第八話 水鏡之徒
灰色の空は轟音に揺れる。
それは魔獣の咆哮。それは化け物の地響き。
それは戦士の発砲音。それは祝福の起爆音。
五ヶ月前と同じような戦闘が都市を揺るがす。
「……っ! やっぱ俺の祝福じゃ効きが悪いか……!」
避難誘導を行う隊員たちを護るように、
ショットガンを片手にハウンドは立ち向かう。
相性はあまり良く無い。が、経験値でその穴を埋める。
迫りくる爪牙の斬撃に武器を合わせて受け流す。
叩き込まれる大尾の打撃を見切って躱す。
一人で十分抑えられた。それを可能としているのは――
(――同じだ。コイツは五ヶ月前と全く同じ魔獣だ!)
目の前の脅威が寸分違わず過去の個体であったからだ。
不気味な違和感に寒気を感じながらハウンドは応戦する。
しかし、事情を知らないリーヌスの目には、
ハウンドという男がかなりの強者に見えていた。
「すっげぇ……! あんな化け物と互角に戦っている!」
湧き上がる高揚感に身を震わせながら、
リーヌスは銃を持った魔法の戦いを目に焼き付ける。
その目はヒーローショーを見る子供のソレだった。
思わず笑みが溢れるほどに、彼は童心に帰っていた。
(かっけぇ……!)
車両の真横。先輩たちの後ろで彼は惚ける。
――その時、彼らを挟み込むように白煙が爆発した。
「――!? ハウンド! 後方よりもう一体出現!!」
鋭い爪を鳴らし恐竜のような魔獣が咆哮する。
その絶叫にハウンドも戦慄するが、
流石に今は一体を抑え込む事で手一杯であった。
「チッ……! そっちは任せる!
だがリーヌスは下がれ! 住民の避難を援護しろ!」
新人のリーヌスを気遣いハウンドは指示を飛ばす。
隊員たちはそれに従い応戦を開始した。
後方からも轟く戦闘音を号砲に、
リーヌスは避難者の防衛のために走り出した。
(早く済ませよう! 早く済ませて続きを!)
気分は大好きな番組のために用事を済ませる子供。
味わった事の無い刺激。何でも出来るかのような万能感。
ただ観戦していただけなのに彼の心は自信に満ちていた。
(凄い所だ魔法世界! 俺もいつかあんな風に……!)
速やかに引き継いだ仕事を終わらせると、
リビングに戻るようにリーヌスは戦場に舞い戻る。
期待と興奮を胸に彼は目を見開いた、が――
「ぐはっ……! だれかっ……援軍……を!」
散らばるは血の徒花。犬死にの赤い跡。
後続の一体を担当した先輩隊員たちは、
見るも無惨な血肉の塊へと変貌していた。
「…………え?」
何が起きたか理解出来ない。いや、理解を拒む。
魔獣の口に垂れる赤い液体。爪を染める血肉の臭気。
グルルルと鳴る声が次の獲物を探し腹を空かす。
リーヌスは思わず口を抑えて膝を突く。
震える身体。恐怖が吐き気として込み上げた。
止めようとする度に倍の嗚咽が喉を鳴らす。
(そうか……この世界も同じ……あれが普通なんだ。)
誰もが英雄に成れるのなら、英雄など必要無い。
その他大勢の無冠がいるからこそ栄光は意味を持つ。
彼らは遥か彼方を歩む者。凡人たちは及ばない。
(僕は何を勘違いしていたんだ?
嫌と言うほど体験して、後悔したじゃないか!)
落ちこぼれの青年は現実を知る。
誰もがハウンドのように活躍出来るとは限らない。
そもそも今を生き残れるかすらも分からない。
もう視聴者では無い。当事者になってしまったのだ。
直後、魔獣の瞳がギョロリと動く。
どうやら獲物を見定めたようだ。
もちろんそれは、狙いやすいリーヌスだ。
「ッ!! 逃げろリーヌス!!」
(あ……死ぬ。)
ハウンドは必死に呼びかける。
しかし恐怖に駆られたリーヌスには届かない。
魔獣の巨大な口が彼の眼前で牙を見せつけた。
(誰か……助けて……! 助けてよぉ! ヒーロー……!)
彼の脳は死への準備を始めていた。
その証拠に、走馬灯が浮かび上がる。
――四ヶ月前――
深い森がざわめき出す。
木々の合間を通り抜け冷たい風が肌を撫でる。
それはまるで、亡霊でも通ったかのような肌寒さ。
『まぁ……合格かな? おめでとうリーヌス。』
そんな亡霊の森の中、
骸骨頭の男は採点用紙を眺めて呟く。
彼の前には肩で呼吸するリーヌスがいた。
(これが魔法……! 僕の祝福……!)
彼の足元に転がっていたのは岩のゴーレム。
強固な身体を持つ魔法生物たちが乱雑に倒れている。
それらの肉体は、ほとんど粉々に砕かれていた。
『さて、お前の意志を確認しておこうか。
このまま「亡霊達」として俺の部下になるかい?』
(お! これはつまり勧誘だな! けど悪者かぁ……
どっちかって言うと正義側の方がいいなぁ。そうだ!)
リーヌスは考える。自分の売り込み方を。
ただでさえ不満のある組織。せめて優遇はされたい。
故に彼は、あえて突き放すような発言をする。
「フッ……オレは誰とも馴れ合う気は無い。」
決まった、と彼は内心高揚する。
覚醒したばかりの彼は最高に中二病であった。
それは彼がアニメで見た格好いいと思う台詞。
そのアニメではこの後、
相手が引き留めるように懇願する台詞が続いた。
だからリーヌスもそれを期待し反応を待つ。が――
『え? あ、そなの? ……すぅ……そっかぁ……』
(あれ?)
『じゃあ、まぁ……ご縁が無かったって事で……』
(あれぇぇえーーーーっ!?)
――黒幕は彼の発言を真に受けてしまった。
そして何処か寂しげに帰り支度を始めてしまう。
しかしリーヌスも冗談だと言うタイミングを逃し、
貼り付けたクールキャラのまま硬直していた。
(え? あの、あの……!)
『……一応最期になるかもだからアドバイスだ。』
(さ、最期? ちょっ、ちょっ!)
口下手な彼のか細い声も届かず黒幕は続けた。
今にしてみればこのアドバイスを
もっと早く聞きたかったとリーヌスは無念がる。
それほどまでに彼の本質を良く突いていた。
『お前は上の人間ばかりを見ているようだが、
彼らは言わば――遥か彼方を歩む者。
出発点にすらいないお前では絶対に追い付けない。』
当時のリーヌスには訳が分からなかった。
湧き上がる魔力の万能感、無敵感。
それが調子付きやすい彼を惑わせていた。
それでも構わず黒幕は語り続ける。
『お前は凡人だ。まずは自分が無能だと気付け。
己の無能さに絶望した時、それが出発点に立つ時だ。』
――――
――カッと目を見開き顔を上げる。
迫りくる血染めの爪牙を睨みつける。
遠くで聞こえるのはハウンドの声。
守ろうとしてくれているようだが、間に合わない。
死の充満した銃社会。己を守れるのは己だけだ。
「っ……! ぁぁあ! やってやるッ! 祝福発動ッ!」
しかしリーヌス本人にそんな実力は無い。
あるのは遥か彼方を歩む者への憧憬のみ。
そして、それが具現化したような祝福のみ。
「――『水鏡之徒』ァアッ!!!」
刹那、青白い閃光が彼の背後に現れる。
やがてそれは人の姿を形成し、魔獣の爪牙を打ち払う。
其れは青白い甲冑に身を包んだ仮面の人物。
二メートルは優に越える長身と、
それに並ぶほどのロングソードを携えた騎士であった。
(あれがリーヌスの祝福か!
使い魔? 式神? とにかく召喚系能力か!!)
ハウンドは聖なる騎士に目を奪われる。
だが彼の感情はすぐさま驚愕という色に変わった。
瞬き一回。たったそれだけの合間に事は起きる。
騎士の甲冑が再び青白く閃光したかと思うと、
ソレは一瞬で魔獣の頭上にテレポートした。
そして、落下と共にその胴を斬り刻んだのだ。
轟く魔獣の咆哮。痛みによる絶叫だと理解できる。
すぐさまその大尾を振るい応戦するが、
騎士はその尾を身体で受け止め耐えきった。
「スピードもパワーも……! 隊長格に迫るぞ……!
リーヌス! これはお前が操作しているのか!?」
「いえ……! 今はしてません!
僕の祝福には意志があります! 完全自律型の!」
祝福『水鏡之徒』。世にも珍しい意志を持つ祝福。
自律行動可能な蒼白の騎士を召喚し使役出来る。
リーヌスが操る事も出来るが、しない方が強い。
(これは僕自身の実力と呼べるかは怪しい……
けど今はいい。僕はまだ出発点に立ったばかりだ!)
トドメとばかりに騎士は剣を振るう。
その重く鋭い斬撃は魔獣の首を断ち切った。
噴き上がる血の噴水。だが蒼白の鎧は汚れない。
「あれが僕の目指す先……! 遥か彼方を歩む者!」
――――
魔獣の一体を倒し、騎士は消滅した。
恐らくリーヌスの魔力切れだろう。
ぐったりと脱力しハウンドの腕に倒れ込んだ。
「っ! 大丈夫か、リーヌス!!」
「はい……なんとか……」
リーヌスの返答を聞きハウンドは安堵する。
そしてすぐに、その表情を引き締めた。
残る一体の魔獣を対処せねばという使命感から
再び魔獣に向けて顔を上げた。その時――
「――あら? もうガス欠なの、その子?」
一人の女が魔獣の背に乗っていた。
大きく真っ赤な鎌を片手に、
濁った瞳がハウンドたちを冷たく貫く。
「!? 何者だ……!」
鎌を愛でるように撫でながら、女はニヤリと笑う。
ハァと艶めかしい吐息を溢し光悦した表情で語り出す。
「魔王執政補佐官、第六席。≪鏡面世界≫のアンよ。」




