第五十六話 陸の怪物
――約三十年前――
「君は良くやってくれたよ、ローデンヴァイツ君。」
行政組織『魔法連合』。
当時から多くの議員が世のため人のため汗を流す。
ある男は多くの人々を鶴の一声で動かした。
ある女は高級官僚に対して強い発言力を持っていた。
またある男は多くの企業から愛されていた。
――いつか自分もこうなりたい。
若き日のローデンヴァイツは目を輝かせた。
光の宿ったその目で我武者羅に励み続けた。
やがて新星と呼ばれるほどの期待と実績を得た。
世界を良くしたい。自分が政治を動かして。
その願いでローデンヴァイツの心は一杯だった。
「だがそれもここまでだ。
君は本日を以て……政界から追放する。」
罪状。魔法連合における公的資金の横領。
ローデンヴァイツは身に覚えの無い罪で断罪された。
尊敬していた上司は淡々と彼を処罰した。
仲良くしていた同僚たちは速やかに縁を絶った。
贔屓にしてくれた者たちは見向きもしなくなった。
絶望。残ったのはその深い絶望だけだった。
こんなはずでは無かった! どこで選択を誤った?
脳裏にはそんな言葉ばかりが浮かんでくる。
失意の底。ローデンヴァイツは膝をついた。
そんな彼を嘲笑うように雨が降り出す。
水面に写るは泥の顔。酷く、汚く、とても無様。
「俺はもう…………ダメだァ……」
視界が歪む。呼吸が乱れる。心が崩れる。
死にたい……! 消えたい……! 終わりたい……!
溢れんばかりの感情を力一杯水面に叩きつけた。
「――ひっ! ひっ! ひっ! なんだ無様だなぁ〜。」
……数年後、ローデンヴァイツは政界に舞い戻る。
失踪中に得た多くの『学び』を携えながら。
どうやらこの世界は彼が思っていたより汚れていた。
ある男は権力を振りかざし人々を動かしていた。
ある女は高級官僚に対して特別な関係を持っていた。
またある男は多くの企業と裏で取引をしていた。
いつか自分もこうなりたい? ……反吐が出そうだ。
邪魔な光を失った目なら多くの本質が見えた。
彼は横領の罪を擦り付けた上司を排除すると
魔法連合における確固たる地位を手に入れた。
世界を良くしたい。自分が政治を動かして。
その願いでローデンヴァイツの心は一杯だった。
――――
広いプラネタリウム会場のような部屋。
占星術用の施設である総本部最上階『天極の間』。
そこでローデンヴァイツは儀式の準備を進める。
「シーラ。例のアレはいま何処だァ?」
「現在闇社会勢力が船団にて輸送中……ん。
たった今、中央都市の海岸に到着したとの報告が。」
「ふ、そうか。」
ゴエティアの周囲に多くの船が停泊する。
連絡橋以外の三方向を囲むようにぐるりと一周。
そして、船団からは厄災配下の組織が上陸した。
「さ、コチラの増援が到着してしまったぞ封魔局。
まだ四方守護の一人も落とせていないというのになァ。」
ローデンヴァイツは足元に迫る敵を想像し、
勝ち誇ったようにそう呟いた。
その時――
『こちら玄武!! 申し訳無い、敵二人が上に!』
「フン、グラシャラボラスといい所詮はその程度か。
まぁいい……シーラ! 下へ降りて迎撃しろ。」
承知しました、と彼女は淡々と応える。
華麗な足取りで衛士長シーラは退出した。
――数分前・評議会――
座席が真横に高速で飛ぶ。
装甲で身を守る男に叩きつけられた。
その間に朝霧たちは結界の足場に登る。
「ッ! 行かせるかぁ!!」
「それはこちらの台詞だ、武人!!」
部下たちを先に進めるため、
ミストリナは敵幹部玄武に対して駆け出した。
そしてポーチの中へ手を突っ込む。
(例えダメージは無くとも、退かすことは出来る……!)
ミストリナは取り出した者を投げつける。
それは車。広いとはいえ室内で車両が飛来した。
そしてそれは丁度結界へ飛び移ろうとしていた
玄武を横腹から殴りつけるように激突する。
「グッ、ヅゥウッ!!」
「今だぁ! 行けぇええ!!」
ミストリナの怒号に朝霧は頷いた。
目指すは上。この先に繋がっているのは議長室。
昇降機用の穴から二人は脱出した。
「チィ! こちら玄武!!」
玄武は無線に怒鳴りつける。
その間にミストリナは攻勢に出る準備を進めた。
(朝霧の攻撃でも傷付かない装甲……
私ではアレの破壊は不可能だろう。ならば――)
敵が動くより早く、彼女は物をばら撒いた。
それはテニスボールくらいの複数の球体。
議会内のあちこちへと跳ねて転がり広がった。
「ッ!? 何を投げた!」
「スゥー……ムッ!」
ミストリナは大きく息を吸い込み呼吸を止める。
瞬間、複数の球体は同時に破裂し白い煙幕を張った。
「煙玉だったか! ……ゴホッ!」
ミストリナは敵の視覚を奪い煙に紛れた。
彼女を見失った玄武はとにかく護りを固める。
周囲三百六十度に警戒の神経を尖らせた。
その時――
カンッ
――何かが落ちる音がした。ただのゴミだった。
ただのゴミだったが思わず警戒心はそちらへ移った。
(しまっ……!)
視覚が奪われた中、研ぎ澄ました聴覚が拾った音。
無視できるはずも無い。反射的に隙を晒す。
彼が注意を戻した時には既に眼の前には彼女がいた。
「――終わりだ。」
咄嗟に玄武は後方へと飛び退く。
攻撃は躱した。そう安堵したのも束の間、
突如全身を覆う装甲が彼をキツく締め付けだした。
「ッ!? これは……一体!?」
「知らなかったか? それとも忘れていたか?
私の祝福は『収縮』。触れられたら終わりなのだよ!」
「ぐっ! グォおおああ!!」
――議長室――
朝霧とフィオナは目的の部屋に辿り着く。
しかしそこに人はいない。二人の顔に焦りが浮かぶ。
すると、部屋の外のエレベーターが音を立てる。
コツコツと毅然とした歩調の足音が近づいた。
「ッ! 桃香、警戒しろ。かなりの手練れだ。」
やがて議長室の扉が開く。
そこには高貴な西洋剣を携えた女性が立っていた。
「玄武が取り逃したのはお前たちか。」
「! ガーディアン衛士長のシーラだな?」
「いかにも。しかし……残してきた仲間は不憫だな。」
シーラは一人残ったミストリナに同情する。
それを不快に思ったのか朝霧は眉間にシワを寄せた。
「ミストリナ隊長はあんな人に負けません。」
「人……ヒト、か。そう思っていたら足元を掬われる。」
「え……?」
――――
「ッッ! ――装甲解除!」
玄武は鎧を解き放ち締め付けから解放された。
吹き飛ぶ装甲を回避しながらミストリナは追撃を狙う。
だが、その手は彼の肉体を見て停止した。
(!? 何だその肉体……!)
――直後、玄武は大きく息を吸う。
周囲に広がる煙幕の全てを吸い込んだのだ。
そして溜め込んだ煙を扉に向けて吐き出した。
「ボフッ!!」
(ッ! 何というこの肺活量……! コイツ人間じゃ……)
ミストリナは煙幕弾を避け座席の間に倒れ込む。
隙間から覗く容姿は人型の牛のような、サイのような。
……とかく巨漢。人の次元を越えた筋肉量だ。
彼の種族は、悪魔。
元は神の最高傑作と謳われた陸の怪物。
グラシャラボラスなどとは比べようも無いほどの暴威。
「俺の真名は――ベヒーモス。さぁ勝負を続けよう。」