第二十四話 箱庭姫への期待・上
前回は突然の休載でご心配をお掛けしました。
本日からまた、二日に一話のペースで再開いたします。
今後とも本作の応援、よろしくお願いします。
原初の三都市。魔法世界における大都会。
魔法世界黎明期に一般の魔法使いたちにより建造され、
世界創世の偉大な三人の魔法使いの名を借りた要所。
それはこの世界の誰もが知っている常識だ。
一つは――水上都市ゴエティア。
借りた者の名はゲーティア・テウルギア。
現存するほぼ全ての魔術の原型とされる
神域降神術『魂源魔術』の立案者だ。
一つは――空中都市アンブロシウス。
借りた者の名はアンブローズ・マーリン。
現存するあらゆる魔術の究極形とされる
神域占星術『極天魔術』の開祖だ。
そして最後は――地下都市ソピアー。
借りた者の名は……
「……不明、ですか? お父様?」
歴史書を前に幼き日のミストリナは問う。
これは今から十九年も前のこと。
まだミストリナが十二歳の時の話である。
「うむ。偉大な三人の魔法使いの中で唯一、
ソピアーの名を借りた者の情報のみが欠損している。」
「隠蔽、ですか?」
「さてな。最低でも三百年以上前の工作だ。
領主の娘がその謎に首を突っ込む必要など無い。」
そう言うと父クレマリア公は歴史書のページを戻す。
戻しながら、ミストリナの顔を凝視した。
「仮称『ソピアー』の得意とする魔術は既に失伝済み。
そしてゲーティアの魂源魔術は他人の手垢まみれだ。
今、強者と呼ばれる者の全てが好んで扱うほどにな。」
「はい?」
「であれば、領主の娘、それも原初の三都市の領主だ。
その娘であるお前は……一体何を習得すれば良い?」
紙をめくる指がピタリと止まった。
記載されているのは空中都市とマーリンの想像図。
そしてあらゆる魔術の究極形、神域占星術――
「――極天魔術!」
「そうだ、偉いぞミストリナ!
彼の魔術も継承者は少なく習得は困難とされるが、
お前は極天魔術を習得し魔女として泊をつけるのだ!」
「はい、お父様!」
ミストリナは快活な返事と共に大きく頷く。
クレマリア公も満足げに彼女の頭を優しく撫で、
周囲の使用人たちもその光景を微笑ましく見守った。
それがミストリナには嬉しかった。
別にこの時も父との仲は凄く良かった訳では無い。
だがそれでも実の父親だ。喜ぶ姿が見たかった。
――四年後・ミストリナ十六歳――
父との会話は明らかに減っていた。
会話どころか目を合わせる機会も格段に減っていた。
理由は単純。極天魔術を習得出来ていなかったからだ。
魂源魔術はあらゆる魔術の原型。
時間さえ掛ければ習得は容易く発展性もあった。
故に原型として相応しく、広く好まれていたのだ。
だが極天魔術はその真逆。
既に完成された術式群は天才のみに許された領域。
究極に応用の余地は無く、誰も研究などしなかった。
その事実に気付かず、
クレマリア公は数少ない継承者を講師に当てた。
一人目で駄目なら二人目を、それも駄目ならその次を。
何日も、何週間も、何ヶ月も。
そうしてクレマリア公は悟った。
駄目なのは……ミストリナ本人であると。
「……失礼しますよ、お嬢様。」
「じぃやか。どうした?」
「はい。気分転換に外出などされては?
あまり気を詰めすぎてもお体に触ります。」
「おや、術式を一つ習得出来るまで、
私用での外出は全て禁止のはずだろ?」
口元にだけ笑顔を貼り付け、
今にも崩れそうな目を少女は向けた。
「もう一年もベランダや中庭以外の外に出ていない。
まぁ代わり映えのしない街だ。興味も湧かないがね。」
「……旦那様は私が説得します。ですから……!」
「じぃや、止してくれ。それではじぃやが怒られる。
そんな所は見たくないんだ。私を悲しませるな。」
その言葉に、老執事は口惜しそうに引き下がる。
去り際に彼女から掛けられた労いと感謝の言葉が
余計に己の無力さを彼に痛感させた。
「! そういえば……」
「まだ何かあるのか、じぃや?」
「本日、行商人の方がこの屋敷にお見えになるとか。
会遇の多い職種です。何か知見があるやもしれません。」
それだけ言い残すと老執事は深々と頭を下げ退出する。
しばらく沈黙が続いた後、少女はふむ、だけと呟いた。
――中庭――
「……以上が幸せを呼ぶ青い鳥の概要です。
一部私自身の解釈も含まれていましたがね。」
やたらと顔の良い男は営業スマイルを見せた。
体付きは明らかに男性のものであったが、
細かな所作には女性的な滑らかさがあった。
「あぁ実に面白い話だったよ、ありがとう。」
「いやー! まさか領主のご息女自らのご指名とは!
長い人生、一体何があるか分かりませんねー!」
「うぅん。そ、そうだな。」
家の人間との会話しかなかったミストリナにとって、
その行商人の明るさと馴れ馴れしさは気分を害した。
来なければ良かったか?という表情も顔に出る。
「おっと! 人との会話は不得手ですか? これは失礼!
訪問販売も大失敗した身。すぐ立ち去りますよ?」
「いや、呼び止めたのは私だ。
こんな場所で悪いがしばらくゆっくりしていってくれ。」
ややうんざりとしながらも、
教わった領主の娘としての振るまいに努めた。
しかし行商人は、まるで煽るように首をかしげる。
「おやぁ? おやおや? 良いんですか、のんびりして?
貴女には余裕など無いはずでしょう? ミストリナ。」
突然の呼び捨てに困惑する。
だが、ミストリナにはどういう意味だ?と
怪訝な顔で問い返すことしか出来なかった。
「私と油を売ってパパさんにバレても良いの?
っという意味ですよ。箱庭の中の姫君!」
「っ!? 知っていたのか? 私の現状を?」
「生まれつき眼は良いので!
私で良ければ相談相手になりますよ! さぁさぁ!」
相談といいつつ行商人は少女を急かす。
動揺からかミストリナの口は普段より緩くなり、
極天魔術の才に恵まれなかったことを話した。
「あー、あれはサメが自衛用に作ったやつだからなぁ。」
「サメ?」
意味の分からない発言に首をかしげる。
だが行商人は顔色一つ変えずに話し続けた。
「こっちの話。しっかし極天魔術ねぇー。
講師の先生方はやっぱり参考にならなかった?」
「あぁ……。直感で理解している人や、
自分の中の独自ルールで解釈している人ばかりで……」
「教えるのは下手クソばかりと。あっはは!
ガチ才能マンだけだもんね。アレ使いこなせるの。」
(急に口調が変わったな、この人。
一気に距離を詰めに来ているのか?)
そんな事を考えながらも、言葉に吐き出した事で
ミストリナの心持ちは幾分マシになっていた。
老執事の目的としていた息抜きとしては十分だ。
「さて、これ以上は父に見つかってしまうな。
感謝するよ、行商人。おかげで少し楽になったよ。」
「ふーむ。むむむ。」
その場から立ち去ろうとするミストリナ。
しかし行商人はその背をジッと見つめていた。
そして――
「――少しだけなら覚えさせてあげよっか? 極天魔術。」
「…………は?」
もう何度もこの行商人には動揺され続けた。
これ以上驚く事は無い。そう思っていた彼女だったが、
流石にこれは思考が止まった。
「むしろ覚えない方が幸せかもしれないけど……
うん、私としては覚えた方が良いと思うな。」
「……出来るの? 貴方に……そんな事が……」
「出来なきゃ言わない。どうする?」
四年間だ。四年間も苦悩し続けた。
何度も何度も試行錯誤し、その度に絶望した。
でも諦め切れなかった、逃げ切れなかった。
……だってやっぱり、また頭を撫でて欲しかったから。
「お願い。」
「良い返事。好きだよ、そう言うの!
よーしせっかくだ! フル詠唱してあげよう!」
行商人は立ち上がると一本の短い杖を抜く。
それをポンとミストリナの頭の上に置くと、
女性のような声で詠唱を開始した。
「――黒き豊穣の女神よ。万物の母よ。
我が敬意と嘲笑を以て貴殿の名を借りん。」
(っ! 凄い魔力……!)
「闇より出でし魔女の集い。狂気を孕み踊り狂う。
されど汝の心は容姿に続く。今は幼き少女に消えろ。
――然らば、森の黒山羊に栄光あれ!」
恐怖。突如心を支配した感情に少女は目を閉じた。
その間、彼女の周囲には黒、黒、黒。
渦巻く深淵がバチバチと不快な音を立て始めた。
「――神■■■術『■■魔術』。
宿れッ――『黒山羊闊歩』!」
刹那、ミストリナの体に何かが現れた。
それは心地良いほどに自分自身と混ざり合い、
まるで最初からそうであったかのような錯覚を起こす。
「ふぅ……いあ、いあっと。
さてどうですか? ミストリナさん。」
それでも過剰な魔力の侵入。
ミストリナの意識は揺らぎその場に倒れ込んだ。
そんな朦朧とした意識の遠くで行商人の声が続く。
「ご安心を。ソレは名を借りただけの偽物。
三年もすれば消えてしまう、外付け強化キット。」
(だめだ……もう意識が……)
「まぁ効果は絶大の劇薬みたいな物ですがね!
おや? そろそろ声も聞こえなくなりましたか?」
ミストリナからの反応は無い。
地面に倒れたまま、完全に気を失っていた。
「さてさて、後は未来に託しますか。
青い鳥を追い求める――青春たちに。」
そう言うと行商人は、文字通り姿を消した。
――――
それから更に月日は流れた。
ミストリナは当時の事をはっきり覚えていたが、
それを誰かに話す気分にはなれなかった。
あの行商人があまりに不気味だった事もそうだが、
彼の手助けのおかげで進展があった事も理由だった。
彼女は極天魔術の一部を理解出来たのだ。
もちろん理解と習得は違う。
だが理解出来た後の習得速度は速かった。
一年の内に防御魔術『スクエア』を習得。
二年目には保存魔術『セクスタイル』と
迎撃魔術『クインカンクス』の習得に成功した。
そして三年目、極天魔術の奥義とされる技。
そのうちの一つの術式の習得に乗り出した。
「精が出るな、ミストリナ。見違えたぞ。」
「お父様!」
進展があった。それによって父の態度も変わった。
領主邸には以前のような親子の会話が蘇り、
使用人たちもみな安泰だと安心していた。
だからこの成果が、
不審者の干渉による結果だとは言いたく無かった。
安心させたかった。喜んでほしかった。何より――
「お父様……! あの!」
もう一度、もう一度だけでいいから。
……褒めて欲しかった。
「だがまだ終わりでは無いぞ! この調子で励め!」
「っ! ……はい!」
そして、遂に三年目が終了した。
――更に二年後・ミストリナ二十一歳――
領主邸の自室にて女は窓の外を眺めていた。
邸内に活気は無い。親子に明るい会話は無い。
行商人の言葉に違わずドーピングは終了した。
既に体で覚えていた一部の魔術以外、
遂に新たに極天魔術を覚える事は出来なかった。
(幸せを呼ぶ青い鳥……私の元には来てくれない、か。)
もう外出禁止などという制限こそ無かったが、
当時以上にミストリナの心は閉じていた。
ふと空を見上げるとそこには岩肌。
占星術を学ぶにしては、どうにも此処は星が見えない。
「この街は窮屈だな……」
涙の代わりにポツリと溢す。
恨み言なのか、諦観なのか、自嘲なのか。
自分ではもう判別出来ない感情を、一言ポツリと。
「同感だ。気が合うな!」
ミストリナの苦悩も知らないで
能天気な声が、空を飛び、語りかける。
危なっかしい『若さ』。青い、青い、青二才。
――その青い鳥が、彼女の前に舞い降りた。




