第六十七話 私の場所
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女は自殺志願者であった。
特段不幸な出生という訳では無かったが、
彼女の繊細な心では苛烈な魔法世界は酷であった。
ただ自由に生きていきたい。
未熟者の我儘にも似た願望が彼女の胸には在り続けた。
与えられる全てに全力の想いを乗せられず、
あらゆる物が彼女に「合っていない」と感じさせた。
自分はまだ本当の姿を見つけられていない。
そんな言い訳を続け、彼女は年月のみを浪費する。
やがて彼女は、何も無くなり、独り森へと侵入した。
「流石、自殺の名所。またですか……」
巨体の神父に連れ去られ、彼女は『超常』と出会う。
頂きの玉座に腰掛けたその威容に心を奪われた。
魔法世界においても尚『非日常』と呼べる存在に、
胸の奥底から只ならぬ期待と興奮が湧き上がる。
(『私の場所』は……! ここだったんだ!)
女は翼を得たかのような万能感に満たされる。
男たちの目的は彼女の祝福のみであったが、
目を輝かせ自ら協力を申し出る彼女に根負けする。
やがて彼女は幹部の地位と新たな名を与えられた。
それこそがシャルル・ボネという人間だった。
施設で行われる非人道的な研究には目を背けた。
知らないガキがどうなろうが心には響かない。
そんな言い訳が事実に変わるまで染み込ませ、
主人であるウォーヴァのために命を使うと決めた。
そう思えていたのはひとえに
幹部は大切にされているという確信があったからだ。
優しい言葉。砕けた会話。時折見せる想いやり。
それらが与えられる度に彼女の承認欲求は満たされた。
つまりボネは……
自分がウォーヴァの『聖域』にいると錯覚していた。
――螺旋階段――
衝撃波の如き咆哮が、
空中に飛び出した朝霧たちを吹き飛ばす。
慟哭のような雄叫びは最早一つの破壊兵器。
朝霧と四人の鬼は階段の上部に叩きつけられる。
「ぐはっ!?」
「朝霧隊長……! ウラさん…! くそっ!」
我に返った隊員たちは銃を手に取り反撃に移る。
吹き抜けの塔に触手のアンカーを撃ち込み、
自重を支え階段の中腹に留まる異形を攻撃した。
だが弾丸が効いている様子は無い。
それどころか暴れ始めた触手が階段を破壊し始める。
崩れる螺旋階段。その上をグレンたちは駆け抜けた。
(っ……! 指示を、出さなきゃ!)
朝霧は身体を起こし手すりに手を掛けた。
下方の黒き樹は隊員たちと交戦している。
怪物の動きは決して早くは無いが、
今にも階段を完全に崩落させんばかりの勢いだった。
何かに気付き上方にも目を向ける。
其処に先程までいたはずの『超常』の姿は無かった。
周囲を取り囲んでいた生暖かい異様な魔力も既に無く、
灰色の陽光が差す天窓のみが静かに口を開けていた。
「っ……! ウォーヴァッ!」
逃してはならない。
此処まで敵を追い詰めてしまうと、
逃亡という選択肢に現実味を帯びさせてしまう。
いかにウォーヴァが聖域の主とはいえ、
一旦は闇に消え再起を図る柔軟さがあるかもしれない。
もしそれを実行されてはこれまでの戦いが無駄になる。
何より、朝霧の心がウォーヴァを許せなかった。
「逃がすか……! 皆、ソレは任せても良い!?」
『ッ……! 了解! 任せてください!』
「ごめんね。任せたッ!」
カッと見開く眼を血走らせ、
朝霧の本能が見据えた敵を滅ぼそうと唸っていた。
手すりに足を掛け天窓へと跳ぼうと力を込める。
がしかし、彼女の跳躍を怪物の咆哮が呼び止めた。
そして朝霧を行かせまいと触手の枝葉を伸ばす。
直下から放たれた鋭い一撃。
鋼の螺旋階段の床をいとも容易く貫いた。
個人を狙ったその攻撃で朝霧の周囲が崩落しだす。
(まずい……! 階段はもうボロボロ。ここで落ちたら!)
ふりだしに戻る、どころの騒ぎでは無い。
初期位置に戻った挙げ句、ゴールへの道が消えるのだ。
そんなに時間を費やせばいよいよ敵に逃げられてしまう。
焦る朝霧の胴を狙い、更なる触手が襲いかかった。
崩落で体勢の崩れた隙を狙った不可避の攻撃だった。
しかし突如、触手は力を失い下方へと落ちていく。
「いいぞラミア! 次行くぞ!」
「グレン!? シアナ!?」
シアナを乗せたグレンの自動二輪車が、
空中を駆け抜け『骸』の触手を切断して回る。
シアナの持つ毒の鉾は異形の巨躯にも有効だったのだ。
「先に行ってくださいっす! 朝霧隊長ッ!」
「――!? 二人とも、下ッ!」
触手の一つがシアナを宙へと突き飛ばす。
空中で制御を失いグレンも体勢を崩した。
(やっぱり私が……!)
助けなきゃ、という思いが無意識に体を動かす。
だがそれと丁度同じタイミングで、
異形の足元で複数の爆発が連鎖的に巻き起こった。
流石に効いたのだろう。
苦しそうな絶叫を上げ『骸』は暴れだした。
直後、朝霧の無線に古参隊員の声が響いた。
『隊長ォッ! ヤバそうなのとやってるな!』
「ハウンドさん……!」
『手柄は貰うぜ? これまでの戦いを無駄にするなよ!』
螺旋階段最下層の部隊が怪物へと攻撃を開始した。
それに呼応しグレンとシアナも再び攻勢へと転じる。
銃器が映す無数の閃光が、暗い吹き抜けに咲き乱れた。
「任せたよ、みんな!!」
今度こそ、朝霧は天窓へ向けて跳躍した。
それを見届けるとハウンドは隊員たちに指示を飛ばす。
「――行くぞ野郎共ォッ!!
怪物を叩き落とす、タイミングを合わせろ!」
上と下。挟むように銃弾の光が空間を彩る。
異形を空中へと固定している複数の触手を、
同時にそして一気に破壊するために。
一つ、また一つと枝葉は焼け落ちた。
立ち込める爆煙から弱った異形が姿を見せる。
「ッ……! デカいの三本! まだ残ってるぞ!」
「体勢を崩す! ――『ヨルムンガンド』ッ!!」
鉾から注ぎ込まれた紫色の猛毒が触手を蝕む。
三本の内の一本を破壊したのみだったが、
異形の体勢を崩すには充分な成果を上げた。
発狂する『骸』に灰の天光が降り注ぐ。
やがて彼女は、その空に立つ鋼の戦士を発見した。
「魔導機兵『カルラ』ッ!」
夜天を斬り裂く彗星のように、
鋼の衣を纏ったグレンは異形の黒樹へと突撃した。
青白いジェット噴射が巨大な怪物を大地へと押す。
負けじと怪物は雄叫びを上げた。
残った二本の触手に全力を注ぎ込む。
意地と意地との正面衝突。意志の強い方が勝利する。
「落ちろ。もう此処は――お前の『場所』じゃない。」
勝ったのはグレンの方であった。
更に熱量を上げた推進機が白く閃光し、
黒き巨体を己が機体ごと地面へと叩き落とした。
「ギュィィィィイイイイイ!!!!」
星を割るかのような衝撃が、
世界樹内部、螺旋階段の最下層で暴発した。
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白亜に輝く石造りの祭壇。
四方は壁に囲まれて中心の天井のみ大穴を空ける。
螺旋階段の天窓の先にあるこの神秘的な空間に、
朝霧と彼女に着いて来た四人の鬼が辿り着く。
(若。此処って……)
(あぁ。間違いないな。)
朝霧を除け者に鬼たちは密かに会議を始めた。
成り行きとはいえ、この場にいる局員は彼女一人。
形容出来ない不安を朝霧の直感が感じ取った。
「イブキさん? 何かあったの?」
「っ……いや、隊長殿! これは、その……。」
一番話しかけ易いイブキを選んだのだが、
彼女の返答は何処か、ぎこち無い。
まるで「申し訳なさ」で一杯の表情を朝霧から逸らす。
そんな彼女の肩を叩きウラが会話に割って入った。
伏し目なイブキとは対照的に、
その瞳には諦観にも似た決意で満たされていた。
「悪いが朝霧桃香。俺たちは此処で撤収する。」
「は、はぁっ!? どうしてですか!?」
「此処が俺たちの目的地だからだ。」
そう言うとウラは胸元から物品を取り出す。
折れた妖刀『暁星』だ。
これの復活こそ彼ら鬼の一族の本来の目的だった。
朝霧は彼らの目的と発言を振り返り、察する。
厳かかつ神秘的なこの白亜の祭壇。
エネルギーで満ち溢れたこの空間こそ、
鬼の一族が探し求めていた場所であると。
「妖刀の回復が済めば、我々は帰らせて貰う。」
若大将はタガマルとトドメキに妖刀を預け、
すぐに刀身の蘇生に取り掛からせた。
元より利害の一致でのみ動く同盟関係。
向こうの利益が無くなれば手切れは必然。
朝霧はすっかり困惑してしまった。
(どうしよう……完全に戦力としてカウントしてた……)
「ただ、その前に一つ確認したい。」
(え! これはまさか!)
朝霧は続く言葉に期待を乗せた。
このまま一緒に戦って欲しいか、等といった
彼女にとって有り難い申し出が来るのでは、と。
仁義を重んじる彼らだからこそ期待した。
しかし鬼の若大将は、
朝霧にとって予想外の質問を投げ掛けた。
「――朝霧拏業という男を知っているか?」




