第六十八話 人で無し
――とある都市――
地を打つような太い雨が
薄暗い都市の雰囲気を更に陰鬱な方へと押し流す。
道には踝にまで到達するであろう深さの水溜り。
その水面を複数の足が駆け抜け飛沫を上げた。
湿った都市を走る荒れた呼吸。
びしょ濡れの男たちをレインコートの集団が追う。
苛烈な追跡に、一人、また一人と逃亡者は減っていた。
「クソッ! 下手を打った……! 最悪な一日だ!」
泥に塗れた顔を濡らしているのが、
果たして雨なのか汗なのかはもう判別もつかない。
そんな男の背中を狙い、黒い鎖が襲いかかった。
「捕縛しろ! ――『蠍座の鎖』!」
逃走者は咄嗟に防御魔法を展開する。
鋭い一撃は完全に防ぎ切った、はずだった。
しかし脱力した鎖に男の手が触れた瞬間、
逃走者の肉体は内部から悲鳴を上げる。
まるで接触点から毒が回ったかのように
男の腕は完全に死んだ。崩れる体勢。
逃走者は顔面から倒れ泥水を全身に塗りたくった。
「こちらエヴァンス。こっちは終わりましたよ。」
四番隊隊長、エヴァンス・プレスティア。
現在彼は黒幕の下請けである組織の一つを潰していた。
彼だけでは無い。別の都市ではドレイクも動いている。
聖域の外でも緊迫した状況が続いているのだ。
張り詰めた緊張を一瞬緩め、
エヴァンスは一段落のため息と共に通話を繋げる。
「そっちはどうですか? ドレイク?」
『絶賛交戦中だ!』
彼は現在、敵組織の地下施設を攻略していた。
端末を片手に通話をしながら、無数の銃弾を焼き払う。
敵の陣形が乱れると三番隊員が突撃を開始した。
「おっと、それは失礼。では切りますね。」
『いや待て。共有しておきたい物がある。』
「これは……通信履歴ですか?
――ッ! ユグドレイヤからの生配信?」
『どうやら向こうは向こうで闇が深そうだ。』
指で隊員たちに指示を飛ばしながら、
エヴァンスは遠く離れた仲間を想い賛同した。
朝霧にシルバ。二人の隊長を気遣う言葉を発する。
そんな彼にドレイクは小さな疑問を投げ掛けた。
『……そういえばお前、最近亜人について調べてたよな?
厄災が逮捕された後くらいから。あれは何だったんだ?』
「ふっ! やれやれ、よく見てますね。
ただ正確には……厄災討伐後からではありませんよ。」
『?』
黒く染まる空を見上げ伊達眼鏡の男は呟く。
繋がる空の先、遥か遠くで戦い続ける彼女を思いながら。
彗星の如くこの世界に現れた異物。即ち、彼女。
「――朝霧桃香を解析してから、です。」
『え? は? どういう……?』
「朝霧桃香の強み。それは幾つか挙げられます。」
彼女は高い馬力と身体能力を備えていた。
大剣を震えば飛来する巨岩をも砕き、
その脚力は常人では追えない速度を誇る。
また、基本的には魔術に疎いのだが、
その代わりに魔力操作の技能については高水準だった。
本堂一刀流の『飛ぶ斬撃』を真似て、
独自に開発した『飛ぶ打撃』とその派生技を生み出す。
動作に合わせ魔力を流す技に至っては直感で習得する。
『あの馬鹿力はそういう祝福ってだけだろ?』
「いえ。ただの怪力の祝福では説明がつきません。
彼女にとって始まりとなるあの日の異常事態が。」
『異常、事態? …………心臓の再生か!?』
あの日、あの時、朝霧桃香は死にかけた。
アトラスの光弾で心臓を貫かれ地に伏した。
脈打つ心臓から流れる血を止める術は無く、
ただ死を待つばかりの物へと成り果てていた。
しかし黒幕と遭遇し彼女の心臓は復活した。
一命を取り留めるばかりでは飽き足らず、
暴走し、アトラスを返り討ちにしてしまう。
――祝福の覚醒にそんな便利な効能は無い。
『なら……あの時朝霧が助かったのは?』
「恐らくは肉体の変異。血の覚醒に合わせ、
肉体が、いえ、細胞そのものが変容した結果かと。」
『血の覚醒……!? まさかもう見当が?』
「はい。先に挙げた朝霧桃香の強み。
その特徴と見事に合致する亜人種がいました。」
エヴァンスは意を決するように小さく呟く。
雨は一際強さを増した。鋭い雷鳴が轟いた。
荒れに荒れた天候が空をより一層黒に染め上げる。
まるでこれから始まる混沌を示唆するかのように。
「朝霧桃香は人間ではありません。彼女には――」
――――
「――俺たちと同じ『鬼の血』が流れている。」
白亜の祭壇が灰色の光を乱反射する。
空間そのものが灰の色へと染まりだす。
まるで時間が停止したかのような単色が、
その他全ての色彩を彼方へと駆逐した。
止まった脳味噌を再び動かし、
朝霧が反応を返したのは十数秒後のことだった。
「いや……え? いきなり何を……?」
「朝霧拏業。奴の娘ならお前も鬼の一族だ。」
「その人も知らないです!
お父さんは蒸発して……顔も名前も……!」
知りうる知識は全て今は亡き母親からの伝聞。
声は勿論、ぼやけた輪郭すら出てこない。
だからこそ……否定も出来なかった。
今の朝霧に出来たのは只々困惑することだけだった。
「……教えてください。その男について!」
やがて朝霧の心を支配したのは復讐心。
母親を捨てて消えた無責任な男への苛立ち。
やはりまだ拭い切れていなかったかと内心で卑下しつつ、
朝霧は憎悪に燃える瞳をウラへと向けた。
タイミングを同じくして妖刀の再生が佳境に入る。
仲間たちの報告を受けながら、
ウラは静かに黒く染まった朝霧の瞳を見つめ返した。
「あれは我が一族の恥だ。人間には教えられない。」
「はぁっ!?」
「だが同族なら別だ。朝霧桃香、お前はどっちだ?」
質問の意図はすぐに汲み取れた。
封魔局と鬼の一族との共闘は偶然の産物。
状況によっては敵対もあり得る薄氷の上の同盟。
であれば、朝霧桃香の『旗』はどちらか?
鬼の若大将はそれが知りたいのだ。
その事を察し、朝霧は沈黙してしまう。
理解出来ていないと捉えたのだろう。
ウラはよりハッキリとした選択肢を提示した。
「俺たちと来い。もし出来ないなら情報は渡さない。」
「……ッ!」
今この場にいる封魔局員は彼女一人。
鬼たちは妖刀が復活し次第撤退する。
着いていくなら『今』しかないのだ。
長年追い求めた物を掴むには、今しか。
「わ……私は……」
震える声。今にも泣き出しそうな吐息が漏れる。
あくまで睨むような表情のウラとは裏腹に、
イブキは朝霧を哀れみ、胸を痛めていた。
――その時、祭壇の天井が崩壊し出す。
爆音と共に瓦礫が落下し、
祭壇内にいる五人の鬼へと襲いかかった。
完全に虚を突かれたウラたちは、
崩落から自分の身を守る事で手一杯となる。
その隙を、乱入者たちは攻め立てた。
瓦礫に紛れ侵入するのは二人分の人影。
空中で分離し、それぞれの敵へと剣を振るう。
影の一つは朝霧を、もう一つは妖刀を狙った。
「冥謳の伍――『歌倫鐘統』ッ!」
粉塵に紛れた死の斬撃。
其れはまるで冥府から現れた猛獣の牙。
妖刀の再生作業を行っていた二匹の鬼を斬る。
「タガマル……!? ドドメキッ……!?」
ドドメキは胸を斬り裂かれ、タガマルの右腕が宙を飛ぶ。
命の糸が途切れたように二匹の鬼は血を噴き倒れた。
と、同時に、ボロ布を纏った人斬りは降り立つ。
「オルフェウス!? ……ってことは!」
朝霧は自分に襲いかかった人影に顔を向けた。
崩落と共に巻き上がった粉塵は晴れ始め、
やがて、其処にいた一人の魔王軍の姿を露わにする。
「よぉ。何だか久しぶりだな、朝霧。」
「ジャックさん……ッ!」
戦場――白亜の祭壇。
元封魔局員ジャックおよび人斬りオルフェウス出現。
五人の鬼の前に、魔王軍が襲来した。




