第六十七話 運命の分岐点
彼女の人生には、多くの後悔があった。
多くの無念があった。多くの未練があった。
羨ましがられない人生。それが彼女の一生だ。
では彼女の運命、その分岐点は何処だったのだろう?
自分では無く部下の安全を優先した時?
ラインハルトとの結婚を蹴った時?
六番隊隊長に就任した時?
或いは、ジャックと逃げ出したあの時?
選択の余地は……沢山あった。
彼女と、彼女を取り巻く人間全てに。
あの時こうしていれば、はいたる所に点在していた。
それでも、今この瞬間だけは――
ミストリナに後悔は一つも無かった。
「ゴボッ……! 朝霧……!」
ミストリナは怪物の肩に手を当て呼びかけた。
しかし帰って来るのは獣の咆吼。
そして彼女を貫く腕は無情にも引き抜かれる。
「グフッ!? ッ……『収縮』!!」
まさに死ぬほどの痛み。
大量の血を吐き出しミストリナは膝を突いた。
しかし手が離れる一瞬で彼女は怪物を無力化する。
「アーッハッッ! ハハハハッ!
悲しいなミストリナァ!? 部下に殺されるとは!」
不快な声にミストリナは睨み返す。
すると厄災はひとしきり嗤い終えると、
周囲にいくつもの魔法陣を展開した。
「最後は私が派手に殺してやろう――」
バチバチと大気が電気を帯る。
禍々しい紫色のエネルギーが渦巻き出す。
誰が見ても分かるほどの即死の一撃だ。
そんな肌を刺すような魔力の前で、
ミストリナは縮めた朝霧に話掛ける。
「以前した話……覚えているか?
幸せを呼ぶ青い鳥……その捕まえ方の話だ。」
声が届いているとは思っていない。
それでも必死に言葉を紡ぐ。
これだけは伝えておきたかったからだ。
「私は以前、その答えを『愛すること』だと言った。
青い鳥……つまり幸せそのものを愛するという意味だ。」
幸せを得るのは難しい。
何故なら大概が高望みをしているからだ。
まるで伝説の財宝を探すかのように幸せを求める。
「幸せを求める者ほど現実に絶望している。
私の人生は幸福では無いと、どこまでも卑下しだす。
……『幸せ』なんていうのは結局、陳腐な物なのにな。」
決して羨まれるような人生では無かった。
辛いことも、痛いことも、悲しいことも。
彼女は人並み以上の苦痛と共に体験してきた。
「だが私は……ゴホッ! 自分の人生を卑下はしない!」
ミストリナは立ち上がった。
ローデンヴァイツはその再起に驚きながらも、
貯め込んだエネルギーを躊躇無く放出する。
(――私がまだ生きているのは……
お前の能力か? シュブ・ニグラス?)
『jgejj fhwyhijgxbjjkehhwhwj』
(驕るな異形……お前のような母など知らん。)
『lol』
(だが……丁度良い……魔力を回してくれ。)
『knfafafnjs』
(もうとっくに死んでるよ。)
ミストリナは風穴の空いた胸の前で祈りを捧げる。
それは彼女の人生の集大成とも呼べる大魔術。
極天魔術の中でも奥義とされる――凶星の一撃。
(――我、天啓を得たり。この命を星に還さん。)
ミストリナの周囲は黄金に輝き出した。
紫色と金色。二つの魔力が衝突する。
直後、朝霧に掛けられた収縮が解除される。
「ッ……! ……隊……長?」
「おっと、そっちの魔力が切れたか。」
寝起きのような瞳で朝霧は見つめる。
自らの前に立ち厄災の一撃に向かう彼女を。
そして、その胴に空いた痛々しい風穴を。
「――ッ! 私……! 私が……!」
「朝霧ッ! ……話の続きだ。
私は自分の人生を卑下する事など出来ない。」
ミストリナは決して折れる事は無かった。
例え何度地に伏そうとも立ち上がる事が出来た。
それが出来たのは、ひとえに……
「君らがいてくれたからだ……!
私の自慢の精鋭たち。私は君らと共に笑い合えた!
何て事は無い日々だったとしても、それが幸せだった!」
青い鳥を求めた者は、
最後に自らの家でその幸せを見つけたという。
何気無い日常の中に真の幸福を見出した。
「君たちと紡いだ多くの『幸せ』を無視して、
とても不幸な人生でした、などと死んでも言えるか!
私はこの小さく大きな幸福をずっとずっと愛してきた!」
ミストリナは怪物を抱き寄せる。
血と涙に濡れた顔を歪ませながら
吐き出すように声を発した。
「あえて言おう……! 私の人生は『幸福』だった……!
だから朝霧! 私はこれから死ぬが……気にするな!」
ミストリナは朝霧の方へと振り返った。
いつものように八重歯を見せ笑う。
それはこれから地獄の道を進む朝霧への激励だった。
(そんな……嫌だ……!)
「さらばだ、私の愛しき朝霧桃香!
極天魔術、天意――『グランドクロス』。」
黄金の光が天極の間を支配した。
禍々しい厄災の魔力を跳ねのける。
「そんな……嫌! ミストリナ隊長ぉッッ!!」
しばらくして光は消える。
そこには抜け殻のような女の骸が転がるだけだった。
朝霧は地に這いつくばりながら其処に向かう。
(……私の、せいだ。)
それと同時に瓦礫を退かし厄災が立つ。
防御が間に合ったのか五体満足であった。
彼の周囲には羽虫も旋回していた。
「フン……ちょっとだけ冷や汗を掻いたが……
所詮箱庭姫はこの程度ということかァ、朝霧ィ?」
煽るように声を発した。
しかし彼の声など朝霧には届いていない。
彼女の中にあるのは……真っ黒な感情のみ。
ミストリナは最期に大きなミスを冒した。
朝霧に振り返った際に、火傷側を見せて逝った。
彼女の最期の言葉もその傷と共に与えられたのだ。
(私の過信が……私の能力が……私の存在が……!)
朝霧桃香を構成する全てがミストリナを殺した。
壊れそうだ。狂いそうだ。いや狂った結果がコレだ。
感情が濁流となって全身を駆け巡る。そして――
「あ。」
――朝霧の中で、何かが壊れた。
――――
成長とは、本来段階を踏む物である。
否――踏むべき物である。
――ドクン
何百、何千、何万という思考と試行を繰り返し、
一定の練度と経験値を糧に成長は完遂される。
種という長い目でみれば、人はそれを『進化』と呼ぶ。
――ドクン!
だが、朝霧桃香に起きた異常はそれでは無い。
こんなものを断じて成長とは呼べない。
本来の朝霧桃香は臆面もなく理想論を語る善人。
――ドクンッ!!
しかし今、彼女の心は肉体の凶暴性と同期した。
それは言わば――突然変異の『分岐進化』。
(なんだろう、この感情。……すっごく不快。)
繋いで来たのは序、破。ならば締めは急だろう。
連続する努力の結晶。本来至るはずの鍛錬の終着点。
しかし、そうとは成らなかった。
(あぁ……でも、今なら誰でも殺せそう……)
其処に在るは狂気に非ず、人に非ず。
其の剛力を以てただ全てを破壊する狂鬼なり。
(折角だ、名を付けよう。気合が入ればそれでいい。)
その誕生を刮目せよ。その生誕を喝采せよ。
その啼泣を――渦巻く悪意と共に祝福せよ。
「だから……これは……」
これなるは、分岐かれた進化の着地点。
在るべき正しい進路を外れ、逸れて途絶えた嘆きの終端。
『急』へは至らず。なれば今、新たな名を与えん――
「――狂鬼完全侵食・≪絶≫。」
今回で総話数200話を達成いたしました!
三章はもうじき終幕となりますがストーリーはまだまだ続きますので、今後とも応援よろしくお願いします!