第五十五話 アンブロシウスの守護者
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アンブロシウスの守護者、その相棒。
アビスフィア帝国工作員である硝成は
もちろんその職務を十五年間も全うした訳では無い。
彼は本職の工作員としてアビスフィアを支え、
僅かに出来た休暇をメセナの協力に費やした。
目的はアンブロシウスの占拠、という建前で
メセナの記憶が消えた理由を探ることだった。
しかし、ほんの一日程度、時には半日程度の休暇で
この街の真実に辿り着くことは出来なかった。
そんな時、天帝が暗殺された。
それは今から六年前のこと。戦争終結の一年前だ。
天帝の暗殺は正体不明の刺客により行われ、
魔法連合はもちろん帝国の傘下ですら知らなかった。
そのため残党幹部たちはその死を隠し継戦を決めた。
――が、硝成はいち早く帝国を離脱した。
帝国に未来が無いことを悟った。
忠誠心を捧げるに相応しい君主が消えたことを悟った。
そして彼は――アンブロシウスに逃げ込んだ。
ここが地上と隔絶された無法地帯だから。
彼自身理解出来なかった感情を、そう理由付けた。
そして暴食の魔王にスカウトされるまでの一年間、
彼は本気でメセナの協力者として活動していた。
硝成が『結論』を得たのはこのときだ。
一年間この街を観察し、彼が導き出したのは
奇しくも怠惰のサギト、ニックと同じ答えだった。
――メセナはこの街に束縛されている。
民衆が彼女一人を生贄にしている。
街の空気そのものが、彼女を孤独に戦わせている。
ニックと同じ結論に至った。だが、結末は違った。
現在、ニックがメセナの想いを汲み取り
アンブロシウスと共に生きることを尊重したのに対し、
この時から硝成は民衆たちを許すことが出来ず、
アンブロシウスと共に彼らを滅ぼす計画を企てる。
そして一ヶ月前。強欲死亡の報を口実に
硝成は暴食の魔王に直談判をした。
今こそアンブロシウスを乗っ取ろう、と。
「ここが件の守護者のボロ小屋ですか。硝成様。」
乗っ取る、という表現は方便だった。
真の目的は『アンブロシウス破壊計画』。
それを伝えたのはハカシだけだった。
「このことは他の五雷官はもちろん、
魔王様にも秘密にしていてくれ、ハカシ。
もちろん叛意から来た行動じゃないよ?」
「ッ! 御意に!」
硝成は小屋の天井を見上げる。
そこはメセナがベット代わりにしていたソファの上。
刻まれていた文字は――『ニコラスを待ち続けろ』。
恐らく、メセナ本人が刻んだ文字だろう。
「……ハカシ。この文字は紙でも貼って隠しておけ。」
「は? ……ハ!
しかし、何か文言でも書かねば不自然では?」
「そうだな。内容はお前が考えろ。」
ニコラスを待ち続けろ。彼女の待ち人は硝成では無い。
その事実を噛み殺しながら硝成は計画を動かした。
そして、月日は流れ――
――現在――
『――滅びろ! アンブロシウス!!』
「――させない! この街を護り抜く!」
アンブロシウスの空を大剣に纏わり付いた龍がうねる。
魔王執政補佐官第四席、倶利伽羅龍王・硝成。
その周囲を青白い閃光が飛び回る。
アンブロシウスの守護者、メセナだ。
『驕るなよ、メセナ!
君一人くらい、どうにでも対処出来る!』
「――じゃあ二対一にしよう。」
突如、レーザービームの如き朱色が飛び出した。
メセナの側面を掠めるように吹き出すそれは火炎。
龍王の持つ大剣に爆熱の拳が撃ち込まれた。
『……! 三番隊のドレイクか!?』
炎の翼を背にドレイクが参戦する。
龍王の頭上に飛び立ち制空権を奪い、
アンブロシウス本土からの退路を断つ。
『……その程度か? 舐めるなよ!
追尾ミサイル! ハエを叩き落とせぇ!』
三人の戦闘がアンブロシウスの空を彩った。
その間もアンブロシウスは落下を続ける。
本来ならものの数秒で地表に衝突するが、
引っ張られた健在の浮遊補助機構三基の動力により
墜落までの猶予は約五分となっていた。
「五分!? たった五分でこの街が……!」
朝霧が無線を前に声を上げた。
通信の相手はアーサーだ。
朝霧とフィオナに向け指示を飛ばす。
『あぁ、見たところ落下の速度は車と同程度。
ならばタイムリミットはそのくらいだろう。
墜落に関しては俺が何とかする。
お前らはドレイクたちと共に敵を叩け!』
朝霧たちは頷き、了解する。
その背後ではグレンがマシンの調整をしていた。
先の戦闘でバイクが機能しなくなったのだ。
「グレン! 整備はまだ終わらない!?」
「少し待て! 俺だって急いでいる!」
敵は上空。だが朝霧たちは飛べない。
参戦したいがそれにはバイクの修理が必須だ。
朝霧は口惜しそうに空を見上げる。
そんな彼女たちの元に男が一人歩み寄る。
「困っているのかね、フィオナ?」
「――! デイクさん! ご無事で!」
「フィオナ、この人は?」
初対面の朝霧はデイクの顔を見た。
しかし彼は彼女の持つ大剣に目を向ける。
(真体は……未解放か……)
「桃香、紹介しよう。彼は発明家のデイクだ。
多くの武器の開発も手がけ、それこそ君の――」
「――今は! 上の龍をどうにかしたいのだろ。
その空中バイク。以前私が廃棄したものだな?」
顔を背けながらグレンは頷いた。
するとデイクは袖をまくりマシンの前に跪く。
「三十秒だ! お前らをもう一度空に飛ばしてやる!」
「――! お願いします!」
刹那、上空で爆発が轟く。
衝撃が地上まで直に伝わり肌を揺さぶった。
(っ! ドレイクさん! メセナさん!)
見上げれば爆発。
夜とは思えないほどの輝きが其処にはあった。
『――全弾発射!! 消し炭になれ!!』
「誰がッ! やられるかよッ!!」
空を塗りつぶす勢いのミサイル群。
何重にも軌道を重ね、敵を目がけて曲がりくねる。
それをドレイクは火力で押し返した。
爆炎の球体となり闇を消し飛ばすほどの光を放つ。
「良いぞ、封魔局!」
この攻勢に乗じてメセナも攻める。
暴走状態の時よりかは弱った魔力。
しかし高鳴る鼓動はその魔力と共鳴していた。
『ッ! 振り堕ろせ――「倶利伽羅宝剣」!!』
「この街から出て征け――『硝子の証明』!!」
記憶が戻った事による技の開放。
振りかざされた一撃を大剣ごと打ち砕く。
それどころか、その勢いは止まる事無く
龍王の顔半分を掠めるように抉り抜いた。
「……!? いや、まだだ!!」
『その通り、本体はそこじゃない!!』
反撃と言わんばかりに龍が吠えた。
耳を刺すような甲高い奇声。
街のガラスをも粉々に砕くほどの衝撃に
ドレイクとメセナは吹き飛ばされた。
「「ッ! がぁあああああ!!」」
『このままこのゴミ街と心中するか、メセナァッ!?』
屋上に叩き落とされたメセナに硝成は叫ぶ。
メセナは身体を起こそうと踏ん張るが
ダメージが大きすぎたため叶わずにいた。
『あぁ、そうかよ。ならそのまま堕ちろ!!』
結晶の拘束から解き放たれた龍が天を駆ける。
アンブロシウスから離れようと飛翔し始めた。
その時――
『!? 今度は何だ!!』
動きが鈍るのを知覚した。
よく見ればその身体中に幾千本もの糸が巻き付く。
そして、彼に近付くバイクが視界に入った。
『来たか……! 朝霧桃香!!』
「硝成さん……いや、魔王軍硝成!
――今此処で、貴方を打ち取りますッ!!」
グレンが操るバイクに乗り朝霧が斬り込んだ。
そのマシンは先程までとは比較にならないほどの
高性能さを見せ龍の胴を沿うように飛行する。
「すげぇ……! 行けるぜ、朝霧!!
もっと飛ばしてく! 振り落とされんなよ!?」
「任せた! 私が叩き斬るッ!」
『調子に乗るなよ……! ッ!? なんだ、また糸が!』
地上に目を向ければ建物の上をフィオナが跳んでいた。
跳び渡るたびに硝成の機体に糸を巻きつけ、
それを纏めた綱を地上の民衆たちへ落としている。
「アンブロシウスの住民たち、手伝ってくれ!
あの龍を仕留めるために、少しでも引き止める!!」
「お、おう! 任せな!!
馬力出せる奴は集まれ! 綱を引けぇ!!」
民衆たちが硝成を逃がすまいと団結する。
それは戦艦規模の質量を持つ龍王の動きを
阻害するのに足るエネルギーだった。
それだけでは無い――
(ッ!? 砲撃された……地上からか!!)
「遠距離あるやつは撃ち続けろ!
効かなくたって良い! メセナが起きる時間を稼げ!!」
(チッ! トロール共は……? 全滅したのか!?
この街の愚民共に……!? こんな街の……!!)
直後、一際強力な光線が龍王の顔を殴る。
攻撃が放たれた方角は元領主邸、カジノホテル。
砲塔の真横で硝成を見据えるオーナーと目が合った。
『おのれ愚民共ォ!! 何故今になって立ち上がる!?
貴様らはアンブロシウスの守護者では無いのだろぉ!?』
『えぇ、確かに……その肩書きはメセナの物だ。』
拡声器を手に取りオーナーは答えた。
自己に暗示するように、皆を鼓舞するように。
声に、言葉に想いと力を上乗せする。
『だがその肩書き自体、我が兄が勝手に言い出した物!
守護者になるための条件も、資格も存在していない!
ならば――我々だってアンブロシウスの守護者です。』
最早この街にメセナ一人を犠牲にする者はいない。
最早この街に責任から逃れようとする者はいない。
最早この街に――
『アンブロシウスの守護者でない者はいないッ!』
『ふざっ……けるなぁああああッッ!!』
祝福発動――『華胥之夢』。
普段この祝福を硝成は使いたがらない。
やはり初見が最も効果を発揮するからだ。
だがこのとき、怒りに任せた硝成は、
半ば無意識の状態でこの祝福を発動させた。
戦艦の動力を使い、アンブロシウスの全土に。
(――! やった……術が全員同時に掛かったぞ!)
民衆たちは苦しんでいた、藻掻いていた、倒れていた。
放心状態で壁に進み続ける者がいた。
地面に両手を押し当て笑う者がいた。
血が吹き出すまで首を掻く者がいた。
皆が皆、硝成の術によって幻覚を見せられていた。
(そうだ、そうだった……!
こんな街、僕一人の能力で簡単に終わるんだ!)
ふと、目線をメセナの方に向ける。
彼女も他の者と同様に幻術を見て気を失っていた。
(それが……君の最期か、哀れだな。)
何かを諦めるように硝成は飛び去った。
堕ち逝く都市には目もくれず、
ただ空を目掛けて真っ直ぐ飛翔した。
(…………あれ? 僕、いつの間に……糸を払った?)
容易く飛べた事に違和感を覚えた。
民衆は脱力していたとはいえ、
絡まった糸は払わなければ無くならないはずだ、が……
『ッ!! 祝福解除ッ!!』
「――残念、気付くのが遅かった!」
一斉に攻撃が襲いかかる。
光線。爆撃。朝霧桃香の大剣の一撃。
誰も幻術に倒れてはいない。
夢を見ていたのは、硝成本人だけであった。
「権能限定開放――『厭人の檻』。」
『クッ……ソ!! 怠惰ァァアッ!!』
「――今だ! 畳掛けろ、『神炎廻帰』!」
豪炎が龍の胴を焼き溶かす。
追撃の爆撃がその空いた穴を広げた。
「削ぎ落とす! 悪魔の章、第ニ節『アガレス』!」
糸を使い打撃が振動となって伝う。
龍の細い片腕を、揺らし崩して削ぎ落とす。
だがまだ龍王の動きは収まらない。
「本体を探せ! 桃香!」
「了解! 接近して、グレン!!」
『――ッ! 近寄るな!! 朝霧桃香ァ!!』
接近を拒むように龍がうねった。
付近の建物を飲み込むように削り砕く。
「グレン!!」
「任せろ!!」
機体と瓦礫、その全てをグレンは回避する。
龍の身体で作られた円を突き抜け朝霧を先に送り届けた。
それと同時に、メセナも龍に向け飛行する。
『メセナ……! いや、だが!
僕の居場所が分からなければ倒せはしない――』
「――なら僕が、解明するまでだ。」
機体の内部、その身体の中で男が動く。
融合の際に取り込まれた探偵、森泉だ。
『森泉!? 貴様まさか!?』
「弱点とは、得てして隠されているものだ。
なら僕はそれを暴く――『ソフィアクルース』!!」
――瞬間、龍の身体から二箇所が輝き出した。
内部から破裂するように装甲が剥がれ
一箇所からはコアのような球体が、
もう一箇所からは硝成の上半身が露出する。
「ッ!? あそこだ! 跳べ朝霧ッ!」
朝霧がバイクを足場にコアへと跳ぶ。
メセナが狙いを定め硝成へと飛ぶ。
「撃ちぬけ――『村雲』ッッ!!!!」
伝う爆破の連鎖。
振動が硝成の身体へ直に伝わる。
彼が顔を上げると、目の前には彼女がいた。
(あぁ……やっぱり君は…………)
「さようなら相棒。
これが私の、私たちの――『硝子の証明』」
その日、アンブロシウスの空で龍は砕けた。
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上空から朝霧は落下する。
崩れゆく龍王の破片と共に真っ直ぐ落ちていた。
「グレン!! こっち! 早く!!」
「無茶言うなっ……! このっ……!」
苦戦しながらもグレンは朝霧を掴む。
何とか後部に乗せることが出来たが、
その直後なぜか森泉がそのバイクに飛び乗った。
「うぇえ!? 森泉さん!? 何でここに!?」
「捕まってた。それより街はどうする?」
ハッと朝霧は下を覗く。
見れば地上はすぐ近くにまで迫っていた。
間もなくアンブロシウスは墜落するだろう。
「どうしよ、どうしよ!? 助けて森泉さん!!」
「僕にどうしろと? 一番無力だぞ?」
地上の民衆たちも封魔局員たちも慌てていた。
メセナも力を使い果たしビルの合間に落ちていく。
この場に対応出来る人間は残っていなかった。
――そう思った瞬間、
空中都市の最下部から大量の粘体が吹き出した。
「この甘い匂い……! 飴? てことは――」
それは二番隊隊長アーサーの祝福だった。
アーサーは桁違いの飴を吹き出し続ける。
都市最下層で一人魔力を大量消費する。
(メイン機構を壊されたのは俺のミスだ……!
詰めが甘かった……! 防げたミスだ!)
ギリッとアーサーは食いしばる。
自身に影響が及ぶほどのエネルギーを消費し、
目を血走らせながら吹き出し続ける。
(ミスは挽回すれば良いと言うが、それはエゴだ。
封魔局員は人々の命を預かっている……!
落としてしまった命に――挽回出来る『次』は無いッ!)
遂に粘体はアンブロシウスの下部を覆い、
何層にも渡る衝撃吸収クッションを形成した。
「あの日俺は死んだ! 今此処にいるのは極天の星!
封魔局二番隊隊長――≪騎士聖≫だぁああッ!!」
衝撃を吸収し、受け流す。
巨大な飴を繊細に操り都市から衝撃を護り切った。
ふぅと息を吐くと、無線で全隊員に報告する。
「こちらアーサー…………任務、完了だ。」
――――
都市では民衆たちが歓喜する。
人工灯の明かりも消えた暗がり。
今夜はとても、星がよく見えた。
「……いたいた。お疲れ様、メセナ。」
「ニック……うん、疲れた。正直眠い。」
月が美しい肌寒い夜。
二人は互いに寄り添い合う。
「なら寝れば良いさ。もう君を苦しめる物は何も無い。」
「……そっか。もう記憶は無くならないんだ。」
時刻は間もなく零時を回る。
疲労仕切ったメセナは瞼をゆっくり閉じていく。
「ふふ、おやすみなさい。ニック。」
「あぁ、おやすみ。そして――また明日!」
アンブロシウスは地上に墜ちた。
しかし今宵の街は極天に照らされた。




