第三話 寄す処
――同日・夜――
暗がりが世界を包む時刻。やはり中央都市に星は無い。
一秒たりとも闇を侵入させないように、
都市の明かりが街全体を青白く発光させている。
そんな夜景に目もくれず、
朝霧は自室の机で半透明のパソコンと睨み合う。
眠気覚ましのコーヒー片手に雑務をこなしていた。
(次は報告書のチェックか……量が多い。)
一つの仕事を片付け、次の仕事に移る。
局長に配慮され仕事量は少なくされていたが、
それでもやはり気が滅入る量の文字列が並ぶ。
(分かってたつもりだけど……隊長って大変ね。)
眉間をつまみながら朝霧は吐息を漏らす。
そしてあの人も大変だったんだな、と
今更ながら亡き上司の苦労を体感した。
(すぐ事件に巻き込まれる隊員は面倒だったのかな?)
例えば休暇中に魔王軍第四席と戦闘する者。
例えば列車の移動中に悪徳教団と交戦する者。
朝霧は我が身を振り返り気分を落とした。
「あ~~~~! ダメだ! 集中力切れた!」
朝霧は立ち上がりベッドの上に飛び込んだ。
乱れたシーツ。乗せてた荷物の一部が落ちる。
それらをボーッと眺めながら枕に顔をうずめる。
(今日は疲れたな……)
昼間には新規入隊者四人との顔合わせがあった。
彼らも公務員。性格面に致命的な欠陥は無い。
幸いにして顔合わせ自体は問題無く終了できた。
が……
「首席入隊者? ラミアの亜人? 黒幕との接触者?
……何でこのメンツの上司が未熟な私なの?」
身体以上に心が疲弊していた。
彼らの前では無理に気分を上げ取り繕っていたが、
その反動によって今は全く元気が出ない。
もうこのまま眠ってしまおうか?
全身を覆う睡魔の囁きに誘惑されてしまった。
その時――
「――ぅお届け物でーすッ!!」
耳を殴りつけるかのような大声と共に
ドアを押し開けアリスが乱入してきた。
その手に小さな包みを抱えズカズカと進軍する。
「あ!? ごめんなさい、お休み中でしたか!?」
「…………丁度起きたかった所。」
――――
朝霧はアリスを座らせ飲み物を用意する。
彼女の乱入ですっかり目は覚めていた。
スプーンを搔き回しながら再び仕事に脳を使う。
(リーヌスは完全に信用していいのかな?
資料には路頭に迷ってる所を保護したとあったけど……)
「……――さーん?」
(シアナの方も見なきゃかな?
でも敵以外の亜人なんて初めてだからなぁ……)
「朝霧さーん?」
(グレンやエレノアも疎かには出来ない。
二人共将来有望なんだからしっかり育成しなきゃ……)
「朝霧さーん!」
ハッと我に返り、声に反応する。
気付けば彼女の真横にまでアリスが迫っていた。
そんな事も分からなくなるほど朝霧は疲弊していた。
「大丈夫ですか?」
「ごめんごめん! すぐに用意するから!
えーと……アリスは確かミルク多めだったよね?」
「そうですけど……手伝いましょうか?」
「いいから、いいから! 少し考え事してただけ!」
そう言うと朝霧はコップを運び出す。
アリスも彼女に付き従うが、
やはりその背中には心労の色が見える。
「悩み事ですか?」
「大丈夫だって! 立場が変わって少し疲れただけだよ!」
朝霧は心配いらないと笑顔を見せた。
しかしアリスの眼にはハッキリと写る。
その笑顔が空元気だと悟らせる真っ黒な靄が。
「……メセナさん、覚えてます?」
「うん? アンブロシウスの守護者の?」
「はい。彼女は一人で街を護ろうとしてました。
そして市民もそれに甘えて……あの事件が起きた。」
朝霧はアリスの言いたいことを漠然と察する。
メセナは圧倒的な『個』として活動していた。
そしてそこを魔王軍幹部の硝成に狙われ利用された。
「一人で何でも上手くやれる人なんていません。
私たちだっていますから、頼ってください!」
「…………アリス。」
「最近の朝霧さんは顔が怖いです。
私はもっと笑っている朝霧さんの方が好きです。」
それはフィオナにも指摘された事だった。
分かっているつもりでも、やはり治っていない。
朝霧は申し訳無さそうに寂しく笑った。
「うん。ありがとう……少し楽になった。」
それはアリスが求める笑顔とはまだ遠い物だった。
しかし、確実にその顔に掛かった靄は減っていた。
(決めた! 私は朝霧さんの笑顔を取り戻す……!
それがどれだけ長く険しい道でも……必ず!!)
――この時、アリスはそう心に誓った。
大好きな人の顔に負の感情という靄を掛けたく無い。
その願いのためにこの命を燃やすと決心した。
「……あれ? そういえば届け物って?」
「あーはい。外部からの小包ですね。
送り主の名前は……『森泉彰』って方からです。」
「え! 森泉さんっ!」
朝霧は声を弾ませ立ち上がる。
早速小包を開けると中には綺麗に包装された箱。
そこには彩り豊かなアロマランプセットがあった。
「綺麗……」
「メッセージカードもありますね。
えーと……『昇進祝いだ。朝霧隊長。』ですって。」
「ふふ! うん! ありがとうございます!」
朝霧は今にも溶けてしまいそうな顔でランプを抱く。
心底嬉しかったのだろう。すぐに部屋に飾り始めた。
やがてとても心地良い香りが部屋を満たす。
決してクドく無く、だが確実に気分を晴らす香りだった。
「いい匂い。かなり好きかも。」
「良かったですね朝霧さん!」
「うん! また森泉さんにお礼言わなきゃ!」
朝霧は屈託の無い眩しい表情で満たされた。
弾むような喜びのままに心をときめかせる。
そんな微笑ましい彼女を眺めながらアリスは思った。
(…………あれ? 笑顔戻ってね?)
――とある都市・路地裏――
まだ空も暗い中、
燦々と降り注ぐ雨から逃れるように男は走る。
背中をジワリと濡らす液体。雨か汗かも分からない。
ただ乾いた呼吸に急かされ走り続けるだけだった。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ゴミ箱を蹴飛ばし男は止まる。
大きく揺らすその肩には深く痛々しい刀傷。
止められない血を抑えながら壁に凭れかかった。
「早く伝えなければ……魔法連合……いや封魔局に!」
――刹那、男の真正面に黒い影が降り立つ。
男は一瞬ギョッとしたが、すぐさま敵意を向けた。
地面に散らばるゴミ箱を影に目掛けて蹴り飛ばす。
しかし、ゴミ箱は一閃の元に切断された。
「――ッ!」
そこまでは予想していたのか、
男は宙を舞うゴミで視線を遮り逃走を図る。
狭い二つの壁を交互に蹴り上空へ逃げた。
その時――
「――本堂一刀流……飛翔剣。」
追跡者の飛ぶ斬撃が男の胴を切断した。
グシャリと不快な音を立てる落下物。
その地面を真っ赤に染まった雨水が流れ逝く。




