第十四話 ミスディレクション
――翌朝――
デガルタンス滞在二日目。
短くも長い夜は明け街は白く輝く朝日に照らされた。
港の近くでは朝特有の肌寒さと僅かな酒気が漂う。
きっと街の中をぐるっと見回してみれば、
路上に沈む酔っ払いの一人でも見つかるのだろう。
そんな朝早くから、一人の女が道を走る。
見るからに走り難そうな修道服。歩き方も何処か変だ。
運動も得意では無いのだろう。呼吸のリズムが悪い。
何度も足を止め、呼吸を整え港に走りだす。
(あの子を……あの子を探さなきゃ……!)
やっとの思いで女は港へ辿りついた。
船を探しているのだろう。首を左右に振った。
その時――彼女の周囲を人型の影が覆う。
「ごめんなさいシスター。現在此処は立ち入り禁止だ。」
「――ッ!?」
「振り向かないで。どうかこちらの顔は見ないように。」
周囲の影と背後に聞こえる声から察するに、
恐らく屋根の上に謎の女がいると推測出来た。
シスターは怯えるように腕を振るわせながらも、
指示に従い視線を合わせずに口を開いた。
「あ……貴女は?」
「そのまま消えなさい。命だけは助けてあげる。」
「……封魔局じゃありませんね? 闇社会?」
「十秒だ。消えろ。」
カウントダウンが始まった。
何も情報が得られなかった事を口惜しそうに、
シスターはチラリと海の方へと目線を向ける。
頬に汗を垂らしながらしばらく何かを考え込むと、
残り三秒の段階で突然、街に向かって何かを投げた。
謎の女がその物体に視線を引き寄せられた隙を突き、
シスターは反対方向の海に向かって駆け出した。
(もしかしたら……こいつがあの子を……!)
海に飛び込む直前、女は携帯端末を取り出す。
一矢報いてやろうという堅い意志で、
腰を捻り太陽の逆光に写る人影の映像を捉えた。
が――
「愚かな。」
――鋭い刃のような半透明の結晶が、
携帯端末と共にシスターの肩を貫いた。
僅かに聞こえた悶絶の声。
その音を爆発に似た着水音が掻き消した。
謎の女は黒い翼で空を飛ぶと、
シスターの消えた水面をじっくりと観察する。
無言で更に数発の斬撃を海中に撃ち込むと、
やがて彼女は胸元から無線機を取り出した。
「こちらツヴァイ。聞こえる? 妹たち。」
――数時間後・とある坂道――
現在時刻は正午よりも少し前。
既に日は高く過ごしやすい気温となった。
そんなデガルタンスの中心から外れた山道を、
一台の無人観光バスが流れるように抜けていく。
「キュ! キュウ!」
「こらっ。外に出ると危ないぞ。」
僅かに開けた窓から流れる風を浴びながら、
ユノは頬を緩ませながら小動物を愛でていた。
胸ポケットに入れたハムスターのような生物を。
そんな微笑ましい彼女たちを
キアラは両手で頬杖を突きながら眺めていた。
「和む~。」
「触ってみるか? 噛まないぞ。」
「わー! ホントですか!」
「キュ!」
「………………痛いんですけど?」
心底愉快そうに笑いながら、
ユノはキアラの指を魔術で殺菌消毒した。
そんな二人に一瞬だけ目線を向けると、
朝霧はすぐに車両の外へと意識を戻す。
(結局、直接の護衛は増員しなかった、けど……)
チラリと目線を向ければ、
遙か後方から足跡を追うように走る数台の車両。
全て封魔局員の乗っている覆面車両だ。
(有事に対してすぐに動けるようにはした。
ユノさんを納得させるのは大変だったな……)
誰に話すわけでも無く、
朝霧は自分で自分を労うように胸の中で呟いた。
すると、その姿が疲れているように映ったのか、
キアラが朝霧の顔を覗き込んで話し掛ける。
「大丈夫? モッキーおねむ?」
「! いや、大丈夫。ありがと。」
「ならモッキーも一緒に考えてください!」
突如として出された要求に朝霧は困惑した。
聞いていなかったのか、とキアラは憤慨すると
彼女は朝霧の顔の前に小動物を持ち上げた。
「この仔の名前ですよ! このハムちゃんの!」
「え? いるの? 他人のペットでしょ?」
「『この仔』とか『小動物』とかじゃ呼び難いんです!」
「じゃあさっきの『ハムちゃん』でいいじゃん……」
明らかに面倒くさそうな声で朝霧は答えた。
が、そんな態度での回答などキアラは許さない。
手のひらに乗せた小動物を更に彼女の顔に近付けた。
「いや! 今回はモッキーが名付けてください!」
「なんでぇ……?」
「私は昨日お二人のニックネームを名付けましたから!」
「君の命名センスが見たいそうだ。」
「えぇ……そんな……」
無茶振りにも近い要求に朝霧は困り果てた。
しかしキアラだけでなくユノも既に
朝霧がどんな命名をするか期待し待機していた。
助けてくれる味方はいない。朝霧は諦めて考える。
「ハムスター……? ハムスター……うーん?」
「こういうのは直感ですよ! 見た目とかで!」
「見た目……?」
小動物の見た目はほとんどハムスター。
茶色をメインに腹周りに黒色を有した色合いだ。
模様は何処か刺々しい印象も与えるが、
そこに直感を刺激するほどの心の動きは無かった。
となると、やはり色合いから連想するしかない。
「…………どんぐり。」
ポツリと朝霧が呟いたのを最後に、
車内には永遠にも思える静寂がやってきた。
あまりに静かなので無人運転だと思い出せるほどに。
数刻の後、朝霧の顔に熱が込み上げた。
「……いや! ごめんっ、やっぱ今のは――」
訂正しようと声を出すが、時すでに遅し。
朝霧の目の前から小動物を離し、
キアラは天井に向けて大きく持ち上げた。
「決定ッ! よろしくね、どんぐり!」
「キュ!」
「どんぐりも気に入ったようだ。良かったな。」
「待って……お願い……待って……」
顔を伏せ手を伸ばすが誰も応えてはくれなかった。
そうこうしている内に車外の風景が変わり始めた。
光を反射し美しく輝く大きな海が現れる。
海に気付くとキアラは前方に移動する。
そして初日と同じようにバスガイドの真似をした。
「次は〜オメグラフ海岸〜。
魔法世界一美しい、オメグラフ海岸で御座いま〜す。」
――オメグラフ海岸――
波の音が小気味良い。潮の香りが心地良い。
急な斜面に沿うように白い壁の家屋が並ぶ。
魔法世界一美しいとされるオメグラフ海岸。
その前評判も納得出来る大自然の神秘が、
朝霧たち三人組を歓迎していた。
「名だたる創作家たちもアイデアに行き詰まったら
この辺の別荘にやってきて充電をしていくんだとか!」
「確かに此処は……とても気持ちがいいな!」
つばの広い帽子に手を添えながら、
ユノは坂道を登る風を浴びて深呼吸をした。
そんな彼女の側で朝霧も少し安らぐ。
休暇が取れたらまた来たいな、と思う程度に。
二人が気に入った事に気付くと
キアラはニッと歯を見せ笑い、そして語り掛けた。
「じゃあ探しますか! どんぐりちゃんの飼い主!」
ユノの要望により、
キアラは二日目の観光場所をこの海岸に決定した。
というのも『どんぐり』は詳細不明の謎生物。
であれば市街地に飼い主がいるとは考えにくい。
もし飼い主がまだデガルタンス内にいるのなら、
きっとその人物は俗世界から離脱した人物だろう。
そういった者が比較的多いのが、この海岸周辺だ。
「という事で、捜索がてら観光しましょう!」
キアラは腕を突き上げ飛び跳ねた。
彼女に返事するようにどんぐりも声を出す。
三人は早速坂を下り、港の方へと歩いていった。
――同時刻――
強い波が岩肌に荒く叩きつけられる。
海が陸を嫌うように飛沫をぶちまけ滴を飛ばした。
そんな黒い岩の上には、うつ伏せで倒れた女がいた。
女はまるで昆虫の擬態のように
保護色となっている黒い修道着で身を包み、
十字架を握りしめて気絶している。
――その時、海中から巨大な触腕が現れた。
強い波が岩肌に荒く叩きつけられる。
海が陸を嫌うように飛沫をぶちまけ滴を飛ばした。
そんな黒い岩の上には、――誰の姿も無かった。




