第四十三話 怨み言
――五年前――
世界は荒れた。
そう感じざるを得ない死地で男は放心していた。
積み上がる死体。鼻を曲げるほどの鉄と血の臭い。
カラカラに乾いた喉を鳴らし、男は放心していた。
彼の肩書きは封魔局隊長。異名は『広域氷結兵器』。
当時の実力者たちを以てして、
地図をも塗り替える戦略兵器と言わしめた人物だ。
そんな彼ですら、
戦争の悲惨さに心を折られ掛けていた。
彼を真に理解していた者たちは、死んだ。
先の評価を下した人物たちは、死んだ。
腹芸や情報戦に弱いと知る仲間たちは、死んだ。
ふと気が付くと、
彼は魔法連合から局長の地位を与えられていた。
胸に輝くいくつもの勲章。整えられた局長室。
全てが誇らしい。そして全てが堅苦しい。
敵を倒すことが得意だったはずなのに、
いつしか書類上でしか戦いを見れない日々に。
広域氷結兵器は、局長室の奥へと閉じ込められた。
――現在――
局長室には白い霧。
グンと下がった気温と共に白亜の冷気が占拠する。
塗りたくられたスモークホワイト。
その煙の中でマクスウェルの眼光が浮かぶ。
(……久しぶりに、祝福を使ったな。)
マクスウェルの右手は氷で埋まる。
篭手のように氷塊を纏わせ武装していた。
その手の下には倒れた男性。
頬に傷を持つ男が体の六割を氷に埋められていた。
「……ッ! くッ……!」
「残念だったな、裏切り者共。
この程度の戦力では封魔局本部は落とせんぞ。」
口から白い吐息を出しながら、
マクスウェルは地に伏す若造たちを見下ろす。
戦時中であれば封魔局員はもっと強かった。
そんな物寂しさを覚えながら見下ろした。
「こ……のッ! 無能局長がッ!」
「諦めろ。お前はその無能に負けたんだ。」
氷塊でほとんど動かない身体を震わせ、
リーダー格の男は鬼のような形相で歯を食いしばる。
悔しさもあるのだろうが、それよりも勝ったのは……
「俺を……! 見下してんじゃねぇよッ!!」
憎悪の念。彼を支配していたのはその感情であった。
ギチギチと鳴らす歯。真っ赤な血が垂れている。
抜け出すためなら身体を捩じ切るのも厭わないだろう。
それほどまでの怒りをその目に宿していた。
「俺を見ろ、局長ッ! 俺を正しく評価しろ!」
(……現状に不満を抱いていた者か。哀れな。)
マクスウェルは男に目を合わせることも無く、
荒れた局長室の中で内線電話を探す。
その間も頬に傷を持つ男は喚き続けた。
「俺はこんなっ……! こんなところで〜ッ!!」
喧しい。そんな感想を抱いたマクスウェルの視界に、
ある悪趣味な物品が『異質な物』として入ってきた。
それは例のオルゴール。
銃弾を何発も受けた机の上に置いていたはずだが、
まるで何事も無かったかのようにそこにあった。
しかし、局長が異質だと思ったのはソコではない。
オルゴールのネジが、独りでに回っていたのだ。
まるで透明人間がそこにいるかのように、
キリキリと不快な音を立てながら回っている。
――――
「……私は骨董品が好きでねェ。」
厄災は語る。自分がどんな所まで予見しているのか。
その先見の明を自慢するために鼻を高くしながら。
「あのオルゴールの発動条件は『怨み言』。
誰かがアレの有効範囲内で呟けば、ネジが回る。」
厄災は笑う。遥か遠くの戦場にて、
自らが仕掛けたトラップが発動したと認識して。
「クーデターのリーダー……名は何と言ったかな?
まぁとかく、奴は局長に負ければ怨み言を吐くだろう。
そしてマクスウェルは……勝利の直後で油断する。」
厄災は嗤う。広角を上へと鋭く吊り上げ、
悪魔の如き表情で高揚感に胸を踊らせた。
「呪音発声器『八十禍津日大災厄』。
君を呪う唄だ。た〜っぷりと聞いてくれ給え。」
――――
マクスウェルは咄嗟にオルゴールを蹴り上げる。
正体は分からないが、危険であると直感したのだ。
そしてネジを止めるために氷を放とうと手を伸ばす。
――だが既にネジは十分に巻かれた後だった。
古来より『言霊』という概念が存在する。
それは呪文や真言へと派生し多くの魔法の下地となる。
音を聴かせる、これは魔法における重要な要素なのだ。
(……っ! まずい、曲が流れる!)
間に合わないと悟ったマクスウェルは、
曲を聴くまいと自身の耳を氷で覆い始めた。
だがそれも最早間に合わない。
一音目を聞いた途端にマクスウェルの全身は硬直した。
「ヅッゥ!!!?」
それは心の奥底から不安を掻き立てる音。
背筋も凍る、身の毛もよだつ、そんな雑音。
曲として綺麗に纏まっていながらも、
生物なら直感的に危険を察知出来る不快感であった。
やがてマクスウェルは、
意識を保つことが出来ずに白目をむいて倒れ込んだ。
――――
この日、封魔局本部は占拠された。
カメラとマイクを前にリーダー格の男が立つ。
ボロボロの彼の背後には拘束されたマクスウェル。
意識が戻ったばかりなのか、朦朧としている。
「聞け、魔法連合および中央都市に住まう全市民よ。
我々は封魔局員の一部有志。本部は我々が占拠した。」
行政の中心地ゴエティア。
その警察組織である封魔局で起きたクーデター。
この犯行声明は瞬く間に世界中へと轟いた。
「我々はこれより封魔局の組織改革を行う。
内部のクーデター程度で制圧される脆弱な組織を裁き、
闇社会の凶悪犯を滅ぼせる組織へと進化させる。」
マクスウェルは虚ろな目で主張を聞く。
脆弱な組織。なるほど現状を見れば確かにその通りだ。
そんなことを考えながらマクスウェルは自嘲した。
「この映像は、その歴史の転換点を遺すための物。
護られるべき市民諸君! 我々の有志を見ていてくれ!」
封魔局本部は閉ざされた。予定通り閉ざされた。
その報告を受けた直後、黒服の一団が侵攻を開始した。
『ジジ……ジ…………ガーディアン……出動……』