第二十一話 覆水
――ミラトス――
封魔局とテスタメントとの戦闘の翌日。
まだ日も昇っていない闇の時間。
影の世界にその身を置いた建物が一つ。
それは倉庫。海岸沿いの真っ暗な倉庫だった。
「…………来ましたか。」
その暗がりの中、コートを羽織った男は呟く。
美形で高身長。どこか気品を感じさせる男だった。
男は入口から歩み寄る人間に会釈する。
「意外ですね。まさかご本人がいらっしゃるとは。」
男は気さくに声をかけた。
相手の人物はとても特徴的な容姿の人間。
黒いジャケットに白いシャツ、紫色のネクタイ。
その一般的な服装に馴染まない竜種の頭蓋骨。
「お待ちしておりました。黒幕様。」
『ん。今日はすまないな。ヴォルフさん。』
ヴォルフと呼ばれた美男子はニコッと笑う。
そして両手に魔力を込め四角形を作る。
瞬間、彼の目の前に半透明の台が出現した。
「――さて。ではそろそろ始めましょうか、御二方。
いやはや、今日は記念すべき日となります。
封魔局が嗅ぎ付けたら全隊長が出動するレベルのね?」
ヴォルフは台を挟んで黒幕とは反対側の陰を見る。
暗闇に馴染んでいるが、確かにそこには人がいた。
間に合わせのパイプ椅子に腰掛けくつろぐ男。
呼び掛けに応じて組んだ足を解く。
「随分と待たせてくれたじゃないかァ? 黒幕君。」
ねっとりとした口調。嫌味たらしい。
女性のような長髪に色付きのサングラス。
ヴォルフよりも一回り高い身長が威圧感を増す。
『意外だな。まさかそちらも大将が出てくるとは……
表社会の超大物、ダミアーノ・ローデンヴァイツ。
いや、戦前から君臨した闇社会の古株――≪厄災≫。』
特異点≪厄災≫。
黒幕と並び称される魔法世界の闇そのもの。
その二人が今まさに、この狭い屋根の下に集う。
「そもそも君は本物かァ?
その骸骨頭。いくらでも代役を立てられるだろォ?
偽物を寄越す無礼をしたのならこの場で斬り殺す。」
「その点は私が保証しますよ。
まぁ別に今回の協定は使者でも成立しますが……」
『この協定を持ち掛けて来たのはそちらだ、厄災。
礼儀正しく、頭を下げるべきはそちらだろう?』
(えぇ……黒幕様まで何故煽る?)
険悪な、という言葉ですら生温い空気が流れる。
台に近づく歩が進むたび、空気が冷たく冷え込んだ。
「まぁ落ち着け……そう殺気立つなァ。」
台の前まで歩み寄るとローデンヴァイツは呟いた。
だが彼の言葉に黒幕は一切反応を見せない。
それも当然だろう。何故ならその言葉は――
「落ち着けと言っている……お前ら。」
――黒幕の背後に立つ二つの人影に向けられていた。
ローデンヴァイツが潜ませた刺客たちだった。
刃物を握りしめた黒装束が殺気立っていた。
「はぁ……厄災殿? これは一体?」
「失礼、ヴォルフ君。彼らは私の護衛だァ。
敵と面会するのだァ。一人で来るわけが無いだろォ?」
そう言うとローデンヴァイツは手を払う。
黒幕の背後に立ち続ける刺客たちを下がらせるために。
「そら、お前らも速く失せろ。話が進まん。」
「…………」
「? どうした、お前ら?」
返事は無い。ただただ無言で、
何処でも無い一点を見つめて静止している。
『あー、すまないな。厄災。つい反射で。』
「ッ!? 貴様。やったな?」
『切断は、俺も得意だからな。』
――瞬間。刺客二人の肉体が分断された。
文字通り細切れとなり肉片へと姿を変え、
血煙と悪臭を漂わせながら崩落していった。
「それが噂の……! おのれ、若造がァ!」
『仕掛けたのはそっちだろ? 老害ッ!』
――刹那、激しい衝撃が倉庫を揺らす。
だがそれは魔術でも、攻撃でも無い。
殺気に魔力を乗せただけの気迫だった。
――正午・ソピアー封魔局支部――
「本日未明。黒幕と思われる人物と謎の人物が
都市ミラトスにて接触を図ったようだ。」
応接室にて片仮面の女隊長ミストリナが
ハウンド、ジャックの二人と情報を共有する。
「ミラトス支部の局員曰く、現場には衝突の痕跡が
これでもか、と言うほど見つかったらしい。
まぁ死体や血痕などは綺麗に消されていたようだが。」
「衝突……ということは何らかの議論は決裂した?」
「うむ。誰と何の話をしていたかは絶賛調査中だが、
まぁ少なくとも円満に運んではいないだろうな。」
「……教団にも亡霊達が絡んでいた。
それが翌日にはミラトスか。何処にでも現れる。」
「だからこその≪黒幕≫だ。現在本部は警戒態勢。
我々も、一瞬たりとも気を抜けない状況だ。」
そこまで話すとミストリナは朝霧たちの居場所を問う。
ハウンド曰く、現在は朝霧たち三人は
アーサーたちの帰還の見送りをしているとのことだ。
「この緊張状態なら隊長二人は流石に手元に置くか。」
「えらく世話になったってことで、礼をしに。
どうします? すぐに呼びに行きましょうか?」
必要ない、とミストリナは断ろうとした。
が、すぐに考えを改めハウンドの申し出を受ける。
「やっぱり呼びに行ってくれ。私も時間が無い。」
了解です、と快諾すると
すぐにハウンドは応接室の外へと駆け出した。
残るはジャックとミストリナ。二人きりだ。
「……私の話は聞いたか?」
「…………縁談、のことか?」
少し口を震わせながらジャックは返答する。
それに対しミストリナはうん、と心細そうに頷いた。
「それは……めでたいな……」
「ジャック、覚えてる?
あの時……あの時してくれた約束を?」
「……っ!」
――俺が……! 俺がその青い鳥になるからっ……!
ジャックの脳裏には鮮明な記憶があった。
今でも容易く呼び起こせる言葉があった。
――必ず……お前に幸せを運ぶ! だからッ!
過去の理想が突き刺さる。
現実との乖離に呼吸が荒れる。
今の自分はどうなのか? 今の自分は許せるか?
使徒の一人も倒しきれない、今の自分は……?
「っ、すまん……どれの事か、覚えてない。」
「そっか……おや、朝霧たちが来たようだ。」
「っ……! その縁談、どうするつもりだ?」
後悔先に立たず。吐いた唾は飲み込めない。
自分が誤った選択をしていると自覚しながら、
ジャックはただ問うことしか出来なかった。
「――受ける事にしたよ。決心もついたしね。」
――――
「「「えぇええ!? ミストリナ隊長が結婚!?」」」
支部内に朝霧たちの若い声が響き渡った。
部屋の外へ向けペコペコ頭を下げると、
呆れた声でハウンドが語りかける。
「なんだ、お前ら知らなかったのか?
少なくとも本部じゃその話題で持ちきりだったぞ?」
「は、はい。急用で、とは聞いていましたが……」
「あぁ、そうだったな。
そういえば君らの特訓を約束していたのだった。」
思い出したかのように呟くと、
彼女は朝霧たち一人一人の顔を見つめた。
そして満足そうにその八重歯を見せる。
「ふむ。少し見ない間に格段に強くなっている!
流石私の精鋭たち! 私も安心出来るというものだ!」
安心出来る、その言葉の意味をジャックは理解する。
だが朝霧たちは純粋に受け取っていた。
いつものように自信に満ちた表情で返答する。
「はい! 指輪のおかげで攻撃手段を得ました!」
「俺も飴……魔力結晶剤で手数が増えましたね。」
「私も固有戦闘術、その基礎が開発できて、
狂気限定顕在も第二段階まで引き上げられました!」
その言葉にミストリナは反応を見せた。
遡ること二日前。朝霧たちがソピアーに来る前のこと。
――地下列車・連結路――
『何? 朝霧の祝福に注意しろだと? エヴァンス。』
それは朝霧たちがまだ教団の襲撃を受ける前。
装備開発のためにソピアーへ向かう途中の事。
隣でアーサーが見守る中、
エヴァンスはミストリナに連絡を入れていたのだ、
「朝霧の能力を解析した際のことです。
単刀直入に言うと……何らかの改竄が行われている。」
『改竄? 祝福にか?』
「彼女のあらゆるデータに、という方が適切です。
それが彼女を目覚めさせた黒幕のものか、
あるいはそれよりも前のことなのかは不明ですが。」
ふむ、と通話の向こうで声が聞こえた。
朝霧を監督すべきミストリナとしては
彼女に施された改竄は無視できない情報だ。
『データとやらの修復は可能か?』
「あくまで僕の目算ですが、困難でしょうね。
あれはもう精神に深く根付いた呪いの類。
外部から無理に干渉するのは危険でしょうね。」
『うーむ。厄介だな。』
「どうしますか、ミストリナ?
リスクはありますが戦力として有用なのも事実。
どう運用するかの判断は貴女に任せます。」
――――
「ミストリナ隊長? どうされました?」
不明とは無限のリスク。影響は分からない。
だが朝霧は今や封魔局に欠かせない戦力。
それはミストリナが一番知っていた。だから――
「――いや! 何でもない! 期待しているぞ、朝霧!」
「はい! 任せてください!!」
朝霧は心の底から喜んだ。
期待に応えたい。その思いで一杯だ。
その目にミストリナの不安は消え去った。
「いい返事だ! では早速精鋭に任務を出そう!」
(あ……またこのパターンだ。)
波乱の訪れを予感し朝霧は身構える。
だが彼女の指令はその予想を軽々と越えていった。
「朝霧! メイドになろう!」
「了か…………はいぃい!?」