第十一話 己の意志
――都市ミラトス――
其処はカビ臭い殺風景な屋内。
窓から差し込む日光のみを光源とし、
薄暗く息を潜めた倉庫のような空間。
そこでは数人の男が円を作って並んでいた。
肉壁の真ん中には
ピンクのモヒカンがトレードマークの奇抜な男。
彼は執拗に床に転がる何かを蹴飛ばしている。
その正体は弱々しく倒れた人間の女。
黒いパーカーと金色の髪をした女であった。
「なぁアーシャ? 君は多大なるミスを犯した。」
「ぅ……っ!」
「封魔局に隠れ家がバレ、顔がバレ、
そして終いには発信器で我々の所在までバレた。
計画実行にはまだ一ヶ月あったのに、だ。」
「……申し訳、ありません!」
「俺が追っ手を消さなければ君は破滅だったんだぞ?」
男はアーシャと呼ばれた女を何度も蹴る。
彼の声や表情から怒りの色は隠されていたが、
その蹴りだけは確実に苦痛が込められていた。
そしてその激痛でアーシャは涙を流し、
懇願するかのように男を見上げた。
「どう……か!」
「おい。おいおいおい。なんだその顔?
俺は怒って『いじめている』訳じゃないんだぜ?
自覚の足りないペットを『躾けて』いるんだぜッ?
次は頑張ろうなってッ! 励ましてるんだぜっ!?
そんなことも躾けなきゃ分かんないのかな?」
「!? わ、私はまだやれます!」
「ヒャハハ! そうだよね! 頑張らなきゃだよね!?
だってアーシャはお姉ちゃんだもんね?」
「っ……!」
「ほら。お前に『銃』をやるよ。
敵を確実に、簡単にブチ殺せるための銃を。」
男はアーシャに次の指示と武器を与えて解放した。
彼女は痛む体を引き摺り逃げるように去って行った。
やがて彼女が外へと消えると、男の部下が声を掛ける。
「しかし、どうしますか第九席?
もう一ヶ月も掛けていられないのでは?」
「ああ、既に尻尾を掴まれた以上やむを得まい。
強攻策に出るぞ。」
――封魔局本部――
朝霧の前に居たのは、
ブロンズヘアーを三つ編みで結んだ若い女。
小柄な体躯と幼い顔つきが子供のような印象を与え、
言葉を発する口元には八重歯が光る。
封魔局六番隊隊長ミストリナ。
先日森泉から追跡の任務を引き継いだ部隊の隊長だ。
(可愛い。お人形さんみたい!)
「何かな?」
「いえ! 何でも御座いません!」
「ふむ? では続きを話そうか。」
ミストリナが重く口を開く。
「昨夜君らが遭遇した女性の名前が判明した。
アーシャ・レインデルク。没落した貴族の御令嬢だ。」
ミストリナはそう言うと机の上に資料を放る。
アーシャ・レインデルク――祝福は『危機察知』。
森泉たちの調査中に帰ってきたのはこれの効果だろう。
また彼女は貴族であった実家が潰れた後、
すぐに消息を絶ち長い間行方不明状態だったらしい。
「恐らく、生き残るために闇社会に堕ちたと思われる。」
「没落貴族のご令嬢だと……?
いくら闇社会に堕ちたからといっても、
そんな娘が訓練された封魔局員を三人も殺せるか?」
「ただの局員じゃないよドレイク。私が育てた三人だ。
仮に敵が生粋の傭兵でも簡単にやられる玉じゃない。
それこそアトラス……いや、それ以上の輩がいるはずだ。」
(っ、アトラス以上……!)
魔法世界貴族の情勢はともかく、
現在の状況には朝霧も理解が追いついた。
朝霧自身、倒せたとはいえ淡々と人を殺す
アトラスの殺意には若干のトラウマがあった。
そのアトラス以上の敵がいる。
この事実だけで自然と体が強張っていた。
「……で、ミストリナ。今回の依頼はなんだ?
恨み言を言いに来たわけじゃないんだろ?」
「当然だ、ドレイク。
まず君たち三番隊との合同作戦の要請がしたい。
そして、森泉、朝霧の二名を貸してくれ。」
名前を呼ばれ朝霧はギョっとした。
だがそんな彼女にミストリナは笑みを向ける。
「既に実行犯の寝床を抑え、
計画犯の拠点にも捜査の手が及んでいる。
当然その拠点は変更したとみられるが、
急ごしらえなら簡単に発見できるはずだ。」
「ほぉー、ということは?」
「あぁ、捜査は既に詰めの段階にある!」
そう断言しながら立ち上がると、
ミストリナは腰に手を当て高らかに指示を飛ばす。
「我々六番隊の戦力に三番隊を加えて敵拠点を炙り出す!
その一環としてまず森泉と朝霧には
部下三名が殺害された現場を再調査をして貰う!」
――都市ミラトス――
封魔局本部内の各都市への空間転移陣から
ミラトスの支部へと朝霧たち追跡部隊はワープした。
先日の森泉、朝霧には権限が無かったため
車で長時間を掛け移動せざるを得なかったその距離を、
この転移魔術はほんの一瞬で消し去っていた。
到着後すぐ隊員たちはそれぞれの持ち場に散る。
まずミストリナたち六番隊のメンバーが
事前に予想した拠点候補地へと散開し、
ドレイクら三番隊は遊撃隊として支部で待機した。
そして朝霧は森泉らと共に街へと繰り出した。
捜査には探偵の森泉、護衛の朝霧に加えて、
本隊との連絡要員として会議にも出席していた
六番隊男性隊員ハウンドが同行している。
彼らの任務は実地による現場検証。
探偵にして『あらゆる秘密を暴く』森泉が
現場を見ることで新たな発見を期待されていた。
はずなのだったのだが――
「おい探偵! そっちの道じゃ無いぞ!?」
――森泉はミストリナの指示を無視して、
堂々とポケットに手を突っ込んだまま
現場とは真逆の大通りを歩いていた。
ふざけるな、と怒鳴るハウンドは立ち止まり、
即刻ミストリナへの緊急連絡を入れる。
だがその間も森泉はぐんぐんと進んでいくので、
慌てて彼の後を朝霧が追った。
「ちょっと森泉さん! 何やってるんですか!?」
「散歩。」
「ふざけないでください! 任務中ですよ!?」
「朝霧……この世界にも『人』はいるんだよ。」
「は? 何を言って――」
物思いにふけって辺りを眺める森泉に釣られて、
朝霧も彼が視線を送る街の景色に目を向けた。
――都市ミラトスは治安が悪い。
朝霧は事前に聞いていたその情報と
目で見た光景との差違に気づく。
大通りには屋台が並び、野菜や花などを売っている。
ゴエティアほどの清潔感は無いが
確かに明るく暮らす住人たちがそこにはいた。
「なぁお前、なんで封魔局員になったんだ?」
「それは、父の捜索と、黒幕を捕まえるために……」
「それって封魔局じゃなきゃ出来ないことか?」
「!」
朝霧は思わず口を閉ざした。
彼の問いに明確な答えを出せずにいたのだ。
そんな彼女に森泉は更に畳み掛ける。
「確かに封魔局なら一番可能性があるかもだけど、
それは自分で決めたのか?
ただ与えられた選択肢に答えただけじゃないのか?」
「え……と。」
「顔合わせの時もそうだったよな。
大丈夫かと聞かれてすぐに『はい』と答えていた。
いつもそんな風に流されているんじゃないのか?」
突然の指摘に朝霧は自分でも分からなくなる。
すると固まった彼女を見つめる森泉に、
近くで屋台を開いていた店主が声を掛けた。
「うお、森泉! お前、女引っかけて何してんだ!?
あいみんなー! 森泉が女連れてるぞー!」
声に反応しワラワラと住民たちが群がる。
「かわいい娘じゃねぇか!
……んだよ案外隅に置けねーな、森泉!」
「違う、そんなのじゃ無い。」
「おい森泉てめぇ……!
俺たち『あえてモテない同盟』を抜ける気か!?」
「なんだそれ初耳だ。」
「森泉や、こないだはどうもねぇー。」
「あれくらいのことでもう僕を頼るなよ。」
彼に群がる人々は皆笑顔だった。
嫌味な奴だが、案外慕われている。
朝霧は復讐だの逮捕だので忘れかけていた。
警察官としての朝霧の原点。『正義』の形。
――『ありがとう』という単純にして最強の言葉。
次第に熱い物がこみ上げて来るのを彼女は実感した。
やがて人々の輪から抜け出すと、
森泉は口調を変えず朝霧に向けて言葉を送った。
「封魔局に入る。それは別にいい。
だが自分が本当にやりたい事だけは見失うな。
こんなはずじゃ無かったと後悔したく無いのならな。」
朝霧は力強く頷いた。
するとそんな二人の元に少年が一人駆け寄る。
小さな体を覆うようにその少年は、
身の丈に合わないボロボロのコートを羽織っていた。
「僕? どうしたの?」
「……さい。……なさい。」
彼は手袋をした左手を構いながら、
モゴモゴと口を動かしを震えていた。
そして朝霧はそんな彼の首筋に、
薄っすらと刻まれた歯形の跡を発見する。
「……ごめん、なさいっ!」
「え?」
――刹那、激しい閃光と爆発が空気を揺らす。
朝霧の眼前で突如少年が爆発したのだ。
しかしそれは決して自爆テロなどでは無い。
本命はその後に現れる異形の怪物。
先ほどの少年がいた場所には
バチンと長い尾を地面に叩き付ける緑の巨体。
刺々しい見た目と牙を通り抜ける荒い息遣いは
恐竜にも似た鋭い爪牙の獣の凶暴性を印象付けた。
直後、住民の一人が腰を抜かして悲鳴を上げる。
「ま、魔獣だぁ――!!」