幕間の一 魂の解放を
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逃げる者がいた。体を引きずり敗走する者がいた。
彼女の名は教団の名。たった一人の宗教テスタメント。
血を流しながら地下都市の外を陸路で目指す。
(大失敗……残った魂もこれっぽっち……)
荒い呼吸に歩調を合わせながら外を目指す。
既にお気に入りの服はボロボロ。
これは可愛くないな、と自嘲する。
そんな彼女の背後から車両の音が迫る。
それは大型バイクのエンジン音。光が敗者を照らす。
「いたいた。やっと見つけた。」
「…………『亡霊達』のシックスさん。」
そこにいたのは同盟相手。
黒幕の部下の中でも名の轟いている女だった。
「一人ですか? 他の方は?」
「帰った。まったく薄情な奴らよね?」
そう言うとシックスは
自分のヘルメットを突き出し乗るように促す。
だがテスタメントは黙って見ているだけだった。
「どうしたの、教祖さん? 乗りなさい。」
「……サンクトゥス。殺しましたよね?」
「誰?」
「使徒サンクトゥス。博物館にいた教団員です。
それを貴女は撃ち殺しましたよね?」
「あっそ、分かるんだ。そういうの。」
テスタメントは隠し持っていたナイフを取り出す。
猫背のままシックスへ投擲しようとした、が――
「――『固定』。」
「なっ!? 体が……動かない!?」
祝福『停止の眼』。テスタメントから自由を奪うと
シックスはバイクから降り彼女に近づいた。
「アンタの言い分も聞きたいから口は止めないわよ。」
「言い分? 何を言っているんですか?
これは黒幕の指示ですか!? 立派な協定違反ですよ?」
「いや、私の独断だけど?」
「なら!」
「――けど、リーダーの本音ではある。」
は?と思わずテスタメントは声を上げる。
思考の止まった彼女を放ってシックスは続けた。
「黒幕の本音は、貴女を殺したい。
本来の目的のために生かして利用してたみたいだけど、
多分ずっとイライラしてたんじゃない?」
「っ!? そんなはずは……! 彼の不利益は何も!
むしろ私は彼のことをお慕いしていました!」
テスタメントは動かせる口で必死に弁明する。
そんな彼女の抗議を聞き流しながら、
シックスは箱状の機械をイジり始めた。
(っ……! 彼が私に殺意を? くだらない戯言だ。)
傷だらけのテスタメントは冷静では無かった。
怒りの矛先は次第にシックスに向き始める。
一応彼女の中で逆転の勝算はあった。
口が動くので霊に指示を飛ばせるからだ。
(肉体の無い霊は基本現に干渉出来ない。
けどさっきみたいに刃物に変えて浮遊させれば!)
残りの魂の数を確認しテスタメントは隙を伺う。
あくまでも必死であると偽装しながら。
「な、何故!? 何故それが黒幕の考えだと!?」
「――『ホントに死にたい奴なんかこの世にいない』。」
「?」
「よくリーダーが言ってることよ。意味は分かる?」
分かるはずも無い。死を救済と思っているのだから。
何人もの自殺志願者を見てきた。
死にたいと声に出す人間の魂を集めてきた。
分かるはずも無い。テスタメントには絶対に。
「知らないようだから教えてあげる。」
シックスは機械を片手に安易に接近する。
それを隙と捉えテスタメントは黒煙を放った。
「必要ない! 征け、信者たち!」
教祖は叫ぶ。しかし、黒煙は進まない。
それどころか刃物すら出来上がっていなかった。
ただテスタメントに近づくように停滞している。
「な、何で……? どうして動かない!?」
一つはテスタメントが弱り支配力が落ちたから。
しかしそれだけではこの現象の説明には足りない。
「きょ、教祖さまぁ」「あぁ、ああ!」「何故……」
「! 死者の声……!? こんなの初めて……」
もし本当に、教祖に心酔している者がいるのなら
能力による支配力など無くても従うはずだ。
――しかし、今この場に従う霊は一人もいない。
「話が違う……!」「苦しい、苦しい!」「嘘つき……」
「!? 何が起きて……?」
「当然よ。死は救済なんかじゃないんだから。」
シックスの声が目の前で聞こえる。
彼女は手にした四角い箱をテスタメントの額に当てた。
カチカチとなる時計の音。僅かに匂う火薬の臭い。
「!? こ、これって……!?」
テスタメントの頭に当てた機械。
その上のパネルをシックスは押し始めた。
そして焦る教祖を無視しながら続きを話す。
「もしこの世の中が楽しいことばかりなら、
死にたいなんて願う人間は一人も出て来ないわよね?」
「こ、これ! 爆弾……! ま、待って!」
「けど皆が皆幸せにはなれない。当然ね。
判断ミス。理不尽な現実。将来への不安。
そんな時、人は死にたいと願ってしまう。」
カチリ、とパネルのランプが光る。
教祖の額に能力で固定するとそっと手を離した。
ピッピッピとタイマーが鳴り始める。
「なら死は救済か? 違う。救済であってたまるか!」
「タイマー! ねぇ! タイマーが鳴って……!」
「彼らは救われなかった! 私たちが救えなかった!
戦死者も、病死者も、自殺志願者ですらも。
皆もっと――『楽しく生きて』いたかった……!」
「ごめんなさい……ごめんなさい! お願いだから!」
「死こそ救済なんて言葉は、
救えてあげられなかった私たち生者の言い訳だ。」
シックスは身を翻した。
そのままバイクに向かってゆっくり歩き始める。
哀れな教祖の悲痛な叫びを聞きながら。
「取ってぇ! ねえ! これ取ってよぉ!!」
「今の話、半分はリーダーの受け売り。貴女……
彼にも『死こそ救済』なんて抜かしたんじゃない?」
「あ――」
――刹那。爆風が全てを終わらせる。
教祖の肉体は跡形も無く吹き飛び、
その魂は周囲の霊に捕まれ引き裂かれた。
大の大人も立っていられないほどの爆風が
周囲を吹き飛ばす。
爆発の衝撃を浴びながら女は一人、
天を仰ぎ、快楽に浸る。
(――あぁ、肉が痛む。骨が軋む。
良かった……私はまだ、『生きている』!)
――亡霊達の居城・レヴェナント――
「あぁ、今連絡が入った。シックスが消した。
……分かった。俺からゼノにも伝えておこう。」
通信を終え男は愛用の杖に手を伸ばす。
黒幕の腹心。副長ネメシスだ。
椅子に座ったまま深くため息を溢した。
(リーダーは今回自ら手を下すことを避けた。何故?)
トントントンと手すりを叩きながら資料を流し見る。
そして、なるほど?と声を漏らした。
「監視者がいたか。あの街に、あの女の上司の。」
――ソピアー・ホテル――
「ひっ! ひっ! ひっ!
見たか、イリエイム!? あの異形の退治劇を!」
老人は窓の外を眺めながら爆笑する。
まるで子供のような無邪気さで。
「負けておれんの! ≪厄災≫の日は近いぞ!
ラニサに伝えておけ、次は儂らが活躍せねばならん!」
秘書の男は軽く礼をし
すぐさま部下たちを動かしに向かった。
「そうじゃ、儂らが活躍せねばならん。
何せ儂らの本業は――製薬会社『息災』なのだから。」
――ソピアー・とある家――
「ねぇママー、パパはまた帰ってこないのー?」
「封魔局は忙しいからねぇ。それよりも!
今日もあなたの好きな美味しい料理を作ったわよ!」
「わーい! ママの料理大好きー!」
「すぐ並べるからね! ……ん。」
「ママー?」
「何でもないわ! …………コホッ。」
――――
「厄災の時は、近いようだねェ?」
悪意は既に力を貯めた。露悪を極めて引火を待つ。
青い鳥は何処へ行く? 藍の鳥はいつ届く?
今は答えも出ない物語。苦しむ様こそ美しい。
――世界は今日も平穏だ。不穏なほどに平穏だ。




