第五十二話 愚民共
――市街地――
アンブロシウスの夜は騒がしい。
普段のソレは酔いと借金による怒号。
だが今宵のソレは怪物たちと戦火の爆音であった。
「アラン! 早くアリスを連れて離脱しろ!」
迫る人工怪異たちに火炎を浴びせ
三番隊隊長ドレイクは声を張り上げた。
背後では脱力したアリスを抱えたアランがいる。
「ダメです……! こっちにもトロールが……!」
彼らの周囲は完全に囲まれていた。
ドレイク一人なら全てを焼き払えるだろうが、
味方のいる現状ではその判断も下せない。
(応援を呼ぶべきだが……何処も同じ状況だろう……)
「っ!? ドレイクさん! 敵幹部が!!」
アランが叫ぶ方へと目を向けると、
彼らが撃破した二人の五雷官、離愁とクウォンダを
トロールたちが抱えている姿があった。
そのまま連れ帰る気だろう。
羽根を広げて今にも飛び立とうとしている。
「無視だ、無視! 口惜しいが今はそんな余裕は無い!」
「ッ……! 了解ッ!」
(……とはいえ、此処はまだマシなんだろうな。
仲間は無事か? 住民たちは守れているのか?)
――戦艦内部――
艦橋に硝成が辿り付く。
部下に指示を飛ばすと戦況をモニターに表示した。
戦艦からキャプチャしたアンブロシウス全域の地図。
味方のトロールが黒点として表示されていた。
(平均的な封魔局戦闘員なら、
一人でトロール一体くらいは相手にするだろうね。)
隊長格のような外れ値を考えれば、
解き放ったトロールたちと封魔局員の総合的な戦力差は
互角といったところであるだろう。だが――
(だが封魔局には守るべき愚民共がいる……!
メセナ一人に自衛の全てを任せた愚かな民衆が!
彼らは封魔局にとって足枷でしかない……!)
「ッ!? 硝成様! 敵がッ――」
――瞬間、艦橋内に二、三個の筒が投げ込まれた。
咄嗟に魔王軍兵士たちがその筒を撃ち抜くと
それらは真っ白な粉塵を上げ破裂した。
(ッ!? 艦内の消化器! 小賢しい真似を……!)
直後、煙の中で何度も鈍い音が響く。
衝突音。殴打音。転倒音。
奪われた視界の外で瞬く間に部下が倒される。
(我が目となれ、ゴースト!!)
周囲に霊を展開する。この霊たちに防御力は皆無。
だが、三百六十度を補う視界を手に入れた。
「――そこだ!!」
振り向き放つ手刀。それを受け止める二の腕。
煙が晴れ、互いが互いの顔を確認する。
「やぁ探偵さん。もう依頼は十分だから帰って良いよ。
というか……本当にどっか行って欲しいかな!」
「依頼というならまだ報酬を受け取っていない。
金には困って無いから、お前の首でいいぞ?」
再び、森泉と硝成は対峙した。
――甲板――
星一つ無い夜天の黒。下から照らす炎の赤。
サーチライトで演出され魔力の衝突が美しく輝く。
方や剛力無双の赤黒い魔力。方や冷酷無惨な青黒い魔力。
合わさった衝突点は紫苑のエネルギーに変色していた。
(幻覚の時よりは打ち合えてる……打ち合えてるけど!)
大剣を振る朝霧の動きは鈍重。
もちろん普通の人間よりはずっと速いが、まだ遅い。
対するメセナの動きは縦横無尽。
理性が無い事も追い風に、前後左右を飛び回る。
(≪序≫を使ってどうにか縋りついてる……!
この感覚……強欲のサギトと戦ってるみたい……!)
喉が渇く。薄い酸素に呼吸が荒れる。
握りしめた大剣の重さが腕に疲れを溜めていく。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。だが――
「ガァアアァッ――――ッ!!」
(――今は彼女の方が苦しいに決まってる……!!)
人を最後に突き動かす物は、結局『感情』である。
好き。嫌い。欲しい。壊したい。殺したい。救けたい。
時に感情は理論を飛び越え、魂を激しく躍動させる。
「ハァアアア――――ッ!!」
魂の叫び。感情の爆発。
そのエネルギーは共鳴する魔力に乗った。
過去最大規模の村雲が撃ち出さられた。
「グガッ! ガァアアァッ――――ッ!!」
しかし、その魔力の煌めきをもってしても
メセナが放つエネルギーと拮抗するのがやっとだった。
バチバチと空中でぶつかり合う魔力は紫を越え
燦爛たる真っ白な閃光へと変貌していく。
それは暗い夜空にはあまりにも眩かった。
艦橋は勿論、街の何処からでも目視できるほどだった。
衝突の閃光は激しい風を生み出した。
不安定な甲板での強風。誰も立ってはいられない。
朝霧、メセナの両名は甲板に身体を打ち付けられ
そのままゴロゴロと転がり、空中に投げ出された。
「しまっ……!」
朝霧は真っ直ぐ地面に向かい落下した。
――――
「ふぅ……やっと……良いのが入った。」
艦橋では森泉が手すりに打ち付けられた。
口元を拭いながら硝成がそれに近づく。
「当然だよ。こっちは強化魔術も回復魔術使える。
魔術も使えない奴が戦場に立つこと自体間違いだ。」
「…………っ。」
「さっきの閃光に釣られたな? 確かに凄い魔力だった。
けどお前の贔屓する朝霧桃香じゃあメセナには勝てない。
彼女を敵視する限り、誰も彼女を超えられない……!」
森泉はゆっくりと顔を上げた。
身体は重たい。動かなくは無いがそれでも重たい。
ここは一つ、煽り文句でも言ってやりたいが
今は呼吸を整えるのがやっとであった。
「もう喋れないか? ハハ、負けだよお前ら。
愚民がメセナを敵視した時点でもう終わったんだ!
この街は……自らの愚かさによってその首を断つッ!」
「…………傲慢、いや怠惰か。」
「あ?」
「お前、潜伏のためとはいえこの街に住んだんだろ?
この街の民衆は愚民。感想はそれしか無かったか?」
「何が言いたい? まさか奴らが識者だとでも?」
フッと森泉は笑みを浮かべた。
そのまま硝成をしたり顔で見つめ返す。
「ギャンブラーばっかだからな。識者では無いだろ。
治安も悪い。少し歩けばスリだの暴動だの。
だがそれでも……この街の人間たちは『人』だった。」
「何を――」
『――告げる。この街に住む全市民よ。』
突如、大音量での放送が流れる。
それは空中戦艦の外から鳴り響く声。
艦橋の中にもはっきりと聞こえる拡声魔術だ。
(個人の術じゃないな? 恐らく魔導設備。
だが、こんな大規模な設備なんか一体何処に?
いやそもそも! 街全体に放送する設備なんて
それこそ、この街の……領主くらいしか……ハッ!?)
『――告げる。私は愚かな領主の愚かな弟。
今此処に、十五年に渡る我らが罪過に終止符を打つ。』
――――
「やばい、やばい、やばい! 落ちる――!!」
落下する朝霧。スマートな着地など望めない。
半ば死を覚悟していた朝霧だったが、
その身体を横からグンと衝撃が流れた。
「ぐへぼッ!?」
「大丈夫か!? ……本当に大丈夫か?」
「っ……え!? あなたは、グレン!?」
大空を飛行バイクで駆けるのはこのアンブロシウスで
暴走族の総長をしていた男、グレンであった。
落下する朝霧を抱えてその命を助ける。
「ありがとう。けどあなたは早く安全な場所へ……」
「あぁ? もうこの街に安全な場所なんかねぇよ!
上も下もトロールだらけで窮屈だ! なぁお前ら!?」
グレンの掛け声に応える音。
朝霧が後方を見ると彼の暴走族が列を成していた。
一糸乱れるぬ見事な隊列。その背後にトロールが迫る。
「てめぇら! このまま俺に着いてこい!
速度はこっちが上! 慌てず、列を乱すなよ!」
「「おうッ!!」」
グレンたちは真っ直ぐ進む。
加速。加速。加速。エンジンがイカれそうだ。
加速。加速。加速。肌が張り裂けそうだ。
それでも真っ直ぐ突き進む。やがて――
「今だぁあ!! オーナー!!」
辿り着いたのはカジノホテル。即ち元領主邸。
そこからトロールたちに向け高出力波が放たれた。
光線がグレンたちに纏わりつくハエを叩く。
その砲塔の真横でオーナーは拡声器を握っていた。
『我らが罪は『怠惰』の罪!
娯楽を極め、あらゆる苦難を守護者一人に押し付けた!』
民衆たちは静聴している。
空を見上げオーナーの言葉に耳を貸す。
『いや、守護者という呼び方は止めよう。
彼女の名は――メセナ。ただ一人の人間、メセナだ。』
オーナーは目を閉じ天に両手をかざした。
二十年前、彼はメセナに対して何もしなかった。
何も……してあげられなかった。
それは実兄に対しての譲歩もあったが、
何より彼自身が関わりたく無いと思っていたのだ。
「――祝福『光の天秤』。」
オーナーの周りを光が包み込む。
自らに下す正義の審判。光の色は真っ赤に染まった。
「フッ! 『罪ありき』! そうでしょうな!」
オーナーは再び拡声器を近づけた。
開き直ったように、爆笑するように咆哮した。
『――けどお前らも悪くねぇ!?
この街、治安悪すぎだろ!? モラルとか無いの!?』
とある料理店ではシェフが店の外に立つ。
食用油のビンを片手にフライパンを肩に乗せた。
『絶対他の街でやるよりメセナの仕事量多いって!
だって私兵いた頃もしょうもない事件多かったしぃ!?』
とある骨董品店では店主がシャッターを下ろす。
娘の頭を撫でながら使える魔法道具を調整した。
『そういう小さな事件が治安を悪くしていって、
闇社会が侵入する隙を与える。自業自得じゃん。』
オーナーの背後にはギャンブラーたちが歩みよる。
カジノでしのぎを削った連中が肩を並べた。
『ホント……ふざけた街だよ。けどさ?
結局、俺たちはこのアンブロシウスに住んでるんだ。
それはあの子も同じ。メセナだってこの街の住人だ。
なら、全責任を押し付けるのは――もう辞めよう。』
オーナーは真っ直ぐ空中戦艦を見据えた。
その間を浮遊しているトロールたちを見据えた。
『――告げる。我々の贖罪を始めよう、愚民共。』
この日、この事件は歴史に刻まれた。
空中都市アンブロシウス全土――決起。




