第十三話 デガルタンスは眠らない
――数時間後・ホテル――
芸術の都、デガルタンスの夜。
娯楽の空中都市と同様にこの街もまた眠らない。
人々は美味いディナーに舌鼓を打つと、
並々に注がれたジョッキを掲げ良き一日に別れを告げた。
そんな民衆を見下ろす豪華なホテルの一室で、
ユノはワインのコルク栓を引き抜きグラスに注ぐ。
まずは芳醇な香りを愉しむと赤い水面にキスをする。
満足げに微笑むと彼女は背後の女性に話しかけた。
「君もどうだい? 朝霧隊長?」
「任務中ですので。」
朝霧の返答に「だろうな」とユノは笑うと、
厚みのある椅子にもたれ掛かり吐息を漏らした。
少々疲れてしまったような覇気の無い目と共に。
「意外ですね。
貴女が他人の前でそこまで気を抜くなんて。」
「――! フッ、元々そんなに気張ってないさ。
……でも確かに、少々気を抜き過ぎたかな?」
まぁそれは君が、とだけ続けると、
ユノは気恥ずかしそうに朝霧から目線を逸らした。
その後は言葉の続きを問うてみても
何でも無いとはぐらかされてしまうばかりだった。
すると突然、ユノの胸元がモゾモゾと揺れ始める。
何事かと朝霧が凝視していると、
ユノの胸ポケットから一匹の獣が顔を見せた。
「キュ!」
それはミョンドルド広場にて遭遇した、
ハムスターのような外見の魔法生物であった。
朝霧はその小動物に顔を近づける。
「此処にいたんですね。この仔。」
「明日は観光ついでにこの小動物の飼い主探しだな。」
「支部でも情報を拡散するように連絡しました。
……けど、本当に誰かのペットなんですか?」
「恐らくな、よく躾けられている。」
そう呟きながらユノは指先で小動物を突いた。
すると小動物は気持ち良さそうに首を回す。
その光景はとても微笑えましい物であった。
「なんていう生き物なんです? この仔は?」
「……さぁ? 何だろうな? 初めて見る。」
「え? ノイズさんでも知らない動物がいるんですか?」
「魔法世界じゃ新種なんて珍しくないからな。
そういう点も含めて、飼い主には興味がある。」
明日が楽しみだと言わんばかりに、
ユノは再びワイングラスをゆっくりと傾けた。
彼女の横顔を見つめながら朝霧も下がる。
「では私は近くの部屋で待機しています。
何か少しでも異常があればすぐに呼んでください。」
「あぁ、ご苦労さま。」
ユノの労いが朝霧の心を少し洗う。
だがやはり……笑顔のやり方は思い出せない。
ぎこちなく歪む顔を隠すように
朝霧は深々と頭を下げて逃げるように退出してしまう。
丁度それと同じタイミングで電話が鳴った。
部屋に備えられた固定電話では無い。
ユノの持つ仕事用の携帯電話であった。
「私だ、ローウィン。……あぁ一人だ。
分かった。では初日の調査報告を聞かせてくれ。」
酔いを感じさせない鋭い瞳で
ユノは地を這う人工灯の輝きに睨みを利かせた。
――――
朝霧が自分の待機室に戻ろうとした。
すると彼女を阻むようにアランとアリスが現れる。
労いの言葉を投げかけその間を通ろうとするが、
二人は朝霧の通り道を身体で塞いだ。
「朝霧さん。船で何を聞いたんですか?」
「――!」
「みんな不思議がっていますよ?
まるで護衛対象が自分から襲われにいってるって。」
「…………みんな優秀だね。」
誰が見ても図星と分かる反応を示す朝霧。
やはり嘘という物が根本的に苦手のようだ。
だがそれでも「伝えられない」と言葉を濁した。
そんな彼女にアランは顔を近づけ詰め寄る。
「何かあってからじゃ遅い。
俺らじゃなくてもいいから明日は護衛を増やせ。」
「いや……私は絶対着いていきたいんですけど?」
「ありがとう二人とも。考えとくね。」
煮え切らない言葉を選び朝霧は会話を終わらせた。
そして二人の身体を優しく押しのけ
自分の部屋へと真っ直ぐ消えていってしまった。
「「……」」
沈黙が廊下を覆う。二人は黙って佇んだ。
しばらく続いた気まずい静寂の後、
アランは視線を変えること無く口を開いた。
「悪いな……アリス。
以前『朝霧はあのままでも良い』つったが訂正する。」
「……!」
「置いて行かれる感覚……想像以上だな。
…………ジャックさんもこうだったのかな?」
手の甲を口元に添えながらアランは声を漏らす。
目を細めている横顔はまるで怯えているようだった。
そんな彼の袖を指先だけでギュッと掴みながら、
アリスは決意に満ちた表情で力強く呟いた。
「しがみつきましょう……二人で……!」
決して振り落とされぬように、
そしてあの頃のように三人で並べるように。
力の籠もったアリスの言葉にアランも強く頷いた。
そんな二人の背中を物陰から観察する女がいた。
「あ……あわわわ……」
偶然近くを通りかかったエレノアであった。
(やはり……あの二人は既にそういう!?)
悲しき決意の後方で、
後輩の胸中は愉快な誤解で荒れていた。
――同時刻・とある家屋――
デガルタンスは眠らない。
芸術の都市には絶えず人々の灯火が闇を払う。
しかし払われた闇とて消え去る訳では無い。
光の届かぬ更に奥底へ、静かに移動するだけだ。
「…………」
街明かりから外れた暗闇の室内で、
その人物は静かに自分の服を脱ぎ始める。
首の紐リボンを引き抜いて、
シャツのボタンを一つ一つ片手で外した。
「今日は色々あって疲れちゃったなぁ……」
他に誰も居ないのに、
その人物は独り言とは思えない声量で話し始めた。
流れ落ちるようにシャツを脱ぎ捨てると
しなやかで艶のある若い女の肌が露わとなる。
「トラブルに次ぐトラブル……厄日かな?」
明かりも点けずに洗面台の前に立つと
女は豊満でスタイルの良い身体に
愛用の化粧水をたんまりと塗り込んだ。
そして冷たい水で顔を洗い鏡の前に向ける。
「でもビックリしたぁ、ユノのんのあの台詞!
急に彼と同じようなこと言い出すんだもん!」
女は暗闇の鏡に向かい屈託の無い笑顔を見せた。
すると今度は手に握られていた化粧水の瓶を
顔の高さにまで持ち上げる。
――刹那、今の今まで瓶だったはずの持ち物は、
いつの間にか彼女の携帯端末へと変化していた。
女はその端末を操作し複数のサイトを眺める。
デガルタンスの地図が掲載されたサイトを。
「ふふっ。明日は何処にしようかな~?」
――――
デガルタンスは眠らない。
であるならば暗躍者たちもまた眠らない。
初日の『結果』を十二分に考察し、
次の一手を読み切り更に二手先を狙う。
「あーあー、こちらフィーア。
ウザったい定期報告を済ませちゃいます、どうぞ~?」
赤く統一された屋根も夜の街では映えはしない。
地上の光から逃れた闇が深い黒に染めていた。
その屋根に腰掛けて、赤い服の女が足を揺らす。
細く長い脚の先には悪趣味なハイヒール。
まるで玉座に座る女王のように芸術の都を見下ろした。
「分かってるって、お姉ちゃん!
……あ、丁度ドライ姉も帰って来たよ?」
赤い女がチラリと顔を向けると、
其処にいたのは鳥のような翼を持った人型の生き物。
緑色に輝く色艶の良い長髪の婉容な大人の女性だった。
「ん。じゃまたー。はーい。」
「……アインスから?」
「そ。もう殺しちゃっていいって!」
赤い女は心底嬉しそうに立ち上がる。
光悦した表情で光輝く街を見回し、
姉と呼んだ緑髪の女に向けて笑顔を見せた。
「このダッセェ街、血に染めちゃう?」
――デガルタンス・近海――
爆破が起きた。飛沫を上げて波を起こす。
小雨のような水滴が水面へと戻っていき、
大きく揺れた海は再び眠るように静寂する。
そんな海上の上。
何も無い空中に一人の男が立っていた。
暗すぎる水面を右に左に見回して、
そして取り出した無線に向かって声を放つ。
「……反応は?」
『消失。恐らく仕留めたかと……』
「いや、手応えが薄い……逃げられたな。」
男はそのまま身を翻し夜天を飛行した。
その服は漢服を模した特注の制服。
細部には封魔局のマークが施されていた。
『如何しますか。劉雷隊長?』
「ひとまず……待機だ。次の機会を待つ。」
本音から乖離した発言だったのか、
劉雷は言い終わると同時に不快そうに唇を曲げた。
『六番隊が来ているようですが、協力を申し出ますか?』
「向こうも大事な任務中だ。警告だけで良いだろ。」
もっとも……巻き込まれる可能性の方が高いがな。
心の中でそう呟くと劉雷は芸術の都に帰還する。
人工灯を覆い尽くす真っ黒な暗闇の中に。
「荒れそうだな……デガルタンス。」




