第十六話 自己軽視
――封魔局ソピアー支部――
混乱は恐怖を生み出す。恐怖はやがて伝播する。
一つの異常が二つに増え、三つに増え、
自分以外の全てが理解不能の行動をとった時、
人間の大脳は発狂し冷静な判断力を放棄する。
(……落ち着け、私! この同士討ちは教団の仕業!
霊の魂に憑依されて肉体の自由を奪われてるんだ!)
唯一この状況を理解する朝霧は冷静さを保つ。
敵味方の区別もつかない支部内で
物陰から必死に点在している情報を掻き集めた。
戦闘状態の数人の支部局員。武器は無い。
だがいずれも訓練を積んだ屈強な肉体の戦士。
憑依している魂によっては厄介極まりない。
また、支部局員たちは憑依の事を知らない。
その場の者はわけも分からないまま暴徒と対峙し、
後から来た者はどちらが敵か判別出来ず混乱する。
(この騒ぎじゃ説得は無理……なら一人ずつ制圧を!)
朝霧は転送し終わった大剣を手に取ると、
参戦しようと身を乗り出した、その時――
(ちょいまち! 行ったらアカン!)
――突如、脳に直接声が響いた。
それは彼女に憑依しているパオラの声だった。
今までと違う会話方法に朝霧は面を食らう。
(パオラ!? それどうやってるの!?)
(あれ? ホンマやな? ……って今はどうでもええわ!
そないなことよりアンタが行ったらアカンで!)
(どう、して……?)
(アンタが危険になるからや! よぉ見てみ!)
そう言うと暴徒たちの足下を見るよう促した。
言われるがまま観察するが、特に異変は見当たらない。
(何も無いけど?)
(せや、何も落ちとらん! これはヘンやろ!?
何で黒煙を入れとく容器の一つも無いねん!?)
その言葉に朝霧はハッとした。
確かに今までは必ず現場に瓶などが落ちていた。
が、今回は少なくとも見える範囲にそれは無い。
霊に憑依されるのならあの黒い煙は必須。
地下列車では口から直接放出するタイプもいたが、
支部とはいえ彼らは仮にも原初の都市を守る封魔局員。
あんな隙の大きい攻撃でここまで崩れるかは疑問だ。
(なら、予め局員数人に憑依させて送り込んだとか?)
(それもあり得る。けどもっと可能性のある奴がおる。
それこそがテスタメント幹部。使徒クレドや!)
曰く、使徒とは教祖が選んだ生きた人間たち。
祝福は魂に宿るというのが通説だが、
死者の魂が例外なのか憑依した霊は祝福を扱えない。
また、借りた肉体の祝福も当然使用出来ない。
だからこそ、便利な祝福を使用出来る者は
生きたまま『使徒』という駒として残しているのだ。
その一人が、現在名の上がった使徒クレドだ。
(クレドは侵入に特化した祝福らしい。
祝福は信者にも見せへんからあくまで噂やけどな。)
(仮にその人がいるとしたら……まだ近くに?)
(せや! 危険過ぎる! 自分の命は大事にせな!)
既に死した霊からの言葉だからこそ、
その忠告は無視など出来ない重みがあった。
朝霧は、うん、と頷くと言葉に出す。
「教えてくれてありがとう、パオラ!」
(かまへん、かまへん!)
「そんな危険な奴がいるなら、私が倒さなきゃね!」
(おう! その意気…………ってちゃうよ!?)
パオラのツッコミも振り切り朝霧は飛び上がる。
物陰を軽々と飛び越え、躊躇無く走り出した。
「狂気限定顕在・≪序≫!」
戸惑う局員たちの隙間を駆け抜け、
荒ぶる暴徒たちの懐まで潜り込んだ。
怯む敵の体を大剣の峰打ちで吹き飛ばす。
(何しとんの!? なぁ何しとんの!?)
「もう出てきちゃったから! 仕方無い!
それに封魔局員の私が危険から逃げてどうするの!」
(! せ、せやけど……)
「それよりもパオラ。一つ知りたいことがあるの。」
――暴動現場――
「バキューン! バキューン!」
無限銃を撃ちながら使徒アニュス・デイは吠えた。
浴びせ続けられる弾幕を鬱陶しく思いながら、
結晶の陰からアーサーは申し出に応える旨を伝えた。
「一騎打ちだったな? 俺も騎士道を重んじる!
今出るから正々堂々決闘といこうじゃないか!
だから一旦弾幕を止めてくれ!」
(やはり崇高な精神をお持ちのようだ!
ククク、出てきた所で脳天をズドンだ!)
よし分かった、と使徒は口先でのみ了承する。
結晶の影から出てこようとするアーサーを
すぐさま撃ち抜けるように神経を研ぎ澄ませる。
そして――
「――そこだ!!」
狂い無く、飛び出した物体を撃ち抜いた。
が、それはアーサー本人では無く、
彼のシルクハットを被った飴細工であった。
「よし、そこだな。」
「しまっ!」
突如、アーサーを守っていた結晶がその形状を変える。
弾丸の撃ち込まれた角度から逆算し位置を特定、
狂い無く敵に目がけて突き出された。
激流の如き飴の結晶が敵を押しつけ拘束する。
「ぐぉぉお!! お、おい! 騎士道はどうした!?」
「うるせぇ。勝てば良いんだ。」
「ふざけるな! 卑怯者ォッ……!」
拘束された状態でなおアーサーを罵倒し続ける。
その喚きようは敵でも眉をひそめてしまうほどだ。
(なんてな! 今注意は俺に向いている!
ククク、お前の背後には十数人の信者がいるぜ!)
「――とか考えているんだろ? どうせ。」
そんな思考を見透かすように
アーサーの足元から七色の光が周囲に解き放たれる。
それは彼の背後に迫っていた信者たちを無力化した。
「マジか……ッ!」
「投降しろ。これ以上は無駄だ。」
アーサーは使徒に星剣を向けた。
すると彼はククク、と笑い声を溢し始めた。
「あ? 何がおかしい?」
「いやぁ? 剣なんか向けたところで殺せるのかなと。」
「簡単だ。それに俺たちには現場判断での殺害許可が――」
「――それは敵に対してのみだ。民間人は違うだろ?
ところで、今お前の目の前にある肉体はどっちだ?」
何かに気付きアーサーは舌打ちをした。
アニュス・デイはさらに歪んだ笑みを見せつける。
「我々についてのしっかり情報は共有しているだろ?
知っているはずだ、我々は一般人の肉体に憑依する!
今この体は! 俺が乗っ取った無実の市民だ!」
「くッ……!」
(まぁ嘘だがな。俺たち使徒は生身の人間
当然、死霊じゃないんだから憑依は出来ねぇ。)
だが、使徒の情報が割れていなければ
自身の肉体を人質とするこのブラフは有効だ。
アーサーは一先ず剣を下ろさざるを得なかった。
「それでいい! そして一つ、要件がある。」
「拘束を解け、か?」
「いや違う。何なら拘束はこのままでいい。
それよりも……お前って実は我々の同志なのでは?」
は?とアーサーは素っ頓狂な声を出した。
目の前の敵の発言の意味が一切理解出来なかった。
「知っているぞ、騎士聖。
お前はあの戦争に参加していたらしいな?
であればいるんじゃないか? 再開いたい死者が。」
ようやく彼の言葉を理解出来た。
要するにこれは勧誘だ。
死者にもう一度会わせるという教団の常套句だ。
(あわよくば、そのまま信者にしたい所だが……
流石にそこまでチョロくは無いだろう。
敵対心を削ぎ、確実に殺せる隙を作り出す!)
「会いたい死者……か。」
(食いついた!)
使徒は宣教師としての皮を被る。
とたんに口調を和らげ迷える仔羊を導く。
「いくつもの死線を潜って貴方は生き残った。
しかし、その過程で落としていった命は多いはず。」
「……戦争初期の事だ。
帝国派の貴族に始めて出来た俺の後輩が殺された。」
(語り始めた! 心が開きつつある証拠だ!
微塵も興味なんざ無いが聞いてやるよ。)
アーサーは話し続ける。
彼の後輩は敵兵に囲まれ見るも無惨な殺され方をした。
草むらで、ボロ雑巾のような姿で発見されたのだ。
「それはさぞ辛かったでしょう。」
「そうだな。必ず報復すると……誓った。」
「復讐は成ったのですか?」
アーサーは小さく首を横に振った。
怒りに飲まれていた彼に突きつけられたのは
一隊員ではどうしようも出来ない現実だった。
「戦争後期、その貴族は魔法連合側に寝返った。
後輩を殺した連中もその時丸ごと味方になったよ。」
「! それはそれは。」
使徒は一瞬言葉を詰まらせる。
仇として狙っていた相手が味方面をして隣にいる。
これでは理由無く殺せないだけで無く、
憎き相手と肩を並べて命を張らなければならないのだ。
「結局どうしたのです?」
「何も。その貴族は結局没落したが、
俺からは一切の報復も出来ないまま終わったよ。」
「それは辛かったでしょう。大丈夫、再開出来ます。
思う存分語り合ってください。そして――」
「――みたいな話があと六個ある。全部聞けよ?」
「…………は? 多くね?」
「そうか、ならいいや。」
その言葉を待っていたかのように、
アーサーはアニュス・デイの口に杖を突っ込んだ。
「ガバッ!?」
「俺はもう騎士聖という名の兵器だ。
チビ妖精と出会ったあの日アーサーは死んだ。
分かるか? とっくに自己なんか斬り捨てた!」
「うぐっ……!? ぐぐ……!!」
「先月もそうだ。天空都市アンブロシウス。
あそこでメセナって女に俺の部下が何人も殺された。
なぁなぁになったが俺はまだ許してねぇぞ?
それでも報復はしない。守護者は味方だからな!」
思いを乗せるように杖を握る力が強まる。
使徒はどうにか丸め込みたいところだが、
口を塞がれて一切の甘言を吐くことが出来ない。
(ッ……! このままでは窒息して……それが狙いか!
油断を誘うために拘束を残したのが裏目に出たか!)
ならば、とアニュス・デイは祝福を発動する。
彼の祝福は『クイックドロウ』。
数十センチの動作に限り速度を上げられる。
これにより結晶の中に埋まった無限銃の引き金を
連続で引き続けることで拘束の破壊を試みた。
「お? 結晶にヒビ? お前今、祝福を使ったな?
列車内の被憑依者は祝福を使わなかったはずだがな?」
「あ。」
「間抜けが。瞬間凝固。」
それはまさに一瞬の出来事。
敵の肉体が一般人の借り物で無いと悟った刹那、
口に突っ込んだ杖の先から結晶が放出された。
それは一瞬にしてアニュス・デイの体を包み、
まるで冷凍保存するかのように全ての自由を奪い取る。
誰もが動かなくなった中、彼は独り佇んでいた。
騎士聖。全暴動発生現場、制圧完了。
「さて、次は……敵教団の本拠地探しだ。」
――――
場面は戻り封魔局支部。
突如飛び出した朝霧に使徒クレドは驚ろいていた。
(……自ら姿を晒すか。俺の存在には気付いていないか?)
使徒クレド。祝福は『侵入者』。
事前に定めた特定の目的を達成するか、
一定以上の攻撃を食らうまで透明化する能力だ。
彼の本来の目的は封魔局支部の無力化だ。
が、使徒全員にはある一つの指示が与えられている。
それが朝霧桃香の肉体奪取である。
(現在取り憑いた霊は挙動がおかしい。
あまり考えられないが、信仰心の無い霊なのか?)
どうあれ、今彼が定めている目的は一つ。
朝霧桃香の口に瓶一杯の黒煙を流し込むことだ。
クレドは不可視のまま朝霧に接近を始めた。
その時――
(なんだ!? いきなり走り出したそ!?)
未だ完全に暴徒は制圧していない中、
朝霧は支部の外へと向かって突然走り出した。
そして、大声であることを叫び出す。
「敵は教団テスタメント! 本拠地も分かった!
――時計塔内部!! そこに教団の聖堂がある!!」
(なにッ!?)
――数分前――
「それよりもパオラ。一つ知りたいことがあるの。」
(な、なんや!?)
「教団の本拠地は何処?
二年も教団にいたなら検討くらいはつくよね?」
(なっ!? 勘違いせんといて!
情報を流したんは宿主に危険が及ばないようするためや!
聖堂の位置なんて言うたらアンタ向かうやろ!?)
「うん。教団を放っといたら被害者が増える。
私はこの世から悲しむ人を無くしたいの。」
(――! なんやソレ。ハハ、本気かいな?)
もちろん、と迷いなく肯定する。
半ば諦めたかのようにパオラは情報を渡した。
「それと、本拠地を聞いた理由はもう一つ。」
――――
朝霧は大声で情報を吐きながら外へ出た。
その行動で最も焦ったのは使徒クレドだった。
(何故時計塔だとバレた!? 止めなくては!)
他の封魔局員には目もくれず、
まんまと釣られて朝霧を追いかけた。
(足音! 掛かった! ……けど姿が見えない!?)
目的は未達成。そのためクレドは透明状態だ。
朝霧を追尾する足音は分かるが正確な位置は不明だ。
(罠だったか……! だが残念だったな、朝霧桃香!)
「――目標補足。『死を想え』。」
瞬間、攻撃を受けたクレドの透明化が解除された。
朝霧が後ろを振り返ると、そこにはアランたちがいた。
「面倒そうな相手だな、ここは任せろ。」
「時計塔ですね! 行ってらっしゃい、朝霧さん!」
「アリス! アラン! ……分かった、任せる!」
封魔局支部、選手交代。
朝霧は教団の聖堂がある時計塔を目指す。




