第六十三話 異能推論
――数時間前・霧の森――
「狂乱クラクラ倶楽部ぅ?」
右腕の貫通痕に包帯を巻きながら、
切り株に座る森泉は素っ頓狂な声を上げた。
禁忌の森の地下施設から脱出して数刻。
宝樹主義者との全面戦争が確定したことで、
朝霧は自身が有する情報を共有することにしたのだ。
至って真剣な面持ちの朝霧。
そんな彼女に森泉は哀れみの目を向ける。
「そうか朝霧。お前ついに……」
「どういう意味ですかソレ!?
……じゃなくて! 本当にいるんですよ!」
「あーはいはい。そういう事にしよう。」
もう、と膨れながらも、
それがいつもの茶化しだと悟り説明を続けた。
スタンダールと接敵した禁忌の森で
あの時自分がどんな風に敗北したのか。
その一切を隠すこと無く全て共有する。
「……以上が私の見た全てです。
何か気付いたり、気になることはありますか?」
「あぁ。最初に聞いた時から、一個だけ。」
「――っ! そ、それは!?」
「……『狂乱☆クラクラ倶楽部!』って、
日本語以外だとどう翻訳されてるのかな、って。」
「真面目にッ! 考えてッ! くださいッ!!」
朝霧は森泉の胸元を掴み揺らした。
そんな彼女たちを見つめる影が二つ。
剣呑な面持ちのアリスとそれに気圧されたリサだ。
「あの……何してるの?」
「昆虫観察です。」
「いや……虫なんて何処にも?」
「いますよ。朝霧さんに集る薄汚いハエが……!」
(アリスちゃんってこんな口悪かったっけ?)
困惑するリサを他所に、
アリスは腕の力を強め更に目を血走らせた。
朝霧らは傍目からでは戯れているようにしか見えない。
こめかみに汗を流しながらリサも二人を見つめた。
「何? 仲いいの、あの二人?」
「野郎のプレゼントで狂喜乱舞してました。」
「脈ありじゃん。嬉しくないの?」
「朝霧さんを穢されるのはッ……!
あ、でも……甘える朝霧さんはちょっとイイかも?」
(無敵ね……)
呆れるリサが見つめる中、
アリスは浮かんだ妄想の世界で惚ける。
数秒後、ようやく脳裏を支配する邪念を振り払った。
「いやいや! それでもあの男はナイです!」
「そう? 隊長さんは随分信頼してそうだけど?」
「ん〜〜〜〜!」
腕を組みひたすら悩む。
もちろん朝霧の幸せは願っているのだが、
それはそれとしてアリスはまだ森泉を認めていない。
何せ彼の活躍は伝聞でしか知らないからだ。
「せめて、私の前で義俠の心を見せて欲しいです!」
数時間前のアリスは、
そんなことを考えながら戦闘に臨んでいた。
――現在・異界庭園――
偽りの陽光が眩く差し込める。
淡黄色の光は植物の葉に溶け込み黄緑色へと変わる。
庭園内はやけに気持ちが落ち着く。
呆けていれば小鳥の囀りでも聞こえてきそうなほどだ。
天井から伸びるツタに指を絡ませながら、
スタンダールは美しい日の光に身を委ねる。
気持ち良さそうに微笑むと目線を床へと落とした。
「ふふ、呆気なかったね?」
庭園の床には三人の侵入者。
意識が混濁する中でアリスは必死に顔を上げる。
狭まる視界の先には既に動かなくなった森泉がいた。
(何やられてるの!? バカ野郎ぉぉぉお!)
罵倒を声に乗せたいが今はそれすら叶わない。
全く喋れない訳では無いのだが、
襲い掛かる目眩と吐き気によって阻まれる。
(くそっ……! 対呪防御はもちろん、
諸々の対応策は施したはず……なのに……!)
苦しい、戦闘継続が困難なほどに。
今すぐ安静にしたいと脳が悲鳴を上げている。
そんな彼女らを見て勝利を確信したのだろう。
スタンダールは剣も抜かずに三人の元に降りた。
余裕たっぷりの笑みと共にリサの前に立ちはだかる。
「そろそろ負け癖ついちゃったんじゃない?」
「っ……! 誰……が!」
「まぁ安心してよ。僕は人殺しを愉しむ趣味は無い。」
代わりに人をいたぶるのが趣味だ。
そう言わんばかりの歪んだ瞳がリサに向く。
悪心で青いエルフの首を掴み上げ、
スタンダールは心底楽しそうに口角をつり上げた。
「やめ……ろ!」
「あ?」
親友の危機にアリスは黙っていられなかった。
言うことの聞かない体を引きずりながら、
悪意の靄に包まれた双剣士の足を弱々しく掴む。
「リサちゃんを……離せ!」
「いいよ。代わりに君で遊んであげるから!」
エルフを地面に投げ捨て男は叫ぶ。
抜かれた刃。耳障りな抜刀音が庭園に響く。
アリスは自らの死を鮮明に予見した。
その時――刃を持つ腕が何者かに止められる。
あ?と眉をひそめるスタンダール。
そんな彼の視線の先には口元を抑える森泉がいた。
敵を見据え咄嗟に動き出す二人。
スタンダールはもう一振りの剣を引き抜き襲う。
が、それよりも速く森泉は祝福を命中させた。
「ソフィアクルース!!」
――確信はあった。
元より彼の祝福は確信が無ければ発動出来ないが、
ともかくある程度の確信を探偵は得ていた。
――私、何もしてないのに気絶したんですよね。
魔法の発動条件は無数に存在している。
戦闘中にその発動条件を看破するのは困難だ。
だが状況によって幾つかの可能性は潰せる。
例えば『罠型』。
何らかの条件をこちらが満たしてしまうケースだ。
朝霧の情報から、この可能性は低いと判断した。
ならば次に考えるべきは『引き金型』。
見る、触れる、発する等のアクションによる術の行使。
最もメジャーなこの条件なら一目見れば判別出来る。
しかしそんな素振りは全く無かった。
探偵としての森泉の目にも、
アリスが有する厄視の眼にもその兆候は映らない。
結果、まんまと術中に掛かってしまった。
……そこで探偵は一つの可能性に辿り付く。
(目眩、吐き気、視野の狭窄……そして昏睡。
こう並べると、まるで何かの症状みたいだ。)
ウイルスや毒の可能性は薄い。
朝霧が対峙したのは禁忌の森という屋外。
風も日光もある空間での効果など知れている。
では他に何があるのか?
その疑問を払拭してくれたのはこの戦場だ。
空間をねじ曲げてまで作られた異界庭園。
禁忌の森同様、大量の植物に囲まれた空間だ。
「外せよ、そのマスク。」
「――ッ!?」
森泉の祝福により、
透明化されていた機械のマスクが剥がれ落ちた。
と、同時にスタンダールは慌てふためき手を上げる。
「うわあぁああ! 解除! 解除!!」
そう叫んだかと思えば、
アリスたちの体調に変化が起き始めた。
即時回復、とまではいかないが、
ほんの僅かに苦しみから解放されていた。
「やはりな。術者自身、耐性は無かったか。」
「こ……これ、は? 敵の、能力は……一体?」
「あくまで推理だが、身近な物だ。」
植物が大量に放出する最も有名な毒がある。
無味無臭であり毒ガスの検知もすり抜ける。
しかも人間は日常的にそれを服用している。
要するに、適量ならば益しかないが、
度を超えれば死に至る毒ガス。その名を――
「――酸素。『狂乱☆クラクラ倶楽部!』の正体は、
酸素濃度を異常化させ中毒を引き起こさせる能力だ。」
探偵はスタンダールを指差した。
無力で有用な探偵の戦いを見届けるように、
世界樹の外では一羽のカラスが飛んでいた。




