第四十五話 人斬りの後会
日が沈む。それが定めのように日は沈む。
ガラスの無い大きな窓からは、
幻想的な森がオレンジ色に染まる景色が映る。
沈む太陽が地平線に線を引き、
そよ風に揺らぐ草木に暖かさという化粧を施す。
美しい。思わずそう呟いてしまいそうになるほど、
その光景は人々の心を動かすに足る魔力があった。
聖域。やはり此処は聖域だ、と彼は感嘆する。
「失礼します……我が君。」
薄幸そうな女の声が部屋に届く。
彼は玉座のような豪華な椅子を回し、
彼女のいる入口の方へと顔を向けた。
女は彼を見たまま、許可が下りるまで動かない。
それを承知で彼は何も言わずに歩み寄る。
感傷の時間を阻害された事への細やかな報復であった。
「なんだい、メビウス?」
女の真横でニコリと笑みを浮かべて問い掛けた。
明らかに感情の籠もっていない笑顔を横目に、
メビウスと呼ばれた女は静かに口を動かす。
「シェーグレンたちがある少女を捕らえて来ました。」
「少女?」
「私の能力の影響下にいない少女です。」
「何も知らない侵入者、か? 処断しなかったのは……」
「はい。有用な祝福を持っていましたので。」
今度はニヤリと笑みを浮かべる。
そこには彼の感情が色濃く映し出されていた。
一通り報告を終えるとメビウスは退出する。
彼も身を翻し玉座へ向おうとした。
すると、背後で黒い瘴気が渦巻き始める。
「……サマエルか。」
「んーっ! 左様! 一通り調べて参りました。」
「結果は?」
「とっくに森を抜けてますね、魔王軍も!」
――地下施設・牢獄――
「えーと……? つまり……?
森に逃げた指名手配犯を追跡したら奴らに捕まったと?」
牢獄の中で朝霧は森泉の事情を聞いた。
彼の話を聞く限り、完全な別件だったようだ。
危険な事件に巻き込まれてしまった彼を憐れみ、
朝霧は深い深い溜め息を零す。
「アハハ、らしく無いミスでしたね。」
「ん……そうか?」
「そうですよ! 前に言ってたじゃないですか。
仕事を長く続けるコツは自分の領分を越えない事だと。」
それは朝霧にとって初めての任務でのこと。
逃走した連続誘拐殺人犯を森泉は敢えて追わなかった。
彼我の戦力差を考えての冷静な判断。
朝霧はそういった所も含めて森泉の事を慕っていた。
「あぁ……確かに言ったな。」
「というか、聖域の情報は持ってたんですか?」
「多少の知識はな、中に入ったのは始めてだが。」
そうですか、とだけ呟くと朝霧は牢の外を観察する。
露出する湿った岩肌。恐らく地下であろう。
遠くの方でぼんやりと光る灯りに目を向けてみれば、
そこから先には白い金属の廊下が続いていた。
朝霧の牢獄からはよく見えないが、
恐らく何らかの施設に繋がっている。
気を失う前の状況と照らし合わせれば……
「『宝樹主義者』の極秘施設……ですかね、ここ?」
「あぁそうだ。禁忌の森だったか? そこの真下だ。」
朝霧はリサの情報も思い出し合点がいく。
禁忌の森に掛けられた侵入者を拒む魔法。
地下に秘密基地があるのならその存在も納得だ。
禁忌という文言自体も恐らくは隠蔽のための物。
幸か不幸か、朝霧は敵組織の奥深くまで潜り込んでいた。
もしかしたら五番隊を発見出来るかもしれないと、
更に周囲の牢獄を観察し始める。すると――
「――!? 森泉さん! 森泉さん!」
「なんだ、やかましい……」
「隣の牢屋に! 誰かいますよ!?」
朝霧は森泉の隣の牢に人影を発見する。
暗くてその姿はハッキリと見えないが、
恐らく全身を隈なく拘束されているようだ。
声も出せず、音も聞こえない状態で捕まっている。
朝霧は唸りながらじっくりと目を凝らす。
恐らく成人女性。体格は朝霧よりも小さい。
俯き気味の顔からは情報が得られなかったが、
その頭部でキラリと何かが光ったように見えた。
(え? あれって……?)
朝霧はハッキリと認識する。
それは、小さくも綺麗な二本のツノであった。
ようやく朝霧は記憶の中の適合者を発見する。
「イブキ……?」
――とある集落――
もうじき日は沈む。夜の時間がやってくる。
赤い空と共に深まる影が聖域内部を覆い尽くす。
黒い塊と化した森の葉擦れが不穏な音を奏でていた。
だが不穏な雰囲気を作っているのはそれだけでは無い。
荒れた田畑。割れた屋根。そして砕けたレンガの壁。
乱雑に散らばった血痕と村人らしき人の死体。
この集落は死んでいた。
『やっと着けましたね、オルフェウス先生。
一体どのルートからやって来たんですか?』
「魔獣ダら、ケの森。全部、斬って来タ。」
聖域の主に見つからないように、
ボロ布を縫い付けたような装いの剣士は家屋に隠れる。
明かりの無い部屋で息を潜め、仲間と通話していた。
『声が不調だな。長時間、運用しすぎましたかね?』
「まダ、イケル。……が、お前ノ命令、に従オう。」
『ありがてぇ。先生は分別があって助かるな!』
――その時、集落の外で風を切る音が響く。
剣士は咄嗟に刀を取り壁に張り付いた。
割れたレンガの合間からギロリと目を覗かせる。
そこにいたのは一人の青年。
封魔局員の青いジャケットを羽織り、
機械も使わず、その身一つで空から舞い降りた。
その冷たくも赤い瞳がオルフェウスに気付く。
『大丈夫だ、先生。そいつは味方だ。』
男はオルフェウスが隠れる家屋の戸を開く。
周りの死体と変わらない目が剣士を見下ろした。
「貴サマ……名は?」
「ジャック。俺は何をすればいい、魔王軍?」
明日は休載します。次の投稿は8/22(月)です。




