第七話 人狼
――封魔局マランザード支部――
毒の雨からの避難所の一つとして
解放された封魔局支部では、
多くの人間が慌ただしく走り回っていた。
指示を飛ばす者。問い糾す者。泣き喚く者。
その立場は様々だが共通していたのは皆、
不安から大声になっている事だろう。
そんな支部の一角。
封魔局員たちの臨時作戦本部となっている
その場所には緊張が走っていた。
通信越しには怒号が響く。
応答しているのはミストリナ。
声の主はマクスウェル局長だった。
『どういうことだ、ミストリナ!
一体どれだけの被害を出しているのだ!?』
「申し訳ありません局長。」
周りの局員たちが狼狽える。
対してミストリナは淡々と答えていた。
『それもこれも……君が早々に封鎖線を張り、
敵を必要以上に刺激したからでは無いのかね?』
局長の語気が荒い。
相当頭を痛めているのが声だけで伝わってくる。
だがミストリナは変わらず、淡白に答える。
「はい、私の判断ミスです。まさかベーゼが――」
『――言い訳は聞きたくない。
これ以上封魔局の信用を下げられては問題だ。
……威信を掛け、一番隊を派遣する。』
「っ!?」
封魔局が誇る最高戦力、一番隊。
局長も一目を置いているその部隊の派遣が
驚くほど簡単に決定された。
『彼らが到着し次第、任務の全権を劉雷に移す。
指揮権を引き継ぐまでミストリナ隊長は
封鎖線を死守し現状を維持しろ!』
「了解。」
ミストリナは呟くように返答した。
切れた通信機の前で彼女は立ち尽くす。
(……仕方なかった、とは言うまい。
私の判断ミスに変わりは無い。
だが今回の戦闘はあまりに混乱しすぎている。
そして……妙な点もいくつかあった。)
彼女はすぐに思考をこれまでの出来事に移す。
自分が抱いた違和感を一つ一つ呼び起こす。
(我々にとって予想外は二つ。
局員がちょっと探しただけでベーゼの部下と
大量に接触してしまったこと。
一つの街で取引に使うには多すぎる。
そしてもう一つ……『雨』だ。)
街の外へと視線を移す。
毒々しい雨雲が今も停滞している。
(街全体への雨雲の広範囲展開。
魔法道具の補助があったことは確かだが、
なぜベーゼは取引にそんな物を持ち込んでいた?)
思考が加速する。状況からベーゼの意図を探る。
(本来取引される物品は『流星襲落の弓』だ。
隕石を墜とすほどの強力な兵器。
それ単品で取引は十分成立する。
戦力、兵器、どちらも取引には不要だ。)
取引にはあまりに過剰。――取引には。
「ベーゼは最初から何かと戦うつもりだった?」
「隊長! ジャックからの通信です!
雨の発生源及びベーゼ本人を発見したとの事です!」
隊員が早足で駆け寄り告げる。
その新情報にミストリナもまた考察を止め、
現場の指揮に戻る。
「局長殿からは何やら現状維持を推されていたが、
元凶を見つけたのなら話は別だな? だな!」
「フッ、知りませんよ?」
「戦力を二手に分ける!
一方はベーゼの確保、他方は封鎖線の強化だ!
あと――私も出よう!」
――星見展望台・麓――
朝霧がベーゼたちと対峙する。
無言の睨み合いが現場の空気を重くする。
だがその緊張を破るようにベーゼが開口した。
「コージ、トゥワリス。
この嬢ちゃんが例の朝霧って子だ。
気をつけろよ……?」
ベーゼの背後に控える部下二人にも
朝霧は静かに視線を向ける。
特に意識が向いたのはコージと呼ばれた男。
先程投石を行った『巨大化』の祝福持ちだ。
厄介な能力だが当の本人は
岩を砕いた朝霧に臆しているのか、
完全に萎縮してしまっている。
対してもう一人。
トゥワリスと呼ばれた男は腕を組み、
口角を上げ朝霧にほくそ笑んでいた。
(こっちの男の方が危険かも?
警戒すべきはベーゼとこの男――)
「――隙あり。」
瞬間、ベーゼが手の平を朝霧に向ける。
彼女の顔面を狙い緑の液体が噴射された。
「ッ!?」
反射で朝霧は首を大きく傾ける。
頬の横を掠めて溶解液は石畳の壁に付着した。
頑丈な石はシュウウと音を立て溶けていく。
その様子にベーゼは腹を押さえて笑っていた。
「ハッハッハッ! 勘がいいな!!
今の濃度の攻撃なら防水魔術を
貫通すると見抜いたか?
それともただの反射か?」
その言葉に朝霧はゾッとした。
避けたのは彼女が自身に掛けられた
防水魔術の存在を完全に忘れていたからだった。
しかし、もしそれに頼っていたら死んでいた。
「おい? まさかホントにただの反射だったか?
そりゃ失敗。情報の優位性を捨てちまったな。」
朝霧は一切反応を見せずに大剣を構える。
対してベーゼもまたニヤけた顔を崩さずに、
それでいてかなり低い声で部下に呼び掛けた。
「コージ、トゥワリス。三対一だ。ここで殺るぞ。」
「いいや、三対二だ!」
斬撃が敵集団の中央を飛翔する。アランだ。
ベーゼを狙った蒼白の刃は
彼の展開したバリアによって防がれる。
だが彼の攻撃は確かに三人の陣形が大きく乱す。
「ベーゼッ!!」
それを好機と捉えて朝霧が斬り掛かった。
斬撃の時と同じく彼はバリアを張るが、
今度の一撃はその守りを容易く打ち砕く。
そして後ろに蹌踉けるベーゼを狙い、
アランも斬り掛かった。が――
「させるかよ!」
ガキィンと高い音を立て刀が止まる。
割って入ったトゥワリスが
アランの刀を受け止めたのだ。
アランは驚愕した。
受け止められた事に対して、では無い。
彼は刃を受け止めた敵の容姿に驚愕した。
二の腕に生えた体毛、
その先でアランの刀を握る鋭い爪。
顔は牙を持つ口元が突出し、
毛とツンと立ち上がった耳が生えていた。
爪と刀でギチギチと押し合いながら
アランはその獣人に向けて問う。
「お前……人狼かよ。」
――同時刻・封鎖線――
マランザード内部から逃亡する犯罪者を
逃がさないための封鎖線。
本来その目的を持っているはずの
局員たちの目は今、外部に向いていた。
「止まれぇ――――ッ!!」
バリケードから身を乗り出し
ハウンドがショットガンを向け怒鳴る。
ショットガンの先にはバイクが一台。
砂漠の上に敷かれた道をまっすぐ進む。
運転手の頭にはフルフェイスのヘルメット。
赤と黒を印象づける服装、スカートに黒タイツ、
そして体つきから女性と推測出来る。
「最後の警告だ! 止まらないと撃つぞ!!」
ハウンドは背中が汗ばむのを感じる。
警告を聞き女は右手で何かを取り出す。
黒く無骨な銃器。マシンガンだ。
「――!? 総員伏せろ!!」
怒号の直後、銃が乱射された。
無数の弾丸がバリケードの間で跳弾し、
弾の一部が結界を形成する魔法石を撃ち抜く。
中から外へと出さない結界。
しかし外からの攻撃には弱かったらしい。
「チッ……てめぇ! よくも!」
ハウンドは起き上がり、
タイヤを狙ってショットガンを放つ。
銃声が響く。銃声だけが響く。
女はハウンドの攻撃に気づき、
バイクの前輪を持ち上げ弾丸を躱していた。
「ウィリー走行!? 味な真似を……!」
驚きながらもハウンドは
すぐに冷静さを取り戻し次弾を放とうとする。
が――
(なんだ? 指が、体が……!)
動かない。
そんなハウンドを嘲笑うように
女はバリケードにバイクで突っ込む。
やがて車両が陣形の内部で停止すると、
彼女は両手を広げ無数の爆弾をばらまいた。
「ダッ! ダッ! ダッ! ダーン!!」
女が口で効果音を吐くのと同時に、
大の大人も立っていられないほどの爆風が
周囲一体を盛大に吹き飛ばす。
爆発の衝撃を浴びながら女は一人、
天を仰ぎ、快楽に浸る。
(――あぁ、肉が痛む。骨が軋む。
良かった……私はまだ、『生きている』!)
爆風の衝撃で吹き飛ばされたハウンドは
女の服にあったマークを見つける。
龍のドクロの横顔を模した刺繍。
闇社会の王が率いる組織のマーク。
「亡霊達……か……」
薄れゆく意識の中、街を離れる女の後ろ姿だけが
ただハウンドの瞳に映っていた。