第三十七話 身を尽くし
メセナの名声は街中に轟いていた。
誰もが彼女の存在を認知していた。
「クソ! 調子乗んな! ガキがぁ!」
(――対象捕捉。沈黙確認、次。)
善悪の判断基準は大きく分けて二種類。
一つは領主の命令、もう一つは『匂い』であった。
魔術や祝福の類いでは無い、彼女の特技だった。
「なんで!? なんで此処がバレた!?」
(――対象捕捉。沈黙確認、次。)
そんな彼女に領主はある成約を課した。
その成約とは『孤立すること』である。
名乗ってはいけない。友人を作ってはいけない。
他人に頼ってはいけない。恋をしてはいけない。
……全ては祝福を少しでも強めるための処置だ。
「いやだ……! 待ってくれ! 俺には……家族が!」
(沈黙確認、次。)
機械的な彼女の闘いぶりは敵に恐怖を与えた。
戦地に向い飛行する彼女の閃光は民衆に希望を与えた。
誰もが彼女を認識していた。
街の平和を守る英雄――アンブロシウスの守護者、と。
(僕は……アンブロシウスの守護者。)
人々は讃えた。称賛した。喝采した。
彼女を英雄だと喜び、守り神のように崇めた。
「そういえば、あの子の名前は何て言うんだ?」
「あー……確かに知らないな。まぁ別によくね?」
「それもそうか……
なんせ『アンブロシウスの守護者』で通るもんな!」
誰もが彼女を認識し、誰も彼女を認識しなかった。
メセナという少女は意識の外へと追放され、
アンブロシウスの守護者という名前のみが刻まれた。
いつしか、彼女自身からも
メセナという人格は消え失せてしまっていた。
(……僕はアンブロシウスの守護者。
この街を守るのが使命。ただ、それだけ……)
メセナ自身も、既にそれを良しとしていた。
兵器の自覚を持ち、独りで生きる覚悟も出来ていた。
本人を含め、誰も本当の彼女を見ようとしなかった。
独りぼっちの家に帰る。
領主がくれた、人々の目が届きにくいボロ小屋だ。
独りぼっちで戦場に赴く。
悪性を匂いで判別し、会話も無いまま殺害する。
家に帰る。戦場に赴く。家で過ごす。戦場で殺す。
独りで、独りで、独りで、独りで。
殺して、殺して、殺して、殺して。
それが使命。治安維持兵器である彼女の義務。
『アホらし。』
敵性排除終わりの帰り道。
光の届かない路地裏にてメセナに声が掛かる。
それは異形の仮面で顔を隠した謎の人物だった。
(――!? この『匂い』……ッ!)
守護者の鼻先を殴るような感覚が襲う。
目の前の人物から今すぐ離れろと、
彼女の特技が危険信号を発していた。
「ッ!」
咄嗟に距離を取る、と同時に攻撃を放つ。
青黒い閃光が爆音と土煙に変わる。
だが、彼女の攻撃を分厚い障壁が阻んだ。
『へぇー、いい攻撃だね。けど俺には敵わない。』
暗がりからその人物は守護者に接近した。
守護者は動揺が隠せないでいた。
相手の異様な気配や容姿もさることながら、
今の一瞬の攻防で倒せないと直感したからだ。
「何だ……何なんだ、お前!?」
『うーん、強いて言うなら……怠惰なお兄さんかな?』
――――
瞼を貫くほどの眩しさに目が覚める。
肌を刺すほどの冷たい風が眠気を吹き飛ばす。
眩しい日光と冷たい風。此処が屋外だと理解出来た。
「っ……僕は、何を?」
『お! 起きたね。』
声に驚き身を翻す。ほとんど反射の回避行動だった。
早まる鼓動を抑えながらメセナは状況を理解する。
まず目の前にいるのは先程出会った男。
そしてここは本土の周囲を囲む浮遊物の一つだ。
「…………対象捕捉。」
『いやいや、冷静になるの早すぎでしょ。
もっと年相応の反応を見せるべきだって。』
相手は無用人に話し続けた。
その隙にメセナは気を失う前の記憶を復元する。
(そうか……僕、負けたんだ。)
メセナは敗北していた。
攻撃が一切通らず、逆に全て跳ね返された。
彼女は自らが放った攻撃により気絶したのだ。
「聞いたことある……お前が『怠惰のサギト』だな?」
『へぇー、ある程度の情報は貰ってるんだ?
…………いや、違うな。それすらも独りで集めたのか?』
「……何が目的だ? 予言の災害がこの街にッ!?」
メセナは再び魔力を放出し臨戦態勢に入る。
勝算など無い。だがこれが彼女の使命だ。
『はいはい、そう言うのいいから。』
パンッと怠惰のサギトが手を叩く。
――瞬間、メセナを取り巻いていた魔力が霧散した。
怠惰の権能では無い、彼の習得した魔術だ。
『えーと、目的だね? はっきり言えば、君だ。
この街に来て、はや数ヶ月になるんだが
その間に君の話を聞いてね……興味が湧いた。』
メセナは警戒心は残しつつ臨戦態勢を解いた。
怠惰のサギトに戦闘の意思は無い。
ならば彼女も無闇に挑むのは愚策だろう。
(『匂い』もそうだ。香るのは獰猛な獣の匂い。
街に危害を及ぼす悪人の匂いとは少し違う。)
『ま、歩きながら話そうか。見せたい物もあるし。』
背を向けたサギトにメセナは追従する。
思考を探るように一瞬たりとも目を離さない。
『ったく、見てほしいのは俺じゃないぜ?』
そうボヤくとサギトは雲海を指差す。
メセナも釣られて眺めるが、別に何かある訳では無い。
「……? 何もないけど……?」
『いやいや、綺麗だろ? ここの雲海。』
「……まさか、見せたい物って……」
『そ、此処の景色。アンブロシウスの旧観光スポット。
絶景の雲海が見れるパワースポット、「天ノ澪標」!』
知らないし識らない。
兵器であるメセナに観光で役立つような知識は無い。
サギトに感想を聞かれたが、特に何も感じない。
『ハハハ! まぁ感性なんて人それぞれだし?
別に俺も綺麗な物を見せたかった訳じゃ無い。』
「……?」
『さっきも言ったけど此処は「旧」観光スポット!
町興しのために担がれ、人々から棄てられた場所!』
「担がれ……棄てられた?」
観光スポット――『天ノ澪標』。
アンブロシウス本土から離れた浮遊物からの絶景と、
足を運び辛いその場所に辿り着いた時の達成感を
味わう気分的なパワースポットとして利用された。
しかし、所詮は気分が少し良くなる程度のもの。
人々はわざわざ行くほどの価値を見出されなかった。
勝手に持ち上げられたその場所は、
不要と判断されあっさりと切り捨てられたのだ。
――身を尽くし、そして忘れられた。
「…………何が言いたい?」
メセナはサギトを睨みつける。
怠惰な者は鼻で笑いながら続けた。
『たった一人が勤勉に尽くしても全体は何も変わらない。
むしろ尽くせば尽くすほど、周囲を怠惰にしてしまう。
君は昔の俺にそっくりだ。だから先人として啓蒙する。』
「……! 何をするつもりだ!?」
『身構えるなって! 少しお願いするだけ、ね?
断われば……このまま本土に攻め込もうかな!』
サギトの侵攻。そんなものを許す訳にはいかない。
アンブロシウスの守護者として彼女は心を決めた。
「……分かった。何をすればいい?」
『なーに、少し怠け方を教えるだけさ。』
ホムンクルスの内部には歯車という部品は無い。
だがその日、彼女の『歯車』は確かに狂った。
――数週間後・領主邸――
「メセナの様子がおかしい?」
部下たちが領主に報告を入れる。
メセナの活動が目に見えるほど激減していたのだ。
もちろん治安が良くなったというのも理由だろう。
だがそれを差し引いても異常な減りだ。
「具体的に申し上げますと、
主に軽犯罪への出動が激減しています。」
「重い軽いで出向くかどうか選んでいると?」
領主の眉間にシワが寄る。
テロリストやマフィアなどの相手以外にも、
スリなどの事件も全てメセナに任せていた。
私兵たちはあくまで後処理のみをやらせている。
しかしメセナがその仕事を放棄したのであれば、
必然的に私兵たちが動かなければならなくなる。
封魔局のいなくなったこの街で、
戦闘経験の薄い私兵たちが、である。
(軽犯罪といえど相手も魔法使い……!
私兵が何かミスをすれば魔法連合は見逃さない!
せっかく目障りな封魔局を追い出せたのに……!)
領主は苛立ち部下たちに怒鳴り付けた。
今すぐメセナを連れてくるよう指示したのだ。
しかし、部下たちは顔を見合わせ動かない。
「どうしました? 早くお行きなさい!
任務以外ではあのボロ小屋にいるはずです!」
「……実は、既に各地で目撃情報が。」
「な!? それは何処ですか!?」
「はい、それが……アイスクリーム屋の屋台の列に。」
「…………はい?」
「あとクレープ屋に、映画館、それとサウナに。」
領主の怒りは頂点まで達した。
言いつけである『孤立すること』を破っている。
領主はこれをメセナの反逆と捉えた。
「どうやら躾が……足りなかったようだ……ッ!」