第三十三話 起爆
――ソピアー病院――
首謀者は厄災。ダミアーノ・ローデンヴァイツ。
かつて地下都市で発生した鉱石由来の有毒ガス。
それを基とする猛毒を地下都市中にばらまいた。
本来の目的は嫌がらせ。目の上の瘤、百朧に対する。
彼を閉鎖的な地下都市に封じこめるという意地悪だ。
そう、閉鎖的。ソピアーが狙われた要因はその一点。
ただこの街が先人たちの趣味で地下にあったから。
有毒ガスとそれを密閉する空間が揃っていたから。
(ふざけるな……! ふざけるなよ……!)
しかし、この情報は封魔局には届いていない。
彼らの持つ確定情報は鉱山病が再び蔓延している事と、
その病魔により無関係の民衆が巻き込まれている事だ。
(なんで……よりによって……俺の家族なんだ!)
ハウンドは病院へと駆け込む。
そこは先日同様、いやそれ以上に切迫していた。
緊急で運び込まれた患者たちと焦る医師たち。
「……ッ! ……ッ!!」
ハウンドは周囲を見回す。
大粒の汗を滴らせながら倒れたという家族を探す。
すると一人の医師が彼に気付く。
「どなたかのご親族ですか? お名前は?」
「ハウンドッ……アルガ―・ハウンドだ!」
「――! 妻子さんですね? こちらです!」
医師に連れらハウンドは病棟へと向かう。
途中に見えるのは他の患者とその家族。
焦燥する者。号泣する者。激怒する者。
嫌な妄想ばかりが脳に湧く。
掻き消すように前を向く。
「この部屋です!」
彼が最後に家族と過ごしたのは何時だろう?
帰宅、という意味では数日前だろうか。
しかしその日は深夜遅く。息子と会話はしていない。
もっと前なら先週だろうか?
しかしその日は息子と遊ぶ約束をしていたが、
特異点案件の任務が入り反故にしてしまった。
だからまた今度、時間を見つけて遊びに行こう。
息子との会話であれば、それが最後だったろう。
(ふざけるなッ……! それを最期にしてたまるか!)
ハウンドはガバッと身を出し病室を覗く。
彼の妻と子は隣合うベットに並んで眠っていた。
口には呼吸器。横には仰々しい医療機材たち。
「おいッ、俺だ! 父ちゃんだぞ!」
ハウンドはベッドの横に駆け寄る。
しかし反応は無い。呼吸の音しか聞こえない。
よく見れば鎖骨周りや手の甲が赤く染まっていた。
「ハウンドさん、落ち着いて聞いてください!
現在二人は非常に危険な状態で戦っています。
魔力を傷つける病気によって衰弱しきっていて、
体力的にもかなり消耗してしまっている状態です。」
既に何度も説明してきたのだろう。
医師はスラスラと状況を説明した。
「ッ! それで、助かるのか!?」
「それは……何とも。既に症状は深刻化していて、
この状態から回復出来たケースは稀です。」
「稀ってことは希望はあるんだな!?」
「先程も言いましたが、これは魔力を傷つける病。
回復魔術や治癒魔術による治療はむしろ逆効果。」
あらゆる魔術的な補助は毒素を強めるだけ。
そういう目的で厄災はあのガスを改造したのだ。
まさに魔法使い殺しのための猛毒。タチが悪い。
「なので患者様自身の体力で回復するしかありません。」
「病魔で衰弱しきった体力で……か?」
「…………」
「その間……アンタや俺に出来ることは……!?」
「…………」
そうこうしていると、
置き去りにしてきたジャックが到着した。
大体状況は察したらしく神妙な面持ちとなる。
だがそんなジャックの事など、
今のハウンドの視界には入っていなかった。
(体力使って自力回復だと……? 女と子供だぞ?)
「……ンド、……ウンド!」
(第一、俺は何も出来ないのか……? 家族のために何も?)
「ハウンド!」
ジャックの呼び掛け。ハウンドはやっと気付く。
状況が状況。その怒鳴り声を医師は止めなかった。
「すまん。何だ、ジャック……?」
「今、アランに連絡して向かって貰った。
あいつが比較的一番自由に行動出来るからな。」
「……? 何処に向かわせたんだ?」
らしくない憔悴しきった表情のハウンド。
そんな彼を安心させようとジャックはニヤリと笑う。
「地下列車の被害者リスト。名前あったよな?
魔法連合議員の一人、灰色の都市ミラトスの領主!」
「……百朧! 製薬会社『息災』の会長か!」
「あぁ、そうだ。どういう目的での滞在かは知らないが、
仮にも薬屋のお偉いさんがこの状況を無視はしない!
解決策は無理でも、何か知恵くらい貰えるだろう……!」
そうと分かれば、とハウンドは息巻く。
しかし出立しようとする彼をジャックは止めた。
「おっさん。アンタは家族の隣にいてやれ。
百朧殿への面会は俺たち他の封魔局員にも出来るが
家族を励ますのはアンタにしか出来ないぜ?」
「……! 分かった。頼んだぞ、ジャック!」
任せろ、というとジャックは病室を立ち去ろうとする。
チラリと後ろを見れば家族に寄り添うハウンド。
息子と妻をとても大事そうに扱う父親の姿があった。
(…………家族を分つのは……良くねぇよな。)
――息災ソピアー支部――
一台のタクシーが建物の前で急停止する。
地下都市の景観に合わせた黒と金のビル。
それは周囲と良く調和し街の一部として馴染んでいた。
「ありがとうございます。請求は封魔局本部に!」
タクシー代を処理するとアランは飛び出す。
状況は大方把握している。ミストリナの睨んだ通り、
病魔の厄災はこの街を殺す勢いで潜んでいた。
(俺や朝霧も……しばらくこの街に滞在している。
が、特にこれといった異常はまだ見られてない。)
ビルに向かいながらアランは自身の手を動かす。
やはり体に異常は無い。発病者との違いは……
(時間……か? この街に長くいればいるほど、
この病魔に掛かるリスクが増えていっている?)
だとすれば、発病の量に達していないだけで、
既にアランたちの体内にも毒が侵入したかもしれない。
いや、恐らくそれは確定だろう。
この街の空気を吸い、この街の食事を食べた。
であればこの病魔は彼らにとっても無関係では無い。
(とにかく今は百朧さんだ!
アンブロシウスのカジノにいた、あの爺さんだな!)
アランは受付に飛びつく。
突然の来訪に係の人間は驚き困惑していたが、
彼が封魔局員と分かると直ぐに連絡を行った。
受付曰く、直ぐに対面出来そうだとの事。
言われるがままエレベーターに乗り込んだ。
外の様子が分かるエレベーター内。
困難かと身構えていた面会がすんなり通り、
アランは街の風景を眺めながらホッと胸を撫で下ろす。
(よし、これで後は会うだけだ。)
カチッ
――刹那、空気が大きく揺れた。
それとほぼ同時に耳を壊すほどの爆音が轟いた。
エレベーター内から見ていたアランには分かる。
爆発があったのは、まさにこのビルであった。
「なにッ!?」
衝撃から身を守る。
エレベーターの強化ガラスにもヒビを入れる火力。
爆心地にいてはひとたまりも無いであろう。
だがしかし、立ち込める黒い爆煙の中に、
それと同化するかのような黒いコートの人影がいた。
(まさか……まさか!)
アランはエレベーターを突き破り、
建物の壁を飛び越え爆心地へと乗り込んだ。
彼の襲来に気付いたのだろう。
黒いコートの人影はユラリとそちらへ体を向けた。
「ケホッ、煙とフードで顔は見えないが……
その隙の無い身のこなし……一般人じゃねぇな?」
その時、その人物の右腕が鋭利に尖る。
まるで鎌のような爪へと変貌しアランを襲った。
とっさに刀剣を創造するが、
防御と同時にその刃は音を立てて崩れだした。
(ッ!? なんっ……て鋭さだ!)
「…………!」
(まずい、次が来る……!)
アランは敵の襲来を察知する。
が、敵は黒い煙にその軌道を隠して攻撃した。
ほとんど直感による防御。分が悪すぎる。
「……オ、わリダ!」
「この……! なっ!」
その時、アランは何かに躓き倒れ込む。
それにより敵の攻撃を奇跡的に回避した。
薄っすらと見える敵の右腕。この好機は逃さない。
「今だ……! 『村雨』!!」
「…………ヅっ!?」
手応え。血飛沫の音。藻掻き声。
確かに腕を斬り飛ばしたようだが、
敵は発狂すること無く、取れた腕を拾い上げた。
(……不気味な奴だ。まだ勝ちじゃねぇな。)
アランは決して臨戦態勢を解かずにいた。
その時、入口付近で声がする。
騒ぎを聞きつけた野次馬、或いは職員だろうか。
「……引キ、ぎワ。」
アランが声に気を取られた一瞬、
敵は爆破で割れた壁を飛び出し外へと逃げ出した。
しまった、とその後を追うが、
アランが外を覗き込んだ時には既に敵は消えていた。
「何だったんだ……アレは……?」
不気味さに震えながらアランは呟く。
そんな彼に秘書イリエイムが近づいた。
「ゴホッ! ゴホッ! 凄い煙だな……!
君は封魔局員か? さっきのコートの奴は何だ?」
「恐らくこの事件の犯人で……しょう? ……なっ!?」
アランはその目を疑った。
爆煙が晴れだした室内。アランが何かに躓いた場所。
丁度その位置に目的としていた人物がいたからだ。
「――!? 百朧会長!?」
それは百朧。下半身は無く上半身もボロボロ。
見るも無惨な姿でその場に転がっていた。
その場にいた部下たちは恐怖に慄き絶叫する。
冷静に対応していたのはイリエイムだけだった。
「封魔局に黒コートの人物で通報しろ!
そこの君、事情は後で聞く。今は下にいなさい。」
「わ、分かりました……!」
言われるがまま、アランは扉へと向かう。
途中、部屋をよく見回してみれば
そこが多くの書類を保管している部屋だと理解できた。
(まさか……襲撃者の狙いは暗殺と……隠蔽?)
とかく、状況は悪化した。
製薬会社『息災』の会長と集められたデータ。
それがたった一回の起爆で消し飛んだ。
「ん? 何だ?」
その時アランは、何かを蹴飛ばした。
カランカランと音を立てたソレを拾い上げる。
それは爆心地にあったにしては綺麗なボタン。
服の袖口に取り付けるような小さなボタンだった。
(あれ? これって……?)
――――
「そうか……了解した。」
アランからの連絡を受け、ジャックは項垂れた。
重たい気分を引きずり病室に戻る。
「ジャック! どうだ……どうだった!?」
彼の帰還を見てすぐにハウンドは駆け寄った。
希望に縋るような眼差し、期待する眼差し。
その希望を与えてしまったのはジャックだ。
「すまない……ハウンド。」
「……え?」
「百朧さんが……何者かに暗殺された。」
ハウンドの膝の力が抜け落ちる。
絶望に打ちひしがれた顔で崩れ落ちる。
悪意は既に力を貯めた。露悪を極めて起爆した。