第二十八話 剣士の死
ポケットに手を入れたまま、
鬼はギロリとその目を周囲に向けた。
コートを羽織り帯刀する姿はまるでヤクザの若頭。
ヒシヒシと伝わる殺気が他の生物たちを威圧する。
彼の後ろには更に二匹の鬼。
同じく現代的な服装に刀を携えた身なりで、
目の前にいる者たちを敵とし見つめていた。
「もう一度聞くぞ? 俺の部下を知らねぇか?
姑息なほっそい奴とちょっと足りてないデケェ奴だが。」
秋霖はハリスを庇いながら刀に手を当てた。
その背後では異変に気付いた封魔局員たちも集う。
高まる緊迫感。燃える道場が影をより一層深くした。
そんな中、エレノアは一歩前へと乗り出す。
トールハンマーを携えて敵意を剥き出しにしながら。
「メズとゴズね。私たちが倒したわ。」
「そうか……」
「けど、手を出して来たのは向こうよ!」
「だが殺したのはお前らなんだろ? そもそも……」
ウラの殺気が魔力に混じり渦巻き出す。
やがてその回転が彼の持つ刀へと収束した。
そして――
「どっちが先かなんて関係ねぇよ。
ガキの喧嘩じゃあるめぇし、それで戦は終わらない!」
――瞬き一つ。僅かな隙間。
ウラは抜刀し一歩でエレノアとの間合いを詰めた。
反射神経ですら間に合わない凶刃が、
エレノアの白く細い首筋にスッとその刃を突き立てる。
が――
「え?」
迫る鬼の剣を秋霖が絶ち斬った。
刀の先を圧し折りエレノアの首が飛ぶのを防ぐ。
そして、返す手で鬼の腹目掛けて刃を振るう。
鬼はそれを腕に仕込んだ籠手で受け切ると、
折れた刀を投げ付け着地際の隙を守り、
地に足が着くと同時に仲間たちの方へと飛び退く。
「やるじゃねぇか。爺さん。」
「耄碌したものよ……胴を斬ったと思ったのだがな。」
高揚する心臓。互いに薄っすらと笑みを浮かべた。
ウラは部下に予備の刀を要求する。
すると、キツネ目の鬼が刀を渡しながら耳打ちした。
「ウラ。あの少年の持つ折れた刀……」
「っ、まさか暁星!? ならますます、殺すしか無いな。」
三匹の鬼たちは横に並ぶ。
憎悪に似た敵意を宿しながら、
それでいて不敵な笑みをその顔に貼り付けながら。
そして彼らと向き合うように、
秋霖の左右にエレノアとシアナが並んだ。
まだ起きないアランや万全では無いハリスに代わり、
新たな鬼の増援を撃退しようと武器を構える。
「では、いざ尋常にッ!」
「「――勝負ッ!!」」
大炎上する家屋と静寂の森を背景に両勢力は衝突した。
ウラの相手は秋霖が務め、
残り二人の鬼と封魔局員たちが交戦する。
次第にそれぞれ戦場は距離を置き、
目で確認出来るギリギリの所まで離れていった。
「ほぉー? ラミアか、実物は初めて見た!」
キツネ目の鬼はシアナを蹴りながら森の奥へ向かう。
毒の鉾を丁寧に躱し、強力な一撃を的確に撃ち込む。
格闘戦はシアナも多少心得ているが、完全に負けていた。
(っ……! ボケバカ鬼より……技があるっ!
肉弾戦で鬼の相手をするのはラミアでも自殺行為だ!)
胴や腕に撃ち込まれる強打は、
鬼特有の怪力を余すこと無く威力へと変換していた。
元々疲労の貯まっていたシアナの体は悲鳴を上げる。
「ふん。既に満身創痍か。ならすぐに楽にしてやる。」
鬼は手刀の構えでシアナに近づいた。
その時、彼女の口元が緩み出す。
鬼が気付いた時には既に、
彼の足をシアナの長い尾が捕らえていた。
「っ!? これは……!」
「今だ! お前ら!!」
掛け声に合わせ鬼の背後から隊員たちが現れた。
そして暗い影の中から一斉に奇襲を仕掛ける。
しかし、キツネ目の鬼はあくまで冷静に呟く。
「『百の目』、開眼……!」
瞬間、鬼の両腕に大量の眼が浮かび上がる。
卵から一斉にカエルの子が産まれるように、
薄気味悪い球体が周囲を見渡しギョロリと動く。
そして、その目一つ一つから紫色の光線が放たれた。
光線は鬼の体を守るように、
彼に迫るいくつもの攻撃を完璧に迎え撃つ。
「我が名はドドメキ。悪いが私に死角は無い。」
(っ……! 特殊能力持ち……!? 厄介すぎる……!)
それとほぼ時を同じくして、
エレノア側でも苦戦を強いられていた。
激しい交戦により戦場は大きく移動し、
気付けば彼女の足は川の水に浸かり濡れていた。
「はぁはぁ……! っ……!」
既に疲労は全身へ広がり、
トールハンマーを握る腕にも痛みがあった。
磁力を駆使しまだ高速での戦闘も可能ではあったが、
それでも追い縋るのがやっとの強敵が前にいる。
その鬼は隊員数人を蹴散らすと、
エレノアのいる浅い川の中へと着水した。
激しい水飛沫を上げるその鬼の手には、
ギラギラと殺意に満ちた薙刀が握られていた。
「強いわね、アンタ。名前は?」
「タガマル。冥土の土産にこの名を持っていけ。」
「そう……けどまだ死ねないかな!!」
間欠泉の如く、二人の激突が水を巻き上げた。
その爆発音に似た衝撃音を耳に入れ、
ウラと斬り結ぶ秋霖は滝のような汗に肩を揺らす。
病み上がりで久し振りの剣。
落ちた体力では継戦能力も底が知れている。
ましては敵は鬼の総大将。
一度は刀を圧し折ったが、もうその隙は無い。
「どうした、爺さん? 体が意識に追いついて無いな。」
「ハァ……ハァ……! 老いには勝てんな……!」
「技能だけならこの場で最強なのにな、残念だ。」
既に味方全員が満身創痍。
決して楽では無い戦いの連続で体はとっくに限界。
秋霖がチラリと周囲を見渡してみれば、
エレノアもシアナも完全に押されて苦しんでいた。
最早敗北は――時間の問題。
(致し方無し……)
鬼の目の前で、秋霖は構えを解いた。
突然の戦闘放棄に何かの罠かとウラは警戒する。
丁度攻撃が止んだ事に笑みを零すと、
秋霖はスゥと息を吸い込み山全体に声を送った。
「聞け!! 万夫不当の鬼人たちよ!!」
「「「――――ッ!!」」」
鳴り響く号令に山で戦う全ての者が手を止めた。
エレノアも、シアナも、ハリスも、
他の封魔局員も、そして、三人の鬼も老人を見つめた。
多くの注目が集まる中、
秋霖はフッと自嘲的な笑みを浮かべる。
そして――己の左腕を斬り落とした。
「「「なッ!!??」」」
誰もが驚きの声を上げた。
誰もが状況を理解出来ずに困惑していた。
そんな中、血の溢れる腕を叩いて止血し、
尚も笑みを浮かべながら秋霖は声を上げた。
「この場は……これで収めてくれないか!?」
「っ! そういう事かよ……」
「無論、妖刀も返却する……!
だからこれ以上、他の者たちに手を出さないでくれ!」
気付けば二匹の鬼はウラの後ろに立っていた。
それに合わせエレノアたちも周囲に集まり、
秋霖とウラの交渉を固唾を飲んで見守っている。
そんな現場の空気に苛立ちながら、
鬼の総大将は口調を荒げその提案を却下する。
「ふざけるなッ! んな物じゃ全く足りねぇよ!
こっちは仲間の命を二つ取られ、秘宝も折られてんだ!」
「っ……!」
「それを老い先短いジジイの腕一本?
笑わせるな! せめてお前の命で対等だ!」
再びその空間の緊迫感は高まる。
交渉は決裂したとその場の誰もが思う。
だが、秋霖はまだ諦めていなかった。
大勢の視線の中、
刀を自分の真上へ向けて投げ捨てる。
そして、その落下地点に残った腕を差し出した。
「……師範?」
ハリスの目に血が弾ける光景が映る。
秋霖の右腕が大量の血を噴出しながら地に落ちた。
周りを取り囲む全ての者がその姿に戦慄した。
それはウラも例外では無かった。
「ぜぇ……! ぜぇ……! フッ……殺した、ぞ……!」
「じ、爺さん。アンタ何を言って……?」
「たった今……剣士としての私は死んだ!
最強と言ってくれたな? その私が死んだのだ!」
確かに言った。技能だけならこの場で最強だと。
そしてこうも言った。彼の命を払って対等だと。
それを口走ったのは他でも無い、鬼の総大将ウラだ。
「ふ、ふざけるな! 通るかそんな屁理屈!」
(ウラ……)
「第一……! そんな覚悟があって……!
貴方は何故まだ『生』にしがみついている?」
ウラは純粋に思った事を口にする。
交渉において全く必要の無い質問。
それだけ彼は動揺していた。
対する秋霖は眠るアランとハリスに目を向ける。
「まだ死ねない……例え老い先短い命だとしても、
大事な息子たちの成長を見届けるまでは……!」
「…………っ!」
「だが足りないと言うのなら、この命喜んで差し出そう。
息子たちの命を守れなければ意味が無いのでな。」
ウラは歯を食いしばりワナワナと腕を震わせる。
刀を握りしめた拳からは真っ赤な血が流れていた。
そんな彼の肩を叩くようにタガマルは手を置く。
「これを蹴れば我らはお前を見放すぞ?」
「タガマル……」
「交渉に持ち込まれた時点で、俺たちの負けだ。」
そう言うと二人の鬼たちは背を向ける。
対するウラは俯いたまま動かない。
彼の苛立ちが魔力となって伝わった。
そして感情すべてを外に出すような、
深く長い溜め息を吐き出し口を開いた。
「分かった……手は下さない。」
「感謝する。」
「だが仲間の無念は晴らさせてもらう。
ドドメキ。あそこにあるメズの鬼火を森に広げろ。」
「!?」
ドドメキは淡々と頷くと道場に向け手をかざす。
彼がその手を動かすと、それに呼応し炎は揺れた。
業火は木々を喰らうと嬉しそうに燃え広がる。
あっという間に山火事は周囲へと拡散していった。
「ちょっと! 約束が違うじゃない!」
「俺たちは森に火を放っただけだ。
直接殺す訳じゃないし、これで死ぬかはお前ら次第だ。」
「なっ……!」
「それに……メズたちの件はこれで忘れる。
もしまたお前らに会っても、この件で襲いはしねぇよ。」
寂しそうにそう呟くと、
ウラは折れた妖刀を拾い上げ立ち去った。
エレノアは消える鬼たちの背を見送ると、
周囲の封魔局員たちと協力し脱出を図る。
「エレノア、師範殿は!?」
「止血はしました……けど気を失ってます!」
「すぐに病院に連れて行くぞ! アランは!?」
「まだ起きません!」
「早くしないと火で退路が絶たてる! 急ぐぞ!!」
火は木を焼き切ると隣へ移る。
それも焼き尽くすと更に隣へ飛び込んだ。
薄まる酸素。上がる脈拍。流れる汗。
動けない者を担ぎながら、山を全速力で駆け降りる。
「必ず……! 必ず生きて帰るんだッ……!!」
業火の中で、エレノアは叫んだ。




