第五十四話 老獪砂嵐
人体発火現象。
それは未だ多くの仮説が飛び交う未解の事故。
周囲の家具には一切の焦げ跡を残さず、
被害者のみを灰燼に帰す正体不明の怪現象である。
また、被害者は胴体を中心に焼かれ、
場合によっては無傷の手足が残ることもあるとか。
まるで火が……殺人を終えた途端消え失せたかのように。
なればそれは――人のみを焼き殺す悪魔の炎。
『さぁ征け! 生ける炎の泉!』
蒼炎はあらゆる命を飲み込んだ。
密集していたガーディアンの兵士たち。
彼らを狙い、うねり、曲がり、喰らう。
炎は獲物を焼き切ると満足したかのように次を狙う。
次第にその空間にあったはずの生命が激減する。
一つ、また一つ。青い炎が命を喰い荒らす。
「ッ!!」
その禍々しい炎がミストリナたちを襲う。
展開された結界の中、耐える三人を狙い始めた。
繰り返される衝突。ぶつかる度に大気が揺れた。
「ミストリナ隊長……! くっ、私にも何か!」
朝霧は周囲を見回し出来る事を探す。
当たれば即死。悪魔の蒼炎。
ソレに取り囲まれ脱出は困難であった。
「フィオナッ……! どうすれば!?」
「……待ってくれ! 今考えてる!」
打つ手無しはフィオナも同じ。
糸でもその他の魔術でも現状打破は困難だ。
その間も黒幕は魔杖を振るう。
さながら、その姿は楽団を導く指揮者。
死の炎を操り絶望の旋律を奏でていた。
(たった一人に……! 私たち三人が……!)
朝霧は敵を見上げた。
フザけた態度に惑わされていたが彼もまた特異点。
それも曲者揃いの闇社会における『黒幕』なのだ。
(舐めてた……! 私じゃあまだアイツには……!)
「朝霧ッ! フィオナッ!」
ミストリナが声を上げる。
その怒号に二人は思わず振り向いた。
結界の維持で消耗しながら彼女は指示を飛ばす。
「私の合図で……飛べ!!」
「な!? それはどういう……?」
――瞬間、炎が結界にヒビを入れた。
もはや耐久は困難。誰が見ても明白だ。
だがミストリナは必死に活路を見出した。
「今だぁあああ!!」
刹那、轟く号令。
ミストリナは更に複数の結界を真上に展開した。
それらは高さを交互に変え、足場のようになった。
(そうか! これを使って!)
咄嗟に意図を理解し朝霧たちは飛び上がる。
そして殺意の溜まり場から速やかに脱出した。
途中巻き上がる蒼炎は結界が防いでくれた。
「やった! 脱出出来た! ミストリナ隊――」
朝霧は嬉しさのあまり後ろを振り返る。
だがそこにいたのは地上に残るミストリナであった。
独り爆炎の渦の中心で結界を維持していたのだ。
「な!? ミストリナ隊長ッ!?」
「悪い、朝霧。流石に私も抜け出す余裕は無いのでな。」
そう言うとミストリナはゆっくりと手を降ろす。
同時に彼女を護っていた結界はガラスのように割れる。
直後、生ける炎の泉が彼女の身体を飲み込んだ。
「そんな……! 嫌……! イヤッ!!」
炎は満足げに消え去る。
朝霧たちが再び地面に降り立った時には、
もうその場所に彼女の姿は存在していなかった。
「ミストリナ隊長ォ――――ッ!!!!」
――封魔局本部――
崩れ征く白亜の要塞。
廊下にはいくつもの深い切り傷と焼けた焦げ跡。
過去の栄光など見る影もない廃墟の要塞。
その廊下を一人の封魔局員が進んでいた。
「ハァ……ハァ……! 隊長はどうなった……?」
それは三番隊員アレックス。
既に身体も服もボロボロ。壁に寄り添いながら歩く。
彼の通ってきた道には何人ものガーディアン。
既に息は無い。彼によって殲滅されたのだ。
「こちらアレックス。応答してください……!」
無線に語るが反応は無い。
戦況は不明。分かるのは大きな爆発があったことのみ。
彼には上司を信じるより他に無かった。
(大丈夫だ……ドレイク隊長は死なねぇ。
俺は俺に出来ることをやるしかねぇ……!)
やがて彼は辿り着く。其処は本部電気室。
その重い扉を開けようとアレックスは手をのばす。
「ハァ……ハァ……此処を奪還すれば……!」
彼はドアノブに手を掛けた。
その向こう側では爆弾に続く赤いレーザーが、
ノコノコとやって来た獲物を待ち構えていた。
「やっと……此処まで!」
爆弾に気づかずアレックスは扉を開けた。
――――
場所は戻り連合総本部前。
朝霧はミストリナのいた場所に膝をついていた。
それを眺める黒幕。そして彼女を守るフィオナもいる。
「ミストリナ……隊長……」
「桃香! 桃香!? しっかりしろ!」
フィオナは無数の糸を伸ばす。
だが黒幕の炎にとって有効とは言えない。
せめて朝霧には立ち上がって貰わなければ困るのだ。
「……るさない。」
「――!? ……桃香?」
フィオナは背後に感じた悪寒に冷や汗を溢した。
朝霧から漏れ出る魔力……のような『何か』。
普段の彼女とは違うそのオーラに戦慄したのだ。
「許さない……! 黒幕ッ!!」
漏れる禍々しい魔力。フィオナは直感した。
それは初めて出会った時の、暴走状態の魔力だ。
(マズい……! 今此処で暴走なんてしたら……!)
敵は黒幕だけでは無い。厄災もいるのだ。
ここで魔力を使い果たしては勝機が無くなる。
だが今の朝霧は制限を突破しかねない状態だった。
「殺……す。殺す……!」
朝霧は大剣を振りかざす。その時――
『おい、アレは止めなくていいのか?』
――黒幕が朝霧に視線を合わせながら問い掛けた。
しかしその問いが向けられたのは朝霧では無かった。
もちろんフィオナでも無い。別の人物だ。
『お前が逃げ切ったのは視えていた。
俺に奇襲は無意味だ。安心させてやれよ、ミストリナ。』
「――ちっ! 食えない奴だな。黒幕!」
突如、黒幕の間近にミストリナが出現した。
取り出したナイフで黒幕を狙う。
が、彼はそれを容易く弾き返した。
その勢いでミストリナは朝霧たちの元まで下がる。
「隊……長?」
「そんな顔をするな。心配させて悪かったな、朝霧。
炎は収縮と保存魔術の合わせ技で回避していたんだ。」
「良かった……! 良かったぁ……!」
朝霧の目元に涙が浮かぶ。
だが彼女はそれを拭いすぐさま立ち上がる。
今は眼の前の敵を倒すことが最優先だ。
(何とか耐えたか……! 危ない状態だったな……)
フィオナは戻った朝霧に安堵しながら視線を戻す。
依然黒幕は健在。状況が好転したわけでは無い。
厄災と戦うため、これ以上の消耗は許されないのだ。
「どうしますか? ミストリナ隊長?」
「奇襲が失敗した以上、不利を承知で挑むしか無い……!」
三人は黒幕を睨む。最初と同じ状況。何も変わらない。
黒幕は再び魔杖を持ち上げた。来る。来たる。
あの殺意の蒼炎が再び生み出される。その時――
『――ッ!?』
一閃。細い一筋の光柱が朝霧たちの背後から伸びる。
それは一瞬で駆け抜け、黒幕の肩を撃ち抜いた。
『ぐぉっ!? クッ……!』
(!? 黒幕に攻撃を当てた? いやそれより……誰だ!?)
三人は背後を振り返る。
するとそこには建物を飲み込まんとする砂嵐があった。
ゆっくり、ゆっくりとその暴風が接近する。
そしてその足元には、一人の老人が歩いていた。
「ひっ! ひっ! ひっ!
祭りには間に合ったようじゃのぉ!」
「な!? あ、貴方は!?」
厄災の悪意が立ち込める都市を老人は進む。
彼こそは製薬会社『息災』の会長にして、
ゴエティアに海を挟んで隣接するミラトスの領主。
その名を――
「――百朧さん!?」