第三十九話 龕灯返し
――邸内・一階――
罵声と怒号。血と弾薬の匂い。
結婚式に向け整えられていた邸内は、
土足で踏み込む不埒者たちに荒されていた。
攻め込むは革命軍というの名の烏合の衆。
防衛に当たるは領主私兵という名の傀儡たち。
どちらも戦術と呼べるほどの戦闘は出来て居なかった。
「魔導雷撃筒行くぞ! 丸まって耳と目を塞げ!」
「は、はい! ハウンドさん!」
だからこそ、
歴戦の猛者であるハウンドを誰も止められなかった。
圧倒的な実力差。衛兵たちを殺さず制圧していく。
「さ、流石は魔導戦闘部隊員……! バカ強えぇ!」
「あの年で五体満足だ。そりゃ弱い訳がねぇ!」
「ハウンドさんに続けぇ! 領主を引きずり出すぞ!」
邸内の戦況は革命軍側に大きく傾いていた。
ハウンドは革命軍リーダーのホーネウスと共に、
瞬く間に領主の部屋へと到達した。
「不正の証拠。あるとすればこの部屋だ! 行くぞ!」
(ん? この匂いは……血か?)
革命軍たちは扉を蹴破った。金具が外れ吹き飛ぶ扉。
その先にあったのは血溜まりと倒れるクレマリアだった。
革命軍に動揺が走る。それはホーネウスも同じだった。
「これは……領主? 領主が何故?」
「まだ息はある! 手を貸せ、ホーネウス!」
ハウンドの声で我に帰る。
殴打の跡が残る顔が、苦痛に歪み僅かに動いていた。
うっ、うっ、という声が血と共に吐き出される。
「領主さん! 一体誰にやられた!?」
「ぐっ……っ!」
「上着を脱がせ! 呼吸を確保しろ!」
「ゴボッ! がはっ! ……はぁ、はぁ!」
クレマリア公は身体全体で呼吸をする。
そして、革命軍に気づくと血塗れの手を伸ばした。
「たの……む! 止めてくれ……あの悪魔を!」
「悪魔!? ……って、おい待て! まだ動くな!」
「ミストリナの……娘の結婚を……見届けね……ば!」
血塗れの手がホーネウスの服を掴む。
その時、革命軍のリーダーは理解した。
彼の服を掴むクレマリア公の手の弱々しさ。
そして、肌に浮かぶ異常な斑点の存在に。
「この症状って……! まさか!」
鉱山病の症状の一つ。皮膚の異常。
ホーネウスが貧民街で幾度と無く目にした物だ。
しかも、その症状はかなり深刻化した状態だった。
「その悪魔が領主邸に潜伏していたってんなら、
そりゃ貧民街よりも先に狙うわな、領主の命を。」
「何を……している……! 早く……式場に……征け!
どのみち……私の命は…………長く、は……無い!」
その場にいる他の革命軍たちも状況を理解する。
自分たちは領主による被害者だと信じていたが
領主自身も例の病魔による被害者の一人だった。
ホーネウスはギリッと歯を食いしばる。
「お前ら! 急いで革命軍全体にこの事実を伝えろ!」
「そ、それが! 現在謎の電波障害で通信が!」
(っ!? この革命は……貧民街は……利用された!)
――邸内・廊下――
喧噪は既に領主邸の各地から轟く。
銃撃音が、爆撃音が、崩落音が各地で轟く。
しかし、領主邸の隅の隅。この廊下は別だ。
純粋に戦闘が起きているエリアから遠いのも理由だが、
赤と青、二色の閃光が魔力による独特の効果音と共に、
広い廊下で所狭しと交錯していたからだ。
(レイ、言った。サポートしろと。けどこれは……!)
アネットはナイフを片手に戦慄していた。
光の動きに目を凝らす。軌道を読もうと必死に追う。
だがその度に、この戦闘の格の違いを痛感する。
(無理だ! 速すぎて、割って入れない!)
ガーディアン隊員、レイ。その祝福は『残像錯視』。
周囲の人間に自身の一秒前の姿のみを映す魔法だ。
常人の戦闘でも一秒の時間差は致命的だが、
強化魔術に長けたレイの場合、
発生する実体とのズレは通常の比では無かった。
(普段の感覚で一秒先を予測しても間に合わない。
だからレイ、強い。……なのに朝霧、もっと強い!)
狂気限定顕在・≪破≫解放状態。
この状態の朝霧は常に神経を尖らせた獣のようだ。
一秒先の予測などには頼らず、
自身に向けられ迫る殺気に反射神経のみで応戦した。
それが出来るだけの肉体の強さが今の朝霧にはあった。
「ははは! 凄いなお前!
こんだけ時間掛けて倒せなかったのは初めてだ!」
(ッ! 向こうはまだ余裕か……
反撃に転じたいけど……実体を掴むのが難しい。)
朝霧は壁を蹴り、天井を蹴り、速度を上げた。
今はまだ防戦一方。隙を作るためにも加速する。
負けじとレイも動く、閃光はその輝きを更に増した。
(レイと朝霧。体感速度はほぼ互角……
この勝負、要素が一つ加われば決着する!)
閃光の前に立ち尽くしながらアネットは確信する。
その時、戦闘に参加していない彼女のみ、
近場で一発の銃声が鳴り響く音を聞き取った。
(!? この方向……式場か!)
――式場――
「があぁ!」
貴族の一人が肩を押さえ倒れ込む。
溢れる血液。煙を放つ銃。悶える男。
そんな彼の傍にマナが駆け寄る。
「大丈夫ですか!? ッ衛兵、一体何を!?」
「誰も出すなとの命令です。逆らえば……」
悪魔に操られた衛兵たちは一斉に銃を向ける。
その目は冷淡そのもの。その表情は冷酷そのもの。
僅か数センチの引き金など容易に引ける危うさがあった。
「それは誰の命令だ? 執事ミゲル。」
ミストリナは壇上から追求した。
名指しされたミゲルこと悪魔グラシャラボラス。
その悪魔はニヤリと笑うと淡々と述べる。
「旦那様ですよ、ミストリナお嬢様。
式の終了を支援しろ、と仰せつかりました。」
それは悪魔の詭弁。
目的は魔法連合の重鎮たちの掌握あるいは抹殺。
挙式がどうなろうが知ったことでは無い。
「ですので、皆様の安全を確保するために!
私の命令を聞くように心掛けて頂きたい!」
洗脳魔術にはいくつかの手段、手順がある。
その多くは『心の屈服』を最終目的としているが、
この悪魔は銃の恐怖と立場を利用しそれを狙った。
避難指示を聞かせるという名目をカモフラージュに、
恐怖心を植え付け指示を聞かねば、と思わせるのだ。
その結果、仕掛けた洗脳魔術が成功するという寸法だ。
「ひ、ひぃい! わ、分かりました、ミゲル様!」
「し、指示に従います! ご命令に従います!」
参列者の一部がその術中に嵌る。
プライドも捨て去ったように跪き懇願しだしたのだ。
その光景を異常に感じたミストリナは、
ミゲルを完全に敵と見なし臨戦態勢に入った。
(ここは私がやるしか……!)
「おっと、お嬢様! そしてラインハルト様!
貴女方はそこで大人しくしてもらいましょうか!」
悪魔はミストリナたちに指を向け、パチンと鳴らす。
瞬間、彼女たちの周囲を半透明の結界が覆った。
それはまるで、鳥かごのような造形のバリアだった。
「ッ!?」
「フハハハ! さぁさぁ皆様!
ちゃんと口に出して貰いましょうか、命令に従うと!
もし抵抗されるのでしたら、敵と見なし射殺します!」
事情を知らぬ者からすれば執事の暴走に見えるだろう。
少し賢い者なら指示に従っておこうとするだろう。
その時、恐怖心を抱いていればアウトだとも知らずに。
「さぁ、貴女はどうですか?」
そう言うと悪魔は近場の少女に目を向ける。
肩を撃たれた貴族を庇うマナに対してだ。
多くの者が屈服する中、彼女もまた震えていた。
しかし、その目から光が消えることは無く、
逆にミゲルに対して睨み返す素振りを見せる。
「私は砂漠の獅子の娘! 不当な指示には従いません!」
(マナちゃん……!)
バリアの中からミストリナは見守る。
震えながら、それでいて毅然としたマナ。
そんな彼女は、チラリとミストリナを見た。
(! これは……!)
その時、悪魔はふぅん、と呆れた声を零す。
そして、その片腕に禍々しい魔力を宿した。
「では残念。見せしめとなって貰いましょう……!」
「ッ! 逃げて、マナちゃん!!」
振り下ろされる悪魔の腕。
鳴り響く噴出音。吹き出す真っ赤な血飛沫。
会場のあちこちから悲鳴が連鎖する、が――
(――! コイツは!)
「ヅッ……! 大丈夫ですか……マナさん?」
「あ……アリスちゃん!?」
血を出したのはアリスだった。
咄嗟にマナの肉壁となり悪魔の攻撃を防いだ。
しかしそのダメージは大きく背中から血を流す。
「フ、フハハハ! これは僥倖!
この館に忍び込んだネズミが自ら死にに来たか!」
二人の少女たちを見下ろし悪魔は嗤う。
必死に痛みに耐え、ミゲルを見返すアリス。
そしてその横ではマナが今にも泣き出しそうだった。
「アリスちゃん……! 何でこんな!」
「大丈夫……! 大丈夫です!」
「滑稽ですね。では苦しまずに殺してあげましょう。」
そう言うとグラシャラボラスは周囲の血を操る。
それらは固まり、形を成し、武器へと変化した。
禍々しい魔力を宿す、赤黒い血の槍だ。
「流血の悪意――『ディアボロス・トレメンデ』。」
少女たちを貫こうと槍は飛ぶ。
アリスは咄嗟にマナに覆い被さった。
今にも刺さるその光景を、
ミストリナは鳥かごの中から見守るしか無かった。
(駄目だ……! 誰か、誰か! ――――助けて!)
「廻天螺旋『アルバトロス』!!」
刹那、ミストリナの真上にあったステンドグラスが
大きな音を立てて崩壊する。
砕けた破片と共に回転する大きな石が撃ち込まれた。
その石は真っ直ぐ飛来し、血の槍を砕き、
尚も止まらずミゲルの腕を吹き飛ばした。
「ぐがっ!? 何が……!」
ミストリナは天を見上げる。
そこには封魔局の青いジャケットを纏った鳥がいた。
「ジャック……!」
「!? 無事か、ミストリナ!? 今助ける!」
グラシャラボラスは激昂した。
吹き飛んだ自身の腕。そこから吹き出る血を操り、
新たに十数本の血の槍を生成したのだ。
「穿け! 『ディアボロス・トレメンデ』」
それは正に追尾ミサイル。
縦横無尽に会場を飛びジャックの胴を狙う。
しかし空は彼の独壇場。当たる道理など無い。
「ッ……衛兵共! 会場のゴミ共を射殺しろぉお!」
「ジャック! 衛兵を無力化するんだ!」
了解、と呟くとジャックは二丁拳銃を取り出した。
それで血の槍を迎撃しながら会場の中心に位置する。
「廻天速射『ターミガン』!」
それは弾丸の雨。まるで乱射。
しかしその狙いは正確。狂いなく敵のみ貫く。
瞬く間に、会場内の衛兵たちは無力化された。
「バ、バカな!!」
「形勢逆転だ、ミゲル! 私たちを解放しろ!」
一瞬にして会場内の形勢は覆る。
悪魔グラシャラボラスのみの孤立状態。
しかし、彼は肩を揺らし笑っていた。
「何がおかしい?」
「ふふ、形勢逆転? 果たして本当にそうでしょうか?
よく考えてみてください。外には何も知らない革命軍。
領主の私兵に攻撃された、凶暴な被害者たちがいる!」
「! まさか、民間人を撃ったのか!?」
ミストリナは外の様子を察する。
会場の外では今なお革命軍と衛兵たちとの戦闘が続く。
民衆の多くには既に領主が敵として写っている。
「分かりますかお嬢様?
我々を排除しても、もう既に手遅れなのです!」
悪魔は嗤う。そんな彼にマナは問いかけた。
「そんなの、あなた一人の暴挙だと私たちが言えば……」
「ハッ、結婚式に参列するような『領主派』の意見を、
民間の革命軍が素直に信じるとお思いですか?」
「その発言を誰かが録音していれば……!」
「残念! 私の魔力感知をもってすれば
魔法による録音、録画などすぐに発見出来る!
それに現在、私の仲間が電波障害を展開中なのです!」
勝ち誇ったように悪魔は嗤う。
だが彼の内心はしっかり焦っていた。
(とはいえ、流石に悪魔が手を引いていたと判れば
愚鈍な民衆たちでも考えを改めかねない……
つまり私の勝利条件は『正体を隠したままの脱出』!)
冷静に、暗躍者は盤面を確認する。
これまでに打った手を活かし、勝ち筋を模索する。
これはまだ詰め将棋。少々狂ったがまだ勝てる。
「その仲間っていうのは? 今どこに?」
「ふ、教えてあげましょうか?
なんと今まさに! 朝霧桃香の暗殺を行っている!」
それは更に絶望させようとした悪魔の一手。
仲間が窮地にいれば動揺するだろうという思惑だった。
しかし、マナはニヤリと笑った。刹那――
(祝福発動! 対象は朝霧さんとミストリナ!)
獅子の娘マナ。その祝福は『限定的テレパシー』。
広範囲、大人数を対象に念話のネットワークを繋げる。
この祝福の限定的な点は、対象となる人物だ。
(妹の祝福。その対象に出来るのは……『仲良し』。
マナと対象の間に一定以上の絆が必要となる。)
ルシュディーはマナの祝福発動を見守る。
彼は既に助言していたのだ。
いざという時はミストリナと朝霧に繋げ、と。
(――朝霧さん! 聞こえるますか! マナです!)
――廊下――
(マナちゃん!? 何これ、脳に直接!?)
(ミストリナから伝言! タイミングを教えろと!)
その言葉に反応し朝霧はレイから距離を離す。
と、同時に胸元のループタイを引き千切った。
パカッと開く青いガラス装飾。
その中からは小さな小さな、武器があった。
(今! 今お願い!)
――――
「了解した朝霧! 祝福『収縮』――解除!」
――――
瞬間、その小さな武器は重厚な大剣へと変わる。
朝霧桃香専用武器『赫岩の牙』だ。
レイたちは突如出現した武器に驚愕した。
「飛ぶ迫撃――『草薙』!!」
朝霧の一撃が床を穿つ。
廊下はメキメキと音を立てて崩れ去った。
(相手の動きは捉えきれない……なら足止めするまで!)
突如地面に空いた巨大な穴。
レイは思わず立ち止まった……一秒以上の間。
「しまっ……!」
「見つけた――『村雲』ォ!」
飛ぶ打撃がレイを叩く。
死なない程度の重たい一撃。不殺の制圧。
薄れゆく意識の中、レイは完全敗北を確信した。
(はは……やっぱ……封魔局って……強ぇ!)
「友達は倒れたよ? 貴女はどうする?」
朝霧は大剣をアネットに向ける。
手にはナイフ一本。アネットはそれを捨てた。
「降参。レイ勝てないなら、私勝てない。」
「そう、じゃあ……貴女の祝福を解除して!」
――――
(この気配! アネットが祝福を解いた!?)
式場内でグラシャラボラスは戦況を察する。
次々と覆る盤面。一体どこで手を誤ったか。
そんなことを考える中、会場の通信は復旧する。
『ジ……ジジ……ジ』
「ん? おい、何か鳴ってるぞ?」
会場中の端末が同時に動く。
個人所有の携帯、無線、会場の通信機。
その全てで、同じ音が鳴っていた。
『こち……、イリエイム。繰……返す。
こちら製薬会社「息災」。会長秘書イリエイム。』
それは盤面を崩す最後の一手。
全てを俯瞰していた棋士が打った最初の布石。
『この街を苦しめた疫病。そのワクチンが完成した!』