣き叫んだことを覚えている。
一度、完全に挫折したことを記憶している。
――オメグラフ海岸――
涼しい風が吹くたびに美味い空気が肺に流れる。
長い坂道の両脇を囲む飲食店から漏れ出た、
オリーブの効いた新鮮なシーフードの香りを乗せて。
そして行き詰まった創作家たちの白い別荘が、
全てを包んで一つの芸術作品へと昇華していた。
そんな大パノラマの一角。
洒落た飲食店で朝霧たちは少し遅い昼食をとっていた。
すぐに非常事態に対応出来るようにテラス席に座り、
新鮮な魚で作られたカルパッチョを堪能する。
「んー! 食べるたびにヨダレが出ちゃう!」
とろけ落ちてしまいそうな頬を抑えながら、
キアラは心底幸せそうな笑顔で食事を楽しんだ。
すると彼女の手元に小動物が近付いた。
「なに? どんぐりも欲しいの?」
「きゅ!」
後ろ足で立ち上がり前足を上げるどんぐり。
その愛くるしい姿に思わずキアラは食事を分け与える。
がしかし、その行動をユノが手を突き出し止めた。
「やめなさい。齧歯類は雑食だがダメな食材も多い。
この仔の食性は不明だが、恐らく人の食事は危険だ。」
「おぉっと危ない! 駄目だってさ、どんぐり。」
「キュ!」
「痛ッたぁ!? 噛むなら止めたユノのんでしょ!?」
「フッ、利口だな。」
キアラの指を殺菌しながら、
どんぐりが自分には決して噛み付かないことに
ユノは優越感を覚えて口元を緩ませた。
そんな光景を横目に、朝霧はポツリと呟く。
「でもホントに賢いですよね、このハムスター。」
「「どんぐり。」」
「ぐっ……はい、どんぐり。」
「だが確かに知能の高い生物のようだ。」
朝霧たちは既に街中を少し散策していた。
その際にキアラが通行人の何人かを指差し、
飼い主では無いか、とどんぐりに問い掛けた。
すると彼は首を振り「ノー」と返答したのだ。
「人間の言葉を理解しているんですかね?」
「いや、学習して雰囲気から漠然と察しているだけさ。
その証拠に『彼ら』の言葉は翻訳されないだろ?」
朝霧はユノの指摘にハッとした。
確かに魔獣を始め動物たちの声は聞いた事が無い。
かつて朝霧が殺した魔獣が言葉を発したという報告書を
見たこともあったが、あれはそもそも元人間だ。
純正な動物たちの声は魔法世界でも翻訳されていない。
「理由は単純。彼らには『言語』が無いからだ。
より分かりやすく言うのなら『文法』が無い。」
「文法……言葉のルールって事ですね。」
「そ。鳥が奏でる求愛の声も、結局は音の羅列だ。
彼らは別に『結婚しよう』と叫んでいる訳じゃ無い。
本能的に反応してしまう音色を出しているだけだ。」
「キュ! キュウ!」
「これにも言語としての意味は無い。
ま、嬉しいとか楽しいの感情は乗っているだろうがな。」
目を細め微笑みながら、
ユノはどんぐりの頭を優しく撫でた。
そして二人に聞こえるか聞こえないかの声を漏らす。
「だから、もし言葉を話す魔法生物がいたら、それは……」
「ん? ユノのん何か言いましたか?」
「いや……改めてこの仔は賢いと思っただけさ。」
「私の方が賢いですよ!」
「なんで小動物と張り合ってるの……」
朝霧が呆れた声を発すると、
それがツボに入ったらしくユノはまた笑った。
かと思えば、油断しきっていたキアラに語りかける。
「そういえば、私に見せてくれる芸は出来たのかい?」
「ん゛ん!?」
「今日は既に半分が終わり、もう明日は祭り前日だ。
まだなら急かしはしないが……時間は多く無いぞ?」
MCA会長によるカーレット祭への推薦。
パフォーマーなら喉から手が出るほどの好機だ。
だがキアラは、まだ自信なさげに目を逸らした。
「じゅ、準備があって……明日には完成しますから!
それよりも残り半分の今日! 観光しましょう!」
「ふむ。まぁ私はそれで構わないがね。」
「……。」
「それでこの後は何処に行く?
海岸は大体巡って、飼い主探しも一段落したが?」
分かりやすく口調を和らげユノは問う。
それに吊られキアラも元の元気な態度に戻り、
観光ガイドブックを広げて机に叩きつけた。
「オメグラフ海岸の真の名所は街中に非ず!
さぁ船を出しましょう! 凄まじい物が見れますよ!」
――とある海域――
オメグラフ海岸から少し離れた海の上。
一隻の中型クルーザーが水の轍を水面に刻む。
船内では耳をつんざく船長の大声が響いた。
「ハッハー! 飛ばして行くぜェ!」
まるで暴走車を乗り回す不良のように、
船長は舵をとり大海原を爆走する。
だがこれはれっきとした観光用のクルーザー。
船内には顔を隠した旅行客二人と、
朝霧たち三人組が取っ手に捕まり衝撃に耐えていた。
「ちょっ!? キアラ、これは一体!?」
「アクティビティです! けどまだ序の口ですよ〜!」
「応ともよ! もうすぐ見えるぜぇ! ディマ海峡!」
そこはオメグラフ海岸の近く。
デガルタンスと未開領域の陸地に挟まれた大海峡。
芸術の都市の観光名所『ディマ海峡』。別名――
「――『悪魔の喉笛』! さぁ着いたぜ!」
朝霧は窓の外に目を向け驚愕する。
この自然現象は彼女の元いた世界にもあった。
がしかし、これほど巨大な物を見たのは初めてだった。
「渦潮っ……! それもこの大きさ……!」
「さぁ捕まってな! この波に乗るぜ!」
「え!? ちょっ……待っ! わ、わ、あぁ!」
ガクンッと縦に強い衝撃。
直後クルーザーの速度が上がった。
船長は得意気に舌を出しながら波を見極める。
デガルタンスのアクティビティ。渦潮乗りだ。
「無事波に乗った! 三周したら抜けるぜ!」
不快な振動は収まりクルーザーは安定する。
船内の観光客たちも余裕を取り戻し外を見始めた。
超巨大な渦潮の上。確かに滅多に味わえない体験だ。
「……? 今のは?」
「どうしたの? キアラ?」
「いや、渦潮の中に何か泳いでいたような?」
その言葉を受け朝霧たちは渦潮の中に目を向ける。
するとキアラの発言を聞いた船長が笑って語り掛けた。
「そりゃきっと魚が巻き込まれて流されてるだけだな。」
「うーん? でも流れに逆らっていたような?」
「嬢ちゃん、馬鹿言っちゃいけねぇ!
この激流を泳げる生物なんざ魔獣にもいねぇよ!」
船長は笑ってそれ以上は取り合わなかった。
海の専門家がそう言うのなら、とキアラは退く。
がしかし、ユノと朝霧は海中を睨み警戒した。
「いや……何かいる……!」
――直後、渦潮の中心を挟んだ対面で水柱が立った。
海面を貫き穿つように細長い何かが姿を見せる。
朝霧の目は、それが触腕であると判別した。
「タコ……イカ? とにかく危険です! 退避を!」
「お、応よ……!」
船長は慌てて舵を取り渦潮からの脱出を測った。
――その時、船内に声が響く。
『…………――――。』
「え……なに?」
朝霧たちの脳は当初、放送が流れたと判断した。
非常事態につき船長が緊急の放送をしたのだと。
だがすぐに、それが錯覚であると理解する。
その声が脳に直接響いているのだと気付いたからだ。
『…………――ゲン。』
「誰が……喋って……? まさか!?」
朝霧は再び船の外に顔を向ける。
直後、海中に輝く赤い瞳と目があった。
喋っていたのは渦潮の中に潜む怪物だ。
『ニンゲン。ココニ、コイ。』
数本の触腕が船を取り囲むように出現した。




