第十三話 貧民街
――領主邸――
富裕層の最上位。領主が住まう館の一室。
かつてミストリナの部屋だったその場所は
最低限の家具のみを残し生活感を消していた。
(……連れ戻す気も無かったか。それを今になって?)
ミストリナはベッドの上に倒れ込む。
毛布も枕も無い、ただの固いベッドの上に。
寒さと寝心地の悪さが心の寂しさを加速させる。
「失礼します。お嬢様。」
メイドの一人がノックする。
ミストリナは顔を拭うと入室を許可した。
「どうした?」
「はい。旦那様からお飲み物をお出しするようにと。」
(嘘だな。さしずめメイド長あたりの配慮か。)
使用人たちの厚意に応えるように
ミストリナは黙って飲み物を受け取った。
好きだったはずの紅茶だが、どうにも味が悪い。
「うむ、美味しいよ。済まないな、ありがとう。」
ミストリナの世辞をメイドは素直に受け取った。
彼女はそのまま退出しようとしたが、
ミストリナは引き留め情報を聞き出そうとした。
「この部屋を見る限り、クレマリア公は私の帰りなど
期待していなかったようだが……何故今縁談が?」
「え、えっと……」
「答え難い事を聞いてしまったな、話題を変えようか!
――最近、この街はどのようなことがあった?」
「は、はい! 図書館のリニューアルがあったり、
博物館で有名な芸術家の個展が開かれたりなど!」
当たり障りの無い話題。
ミストリナはあくまで興味があるかのように頷く。
そしてメイドの口が緩くなった所に話題を振った。
「では下街の様子はどうだ?」
「は、貧民街ですか?
……現在あそこには立ち入らない方がいいかと。」
「ほう? それは何故?」
「それが……」
――ソピアー・貧民街――
都市上層部。富裕層の住む中心街。
金と黒の街並みは豪華そのものであったが、
ここはその真逆。土の金と汚れた黒の廃墟の街。
(貧富の差。上とは全然……!)
「償ってもらうぞ、オラァ!」
突き出されたナイフ。振りかざされた鉄パイプ。
しかしこの程度では朝霧を倒すことなど不可能だ。
警官時代経験が一人対複数人という不利な状況を覆す。
「こいつ……! 強えぞ!?」
「なら俺らの祝福でブチのめすまで!」
チンピラたちは各々の能力を使用する。
身体能力が上がる者や腕の形状が変化する者。
しかしこれでも朝霧を打ち負かすことは叶わない。
現在まで培った封魔局員としての魔法戦闘経験が、
彼女の初見の異能力に対処する直感を鍛え上げた。
「何だコイツ!? 喧嘩慣れしてやがる……!」
「戦闘慣れ、です! 私は封魔局の朝霧!
これ以上は公務執行妨害として検挙します!」
その言葉にチンピラたちは酷く動揺した。
朝霧本人を知っているかはともかく、
この貧民街では封魔局は恐怖の対象だった。
(封魔局!? なんでこんな所に……!?)
(いつもの汚職局員じゃねぇな? 本部の人間か?)
(金握られても見逃さねぇな。こういう手合いは!)
貧民街で生きる。
この過酷な環境では潔癖のままではいられない。
だからこそ、潔癖な封魔局員に恐怖する。が――
――銃声が一発。貧民街に鳴り響く。
チンピラの中でも一際冷静な男が一人。
手に持つ拳銃を朝霧に向け発砲した。
その弾丸は彼女の足を貫き血を吹き出させた。
「お、おい!? 一体何を!?」
「コホッ……コイツは封魔局員。そう名乗っただけだ。
私服で証明出来る物も無いし、そもそも一人だ。」
その言葉に周囲のチンピラたちはハッとした。
目の前の女が封魔局員だという確証は無く、
何よりこのまま消してしまえば誰も咎めない。
(けど、流石に殺人は……)
「皆、その一線は越えられ無いか? コホッ……!
ならいい。俺が殺ってやるからお前らは見てろ!」
男は躊躇う事も無く朝霧に銃を向けた。
足を負傷した朝霧の呼吸は荒れ、回避も困難。
彼女は思わず弱音を吐露してしまう。
「これ……死ぬかも。」
やはり男は躊躇わない。
引き金を引く指が素早く二回、動かされた。
――しかし、その凶弾が命中することは無かった。
なんと朝霧は腕の力だけで宙を舞い、
二発の弾丸はどちらも回避したのだ。
それどころか、カウンターのような回し蹴りが
発砲した男の頭部を目掛けて放たれた。
(ぐっ!? 急に動きのパターンが……!)
「何してんねん、宿主はん!? 見てられんわ!
こんな上等な体やのに、使い方がなっとれへん!」
(……口調も変わった?)
蹴りを防いだ男だったが、
銃は弾き飛ばされていたことに気付く。
対する霊は片足を庇いながら構えていた。
(この女は手の一本でもあれば動き回る。)
(この兄ちゃんは手段も選ばんタイプやな。)
(なら、弾道の読まれる銃をブラフにナイフで殺す!)
(近寄って来たら脳天かち割ったる! 正当防衛や!)
二者の対峙。汗が伝う。
両者ともに作戦を決め、間合いを見計らう。
そして――
((――今ッ!))
発砲。回避。抜刀。接近。ナイフと拳が間近に迫る。
今にも決着が着くかと思われたその時、
この戦いを遮るように空から彼が乱入した。
「――そこまでだ! 朝霧ッ!!」
巻き上がる粉塵の中から現れる一人の封魔局員。
驚いた霊が肉体を返し、朝霧はその顔を直視した。
それは彼女と同じ六番隊の先輩。
「ジャックさん!? どうして此処に!?」
「お前を探していたら銃声を聞いた。」
そう答えると今度は周囲のチンピラを見回す。
そして、馴染み深いように彼らに声をかけた。
「お前ら、コイツは俺の同僚だ。
見逃してやっから帰れ。ここは俺の顔を立てろ。」
「ハン! もうお前にそんな威厳は無ぇよ、ジャック。
…………だが、お前とやり合うのは馬鹿のやることだ。」
そう吐き捨てるとチンピラたちは退散した。
先程までの喧騒が嘘かのように静寂が訪れる。
「ん、おい! 撃たれたのか!?
しまった、アイツら見逃すんじゃ無かった。」
「私はお構いなく……いや、それよりも!
さっきの人たちとは知り合いなんですか!?」
「んん、まぁ、昔の馴染みだ。とにかく上に戻るぞ。」
するとジャックは朝霧を肩に抱え飛翔した。
中心街へと戻る最中、貧民街の様子が俯瞰出来た。
サッと見回しただけでも分かる荒れ具合。
各地で喧嘩の様子が見え、道端に倒れた人間もいた。
前評判ではアンブロシウスほどの悪評は無かったが、
朝霧の直感ではこの街の方が治安が悪い印象だ。
(銃も出回ってた。たぶん薬物もあるよね?
私が思っているよりも……この街は――)
「朝霧。先に聞いておくが、体に異常はあるか?」
朝霧の思考を遮るようにジャックは確認する。
突如話しかけられた朝霧は思わずどもってしまう。
「え、えっと!? 異常とは?」
「そうだな、例えば体が――」
「ウチに取られるとか? いや、異常とはちゃうか?
――ちょっと黙ってて! すみません、例えば何です?」
「…………いや、確認は取れた。」
――――
「コホッ……ホーネウス。ジャックの野郎が来てるぞ?」
拳銃を持った男が貧民街の王に報告する。
喧嘩の後だろう、倒れた男たちの上に彼は鎮座していた。
盗んだ果物にかぶり付き、種をプッと吐き捨てる。
「女に惚れて、俺たちを捨てた野郎が……
けどまぁいいんじゃね? このタイミングで来たのは。」
「――ッ! ゴホッ、ゲホッ!」
「流石に苦しむ同類は見捨てねぇだろ?
もう俺たちに余裕は無ぇんだ。昔と違って、な?」
――病院――
暴徒との鎮圧を終えたこの場所は、
ハウンド指揮の下、支部局員たちが出入りしていた。
そんなハウンドに医師が話しかける。
「あのー封魔局さん?
患者の一部を部屋に戻してもよろしいですか?」
「えぇ、戦闘のあった現場以外であれば構いません。」
その言葉を聞き安堵した医師は、
患者たちを中へと引き入れる。
彼らは皆、苦しそうに咳をしていた。
(向こうは向こうで、大変そうだな……)
――中心街――
朝霧を引き上げ、ジャックは中心街に戻る。
そして弾痕の治癒をしながらある程度の事情を聞く。
「とりあえずエヴァンスさんには連絡した。
良かったよ、病院でいくつかポーション貰っといて。」
「お騒がせしました……」
「朝霧は悪くねぇよ、それよりも。」
ジャックはギロッと朝霧を睨む。
正確には、朝霧に憑依した霊を睨んだ。
「質問に答えてくれるか? 幽霊?」
「うーん? コイツが素直に答えてくれるかは――
――ええで! 命の恩人や! 何でも答えたるで!」
(ちょっと面白いな……今の朝霧。)
気を取り直しジャックは霊に問う。
今回の事件の犯人。テスタメントについて。
「お前の知りうる全てを教えろ。彼女との関係を始め、
目的、祝福、そして奴らの聖堂の位置の全てを!」
「おっしゃ! じゃあまずは……ウチの正体からやな――」
霊は朝霧の体を使い彼女の過去を話し始めた。
その暗く重たい過去を、まるで笑い話かのように。