第三十五話 有翼の獅子
朝霧の叫び声が森の中を木霊する。
だが伸ばす手が届きはしない。
エレノアに向けて魔獣の牙が迫った。
その時――
「――ドォォオオオッッ!!」
一際大きな咆哮と共に、
エレノアを襲う三体の魔獣は薙ぎ払われた。
地震のように揺れる大地。
周囲の生物は皆一斉にそちらへ目を向ける。
其処にいたのは八本の足を持つ巨大な獅子。
通常より三倍は大きなその背には一組の白い翼。
勇壮という言葉がよく似合う気高き獅子がそこにいた。
インド神の化身。大型魔獣『シャルベーシャ』である。
「助けて……くれたの?」
「いや、違うみたい。」
咆哮と共に有翼の獅子は暴れ出す。
朝霧は咄嗟にエレノアを担ぎ退避した。
肩に背負われた彼女は異様な光景を目撃する。
「っ……! 魔獣を……喰ってる?」
「共食い……ってよりは食物連鎖ってとこかな?
向こうは『助けた』なんて気はサラサラ無いみたいね。」
そう吐き捨て朝霧は地面を蹴飛ばした。
加速する体は喰い合う魔獣の束から一瞬で距離を置く。
ふと周囲を見渡せば他の魔獣も喰い合いを始めた。
弱肉強食の世界。漂う血と臓物の匂いが鼻を曲げる。
縄張りを荒らされた事で集った中型魔獣。
その中型魔獣たちを狙い集った大型魔獣。
長閑で平穏だったはずの森林は、
いつの間にか赤黒く染め上げられていた。
獰猛な悪性に塗れた光景は隊員たちの正気を削ぐ。
「何だ此処は……地獄か?」
「足を止めるな! この機に乗じ総員退避してッ!」
「っ……! りょ、了解!!」
余裕の無い朝霧の怒号が隊員たちを正気に戻す。
こちらを襲い続ける魔獣のみを打ち払い、
第一班のメンバーは森の外を目指し駆け出した。
エレノアも隊員たちの後退支援に加わった。
磁力による反発で魔獣を吹き飛ばせる彼女は、
この状況においてとても頼もしい戦力である。
本人もそれを自覚し最後尾で魔獣に応戦した。
「早く! こっちです!!」
「助かった、メルニック隊員!」
(よし、これで最後……! 私も逃げなきゃ――え?)
その時、エレノアの瞳に一つの命が映る。
規模は小型。種類はシャルベーシャ。恐らくその仔だ。
草陰に隠れジッと息を押し殺して震えていた。
親獅子の狩りに着いてきたのか。
それとも元々この近辺に縄張りがあったのか。
理由は不明だが確かに其処に仔獅子がいた。
(こんな所にいたら……)
――瞬間、エレノアの前に大型の魔獣が迫る。
不意を突かれた奇襲ではあったが、
エレノアは地面を反発させ緊急回避に成功した。
「何してるのエレノア!? 早く退避して!」
「っ! すみません、朝霧隊長! すぐに!」
エレノアは魔獣たちに背を向け片足を出す。
その時、彼女を襲った大型魔獣は仔獅子に気付いた。
仔獅子もまたエサだったのだろう。
大型魔獣は草木を押し退け仔獅子を喰らおうと迫る。
この場でその事に気付いているのは二者。
一方は親である獅子。仔のピンチに気付き咆哮する。
しかし、彼の征く道を他の魔獣が妨げていた。
そしてもう一方は――
「クゥン……」
「――!? 何を……戻って! エレノア!!」
振りかざされた魔獣の凶手。
血に汚れた鋭利な爪が地面に傷跡を刻み込む。
だが狙われた小動物の肉片は飛ばない。
仔獅子を抱きしめエレノアは飛び出した。
「――照準、固定。『磁極烙印』ッ!!」
返す手で大型魔獣に磁力を付与し、
再び専用武器の鉄柱を取り出し放つ。
蒼い雷電が迸り、魔獣の腹を殴りつけた。
――直後、更に三体の魔獣が迫る。
ダラダラと涎を垂らし鳴らす喉。
空腹の魔獣たちはエレノアを襲った。
が、それら全ては衝撃と共に宙へと吹き飛んだ。
「ドォォオオオッッ!!」
「……親が来たみたいね。」
有翼の獅子、シャルベーシャは仔獅子を見つめる。
仔獅子を抱えるエレノアを見つめている。
視線のみの無言の対話。朝霧は固唾を飲んで見守った。
「ん。これで借りは無しよ?
まぁ最初からアンタにそんな気は無いでしょうけど。」
エレノアは磁力の反発により仔獅子を浮かす。
親自身はビクッと体を震わせ驚いた後、
仔獅子を口に咥え、その雄大な翼を広げた。
そして背後の魔獣たちをその羽ばたきで撃退する。
「クゥン! クゥン!」
「はいはい。それじゃあね!」
言葉が分かる訳では無い。
その声は翻訳魔術が働くほどの意味を持っていない。
だがそれでも、エレノアの口元は緩んでいた。
「すみません、朝霧隊長! すぐ撤退します!」
「うん! 生き延びなきゃね!」
朝霧たちは森の中を駆け出した。
アリスの事前情報ではまだまだ黒の森の領域内。
周囲には血と殺意の気配が充満している。
だがその胸の内に何故か不安は無い。
「各班、現状報告! みんな無事?」
『おう、第二班全員無事だ! もうすぐ森を抜ける!』
「了解! 第三班は?」
『…………』
「あの、ジャックさん? 報告の時くらいは話を……」
――ドサッ
木々をすり抜け真横に何かが落ちた。
え?と声を漏らし視線を移すと、
そこには胸元が陥没した隊員の死体があった。
「な!?」
『悪い報告が遅れた……! 正体不明の敵と交戦中!』
焦るジャックの声が無線から響く。
意識を上空へ向ければ交錯する戦闘の光と音。
そして、ドンヨリとした魔力の塊を知覚出来た。
――上空――
どこまでも広がる大空の中。
少し遠くに見える世界樹を背景に、
異様な気配の巨漢が重力に逆らい宙にいた。
天地を逆転させ、頭を下に大空に立っていた。
全身を包み込む黒い祭服。片手に抱く古びた聖書。
黒いハットに白い仮面で顔を隠した、
神父のような巨漢であった。
「おや。下に本隊がいるのですか?
道理で報告よりも少ないと思った訳です。」
(っ……! ナニモンだ、この化け物神父……!)
「では、私も下に降りましょうか。」
「――!! 朝霧ッ!! 上だ、敵がそっちに……!」
――黒の森――
隕石のようにソレは朝霧たちの前に落下した。
木々を折り地面を穿ってクレーターを作ると、
その中心の土埃の中からソレはゆっくりと起き上がる。
対峙するは朝霧たち第一班。
只ならぬ魔力の奔流に呑み込まれながら、
敵対すべきその脅威に向けて敵意を放つ。
「佳い。佳い闘争心ですね〜封魔局!」
「っ……! 貴方は一体?」
「私は『宝樹主義者』の幹部、シェーグレン。
以後、お見知りおきを――」




