プロローグ 寓話
(……なんだこれ?)
泥棒の目に一冊の本が留まる。
何の魔力も持たないガキの絵本。
しかし、それは矢鱈と目に留まる。
(……なんだこれ?)
操られたようにパラパラと流し読む。
たいして面白くも無い話。
どこにでもある短い寓話。
無欲な奴が笑い、強欲な奴が泣く話。
(……なんだよ……これ?)
しかし泥棒には衝撃的だった。
自分の人生そのものが、
音を立てて崩れるような悲鳴を上げた。
――――
泥棒は三人家族の子として生まれた。
父たる男は言った。
勝利には貪欲であれ、と。
母たる女は言った。
勝者には周りが着いてくる、と。
そして両親たる二人は言った。
お前が私たちの代わりに
この社会に見返してやれ、と。
泥棒はこの両親が好きだった。
負ければ殴られ、首を絞められて、
どうして勝てないのと罵声を浴びせられた。
それでも、泥棒はこの両親が好きだった。
――理由は単純。
自分を生んで育ててくれたから。
目的はどうあれ二人は泥棒に金をかけた。
あらゆる援助を惜しまなかった。
その姿が泥棒には『可哀想』だと思えた。
泥棒は両親の期待に答えたかった。
勉強、スポーツ、コンクール。
あらゆる競争で貪欲に勝利を収めた。
それは社会に出てからも変わらなかった。
大手企業に就職し他の追随を許さない成果を収めた。
泥棒は勝ち続けた。
勝ち続けていたはずだった。
――ある日、彼は上司から呼ばれた。
今日限りで会社を辞めろ、と通達されたのだ。
泥棒は理解出来なかった。
理由を聞けば彼は無意識に周りとの和を乱し、
さらには会社のイメージを著しく下げた、
との事だった。
(なんだこれ? 周りとの和?
奴らと雑談したことなど一度も無い。
不快にさせる発言は無かったはずだ。
会社のイメージ? 営業成績トップだぞ?
そのための努力をしたまでだ……!)
泥棒には、彼の不服に取り合わず
解雇を言い渡す上司が敵に見えた。
その場で上司を殺してしまった。
事件を受け、泥棒は社会から落ちた。
両親は自殺した。
(……なんだこれ? オレは負けてはいないはずだ。
だって戦ってすらねぇじゃねぇか。)
(そうだ、まだ負けていない……
勝てばいい、『勝てば』いいんだ!)
(社会を見返す! オレのためじゃねぇ。
両親のためだ! 見ていてくれ!)
(オレは勝利を求める、貪欲に! 強欲に――!)
――――
「……――領! 頭領! 大丈夫?」
少女の高い声で泥棒は我に返る。
「盗るモン盗ったし帰ろうよー! おいでヘラウス!」
少女が名を呼ぶと
青白い毛並みのオオカミが現れる。
そしてオオカミの背にヒョイっと乗りこむと、
笑顔の少女は手を振った。
「さぁ頭領、アジトに戻ろう! みんな待ってるよ!」
「あ、あぁ……」
「今日の頭領なんか変だよ? 分かった!
大仕事の前で緊張してるんでしょ?
いつも通り行こーよ! 強欲に! 強欲に!」
「……そうだな、強欲に行こう。」
泥棒は本を置き、その場から立ち去った。